(一社)ハートマッスルトレーニングジム代表
主体的人生を構築する人材育成トレーナー
桑原朱美です。
今日のテーマは
「【講座の感想】頭の上にたらいが落ちてきた衝撃でした」です。
保健室コーチングアドバンスコース6講の感想です。
脳科学傾聴と確認質問について、さらに深く学びました。
感想をくださったN先生が、感想の中で葛藤されている様子が、よくわかります。
本質的理解がふかまると、「だからうまくいかなかったんだ」「あの時のことはこういうことだったんだ」とういことが、ストンと腑に落ちてきます。
学んだことが知識として頭の中に漂っているだけのうちは、知識と現実の乖離が起きます。これはよくてこれは悪いんだという知識で相手を裁こうとしてしまいます。
これは、複雑になったがゆえの分離の状態です。
本質的なことが理解できると(本質的理解とは理論を知ることではありません)ああ、そういうことかと、実は最初は言語にならないのです。その言語にならない部分を自分なりに言語化されるには、知識と現実のはざまで何度も葛藤し、試行錯誤をする必要があります。
多くの方は、知識を得た! スキルを知った! そこで止まってしまいます。
でも、保健室コーチングでは、そこは徹底的に現実で落とし込め!というスタンスをとっています。
ベーシックコースの段階では、これまでの土台を変えたうえで、学んだやり方を丁寧に実践することが大切。
しかし、アドバンスコースになると、もっと深い本質的理解に立ってうえでの実践と自分なりの表現が求められます。
N先生の感想には、彼女の気づきの深さや葛藤がよくわかります。
必要な葛藤が起きたとき、必ず、現実はそれを教えてくれる出来事が起きるのだと思います。
このプロセスってとても大事です!
第6講での学びと気づいたことをどう言語化しようかと今日まで迷っていました。こんなに自分の感じていることをことばにするのに困ってしまうのは久しぶりかもしれません。
確認質問の話は私にとって、頭の上からたらいがガーンと落ちてきたような衝撃と痛さを受けました。
私は新卒の頃から時々「先生はニコニコしながらすごいことを言うね」と言われていました。
15年ほど前には校内研究の全体会議で、私が質問をした内容で研究部長を激怒させてしまったことがありました。(後から他の先生に「そこが一番痛いところだったみたい」と言われました)
思えば生徒と話をしている時も、たまに生徒が「うっ」となってしまうような質問をしてしまうことがあり、慌てて違う質問に変えることがありました。
コミュニケーションはキャッチボールだという言い方がありますが、私の場合は時々ドッジボールをぶつけていることがあるんだと気づきました。
特に相手が思い込みや、こだわりの強い生徒の場合は、「それ、思い込みだよ!」「気づかせてあげなきゃ」と反応して手にドッジボールを握りしめるパターンを持っていることにも気づきました。いえ、以前からそういう自分がいるのは気づいていましたが、改めて自覚したことがショックでした。
“相手の内面に触れさせてもらう”・・・ 講座が終わった時点では頭で理解しました。
朝、出勤前の宣言にも取り入れました。保健室に来室した生徒にかかわる前も自分の状態を整えて(私的にはそのつもりでいました)対応しました。でも、“相手の内面に触れさせてもらう”という感覚が、私の中ではどうにもつかめませんでした。日頃の自分とどう違うのか、そもそも“相手の内面に触れさせてもらう”とはどういうことなのか、すっきりしないまま、悶々としていました。
そんな中、生徒に関して大きな事件がありました。
関係する先生方とチームで対応することになり、当該生徒が私と話すことを希望したため、私が生徒の話を聴く担当になりました。前述のような迷いがある中だったのでとても緊張しました。今、自分にできることは何だろう・・・ドッジボールも何も持たず、まっさらな一人の人間として、生徒の心にあるものを教えてもらおう、このくらいしかできないかもしれない・・・そう思って、生徒と向き合いました。
今、その日から数日たっています。生徒はまだまだ油断はできない状態ですが、落ち着いて学校生活を送っています。
