(忘れかけていた北海道旅行記、岩田さんから督促もきたので、また続きを書きます。)
そんなわけで私たちは、大宮を3時間ほどの遅れで出発したことで、真冬の函館駅に朝の4時に放り出されることだけは、運よく避けられそうになりました。
待合室からやっとたどり着いたホームにようやく入ってきた列車を見るや否や、ホームにいる人からため息がもれるようなリゾート気分あふれた室内を窓越しに見せて車両が通過していく。
私たちが乗り込んだのは最後尾の車両。
簡単に取れるはずがないと言われながらも幸運に取れたチケットは、ちょっと高いスイートクラス。
そんな予定はなかったのだけど、ビュープラザのお姉さんが善意でやってくれて取れてしまったのだから良しとする。
早速、乗り込んだ車内。
2階部分がバスルーム付きのリビング。1階部分が寝室になっている。
このところずっと車での旅ばかりしていたので、もう何もせずに食って飲んでくつろいで寝るだけの解放感は最高!
じきにウェルカムドリンクがアイスペールとともに運ばれてきました。ワインと日本酒の小瓶とウィスキーのミニボトル。
早速、ワインの小瓶からあけて飲む。
出発が遅れた分、窓からの景色は夜景からのスタートになってしまったけれど、部屋のテレビにナビ画面が出ていて、今走っている場所が随時表示されている。
ただ表示エリアが狭すぎて、地理に詳しくないと出てくる地名がどのへんなのか理解できない。
食事はラウンジでする方が豪華な気分を増すことと思われましたが、部屋でずっとくつろげることも嬉しかったので、部屋に届けてもらう食事にした。
この食事が届いたころから、なんとなく腰がやめるようになり、いろいろと姿勢を変えないと、じっとしていられなくなってくる。
大宮駅で長い距離を無理して重い荷物を担いだことが響いてしまったのか。せっかくの豪華なご馳走を存分に満喫して食べることができない。
食事をすると腹圧が増すからなのか、一段と腰がいたくなってきた。
なんとなく、この辺からこの痛みがどうやら腰痛ではなくて、昨日から始まった結石による痛みらしいことを悟る。
実は、今回の旅に出る前日の朝、風呂に入っていたら過去何度か経験している結石の痛みが出て、慌てて病院に行きレントゲンとエコー検査で複数の石を確認して痛み止めと溶かす薬、座薬をもらってきたのです。
旅先の発病でなく、出発前でほんとに良かったと思いました。
薬をもらってあるのでもう安心とばかり思っていたのですが、どうも怪しい。
もちろん昨日医者でもらった痛み止めの薬はきちんと飲んでいる。
今回は過去の結石に比べると、ガツンと激痛が突然襲ってくるタイプではなく、痛いには痛いものの通常の痛みに比べると7割くらいの痛みなので、のたうち回って病院に駆け込むほどではなかった。
しかしこれが、のちに予想外に痛みが長引く原因だったのかもしれない。
食事を終えると痛みは更に増してきて、腹圧を下げようと何度もトイレで頑張るがなにも出てこない。
次第に痛みに吐き気が加わりだし、トイレに入っている時間が長くなる。
つくづく部屋にバスルーム付のスイートで良かったと思った。
しかも看護婦付き添いで・・・
こういうのをほんとうに「贅沢な旅」というのだろう?
