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かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

みやま文庫の取扱い店になりました。

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
地元の本、郷土史関係の本を得意分野にしていながら、
長年ネックになっていたところがふたつありました。

ひとつは県の刊行物。
群馬百名山の地図や各種観光案内などで需要も多い売れる本があるのに、
なかなか書店で扱うことができない本がたくさんあります。

もうひとつは、県立図書館にその事務所がある「みやま文庫」です。
こちらは、会員制の本で、年4回の刊行。
群馬県の歴史、文化、産業などを紹介したすぐれた本を昔からたくさん出しています。


これまで、この「みやま文庫」はお客さんから問い合わせがあったとき、
これは会員配布のみの本なので、書店では扱えません。
県立図書館内の事務所に直接申し込んでくださいと案内してました。

ところが、
ちょっとしたきっかけで、「みやま文庫」の事務局の方とお会いすることができ、
このたび当店が、実験的にアンテナショップとして取り扱うことができるようになりました。

あくまでも「みやま文庫」は会員配布を前提にした本なので、
安易に一般販売をすることは難しく、その辺の説明がきちんとつく販売方式を考えなければということで、
入会の呼びかけをするアンテナショップとして、当店がなり、
まずは試しにスタートしてみてはどうかということになったのです。

会員だと1000円で買えるのですが、そのかわり1年間4冊、興味のない本も買わなければならない、
ということが多くの人にネックになっていたのですが、
それを会員以外の場合、1500円(高い?)でよければ、単品購入ができるというしくみ。

どんな分野の出版社でも、必ず売れるものと売れないものがある。
それを売れるものは、それにふさわしい場所に売れるだけおく、
というのが商売の原則。

なんでも一律均等、平等の発想から脱却した販売体制に近づく
大きな一歩を踏み出してもらえたような「超うれしい」お話しでした。

27日から店頭におきはじめたら、
早速、三人ほどのお客さんが買っていってくれました。

古書ではかなりの額になっているものも
まだ意外と在庫があり、入手できます。
「みやま文庫 在庫一覧」
http://www.library.pref.gunma.jp/kyoudo/index.html

どうぞみなさん、
じゃんじゃんお申込みください。




     正林堂店長の雑記帖 2007/11/30(金)より転載
コメント (2)
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溶けていく本屋

2008年04月24日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)
私たちの業界紙「新文化」という新聞に、長野の平安堂の平野会長のアメリカ流通業界視察後の業界に対する意見がトップページに出ていました。

その見出しは「業種破壊で本屋は"溶ける”」。

今、私のまわりでなにかにつけて話題になっている本
『ウェブ時代をゆく -いかに働き、いかに学ぶか』
と多くの点でリンクする問題にふれており、厳しい現実を伝えるものではありますが、
とても共感できる内容のものでした。

他方、この梅田望夫氏の前著『ウェブ進化論』を読まれた方も多いのではないでしょうか。
前作に続く本書、『ウェブ時代をゆく』ちくま新書  
これは書店や出版の未来を語るうえでは、前作以上に大事な必読文献であると思えるので、
書評としてではなく、平野会長の視点との関連でここに書かせていただきます。

以前に「10年後の準備をしよう」とのトピ立てを同業者のコミュでしたのですが、
その時は電子辞書の問題に話が流れてしまったので、今回改めて
「ウェブ時代」という視点から、10年後の準備について
改めて問いかけてみたいと思い、コミュに以下のようなことを再度書き込みました。


1995年頃をピークにして、この10年ほどの間に
書籍・雑誌の市場規模は約20%減少している。
週刊誌にいたっては、約37%のダウンである。

にもかかわらず、世の中は300坪から1000坪といった超大型店の出店が相次ぐ。

これからの10年を考えたとき、
地デジの普及などとともにデジタル通信環境が一層加速浸透し、
これまでパソコンキーボードか携帯に依存していたネット接続環境が
劇的にいつでも誰でもアクセス可能な環境に移行していくことは間違いない。

とすれば、これまでの10年間以上に、これからの10年間は
リアルのペーパー市場がさらに加速して縮小していくことは間違いないといえる。

長期的視野にたっても、紙の市場が完全に消えてなくなることは絶対に無いにしても
10年後には、1995年ころのピーク時の半分程度にまで市場が縮小することは 、
決して誇張した話ではないと思います。
東京説明会の交流会の場で、このことを話したら、
出版社の方からそれほどは減らないとの意見が出ましたが、
作る側はネット流通とリアル流通に分散されるだけ(現実はそれでも縮小傾向に変わりはない)なので、それほど減るという実感はないかもしれないが、リアル流通の側からしたらこの流れは間違いない。

いや、この流れがさらに加速することを裏付けるような話が、
本書にはたくさん出てきます。
その象徴がグーグルとアマゾンのゆくえです。


150ページからの見出し
十年後には「人類の過去の叡智」に誰もが自由にアクセスできる

グーグルはウェブ上の検索エンジンを作るために、発見したウェブサイトの情報をすべて自社のコンピュータ・システムにコピーする作業を続けている。そうしないときちんと索引付けができず検索エンジンが作れないからだ。
同じように、過去に出版された「人類の過去の叡智」たるすべての本をコピーし、巨大な書籍検索エンジンを作ろうとしている。

 書籍検索エンジンがウェブ上の検索エンジンと大きく違う点が二つある。
ひとつは情報をコピーする手間とコストの問題である。
ウェブ上の検索エンジンが対象とするサイトは、発見した時点で既に電子化されているので瞬時にコピーして自動的に取り込める。
しかし本は物理的に1ページ1ページ、スキャナーで読み込まなければならないので莫大な手間とコストがかかる。
もうひとつの違いは、ウェブ上の検索エンジンがもっとネット上でオープンにされた情報をコピーするのに対して、書籍検索エンジンの対象は著作権者が存在する本なので、権利の問題が複雑だということである。

             (ここまで引用)

でも現実は、グーグルもアマゾンも、
いかに手間とコストがかかろうがこれはやりきることだけを考えている。
これからのネット社会のインフラ整備として避けて通れないことだからである。
このような現実をふまえたら
以前書いた次のようなことが再び思い起こされる。



情報の値段は本来タダ!(無料)

コレを言うと庫本さんが怒る。
なんでも情報がタダで簡単に手に入ると甘えたヤツがいるから。

現状では情報化社会、知識社会という名目から
情報こそ飯のタネとしている実体は大きい。

しかし、私は、原則論から言えば
「情報の値段は本来タダ」であると昔から思っている。
情報というものは、それを独占したり秘匿したりすることによってのみ
お金がとれるものであるからだ。

さらにいえば、
私たちが日常、情報として扱っている書籍や雑誌の価格の大半は、
情報そのものの価値に対して払っているものではなく、
そのほとんどが、印刷、製本、物流といった領域のコストで、
残りの砦、著作権料といえども、その実体は
情報の価値ではなく、作家の労働の量、通常は原稿用紙何枚、といった
超売れっ子作家以外は、単純な作業量の対価程度しか払われていない。

この本質と実体を、今のネット社会が次々に暴き出していく。
有料書籍・雑誌が販売されている隣りで、次々と無料のコンテンツが出回るようになっていくからです。

情報化社会で著作権を守ることがいかに大事か、
これはもっともらしい議論のようですが、
今の世の中で現実に著作権の問題を声高に叫んでいるのは、そのほとんどはベストセラー作家たちです。
彼らは、ひとつの情報が何人に買ってもらえるかこそ大事な生命線だからです。

それに対して圧倒的多数の数千部以上売れることのない無名に近い作家たちは、
常にタダでも良いからより多くの人に読んでもらいたい、と思っている。
それらの人たちは、これまで、高額な自費出版というリスクを背負ってか、
あるいは自分を認知してくれる出版社が現れるまで、長い下住み生活を余儀なくされるのがあたりまえの世界でした。

ところが、今では、ほとんど無料に近いかたちで、その気さえあれば、
誰もが自らのブログやホームページ上で自分が社会に認知されるまで
いくらでも書き続けることができるのです。

情報という本質が見えてくると、
それはハードに制約されることなく、世界中どこにでも無料で飛び回ることができるものなのです。

私たち本屋は、これまでこのハードの制約に支えられることで商売を続けることが出来たのですが、今、それが通用しない時代に入ろうとしているのです。


では、本屋はみんなもうやっていけない時代になるのか?
そんなことはないと思っています。

これからの時代、膨大な在庫をかかえた大型店こそ厳しい時代になるのであって、
店売り比率の小さい中小書店こそ、
そして地域情報管理能力のある書店こそ、
これからのほんとうの情報化社会に生き残っていく条件があるのだと思います。

ただし、当然それは、これまでの紙の情報を売るというだけの姿ではありません。

そんなウェブ時代を象徴するひとつの事例として、
梅田氏は本書のなかでつぎのようなことをあげています。


「好きを貫きながら飯が食える場所」

リアル世界とネット世界の境界領域の「新しい職業」として、
専門性や趣味の範囲で「好きを貫きながら飯が食える場所」が作られる未来を考えるとき、
「志向性の共同体」のリーダーがスモールビジネス・オーナーという姿がひとつのロールモデルとして描けるのではないかと思う。

 米「ニューヨーク・タイムズ」紙の「セックス、ドラッグ、そしてブログを更新すること」(2007年5月13日)という長文記事は、新時代のアーティストの「生計の立て方、スモールビジネスの在りよう」について、
ニューヨーク在住のジョナサン・コールトン(36歳)というミュージシャンを具体例に詳細に報告した。
コールトンのブログも参考にしつつ、彼が体現する「新しい職業」をひとつ観察してみることにしよう。


 コールトンの職業はプログラマーだった。
 しかし彼はフルタイムのミュージシャンとして生きたいという夢を持っていた。
 一念発起して2005年9月、彼は仕事を辞めて(妻の収入に最初は依存)、夢の実現に挑戦することにした。
 曲を週にひとつ必ず書いてレコーディングしてブログにアップすることにした
(無償で誰もがダウンロード可能、リスナーがお金を支払いたければそれも可能)。
 少しずつ口コミでトラフィックが増え、誘われて行なうライブにも以前より人が集まる手ごたえを感じた。
 コツコツと地道な活動を続けた結果、現在はブログの日々の訪問者3000人、人気の曲のダウンロードは累計50万、月収はコンスタントに3000ドルから5000ドルとなり、生計が立つようになった。


 コールトンは、メジャーのレーベルと契約してビッグヒットを放つタイプのミュージシャンを目指すのではなく、ネット上に「志向性の共同体」を形成し、ファンと一体になった親密な空間をマネジメントすることで生計を立てている。

 月収の内訳は、ダウンロード販売をCD販売(CD少量生産流通サービスを利用)でその70%。
ライブのチケット販売が18%。
その他がTシャツなどのオンライン販売。
つまり月収の大半は、無償でも手に入る曲にファンが自発的にお金を支払うことに依存している。

 どのようにして彼はそんな現在に至ったのか。
 毎日ブログを書き、少しずつ増えていくファンからの反応を眺めながらコールトンは、
ファン(特に若い世代)は、アーティストと友達になりたいのだという重要な発見をしたのである。

 以来、コールトンはファンから届くすべてのメールに返事を書き(1日平均100通)、
ブログを更新し、自らの日常を語り続け、作った曲をアップしていった。
 次第に、別の都市に住むグラフィックアーティストであるファンが無償で曲にイラストをつけてくれたり、ライブを録音しプロモーションビデオをユーチューブに上げてくれるファンが現われたり、地方の街でのライブを企画してくれるようになった。
(ライブに百人集まればコールトンの収入は1,000ドルになる)。
 もう少し稼ぐにはどうしたらいいだろうと問えば、さまざまなファンが色々なアドバイスをしてくれるようになった。
 コールトンは24時間ステージに立ってファンと接しているような充実感を抱きつつ、毎日何時間もネットに向かい、フルタイムのミュージシャンをして生きている。

    ここまでは梅田望夫著『ウェブ時代をゆく』ちくま新書(2007/11)より

このコールトンの成功事例に、
私は平安堂の平野会長が新文化紙面で言う“溶解する本屋”の先に見える未来像を感じます。

ああ、平野会長に会って話してきたい。




   正林堂店長の雑記帖 2007/12/16(日)より転載
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ほんとの話

2008年04月24日 | web PC関連

すみません、ほんとの話ではありません。
フォントの話しからはじめます。

今日、万葉東歌のしおりを増刷した際に、書体を変えてみました。
これまで行書体で印刷していたものを、
青柳衡山という草書風のフリーフォントに変えました。
そしたら、これまでの行書のしおりが、あまりにも安っぽいものに見えてしまった。
書体を変えただけで、これほどまでに印象が変わるのかと驚いてしまいました。
昔からプロが使っている小町字や良寛字といったフォントが欲しいと思ってましたが、
最近では年賀状印刷で筆文字が一般化しているように、草書体に限らず、
かなりの書体が自由に手に入るようになった。
よその本屋の店頭でフリーフォント集のいいものを見つけて買ってきたので、
早速、いろいろ試してみた結果です。

最近のフォントといえば、自分の手書き文字をスキャニングして、完全オリジナル自筆フォントもつくれるようになっている。
ソースネクストの安いソフトも出ている。
私は、ちょっと前の高いこの自筆フォントソフトを買ったのですが、元になる文字を指定のシートに書き込むとき、どうしても、マスの中に書こうとする時、清書する気になってしまい、つい日常の自分の字よりもかっこつけた清書で書いてしまって、それではせっかくのオリジナルの味が無くなってしまう失敗をしてしまう。
自分の下手な字で、他人に見せられる字体ってどう書いたらいいんだ、と
これは結局そのまま行き詰ってしまいました。

