昨日のmixiのほうの日記でふざけ半分ながら
>多数決できめたろか
と、私らしくない言葉をつかって反省しておりましたところ、
そしたら早速、別な方からも多数決反対の書込みがあったので、
これも一揆の性格にもかかわる問題なので(またこじつけ?)
「多数決」原理のことについてちょっと書いておきたいと思います。
私たちは、戦後民主主義の教育のなかで多数決こそ
もっとも民主的な意思決定のルールであるかのような教育を受けてきました。
しかし、今、現実に多数決原理を意思決定の手段として使っている組織を見ると、
それは民主主義のルールとしては機能していない例の方がとても多く目立つように見えます。
その代表例が議会。
30~40%程度の投票率で選ばれた議員が、
49対51で決定した事項に正当性などどれだけあるといえるのだろうか。
それでも、限られた時間内でものごとを進めるには
これがベストの方法であると・・・。
しかし、伸びている企業や組織を見ればみるほど、
現実では多数決などほとんど使っていない。
役員会を多数決で決めているような会社ほど、むしろ伸び悩んでいる会社である場合が多い。
決して多数決原理のすべてが悪いというわけではありませんが、
現実の「多数決」を見ていると、私には
まず第一に
「多数の意見を少数に押し付ける」原理。
第二に
「多数派の決定側が誰も責任を取らなくて済ませる」原理。
に見えてなりません。
多数の言っていることの方が「正しい」という根拠はどこにあるのだろうか。
いや、私が一番強調したいのは、
その多数が正しいかどうかは、決定的な理由があるわけではないにもかかわらず
一度多数決で決まったことに対してなにも検証せず、
仮に間違っていた場合でも
誰も責任を取らない、
ということが問題なのではないかということです。
立派な業績を上げている企業や組織の意思決定を見れば見るほど、
多数の意見に従うということは、
イコール、付加価値が減ること、
もしくは競争力がなくなる決定に近づく
ことを意味しています。
それは、単に少数の意見を採用するということが良いのではなく
その少数の考えをリスクを背負ってやり遂げることの出来る責任者を据えることが
なによりも肝心なことなのです。
未来の問題、経験のない問題ほど、
いくら調査や議論を尽くしても、決定的に正しい道などそう簡単に出せるものではありません。
それよりも、より早く実践に移りその決定を「仮説」と位置づけ
行動しながら検証を続けたほうが、確実により多くのものを得られる。
これに対して、現行の「多数決」原理だと
その決定を絶対視してしまうことが多く、修正や改善を重ねてより良いものに近づける努力を怠る傾向がとても強い。
さらに、多数の決定であることが、その決定の責任者を明確にしない根拠とされることも多く、責任を取らないための言い訳システムになっている場合が多い。
前のブログで書いた映画「明日への遺言」(原作 大岡昇平『ながい旅』)
今夜、これから観てきますが、主演の藤田まことは、こんな経験もあったと話してます。
劇団での興行でいくら頑張っても、まったくお客の入らない芝居があった。
それで座長をつとめる藤田まことは、劇団員にこれからどうするかいろいろ相談を持ちかけたところ、大先輩のひとからこう注意されたそうです。
おい藤田、今回の興行は、どう考えても負け戦だぞ。
それをおまえは、わかっているのか?
勝ち戦のときは、みんなでその勝利を分けあえばいい。
しかし、負け戦のときは違うぞ。
それをみんなに分けてはいかん。
そのときは責任者がひとり背負って、団員たちが再起できる環境で
送り出してやらなければならない。
それが責任者の仕事だ。
それがおまえにはわかるか。
正確ではありませんが、およそそんなようなことを話していました。
またちょと話がずれたかもしれませんが
そうした責任を背負う覚悟があってはじめて、成功も失敗も活きてくるものだと思います。
そして、そこの責任とは、
そもそも多数に依存するものではありません。
数でものごとを測ったり決めたりする論理には
ことごとく抵抗を感じる私ですが、
だんだん世の中も個々の成功例から、多数決原理にまさる
ひとりひとりの行動があるのだということが広まりだしているのを感じます。
正林堂店長の雑記帖 2008/3/1(土)より転載
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