痛みのおかげで函館までの旅の時間が、一層長く感じられ、これもラッキーなこと。
(ただ残念ながら、このすばらしい車内の写真を撮る余裕がなかったのが心残り)
仙台、盛岡を過ぎたあたりから窓の外は、冬景色が厳しくなりだしてくる。
もがきながら窓の外をずっと見ていたら岩手あたりから夜中なのに除雪車が走っている。
雪の重みで線路脇の木々が倒れかかり、車体をしきりにゴリゴリとこする音がする。
青森で進行方向が一度逆になるので、機関車が今まで最後部だった私たちのいる車両に連結される。
すると車体から落ちる雪の音が一層激しく聞こえる。
前の機関車から飛んでくる氷雪もしきりにぶつかる音がする。
少し痛みが落ち着いたので下の寝室に移ると、位置が低い分より一層車体をこする氷雪の音が激しくなる。
青森からかなり長い距離を走ってようやく青函トンネルに入る。
一度、トンネルに入ったら、海底を走っているといった雰囲気はなにもなく、かなり長い時間を覚悟していたが、景色の変化もないので長かったのか短かったのかもよくわからない。
しばらくして急に明かるくなったと思ったら、そこは北海道。
長い列車旅のおかげで、夜とはいえ、宮城までののどかな雰囲気と、岩手から青森にかけて冬らしい厳しい景色の差を感じることが出来たが、北海道に入るとさらにその差を感じた。
妙に青森までの冬景色にはない、針葉樹を中心とした景色が印象深い。
雪が降りつもったばかりであるため、葉の落ちた広葉樹よりも、針葉樹の方がたくさん枝に雪をためていることで目立つのだろうか。
いいぞ、いいぞ北海道。
もう函館はすぐだと思ったら、到着時間を聞くと青函トンネルを抜けてからもまだ結構走るようだ。
思い出した、北海道は広いのだ。
ふと思えば、青森を通過するのも長かった。
岩手も長かった。宮城も長かった。福島も長かった。栃木も長かった。
これが列車旅というものだ。
(この頃から小康状態はあっても、なかなか薬だけでは痛みが治まらないので、函館で一度病院に駆け込むことも考えはじめる。)
山間部から平野が見えるようになり、いよいよ函館も近いかと思われたとき、雪によるダイヤの乱れの時間調整のため1時間あまりさらに停車で待たされる。
そんな経過でようやく函館の駅にたどりついたのは、定時からは4時間遅れの朝8時。
このようにして私たちの「風と土と汗の涙の大地」北海道への旅は、脂汗と痛みの涙とともに始まったのでした。
つづく
そんなわけで私たちは、大宮を3時間ほどの遅れで出発したことで、真冬の函館駅に朝の4時に放り出されることだけは、運よく避けられそうになりました。
待合室からやっとたどり着いたホームにようやく入ってきた列車を見るや否や、ホームにいる人からため息がもれるようなリゾート気分あふれた室内を窓越しに見せて車両が通過していく。
私たちが乗り込んだのは最後尾の車両。
簡単に取れるはずがないと言われながらも幸運に取れたチケットは、ちょっと高いスイートクラス。
そんな予定はなかったのだけど、ビュープラザのお姉さんが善意でやってくれて取れてしまったのだから良しとする。
早速、乗り込んだ車内。
2階部分がバスルーム付きのリビング。1階部分が寝室になっている。
このところずっと車での旅ばかりしていたので、もう何もせずに食って飲んでくつろいで寝るだけの解放感は最高!