でもこの自分のオリジナル書体のことを考えていたら、
もうひとつ大事なことに気付いた。

以前、うちのお客さんの障害者施設に入っている方で、とても良い文芸書をよく注文してくれるお客さんがいたのですが、この注文電話の声がどうしても従業員が聞き取れない。それらしい単語を聞き分けては検索してこの本のことではないかと、言い返すのですが、
このやり取りをする従業員が耐えきれず、もうこのお客さんの対応は無理だと、断ってくれないかと言い出したことがありました。

私も窮して施設の方に代理で電話してもらうことが出来ないかなどと相談したが、自立を促すためにそれは出来ないという。
ある程度繰り返していると結構それなりになんとなく聞き取れるようにはなるのだけど、どうしても出来ないといっている従業員の問題を能力・努力の問題としてだけでは片付けられない。
そんなことで困っていたら、ある日、
そのお客さんからメールが入った。


○○ホームの○○です。
いつもありがとうございます。
本の注文お願いします。
「○○○○」新○社


あっ、そうか。
メールなら、お互い何の苦労もなくやり取りが出来るのか。
その人からしたら、たとえ指一本の作業でも、
自分の意思を伝える方法としたら、これまでの会話にくらべたら遥かに
スムーズに伝えることができる。
なるほど、と思いました。

この話の延長で、今のネット技術というものの技術革新・普及で
障害者やお年寄りにやさしい環境がどれだけ開けるだろうか、と思った。

今のキーボードを中心とした入力では、ハードルの高い人も多いのも無理はないけど、
ネット技術、デジタル技術が個人の自由の拡大に貢献する要素として、
音声認識技術への期待は大きい。

現在、その技術開発の中心が、公共の場などで利用できる音声認識技術になっていいるが、先の自筆手書きフォントのように音声認識を、特定の個人に限定して
自分の声だけのデジタル変換ということであれば、
その精度ははるかに高めることができ、実用化もしやすい。

この技術の実現が目前にきているのだろう。

ものぐさ太郎のためではなく、手足や言葉の不自由な人たちにとって
こうした新しい技術が
とても明るい未来を開けてくれるるのを感じる。




     正林堂店長の雑記帖 2007/12/23(日)より転載

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みやま文庫フェア

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
会員制を原則としている「みやま文庫」のアンテナ・ショップになったことは、
以前に書きましたが、
先週より、「他店では手に入らない群馬の本」フェアとして店内にコーナーをつくりました。

既に在庫が少なかったものは、売り切ってしまい
みやま文庫事務局在庫を売りつくしてしまったものもあります。

当店ですでに売り切ってしまったものは、以下の2点です。

・152 吾妻史帖
・127 群馬の郷土芸能(上)

特におすすめの主要リストを掲載いたします。

188 高山彦九郎
189 中島知久平と国政研究会(下)
182 富岡製糸場の歴史と文化
181 ぐんまの新聞
180 中島知久平と国政研究会(上)
179 群馬の峠
178 ぐんまの昭和史 (下)
177 八州廻りと上州の無宿・博徒
174 小栗上野介
170 ぐんまの昭和史 (上)
169 高崎史帖
167 群馬の古建築
163 上州と良寛
157 上州路語録
156 群馬の自然災害
154 北群馬渋川史帖
153 群馬の小正月ツクリモノ(下)
150 群馬のことば
148 上州人物異聞
146 群馬の小正月ツクリモノ(上)
141 群馬郡史帖
139 絵で見る近世の上州 (下)
137 絵で見る近世の上州 (上)
134 近世芝居小屋考・群馬県
133 群馬の郷土芸能(下)
130 群馬の古代史
120 群馬のなぞ
115 群馬の寺子屋

*4冊以上まとめてお買い上げのお客さまには、
十返舎一九『諸国道中金の草鞋 十三』をプレゼント!

この本は、十返舎一九の旅で伊香保、草津、中之条などに立ち寄った絵図が載ってます。

2月末頃まで実施してますので、
是非、ご来店下さい。



正林堂店長の雑記帖 2008/1/25(金) より転載
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祝福されてるのになぜ泣く?

2008年04月23日 | ・・・ったくアホな生活

非定住民との文化のシリーズ、
まだ終わったわけではありません。あと数回は書く予定です。

実は、次に被差別やなどの間で圧倒的な信仰を集めていた
浄土真宗、極楽浄土の思想のことを書こうと思っているのですが、
その前に、人間の「悲しみ」「涙」のことについてちょっと触れておきたい。

前にもどこかで書きましたが、私は
「プレママ・トレーニング」という不妊で悩む女性のコミュに
なぜか男ひとり入っています。
いろんな経緯があって辞められなくなってしまったのですが、
そのコミュに書こうかどうか迷っていたことがひとつあります。

それは赤ちゃんが生まれるとき
これほど周り中の人々から祝福されて産まれてくるのに、
どうして赤ちゃんは泣いてこの世に産まれてくるのだろうか?
ということです。

もちろん生物学的には、
お母さんのおなかの快適な羊水に浸った環境から
突然、外界に押し出され、急に肺呼吸をさせられることになったのだから
泣くほど大変な変化を強いられていることには違いないのですが、
日頃、プレママトレーニングのコミュで
やっと妊娠した喜び、出産の感動などの話を聞いていると、
こんなにも皆に祝福されているのに、
どうしてお前は泣くんだ!と疑問に思えてならないのです。

1000人にひとり、
いや1万人にひとりくらいでもいい。
オギャーと産まれた瞬間、
キャッ、キャッ、キャッでも
ケ、ケ、ケ、ケでもいい。

笑って産まれてきた赤ちゃんがいてもいいのではないだろうか?
誰かそんな話、知らない?

気持ち悪いかなぁ。
それもすばらしい瞬間になると思うのだけど。。。

そんなことを、ずーと書こうかどうか迷っていたら、
ふと別な考えが浮かんできました。

人間にとって、泣くということ。
涙を流すということ。
悲しむということ。

これらの感情を出すこと
また、そうなってしまうことというのは
悪いことなのだろうか?
ツライから避けたほうが良いことなのだろうか、って。

そう考えると、
人間の泣く、悲しむ、涙を流すということ
どれも、決して悪い行為ではなく
これこそ人間の大事な気持ちなのではないかと感じる。

仏の「慈悲」というとき、
「慈しむ」はわかるが、
どうして「悲しむ」という字が入るのだろうか。

昔、五木寛之がよく、現代の社会があまりに乾いてきてしまって
本来の湿った文化を取り戻すことがいかに大事であるかというようなことを話していました。
合理的文明という仮面のもとに、人びとは必死になって
湿り気を排除して乾いた文化を築き上げてきてしまった。
でも乾いているということは「軽い」。
湿っていることによって「重み」がはじめて生まれる。
そんなようなことを話していました。

そんなことから、もしかしたら赤ちゃんは、
ただの喜び、乾いた歓喜だけではなくて、
この世に湿ったものを含んだ「重み」を持った存在として
祝福されて産まれてきたんじゃないかってな見かたが思い浮かんできました。

浄土真宗、親鸞の「地獄は一定、住みかぞかし」なんていう
背理から悟るわけでもなく、
ただ、まさに「慈悲」という言葉につながるような優しさが
泣くということを全面的に受け入れてこそ、
心のなかに生まれてくるのではないかな、てな感じです。

プラス思考でなんでもものごと前向きに考えて
悪い言葉は使わないことは大事ですが、
悲しむこと、泣くことでも
プラス思考と同じように、体に良い免疫作用が生まれるといいます。

赤ちゃんは、
オギャーと生まれた瞬間に、そんな両面を見せてくれているような。。。。

よくわかんないけど。


それにしても誰か
笑って産まれてきたっていう赤ちゃん
ひとりぐらい知りません?

