かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

「贈与」について その1

2008年04月22日 | 無償の労働、贈与とお金
私はよく、お客さんや知り合いとの間で、本の貸し借りをしたり、
時にはプレゼントをしたり、されたりすることがありますが、
これは結構めんどうなことも多く、
大事な本に限って返ってこなかったり、汚されたりして
後悔することもしばしばあります。

プレゼントなどしたり、されたりしたときも
お返しの仕方などは、その時々でけっこう悩まされるものです。

また仕事柄、商売と関係ないこのようなことが増えることは、
商売との兼ね合いも考えると及び腰になってしまうこともあります。

多くの場合、こうした煩わしさからは
ビジネスの関係のみに割りきることで解放されることができるので、
現代社会では、この選択が一般的には必然化されてきています。

しかし、わたしはこの面倒なプロセスには、
特別な意味合いがあるものだと思います。

人と人との貸し借りやプレゼントなどの贈与の関係には、
面倒ではありますが、ビジネスでえは表現できない大事なものがあると思うのです。

それは、私とその特定の人との個別の関係で結ばれる、
「信用」や「信頼」のうえにこそ成り立っているもので、
ビジネス上の取り引きの場合には、その個別性は問われません。
その個別の関係があるからこそ、また面倒なのでもあります。

逆に、この個別な面倒さから解放するために、
人類は、さまざまな合理的な交換方法を進化させてきました。

ところが・・・・

本来の人と人との関係を考えようとしたならば
この個別性ということを抜きにした関係の中身とは
いったい何なのだろうかと思う。

これも私の手にあまる問題のひとつで
いつかテーマ館でとりあげる予定のことなのですが、
この問題を重視して取り上げることの背景に、
人類にとっては、貨幣などを媒介にした等価交換によって支えられている生産活動よりも、
贈与を基本とした生産活動のほうが一般的である、
という、ちょっと信じがたい考え方がベースにあります。

贈与が中心になってしまったら、
この世で儲けなんて一切無くなってしまうではないか、
という気がしますが、
現実をよーく見てみると、そんなことはないのです。

よく文化人類学や民族学の未開社会の研究で、
貨幣経済が未発達な社会の生産過程をみると、
この贈与をベースにした社会構造は指摘されることが多いのですが、
現実をよくみると、これは未開社会に限ったことではないのです。

長くなりそうなので、この続きは次回に


「正林堂店長の雑記帖」より転載 2007年2月19日
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