じきにウェルカムドリンクがアイスペールとともに運ばれてきました。ワインと日本酒の小瓶とウィスキーのミニボトル。
早速、ワインの小瓶からあけて飲む。
出発が遅れた分、窓からの景色は夜景からのスタートになってしまったけれど、部屋のテレビにナビ画面が出ていて、今走っている場所が随時表示されている。
ただ表示エリアが狭すぎて、地理に詳しくないと出てくる地名がどのへんなのか理解できない。
食事はラウンジでする方が豪華な気分を増すことと思われましたが、部屋でずっとくつろげることも嬉しかったので、部屋に届けてもらう食事にした。
この食事が届いたころから、なんとなく腰がやめるようになり、いろいろと姿勢を変えないと、じっとしていられなくなってくる。
大宮駅で長い距離を無理して重い荷物を担いだことが響いてしまったのか。せっかくの豪華なご馳走を存分に満喫して食べることができない。
食事をすると腹圧が増すからなのか、一段と腰がいたくなってきた。
なんとなく、この辺からこの痛みがどうやら腰痛ではなくて、昨日から始まった結石による痛みらしいことを悟る。
実は、今回の旅に出る前日の朝、風呂に入っていたら過去何度か経験している結石の痛みが出て、慌てて病院に行きレントゲンとエコー検査で複数の石を確認して痛み止めと溶かす薬、座薬をもらってきたのです。
旅先の発病でなく、出発前でほんとに良かったと思いました。
薬をもらってあるのでもう安心とばかり思っていたのですが、どうも怪しい。
もちろん昨日医者でもらった痛み止めの薬はきちんと飲んでいる。
今回は過去の結石に比べると、ガツンと激痛が突然襲ってくるタイプではなく、痛いには痛いものの通常の痛みに比べると7割くらいの痛みなので、のたうち回って病院に駆け込むほどではなかった。
しかしこれが、のちに予想外に痛みが長引く原因だったのかもしれない。
食事を終えると痛みは更に増してきて、腹圧を下げようと何度もトイレで頑張るがなにも出てこない。
次第に痛みに吐き気が加わりだし、トイレに入っている時間が長くなる。
つくづく部屋にバスルーム付のスイートで良かったと思った。
しかも看護婦付き添いで・・・
こういうのをほんとうに「贅沢な旅」というのだろう?
痛みのおかげで函館までの旅の時間が、一層長く感じられ、これもラッキーなこと。
(ただ残念ながら、このすばらしい車内の写真を撮る余裕がなかったのが心残り)
仙台、盛岡を過ぎたあたりから窓の外は、冬景色が厳しくなりだしてくる。
もがきながら窓の外をずっと見ていたら岩手あたりから夜中なのに除雪車が走っている。
雪の重みで線路脇の木々が倒れかかり、車体をしきりにゴリゴリとこする音がする。
青森で進行方向が一度逆になるので、機関車が今まで最後部だった私たちのいる車両に連結される。
すると車体から落ちる雪の音が一層激しく聞こえる。
前の機関車から飛んでくる氷雪もしきりにぶつかる音がする。
少し痛みが落ち着いたので下の寝室に移ると、位置が低い分より一層車体をこする氷雪の音が激しくなる。
青森からかなり長い距離を走ってようやく青函トンネルに入る。
一度、トンネルに入ったら、海底を走っているといった雰囲気はなにもなく、かなり長い時間を覚悟していたが、景色の変化もないので長かったのか短かったのかもよくわからない。
しばらくして急に明かるくなったと思ったら、そこは北海道。
長い列車旅のおかげで、夜とはいえ、宮城までののどかな雰囲気と、岩手から青森にかけて冬らしい厳しい景色の差を感じることが出来たが、北海道に入るとさらにその差を感じた。
妙に青森までの冬景色にはない、針葉樹を中心とした景色が印象深い。
雪が降りつもったばかりであるため、葉の落ちた広葉樹よりも、針葉樹の方がたくさん枝に雪をためていることで目立つのだろうか。
いいぞ、いいぞ北海道。
もう函館はすぐだと思ったら、到着時間を聞くと青函トンネルを抜けてからもまだ結構走るようだ。
思い出した、北海道は広いのだ。
ふと思えば、青森を通過するのも長かった。
岩手も長かった。宮城も長かった。福島も長かった。栃木も長かった。
これが列車旅というものだ。
(この頃から小康状態はあっても、なかなか薬だけでは痛みが治まらないので、函館で一度病院に駆け込むことも考えはじめる。)
山間部から平野が見えるようになり、いよいよ函館も近いかと思われたとき、雪によるダイヤの乱れの時間調整のため1時間あまりさらに停車で待たされる。
そんな経過でようやく函館の駅にたどりついたのは、定時からは4時間遅れの朝8時。
このようにして私たちの「風と土と汗の涙の大地」北海道への旅は、脂汗と痛みの涙とともに始まったのでした。
つづく