「天上天下唯我独尊」なんて言う人より
ずっと現実的でありうると思うんだけどなぁ。。。




      正林堂店長の雑記帖 2008/2/13(水)より転載

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エージェントへのエール

2008年04月23日 | 議論、分析ばかりしてないで攻めてみろ!

正林堂店長の雑記帖 2008/3/7(金) から転載



腰、背中、肩が痛い!
新学期の教科書作業もあと3週間!

今日明日の作業で出遅れた分をなんとか取り戻したい。

同じように同業のエージェントも昨日、悲鳴を上げていた。
私以上に今年はじめて経験する部署であることもあって
疲れ方も人一倍のことと思う。
うちのような少人数の職場と違って
理不尽に思えることもたくさんあることと思う。

冗談半分で、
「これからが本番。ま、楽しくやろうぜ」
と言ったら
「楽しく~?」
と、既に冗談を受け入れる余地もないほどの疲れようだった。
疲れているけど、冗談半分、本音半分のつもりだったのだけど・・・

私も毎年
誰か他に頼れる人はいないのか、もっとバイトでも雇ったらどうなのか
といった疑問がでないでもないけど、
自分でこれだけの仕事を背負えることを、半分(?)楽しんでいるつもりでもある。

お門違いの話ですが、銀行相手(金融業)の話で、
「人は背負っているものが大きいほど信用される」
といわれる。
 いかに能力や資質があっても、独身者でアパート暮らしの無借金生活者よりも
子どもをかかえて住宅ローンを払っている人の方が借り入れはしやすい。

このことは、意外と金融の問題に限ったことではなく
人間の本質をついていることでもある気がした。

イヤイヤ働いている者は、
その仕事を背負う覚悟をせず、ひたすら消化作業としてこなしている。
それに対して
どんな仕事でも、それを自分で背負う覚悟を一度決めると
つらい仕事のなかでも、ちょっとだけ表情から険しさが消える。
それと、その困難をやり遂げたときのイメージが心のうちに持てる。

生きていくうえでは、
背負っているものは、大きいほうがいい。

背負う覚悟さえできれば。

そんな意味をちょっとだけ込めて
エージェントに
「楽しく頑張ろうぜ」
と言ったのだけど・・・

その小さい体では、確かにこの時期の仕事は大変だろう。

でも今の仕事はきつくても、決して突破困難な作業ではないのだから
それは、必ず乗り越えられる。


だから、
一緒に乗り越えようぜ!

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屁でもないことさ。

2008年04月23日 | ・・・ったくアホな生活
・・・と
言い放ちたいとこだけど
そういうわけにもいかない。

今の教科書シーズンの重労働のことではありません。



これも歳をとってきたせいなのか、
悲しいかな、最近、
ちょっと
締まりが悪くなってきた?

家で身内のものに対してや
友人、知人に対してのことであれば
大いに愛嬌として笑い話ですまされることなのだけど、
こと、
お店でお客さんのいるところとなると
なかなか、そうはいかない。


先日、店内を移動して歩いていて
たまたまある女子高生の後ろを通ったとき、
ちょうどその通過するその時の足を踏みおろす一歩と同時に
プッ
と小さく屁をこいてしまった。

なぜか、すーっと歩いている途中で
その女子高生の後ろを通過するその瞬間に、
まるで挨拶をするかのように
プッっと
出てしまった。

あわてて、靴のこすれた音であるかのように
歩き方でごまかしたものの
彼女はどう考えても気づいたに違いない。
軽いプッ、だから
不快な臭さこそないものの

彼女にしてみれば、
なんで自分の後ろを通過するときに
わざわざ一発こくのか、
なんかイヤミともとれるだろうに。

かといって通過する瞬間なので
なかなかとりつくろうにも、誤魔化そうにも
手がない。

実は、こんな失態
これが初めてではない。

ひょっとしたはずみで
図らずも
プッと
出てしまうことが何度かある。

この不意打ち、
場所を選べないのが問題。

今からこれでは、先が思いやられるわい。


歳をとると誰でもあるのだろうか?

いっそ、このブログを見てくれたお客さんとの間の
ないしょの挨拶の方法として
このプッ、の技術に
磨きをかけようかな~


ねえ、そこのブログを見てくれてる方、
誰にも言わないから教えて。

実は、私もあるって・・・


                  正林堂店長の雑記帖より転載
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月夜野町はなくならない

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里
世の中、自然の再生産が出来ない時代になるとともに、
いつしか、地域の再生産も難しい経済社会になってしまい、
あげくは人間の再生産も危うい社会になってしまいました。

このたびの平成の市町村合併には、反対でしたが、
決まってしまったことは仕方がありません。

ただ、地方が財政難だけを理由に辻褄あわせにはしり、
限りなく「自治」という言葉から離れていくことは
どうか考え直していただきたいものです。
「地方自治体」がいつのまにか「地方行政体」になってしまいました。

本来、お金がないからこそ、
力が弱いからこそ、
知恵を出し合って、力をあわせて
助け合っていくのが「地方自治体」なのではなかったでしょうか。

たとえ無駄な合併が行われてしまったとしても
将来、地域の自治、コミュニティ機能の復活を考えるのならば
必ず「月夜野町」は復活させられるべきものと思います。

行政単位としての「みなかみ町」はそのままでも、
自治単位としては、しっかりと「月夜野町」を育てるべきです。

願わくば、遅くはない将来に
自治能力を発展させて、
独立国としての「月夜野国」をつくりたいものです。

【かみつけの国 本のテーマ館内の私の発言】

「アワニー原則、サスティナブルコミュニティのこと」
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page178.html

「起業力、創業力、イノベーションの時代」
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page174.html

「上野村」が教えてくれること
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page110.html

バカな話に見えるかもしれませんが
これからしばらくおつきあいください。




    正林堂店長の雑記帖より転載
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月夜野町は旧暦を公用暦に

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

小つごもりささっと地球の塵ぬぐう  掌

昨年末に私のピアノの師匠のyamanvaさんが日記に書いた句です。

私はちょうど同じ日、たまたまラジオで「つごもり」が
「月隠もり」であるということを知りました。
ところが、昨夜は、月は限りなく満月に近く満ちる時期。
「月こもり」は、「隠れる」だから月が欠ける時期で
まったく逆のはなしになってしまっています。

こうしたことは、陰暦と陽暦の食い違いからおこることですが、月夜野町こそ、旧暦(陰暦)の良さ、メリットを後世に伝える拠点になってほしいと思います。

これは、行政区としての「みなかみ町」はそのままで、
自治コミュニティ単位としての「月夜野町」を育てて発展させる
大きな鍵になります。
旧暦を公式暦に採用した自治特別区をつくろうというはなしです。

