私は、ブログというものをもう12年やっている。このブログに移って計4つめとなるが、一番最初に書いていたブログについては諸般の事情により封印している。
先日、封印して以来4年以上ぶりにそれを解いて読んでみたのだが、驚いた。
今の記憶ではその当時私は肩で風切って歩いているかのような活躍をしていたはずなのに、当時の私はものすごく鬱で思い悩んでいるのだ。
今の私も自分が望んだ状況では決してないが、この2017年1月の状況を「あの頃は楽しかった」と振り返る事が出来るようになるまでには、長い時間を要するのかもしれない。
生きている限り、次々と災難は起こる。
それでも人は、前を向いて生きていかねばならない。
なぜならば、私という人間が生きている価値は、自分が決めるものではないからである。
この映画を観ながら、ふとそんな事を考えた。
この映画についてはさんざん語り尽くされていながら、評判が評判を呼んでおりこれからもご覧になられる方が沢山いらっしゃると思うので詳述は避けるが、この映画は昭和10~21年の広島と呉を中心に進められる。
当然、戦争が大きなテーマにはなるのだが、いわゆる戦争映画ではない。
ごく普通の家庭に生まれた少女・すずが呉の北條家に嫁ぎ、軍港ゆえ激しい空襲を受ける。
もし、幼なじみと結婚していたら?
もし、あのタイミングで広島に帰ってしまっていたら?
あの時、姪の晴美とつないでいた手が、左右逆だったら…?
様々な思いが胸をよぎる。
結婚させられたすずと、奔放な人生を歩んできた小姑・徑子との対比。
広島での原爆孤児との出逢い。
観終わった後に湧いてくるのは、決して戦争の悲惨さによる悲しみではない。
大切なものを失いながら、それでも日常を懸命に生きてゆくすず達の姿に、ただただ奮い立たされるのである。
すずの声を担当する能年玲奈改め「のん」の演技も、とにかく素晴らしい。
「あまちゃん」でブレイクしたのだが、あの訥々とした広島弁を聞いてしますとむしろこちらの方が私は好きだ。
この物語では、何カ所かでタンポポの綿毛が登場する。
そう、「置かれた場所で咲きなさい」という暗示なのかもしれない…
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます