前回、多数決原理の問題について書きましたが、その問題解決のひとつの手段として
代議制の否定としての直接民主主義の形態がうかんできます。
戦後民主主義の代表として多数決原理と代議制は不可分の関係で続いてきましたが、
代議制については、その多くの投票率の低さの問題だけではなく
民意の公正な反映方法としても最近では疑問がなげかけられるようになってきています。
構成員全員の民意を反映するには、小グループごとの総括を経て集約される方法こそが
現実的な方法であるとされますが、
集約化されない個々の民意というものの再評価が、今注目されだしています。
これまでの民主主義発展の主な原動力は
封建制に代表される圧制に対抗する手段として、
民衆の力を結集する側面に力点があったともいえます。
そこでは確かに代議制はとても有効な手段であったと思います。
それにたいして、時代の進歩とともに民衆の力や、個人の表現力が豊かになってくるにつれて、
民主の圧制に対する抵抗手段としてばかりでなく、
民衆自身の様々な要求の表現手段として、ひとつの相手に対する表現だけでなく
様々な相手に様々な要求を出すことが増えてきました。
こうした傾向が強まってくると
全体を限りなく集約、総括することよりも
個々のナマの声を具体的に伝えることの意義が見直されてきます。
しかし、いかに小さなコミュニティーといえども
数千人から何十万人もの声を直接伝えることは、確かに現実的とはいえませんでした。
ところが、インターネット技術の進歩などにともない
コストや手間をかけずに簡単なアンケートは選択枝から選ぶような表現が容易にできるようになったばかりでなく、テレビ会議などの技術はどんどん進化しています。
わたしはこのことに、ただちに直接民主主義への移行の条件をみることよりも、
現行の代議制民主主義の魅力と機能が、急速に衰えだすのを感じるのです。
代議制で一生懸命議論を尽くしている隣で
様々な具体的個々の意見が観られるようになり、
集約、総括を超えた思考、論理の飛躍が日常にみられるようになるのです。
必至になって情報公開、市民の傍聴をよびかける議会のとなりで、
それよりずっとスピーディーで面白いブログやフリーペーパーが飛びかうのです。
また、議員へ陳情のお願いをしている横で、
首長にダイレクトにメールで意見がとどき、
逆に市民ひとりひとりが何を考え、なにを望んでいるのかも見ることができるのです。
政治の世界でこうした変化がこれからどれだけ急速にすすむかどうかはわかりませんが、
ビジネスの領域では、すでに10年以上(もう20年くらいになるか?)前に
「リエンジニアリング革命」として中間管理職を除いたフラットな組織づくりとして浸透しました。
今では、組織内の問題にとどまらず、最前線の顧客情報をダイレクトにトップに伝えるシステムとして
さらに進化しています。
もちろん、企業のシステムと政治のシステムを同列に扱うことはできませんが、
中間集約を経ずにダイレクトにナマの声をトップに伝えることが、
決して不可能なことではなく、情報過多で混乱することもなく
よりリアルな真実の情報を得る手段として有効なことはすでに立証されていると思います。
そしてこの手法には、もうひとつ民主主義の大事なこと
全員の民意の内訳は、
大人から子供まですべての人々、
所得や地位に左右されないすべての人々、
能力や資質にも左右されないすべての人々
によってなされるものということが、体現されていることです。
進歩した時代の活きた社会では、
「優秀な」人に一任される決定よりも
それを構成するすべての人々によってなされる決定の方がより「正しい」決定に至れる。
こんな話をしていたら、
ある人から、そんなことできるわけない、
それこそ収拾がつかなくなるのではないかと言われました。
それももっともなことです。
しかし、誤解してほしくないのは、
すべての事項をこうした直接民主主義のスタイルで行う必要はないということです。
全体にかかわるより大事な問題だけを
集中的にすべてのひとをその討議に参加させ、議論を尽くすことこそが大事なのです。
それは、その結果出される結論が正しいかどうかという問題以上に、
その決定に自分がちゃんと関与しているという意識がそだつことが重要であり、
さらには、その参加意識が、さらに決定の遂行状況を見守るということにまで高まることこそが重要なのです。
議会で審議延長、時間切れ、強行採決といった失望の連続を日々見ていますが、
1年に一度、いや数年に一度だけでも大事な問題について
全員参加で長期にわたって議論を尽くすことができたら、
ことの結果以上に、人々の意識は大きく変わるものであると思います。
今から30年以上前になるでしょうか、
宮崎県の綾町の郷田実・前町長は、自治公民館運動として
照葉樹林の町を守る運動を軸に全住民を巻き込んだ論議を何年にもわたって続けているのです。
大事な問題こそ、期限切れ強行採決ではなく
必要なひとはすべて巻き込んで議論を尽くすことがとても大事なことだと思います。
全員参加型直接民主主義は
決して空論夢物語ではなく、
現実的で民主主義の本来の姿からは王道としての手法であることが
これらのことから少しでも伝わるでしょうか。
正林堂店長の雑記帖 2008/3/4(火) より転載
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