このはなしは、わたしの大真面目な冗談話ですから、決してまじめには信じないでください。

もともと、暦というものは、陰暦であろうが、陽暦であろうが、太陰太陽暦であろうが、必ず矛盾はおこり、どこかで辻褄あわせをする、閏年や閏月はいずれにせよ必要になってきます。現行の暦が最も合理的であるとはいえ、決して完璧なものではありません。

どうせ完璧でないのなら、月夜野町だけでも、月の運行に重点をおいた陰暦を採用してみてはどうだろうか。
一口に、旧暦、陰暦といっても様々なものがあるのですが、
月と自然の季節の移ろいにもっともマッチした旧暦を、月夜野町で作成するのです。

するとどうなると思いますか?
農作業などは、暦にしたがってとても理解しやすくなります。
また、一日は太陽暦の発想ですが、旧暦志向ということで、夜明けを明け六ツ、日の入り時刻を暮れ六ツとして、現在の均等割り24時間の発想ではなく、日の短い冬などは日暮れとともに時刻も夜となる。暮れ六ツになれば、暗くなったのだから、世間がどうであれ仕事をしてはいけない。そんな町になります。

ところが、
日常生活は、世界中の暦と違うものを採用するわけですから、
不便きわまりないものになります。
誰も使ってくれる人はいないでしょう。

しかし、そんなことに妥協していては何事もなしえません。
そこで強権発動!
月夜野町憲兵隊を結成し、旧暦を使わない月夜野町民はバサバサと取り締まるのです。
役場で月夜野町民が旧暦を使わずに住民票の写しなど申請したら、即罰金!
暮れ六ツを過ぎても仕事をしているような会社があったら、
即、山に木を1本植えてくるの刑!

こうした取り締まりを強化していくと、渋々でも月夜野町民は旧暦に次第になれてきて、無意識のうちに、太陽の運行、月の運行に興味関心をもつようになり、夜は、テレビなんか見ているよりも、月明かりとともに楽しむすべを次第に身につけてきます。
つまり、世界に誇る省エネコミュニティが育ってくるのです。

みなさんが夜、テレビを見ているほんの1時間、2時間が、
テレビを離れて月明かりとともに楽しむことに振り返られただけで、
どれだけ日常生活が変わるか想像つきますか?

                   (つづく)


   正林堂店長の雑記帖より転載
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暦の基礎知識

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里
2007年02月16日

外はいい月。
満月。
酒がうまい!

ほんとは昨日が満月で、今日は1%くらい欠けてそうですが、
肉眼でその差はほとんどわからない。

月夜野町民たるもの
月の満ち欠けと暦のことぐらいは
基礎知識として知っていなければいけない。

ところが
暦のことは、難しくて私もよくわからないのでここでおさらいをしてみましょう。

月夜野町にとって、月の運行を軸にしてまず基本におかなければならないのが「太陰暦」です。

以下、『現代こよみ読み解き事典』(柏書房)から引用です。

【太陰暦】
 太陰暦は、太陰つまり月の周期的変化を基礎として暦法で、世界のすべての民族が一度は経験したはずの暦法である。
 地球上のどこに住んでいても月は頭上に輝いて、毎日毎日その姿を変えてくれる。そして、新月・上弦・満月・下弦と規則的に変化していく。

 (イスラム暦が代表的な例)

 厳密にいえば月の公転の周期は複雑で、基準の取り方によっていろいろ長さが変わってくるが、普通は新月から満月を経て次の新月に至る朔望月が用いられる(朔には本当は月が見えない。新月というのは次の日の月をいっていた。)一朔望月は約29日半、正確には29.530589日である。
 十二朔望月が太陰暦の1年であるが、これは約354日である。したがって実際の1年間、つまり太陽年に比べると約11日短い。だから太陰暦をそのまま使用していると、だんだん年始の来るのが早くなってくる。3年弱で1ヶ月、15,6年で約半年に達する。
 このような欠点があるが、太陰暦はこれといった面倒臭い規則を覚えこまなくても、誰にでも簡単に理解できるという長所がある。したがって極めて素朴な社会にでも受け入れることができたのである。

【太陰太陽暦】
 一般に、陰暦とか旧暦とか呼ばれるものは、この太陰太陽暦をさしている。
 さて、月の満ち欠けを1ヶ月とする太陰暦の12ヶ月は、太陽年と約11日の差があり、これをこのまま放置すればイスラム暦のように、実際の季節と暦日がどんどんずれてしまう。農耕を主とする諸民族にとっては、これは重大な事態であるから、かなり古い時代より、何らかの方法で両者の調整が試みられてきた。
 太陰暦を太陽暦と調和させるために、人類はさまざまな工夫を重ねてきた。12朔望月と1太陽年との差は、前述のように約11日なので、2,3年ごとに1ヶ月の閏月を挿入する方法が早くから用いられていた。
いろいろな置閏法のなかで、19年7閏法、つまりメトン法は東でも西でも共通して使用された単純で比較的精度の高い方法であった。

(代表的な暦でバビロニア暦、ユダヤ暦、ギリシア暦、マケドニア暦、ヒンズー暦などがある)

【太陽暦】
 現行のグレゴリオ暦やその前のユリウス暦など、太陽年(回帰年)を1年の単位とする暦法である。季節とのずれはないが、月(太陰)の運行と一致しない欠点がある。太陽暦にはエジプト暦のように、厳密にいうと恒星暦というべき性格の暦もあり、新大陸のマヤ暦のような特殊なものもある。


この程度のことを頭に入れておけば、
月夜野町民にふさわしい
一段とうまい酒をのむことができる。




 正林堂店長の雑記帖 より転載
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これは先の長ーい話

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里
これは先の長ーい話

結論は急がないでいただきたい。
これは先の続く長ーい話の導入部なのです。
このトピでは、種をまくような作業をしてみなさんの反応を聞けたらと思って書き出したもので、具体的なことは、また他の場で出すつもりでいました。


少しだけ、ことわり書きとして加えるならば、

地方都市や街中の商店街が衰退しているのは、ご存知のようにみなかみ町に限ったことではなく、日本中でおきていることです。
そればかりか、先進国のほとんどで同様の現象はおきています。
これは、産業資本主義社会の発展とともに進行してきたことですが、とりわけここ2、30年の間にどこも劇的に悪化をとげました。

これにたいするこれまでの行政やコンサルタント達の行ってきた施策は、ほとんど失敗に終わっているといっても間違いないと思います。

ところが、もう少し長い歴史のスパンでふり返ってみると、どこの郷土でも、災害や飢饉、戦争など、壊滅的ともいえる打撃や衰退は経験しながら、その土地の歴史はその都度復活を遂げ受け継がれてきています。
ただ、今、各地で起きている現象というものは、それらと少し趣きが異なり、ひとつの文明が衰退していくときのような様相を呈しています。

