ほしちゃんの「続・なるようにしか、ならん」。

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「あかんリーダー」のお手本、鈴木啓示。

2020-10-01 22:00:00 | 思うこと

今日はたまたま私と同じ、昔のパ・リーグファンと話し込む機会があった。
その中で、我が愛する近鉄バファローズ低迷と鈴木啓示の話をしたのであった(笑)。

鈴木啓示は現役時代、通算317勝を収めた屈指の大投手である事に異論を挟む余地はない。
ただ、当時の正捕手は梨田だったにもかかわらず梨田とは合わなかったため、有田修三が鈴木専用捕手としてマスクをかぶっていた。

しかし、鈴木啓示の評価が一変したのは1992年のオフ、古巣の近鉄バファローズ監督に就任してからである。
鈴木啓示は、とにかく走り込んで下半身を強化し大投手になった。
今から30年近い昔にもかかわらず、既に当時は走るだけでなく総合的なウェイトトレーニングが重要視されており、当時の立花龍平コンディショニングコーチはその先頭を切っていた。
当然、当時の近鉄の主力であった野茂、阿波野、石井、吉井らは立花信者だった。
 
ところが、過去の自身の成功体験に囚われっぱなしだった鈴木は昔の「走れ走れ」を選手に強要し、立花コーチはチームを去り千葉ロッテマリーンズに移籍してしまう。
するとどうだろう、先述の主力達がみな鈴木啓示とソリが合わず、次々とチームを去ってしまった。
野茂はドジャース、吉井はヤクルト、金村は中日へ。
相次いで主力を欠いたチームは低迷し、ついに1995年シーズン半ばで鈴木は休養、水谷ヘッドコーチが監督代行を務め、鈴木はそのままチームを去ってしまった。
チームを去ったどころか、それから四半世紀になろうとしているのにどこのチームからもお呼びがかからない。

時代は、令和に変わった。
まだ平成初期には当たり前だったハラスメントもすっかり社会悪とされ、コンプライアンスの世の中になった。
なのに未だに自身の昔の成功体験に囚われ、やれオレの若い頃はどうの、営業なんて飲ませて食わせてゴルフ行って抱かせて、などという輩はまだ居る。
どこの会社とは言わないが、やれあの会社はオレが大きくした、あの会社のトップとオレは仲がいいから誰にも担当させないだの、やれオレはその昔役所から何億もせしめただの…
そんなヤツがトップとなってしまった会社は悲惨だ。
耳の痛い正論を言ってくれる部下を隅っこへ追いやり、能力はさておき自分に歯向かって来ないヤツ、自分にシッポを振るしか能のないヤツを重用。
その会社がどうなったかは、想像に難くない。
そのようなリーダーは、お引き取り願わねばならない…


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