よそから月夜野へ来て月をみた人は、誰もがここでみる月が大きく美しいことに心打たれます。
ところが地元の人たちにとっては、いつも見慣れた景色にすぎないので、それをほとんど意識していません。
月夜野からみる月が、ほんとうに大きいのか、はたまた目の錯覚であるのか、そんなことをこの地でマジメに議論された形跡はありませんが、「月夜野百景」の核心にせまるには、どうしてもこの問題に決着はつけておかなければなりません。
月夜野に限らず、時々、月がとても大きく見えることがあることは、誰もが経験していると思います。
したがって専門家もその疑問にこたえるべく、実際に大きくなるのかどうか、諸説を出していますが、現代の科学者の大半は、きっぱりと「月が大きくなることはない」と言います。
これに対して心理的側面や錯覚を含めて、多くの人がなぜそう思うのかを真剣に研究した専門家もいます。
苧阪(おさか)良二(1918年、京都生まれ)です。
地球物理学を志して旧制三校の理科に入学したが、A・カレルの影響を受けてライフサイエンスに転向。さらに転じて精神の自然科学を志して東大文学部心理学科へ。戦時中は海軍電測士となり、戦後、京大文学部哲学科大学院(旧制)。同志社大学助教授、京大教育学部教授。名古屋大学環境医学研究所教授(航空心理学)、同所長、愛知学院大学心理学科教授などを歴任。
専門は視空間構造論で、人間の意識と行動を動物進化の基盤の上で考える、という生物心理学的立場をとっている。天体錯覚の研究で文学博士。
絶版本ですが『地平の月はなぜ大きいか 心理的空間論』講談社ブルーバックス という本でこの問題にこたえています。
苧阪氏の紹介で、スイスの心理学者M・E・クレパレードによると、アリストテレス以来、地平拡大を説明した学説は次の11に分類できるという。
1、屈折説
地平の空気層の屈折により像が大きく見える(アリストテレス、プトレマイオスなど)
実際に測定してみると大きくなていないし、錯覚なのだから、この説は採用するわけにはいかない。
2、瞳孔散大説
地平は光線が弱いので、瞳孔が拡大して大きく見える(ガセンディ)
3、水晶体扁平説
天頂を向くと眼球のレンズが少し平たくなるので(シェベール)
4、比較説
地平の小さく見える木や家と比較して見るので(デカルト)
5、対比説
天頂の月は青黒い夜空との対比効果で小さくなる(リュール)
6、視線説
視線をあげて見る(にらむ)と小さく見える(ガウス、ツォート)
7、地平視覚説
地平の物にたいする視覚のほうが、天頂方向での同じ視覚より大きく見える
(ツェーヘンダー)
8、周辺視説
天頂の月は地平よりも感度のよくない周辺視になりやすい(プウルドン)
9、介在説
地平にはもろもろの物が中間に存在するので、距離感が大きくなり、月は大きく見える
(プトレマイオス、アルハーゼン、ベーコン、デカルト)
10、遠景説
もやとか薄明のため、地平の月は遠くに見られ、大きくなる
(バークリー、ダン、ヘルムホルツ)
11、天空形状説
天空の形が扁平なので、投射距離の大きい地平の月が大きく見える
(スミス、ヘルムホルツ、ライマン)
これらの説を苧阪氏がどう見ているかというと、
一、地平の方向に物体が奥行き方向にならんでいると大きく見える。
それらの左右の広がりも拡大して見える副次的要員となる。
二、地平の満月を見る場合の体位は、頭は正常に直立し、眼位は第一眼位である。
この姿勢で天頂の月を見るとき、頭位と眼位は相補的に(目が動けば頭は動かず、
頭を動かせば眼は動かず)変化する。
このような姿勢で仰視するから天頂の月が小さく見える。
地平の月を見る姿勢を90度かたむけ、仰臥視の姿勢をとると天頂の月はやや大きく見える。
三、大きさの知覚には、知、情、意が働くが、知覚以外に情意機能も働く。
たとえば初心者、女性、芸術家肌の人は、二倍以上の錯視率を持つ。
原始社会いおいては、首長や上位のものの姿が、下位の者より大きく描かれるが、これらは
情意機能が認知機能に影響をあたえているひとつの証拠である。
(以上は、根本順吉『月からのシグナル』筑摩書房を参照)
ん~~ん、
結局、よくはわかりませんね。
もっと明快に説明できないと「月夜野百景」でとりあげるわけにはいきません。
でも、やっぱりこれをみれば明らかでしょう!
三峰山からのぼる月
山に見えている木の高さが、控えめにざっと10mとして、この月はその5倍以上あります。
50メートルの大きさの月が近くにある。小さい?
現実には、天空の月も太陽も5円玉の穴に入るといいます。
それに比べたら、明らかにデカイでしょう。
月夜野の場合、なによりも近くに小高い山(三峰山、見城山、大峰山)があることで、地上のリアルな構造物と並び、月が大きく見えるのです。
了見の狭い科学者と議論しても埒があかないかもしれませんが、わたしたち芸術家肌?の住民や女性にとって、これはまぎれも無い事実なのです。