その意味で、特定の行政施策による解決という考え方ではなく、自分の力をわきまえない無茶な話かもしれませんが、文明論的な観点でまず問題をとらえなおす作業をしなければいけないのではないかと思ってます。

自然の法則にいかにのっとって人間の暮らしを組み立てるかを考えたときに、まずここで取り上げた「暦」は大事なキーワードになります。

また、地域でのそれぞれの暮らしや生き方を考えたときには、そこにいる人びとの人間らしい「働き方」というものが、大きく問われるものです。
これは、今話題になっている雇用対策や景気対策の問題ではありません、これからの時代の人間の働き方のことです。

さらには自然環境の再生も最優先の問題です。

これらのことをすべて取りまとめて
このトピの冒頭に

世の中、自然の再生産が出来ない時代になるとともに、
いつしか、地域の再生産も難しい経済社会になってしまい、
あげくは人間の再生産も危うい社会になってしまいました。

と書きました。

私は、環境問題の専門家でも、地域経済の専門家でも、街づくりの専門家でもなく、ただの小さな本屋の店長です。
ですが、月夜野人さんも同じだと思いますが、
それぞれの人びとが、
今いる場所で、
今いる人の力で、
その人「固有の人間関係」と、
その人「固有の仕事」を通じてこそ、
すぐれた地域はつくられていくものだと思います。

そこに必要なのは、世間一般の正しい理論よりも、
自分の生活を、
自分の仕事を、
自分の家族をなんとかしたいという強い気持ちだと思います。

前に別の場所で話したかと思いますが、
「世間」とは、その実体を見れば

まず、「私(かみつけ岩坊)」と「あなた(月夜野人さん)」なのです。


今の時点で、このトピの話がどうなるか
大まかなイメージしかもっていませんが、
その出発点で月夜野人さんという心強い対話相手がいてくれることは、とても心強く思ってます。
3人目が現れるまで、まずは二人でがんばりましょう。


(本文はmixiコミュニティ「月夜野町」に掲載したものを転載してます)
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遠く感じる「自治意識」

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

 最近、かかわるようになったNPOの例会のあと、何人かの仲間とよく夜遅く、時には明け方まで話をすることがありますが、先日もそのような話の場で、地方自治体の復活の可能性についての話題になりました。
 そこで、中心的な活躍をしている村議の女性が、将来はこの地に吉里吉里国のような独立国をつくりたいというような夢を語ったら、他のひとからそういうことは言わないほうが良いなどと注意されたという話を聞きました。

 今、地方自治体の問題はどこも溢れんばかりのなか、地方分権など叫ばれてはいるものの、その議論の多くを見ると、この度の平成の大合併の問題でもそうですが、地方「行政」の問題をどうするかという議論に終始しており、地方「自治」をいかに取り戻すかといった視点は未だにほとんど見られないのがとても悲しく思えます。

 根深く浸透してしまったこの感覚、地方自治体の仕事、住民が役所に要求する内容も含めて、どこをとっても「行政」への苦情やお願いに終始しており、自らの「自治」能力によってつくろうとする視点が、あまりにも少ないのです。

 「地方自治体」という言葉の意味は、すでに死語に近く、ほとんどの実体は「地方行政体」といって間違いないといえます。

 先の自分の住んでいるところを将来独立国にしたいという話ですが、今の人からすれば極論に見えるのかもしれませんが、私からすれば、地方自治の本分からすれば、むしろ将来何らかの独立・自立を目指すことも考えずに、いったいどこに真の「自治」の意識があるのだろうかと疑問に思えてならないのです。

 突破口としてとても期待される「行政特区」ですら、中央の許可、お墨付きを得た範囲でしか許されない「地方自治」にしか私には見えません。

 国レベルで、そこに住む国民の権利を守るためには、警察機構や軍隊などを不可分のものとして持つことにはほとんどの人が異論をはさまないことと思います。
 それが、地方自治体レベルの地域住民の権利を守るためには、なんの努力も闘いも権力機構もなしで自然に与えられ許されたものしか最初から想定していないことが私にはとても理解できません。

 なにもすべて鉄砲持って闘うことを要求しているわけではありませんが、民間企業ですら、ひとつの許認可や法解釈のために、役所との交渉で途方も無い努力の積み重ねによってひとつひとつの事業を前進させていることはある程度は理解できると思いますが、住民自治がそのような努力なしに、国や地方自治体から保障された範囲内で出来て当然のような感覚は、正当な権利を主張しているようでありながら、人の生きる意志、基礎体力のようなものははるかに後退してしまっていると思わざるをえません。

 最近、知人のブログに、憲法で保障された権利の話題でも似たようなことを書きましたが、憲法でも、基本的人権でも、常にそこには条文も含めて骨抜きにしようとする勢力とその実質を守り勝ち取ろうとする勢力の興亡の上になりたっているものだと思います。
 勝手な方向に持っていく人が悪いと非難する前に、自分たちが自らの財産としてそれを守り育てていくという覚悟がまずなければなりません。

 地方自治も同じです。
 行政が悪い、役人が悪い、それは事実あるかもしれませんが、それらの問題を解決するには、まず自分たちで必要なものをつくっていく姿勢、「自治」の意識がまずなければなりません。

 私のいる町では行政の旗振りで立ち上がった「まちづくり」市民会議なるものが生まれようとして期待されていますが、どうもまだ話が行政への市民からのお願いの場のような内容が多く、参加者の期待を裏切る話ばかり耳に入ってきます。


 財政赤字などの対策で行政組織を統合・合併することはかまわないと思いますが、地方自治体が「自治」のための組織づくりを考えるならば、今、必要なのは「より大きく」よりも「より小さく」の方向であり、より密度の濃いコミュニケーションの可能な関係づくりのはずです。

 そして、その住民の意思を貫徹することなど考えるならば、必然的に「自治」とともに「独立」した確固たる権限を伴っていなければなりません。
 この道理に「国」であればあって当然、「地方自治体」には認められるべきではないといわれる理由はありません。(日本の場合は、地方自治体に限らず、国にももう少しこの姿勢があって欲しいものですが)

でも、そんな現実を現状の権限の範囲内で見事に突破した自治体があります。

独立国をつくりたいといっていた村議さんもよく知っていましたが、
今、話題の東国原宮崎県知事のおかげで再び注目されている宮崎県綾町の例です。

どこも、町の再建を観光や事業によって成し遂げているなか、
夜逃げの町とまで言われた典型的な衰退をたどる町の再建を、
なによりもその目的の中心を町民の自治意識を高めることにおき、
粘り強い説得、議論を何年にもわたり続けることでなし遂げたこの町は、
未だに真の自治体再生の事例としては突出た事例として注目されます。

体をはって町長が照葉樹林の樹を守り抜いたことや、無農薬有機農業をブランド化した町としても有名ですが、それらの理解を得るために町長は、何年もかけて町民と、関係職員と粘り強い議論を重ねたうえに為しえており、そのプロセスこそ、多くの人にみてもらいたいものです。