その生徒とかかわって、私の中にも不思議な感覚ができました。相手とかかわる時の自分のスタンス、相手の年齢、立場、その他諸々関係なく、相手を一人の大切な人として尊重すること・・・文字にすると、なんだか自分の思いとしっくり来るようで来ないようで、そんな感覚です。よく、「一人一人を大切に!」といったことばが飛び交っていますが、とても軽々しく言えないな、という気持ちです。(これもうまく表現できないのですが・・・)でも、“相手の内面に触れさせてもらう”ってこういうことなのかなって、ようやく自分の中に入ってきた気がします。
その出来事があってから、いろいろな生徒とかかわる時の自分の心身の状態も変わりました。あれっ、今まで構えていたのかな、力が入りすぎていたのかな、というくらい普通の感じです。元々、私はおしゃべり好きなので、「おばちゃん力」を発揮しながら、相手と肩の力を抜いて話をしていこうと思っています。
確認質問の話は私にとって、頭の上からたらいがガーンと落ちてきたような衝撃と痛さを受けました。
私は新卒の頃から時々「先生はニコニコしながらすごいことを言うね」と言われていました。
15年ほど前には校内研究の全体会議で、私が質問をした内容で研究部長を激怒させてしまったことがありました。(後から他の先生に「そこが一番痛いところだったみたい」と言われました)
思えば生徒と話をしている時も、たまに生徒が「うっ」となってしまうような質問をしてしまうことがあり、慌てて違う質問に変えることがありました。
コミュニケーションはキャッチボールだという言い方がありますが、私の場合は時々ドッジボールをぶつけていることがあるんだと気づきました。
特に相手が思い込みや、こだわりの強い生徒の場合は、「それ、思い込みだよ!」「気づかせてあげなきゃ」と反応して手にドッジボールを握りしめるパターンを持っていることにも気づきました。いえ、以前からそういう自分がいるのは気づいていましたが、改めて自覚したことがショックでした。
“相手の内面に触れさせてもらう”・・・ 講座が終わった時点では頭で理解しました。
朝、出勤前の宣言にも取り入れました。保健室に来室した生徒にかかわる前も自分の状態を整えて(私的にはそのつもりでいました)対応しました。でも、“相手の内面に触れさせてもらう”という感覚が、私の中ではどうにもつかめませんでした。日頃の自分とどう違うのか、そもそも“相手の内面に触れさせてもらう”とはどういうことなのか、すっきりしないまま、悶々としていました。
そんな中、生徒に関して大きな事件がありました。
関係する先生方とチームで対応することになり、当該生徒が私と話すことを希望したため、私が生徒の話を聴く担当になりました。前述のような迷いがある中だったのでとても緊張しました。今、自分にできることは何だろう・・・ドッジボールも何も持たず、まっさらな一人の人間として、生徒の心にあるものを教えてもらおう、このくらいしかできないかもしれない・・・そう思って、生徒と向き合いました。
今、その日から数日たっています。生徒はまだまだ油断はできない状態ですが、落ち着いて学校生活を送っています。
その生徒とかかわって、私の中にも不思議な感覚ができました。相手とかかわる時の自分のスタンス、相手の年齢、立場、その他諸々関係なく、相手を一人の大切な人として尊重すること・・・文字にすると、なんだか自分の思いとしっくり来るようで来ないようで、そんな感覚です。よく、「一人一人を大切に!」といったことばが飛び交っていますが、とても軽々しく言えないな、という気持ちです。(これもうまく表現できないのですが・・・)でも、“相手の内面に触れさせてもらう”ってこういうことなのかなって、ようやく自分の中に入ってきた気がします。
その出来事があってから、いろいろな生徒とかかわる時の自分の心身の状態も変わりました。あれっ、今まで構えていたのかな、力が入りすぎていたのかな、というくらい普通の感じです。元々、私はおしゃべり好きなので、「おばちゃん力」を発揮しながら、相手と肩の力を抜いて話をしていこうと思っています。