(一社)ハートマッスルトレーニングジム代表
主体的人生を構築する人材育成トレーナー
桑原朱美です。
今日のテーマは
「自分の中から出てきたのは恐ろしい姿の変性自我でした」です。
波動脳科学セルフアクセプトコース第4講の感想をアップしました。
第4講では、1~3講まで学んできた変性自我についてさらに深め、
「自分自身(センターセルフ」と「変性自我」の関係性を、ニューロロジカルレベルとチーム自分の視点から、もう一度っまとめました。
そして、自分の中の変性自我がもっているビリーフを緩めるというワークを2人1組で行いました。
さらに、変性自我に取り込まれたとき、自分を中庸の状態に戻す方法を実際にワークで体験しました。
受講生のYさん(養護教諭)は、4講について2回、感想を書いてくださいました。
「自分から変性自我を取り出すことで、恐ろしさが半減し、いとおしく見える」
というのは、まさに、その通りです。苦しい時は、変性自我がもっているビリーフと同一化しているのです。
このことを知識ではなく、体感してくださったことをとてもうれしく思います。
また、2つ目の感想では、さらに、講座後、自分の中の変性自我ちゃんとお話をされた経験が書かれています。
「受け容れるということは、しっかりとまずは見るという事なんだな、それだけでも全然違うんだなと思いました。」
まさに、そうなんです。アイシンの先生も、ワークショップでよく言われます。
「見るまではすごく怖いけど、見てしまえば、なんだそうかと思えて、受け容れることができる」
深い深い気づきを得てくださったのは、第3講までの学びをしっかり自分のものにされたから。
セルフアクセプトコースの受講生のほとんどが養護教諭の先生です。
教師に限らず、大人自身が自己受容できることが、目の前の子どもたちにもプラスの影響を与えることができます。
続々と第4講の感想が届いています。
少しずつアップしていきます。
なんとなくこうだな~と思っていることも、言葉にすることでそれだけで客観視できました。今日のワーク(変性自我ちゃんの対話ワーク)で、例外が以前からあったのに、それでもビリーフを握りしめてきたこと、例外を見て見ぬふりをしてきたことは、例外(成功体験)以上に、自分を守るため、傷つきたくないという気持ちがとても強いんだと思います。
でも、それを言葉にして、自分から取り出して見ることで、恐ろしさが半減するというか、愛おしく見えてくるから不思議。変性自我ちゃんともっとお話したいなと思いました。
あと、最後の思考や感情や体の反応からニュートラルな自分に戻る方法のところで、自分にまとわりついていたものが、べりべりっと剥がれる感じがしたんです。(まるで、エプロンシアターに人形がついていて、それをべりべりっと剥がす感じ)
そして、楽になり、自分を客観的に見られ、判断ができる状態になる感覚がしました。この感覚は、今回が初めて感じたものでした。こういう考え方をもっと若い時に知りたかった~と思ったり、いやいや今がベストだったから、巡り会ったんだと思ったり。
今まで自分嫌い、自分以外になりたい、今までのことを消した自分になれたら・・って特に子どもが生まれるまでは強く思っていて、子どもが生まれてその気持ちが少し薄れて、でも今までもやっぱりあって。
でも、感覚として、自分が愛おしいと感じています。だってそれがなければ、私じゃないし。それがあったから、この自分でいられるという感じ。自分も少しずつ変化してきているのかもしれません。姫先生も一緒に参加している受講生のみなさんも、この場を作ってくださってありがとうございます。とても気づきと安心感を得た4講でした。
すると、この子はこうだという名前付けや、こういう変性自我だという捉えがなかなか出来ない子でした。
なんというか、頭が重く、目の辺りに重くいるというか。でもよく出てくる子で。今までなかなか向き合えなくて。
というのも、何というか、その子と相対すると、自分の見たくないところをみるというか、傷つくことが目に見えているというか。
なので、とりあえず「頭が重いこの子」という名前で取り出してみました。
すると、大きい大きい、そして、重い。妖怪みたいな、恐ろしい姿でした。
どうしてこんな状態になっているんだ…と思ったのと同時に否定されて見ないふりをされていた結果がこの姿なのかなと、かわいそうに思ったり。
そしてお話をしているうちに、顔を見せてくれたようなイメージが出て。そして戻ってもらいました。
とても不思議です。
受け容れるということは、しっかりとまずは見るという事なんだな、それだけでも全然違うんだなと思いました。
こんな子が自分にいるなんて、思いもしなかったのでちょっと衝撃ですが、大事な私の変性自我ちゃんです。
受け容れていこうと思います。
次回まで次はどんな変性自我ちゃんと会えるか、やはり怖いという思いがあるけど、もう見たくないという気持ちはありません。
自分も大分変わってきたかなと思う出来事でした。