 意見を言うとき、文句を言うときに求められる「覚悟」というものの大切さ、これを忘れたら民主主義は形骸化して「たかり民主主義」になってしまう危険も常に持っています。

なにをつくったかよりも、どのようにしてそれをつくったかを
多くの人に見てもらいたい、知ってもらいたいと思います。



私の読んだ本は絶版になっており、もう入手できないものかと思っていたら、
ちゃんと改訂版が出ていました。

宮崎県綾町前町長 郷田實 郷田美紀子 共著
『増補版 結いの心 子孫に遺す町づくりへの挑戦』評言社 1500円+税
白垣詔男 著 『命を守り心を結ぶ -有機農業の町・宮崎県綾町物語-』自治体研究社 1600円+税



(2007年07月21日に他のブログに掲載したものを転載しました)

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私の手作り「しおり」 その1

2008年04月23日 | 私の手作り枝折、ブックカバーと名刺
私が作っている栞のことを書かないのかと知人に言われたので、書いて見ることにしました。
この栞のことは、話し出したら何時間でも語れる内容があるので、
いつか要点をまとめる必要があると感じてました。

この「手作り栞」を作り始めてたのは、もう2年ほど前にまで遡る。

伊香保の地名を詠んだ万葉東歌が九種もあることを知り、なんとか、このことを地元の人たちにもっと知ってもらおうと栞形式でつくり始めたのがそもそもでした。

最初はピンクや青、グリーンの上質紙にリボンをつけて、
最もわかりやすい歌である
「伊香保風吹く日吹かぬ日ありといへど吾が恋のみし時なかりけり」
の一首だけをつくった。

ちょうど作成して間もなく、正林堂の新装開店の時期になったので、
裏に12月12日新装開店の案内文字を入れて配りはじめました。

このとき量産作業に入りだしたころから、この栞の持つ価値について、
いろいろと考えて改良を重ねるようになりました。

まず第一に重要だと思ったことは、栞というものが、書店にとってきわめて有効な営業宣伝ツールであるということです。

本屋の持っている宣伝ツールとしては、栞の他にブックカバー、手提げ袋、看板、ホームページなどがありますが、そのなかでも、ブックカバーと栞は最も頻度高く、店の印象をお客さん(読者)にもってもらえる性格のものです。

これまでブックカバーは、そうした価値を広く認められ様々なアピールのためのデザイン工夫がされてきましたが、それに比べると意外と栞は、どうもこれといったものがない。

本を開き、閉じるたびに、手にとって挟みなおす栞こそ、喜ばれるデザインや機能のものであれば、末永く喜んで使ってもらえる性格のものであると思う。

これは、きちんとした喜ばれるものをつくれば、コストをかける価値が十分あると思った。


第二に、それほど大事な需要のある栞であるにもかかわらず、これまで、納得のいく機能、デザインを兼ね備えたものがほとんど見当たらないということがありました。

栞とは、文字どおり読書をしているときに読み手をストレスなくサポートしてくれるものでなければならない。
にもかかわらず、多くの栞は、紙が厚すぎたりして、本を読んでいるときにその厚さからページを押し上げてしまう。
使用する紙は、厚すぎてもいけない。
また薄すぎてもいけない。

さらに時々おしゃれのためにリボン、ひものたぐいが穴を通してつけられていることがあるが、これもせっかく手間をかけていながら、ただの紐では、位置を示す機能として本の間から出ることがなかなかできず、その多くは本の間に垂れてしまってその役割を果たしていないものが多い。

リボン紐は、ピンと自立した硬さがないと位置をすばやく確認する役割ははたさないのです。


第三に、しおりというデザイン面が広告表示などの文字印刷面として、きわめて注目度の高い性格を持っているということです。

これは、読書のおりにたびたび見る機会があるということから、短期的な宣伝の内容物ではなく、時が経っても衰えることのない内容の表現物の方が価値を増す。

岩波文庫のしおりなどは、本の装丁の基礎知識や、故事の所以などのマメ知識が書いてあるが、そうしたマメ知識が、店や地域固有の内容であれば、より一層価値が増すことと思う。
そうした活用をしているしおりもあまりお目にかかったことがない。

私の手作り栞は、こうした性格を加味して改良を重ねて作ってきたもので、
紙質もはじめのころのただの色付上質紙に比べると、随分高価な紙を使うようになってきた。それでも、やはり紙質を上げた方が反応が各段に良くなり、末永く大事に使ってもらえるような気がする。


このようにして、現在の栞のスタイルが決まってきたのですが、この作成はリボンがあるばかりに、とても手間のかかるものになってしまっています。
このことには、まわりでも賛否両論、否、否定的な見方の方が多いかもしれない。

そんなコストと手間をかける価値がほんとうにあるの?
どこかに印刷を頼んで、一度に大量につくったほうが安く、効率もいいんじゃないの?

こんな声がよく聞かれます。

しかし、私はその方法はまだとりません。
現実にリボンをつける作業がどうしても手作業になってしまう分、外注に出してもそれほど安くはできないのと、今の栞の内容が万葉東歌ということから、渡して喜んでくれるひとは、そう無制限にたくさんいるものではなく、ごく限られた分野のひとなので、それほど一気に大量生産しなくても、店のレジ番をしているときや自宅でTVを見ているときなどに作業するだけで制作はおいついてしまうのです。

それでも、内部からは店長の高い人件費をかけてやる作業ではないでしょう、との声が出てきます。
確かに、レジのパートさんに時間のあるときはリボンつけなど手伝ってもらうこともあります。

しかし、これはただの作業として行っているものではなく、万葉東歌がこの地に集中している意味を多くのひとにわかってもらいたいという思いとともに作っている作業なので、万葉歌に興味関心のない人にただ作業を手伝ってもらっても、この手作り栞の価値は増さない。

バカなことを言うと思うかもしれませんが、
人がそんな手のかかることやって何になるんだ、という作業を
私が5年、10年かけて5万枚、10万枚とつくり手渡す作業を通じてはじめて
一定の市民権を得た認知をされる文化になるのではないかと勝手に信じているのです。

まだまだ、話す長い内容があるので、
次回にこの栞のバラエティのことを書くことにします。




       正林堂店長の雑記帖 2007/1/27(土)より転載
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私の手作り栞 その2

2008年04月23日 | 私の手作り枝折、ブックカバーと名刺
かれこれ私の手作り栞のバラエティーも、
万葉歌だけで12種類、
その他を含めると14種類あまりになった。

伊香保万葉歌の9首
「伊香保ろの 八尺の堰塞に 立つ虹の 顕ろまでも さ寝をさ寝てば」
「上毛野 伊香保の嶺ろに 降ろ雪の 行き過ぎかてぬ 妹が家のあたり」
「上毛野 伊香保の沼に 植え子水葱 かく恋むやと 種求めけん」
「伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといえど 吾が恋のみし 時無かりけり」
「伊香保嶺に 雷な鳴りそね わが上には 故は無けれど 児らによりてそ」
「伊香保世欲 奈可中次下 思ひとろ 隈こそしつと 忘れ為なふも」
「伊香保ろに 天雲い継ぎ かぬまづく 人とおたはふ いざ寝しめとら」
「伊香保嶺の 阻の榛原 わが衣に 着き寄らしもよ 一重と思えば」
「伊香保嶺の 阻の榛原 ねもころに 将来をな兼ねそ 現在し善かば」

渋川市の花でもあるアジサイの万葉歌2首
「あぢさゐの 八重咲くごとく 八つ代にを いませわが背子 みつつ偲はむ」
「言問はぬ 木すらあぢさゐ 諸弟らが 練りの むらとに 詐えけり」

子持の万葉東歌
「子持山 若かへるでの 黄葉つまで 寝もと我は思う 汝は何どか思ふ」

9首の伊香保万葉歌は、これまで地元では、伊香保温泉周辺でしか取り上げられていなかったのですが、そもそも万葉の時代の伊香保とは、現在の伊香保温泉周辺だけのことではなく、榛名山周辺の広域(特に東南域)を指していたことなので、合併渋川市にとってとても大切なテーマだと思っています。

詳しくは「かみつけの国 本のテーマ館」内「伊香保万葉東歌の世界」をご参照ください。
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/

群馬県人であれば上毛カルタは、だれでも覚えているが、榛名山周辺では、この9首の伊香保万葉歌こそ誰もが知っているようになって欲しい。

さらに、なぜ伊香保という地名を詠んだ万葉歌がこれほどまでに集中しているのかということ、
群馬の古墳の数が奈良県の2倍にものぼるということが、
古代においていかに群馬が東国の中心地として栄えていたかを想像させる理由にもなっている。

話は群馬という地名の由縁、
榛名神社と伊香保神社の勢力逆転の歴史
大和政権と東国支配の関係、
古代東山道のはたした役割、
古代政権にとって最大の資源である金銀銅水銀など鉱物資源入手ルートなど、
次から次へ、この栞が尽きない話題を提供してくれる。

またこの万葉歌は、その季節ごとに使い分けることもできる。

紫陽花の2首は、もちろん6月の梅雨時
夏には「雷な鳴りそね わが上には 故は無けれど 児らによりてそ」と
   「八尺の堰塞に 立つ虹の」の歌
秋には「子持山 若かへるでの 黄葉つまで」
冬には「伊香保の嶺ろに 降ろ雪の 行き過ぎかてぬ」

もっとも万葉仮名は、ただの古語とは異なり、とても解釈の難しいものもたくさんあり、
専門家の間でも意見がまとまらないようなものが多いので、
それこそ自信をもって素人なりに、より面白い解釈を提供することもできる。
普及させるには、学問的に正しいかどうかよりも
面白いかどうかを優先させて、落語的解釈をどんどんしていこうかと思っている。

とりあえず、この伊香保万葉歌だけで
5万枚作成普及が当面の目標です。

次回には子持万葉歌と「子持の眠り姫」のことを書きます。






正林堂店長の雑記帖 2007/1/28(日) より転載
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私の手作り栞 その3

2008年04月23日 | 私の手作り枝折、ブックカバーと名刺
2006年の夏、
お店のスタッフが気がついたことをホームページに書いていたら
ふとしたお客さんとの会話から、そのことがどうやら
大発見につながることであることが見えてきました。

それは、渋川市北方の赤城、子持方面から小野子山の裾野を見ると、
その山のかたちが美しい女性の寝姿に見えるということす。

ただ単に山のかたちが、人の姿に見えるだけなら格別珍しいことでもないのですが、
このことで大発見につながったのは、この女性の寝姿の形が、
安産、子宝信仰の子持神社の参道を登って神社に近づくにつれて、
お腹がだんだん膨らんでくるように見えるということです。

はじめのうちは、子持神社との関連性に気づかず、
ただ見る場所によってお腹が膨らむということで、
「孕んだ眠り姫」というだけの話題にしていましたが、
子持神社との地理関係に気づくにしたがって、子持神社、子持山、小野子山それぞれの関係が、
すべてこの女性の寝姿に端を発しているように感じられてきたのです。

これは、下手な町おこし事業をやるよりもずっと、ロマンあふれる郷土作りにつながるのではないかと、
この子持の万葉歌のしおりの普及とともに、この話題を広くひろめるように
あちこちのネットコミュなどに書き込みながら宣伝を始めました。

地元の子持周辺の会うひと会うひとに、このことを聞きまくりましたが、
女性の寝姿の山のことは知っていても、
子持神社に近づくにしたがってこの女性のお腹が膨らんでくるということは、
ほとんど誰も知りませんでした。


そして、説明文を改良してつくられたのが、次の万葉東歌の栞。

「子持山 若かへるでの 黄葉つまで 寝もと我は思う 汝は何どか思ふ」

子持山の楓の若葉が紅葉するまで、
私はこうしてお前と寝ていたいと思うのだけれど
お前はどう思う?               (現代文大意)

この万葉歌も、もしかしたらこの山の女性の形をみてつくられているのではないかと思えてきます。

詳しくは「かみつけの国 本のテーマ館」内「子持の眠り姫」のページをご参照ください。
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/


そんな騒ぎを昨年後半はずっとしていたのですが、
この「子持の眠り姫の万葉栞」はさらに新しいご縁を広げてくれました。

実は日航機事故のことがご縁で知り合った埼玉のある看護師さんが、
不妊治療トレーニングのコミュを立ち上げ、そのコミュ写真アップのお手伝いなどをしているうちに、
この栞が、安産、子宝のお守りとして活用してもらえることを思いついたのです。

たまたま、こうしたご縁で私も入ってしまったその「プレママ・トレーニング」というコミュ、
独身の男がひとり入っていてもなんとなく居心地がわるく、
写真も決まり、お守り栞も出来たことだし、年末に区切りとして退会させてもらおうと軽く考えたら
その看護師さんから、社会問題としてせっかく男のひとに参加してもらっているのに
勝手に辞めるなんてヒドイ!と、大変なお叱りをうけてしまいました。

そんなこともあり、引き続き「プレママ・トレーニング」コミュの
紙ナプキンがどうした、生理がどうしたとかいう話に
独身男がひとり参加しているのですが、
1月半ばを過ぎたころ、1人のメンバーから待望のオメデタ報告がありました。
そして、その方はなんとこの栞を大事にカバンのなかにいつも持っていてくれたというのです。

ネット上でしか知らない面識のまったくない人ですが、
ひとりのオメデタが、参加しているこのコミュの第1号報告としても価値ありますが
こんなに嬉しい思いを自分がするとは思いもよりませんでした。
今頃になってですが、
この歳になって、生命そのものの喜びを初めて知ったような気がしました。
その第一号オメデタ報告のメールが看護師さんから飛び込んできたのは
夕方、1人で店番レジにいるときでしたが、
目の前にお客さんがいるのに、こみ上げる涙をこらえるのに必至でした。

もちろん、栞の実際の効果など言わずもがなですが、
この栞を普及させる価値が間違いなく存在するのだということは
このとき確信することができました。

そんなこともあって、
今もひとりで、
シコシコと栞のリボンを折る。


正林堂店長の雑記帖 2007/1/29(月)より転載
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