花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

一枚の写真シーズン2 ⑬ ジョーカーからの返事

2025年02月14日 | レモン色の町

相合橋ではなくて、相生橋でした。

大正13年西詰

高砂町と袋町の間の納屋運河に架けられた相生橋は、港新道(12間道路)の完成と同時の大正13年10月に竣工した。中央部の車道は砂利だけで未舗装、両側の人道は板張りのまま。対岸の白い洋館九鬼紋十郎氏邸。明治23年創設の初代相生橋は、このすぐ右手(北側)に架かっていたので、対岸に橋の跡と、旧袋町の狭い通りの入り口が見える。

相生橋が出来たのは明治23年でした。稲葉翁の築港事業も一段落、市の四大事業で諏訪新道が敷かれることとなります。諏訪神社から四日市驛までは順調でしたが、四日市驛から相生橋までの十二間道路は大正期の完成となります。

明治39年の消印がある相生橋(ロシア兵)俘虜通過の光景 水谷宜夫氏提供

昭和35年の日活ロケの風景

電光石火の男

現在の相生橋です

 

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一枚の写真シーズン2 ⑬ バットマンからの質問

2025年02月12日 | レモン色の町

昭和40年8月5日には、駅西にあったはずの「労働基準監督所」。この建物の西側を通って中部中学校へ通学(昭和36年~昭和39年)していたので、それらしき建物の記憶はある。早速、たいじゅさんからメールがあり、調べていただいた。おつきあい、ありがとうございました。

右に建つ2階建てが監督所・・・昭和40年8月撮影とあった。

『労働基準監督署』は昭和30年~35年まで浜町にあったが、昭和36年に表記がかわり「四日市市都市計画復興土地区割整理地内」となり、推測ではこの時、この場所に移転しているのではないだろうか。 昭和42年になって『諏訪西441-2番』の記載が確認できる。そして、昭和46年になると高架事業の為か西浦へ引っ越すが、その間の10年ほどが、駅西にあったと推察される。

昭和43年の住宅マップより 

労働基準監督署が昭和36年から46年まで建っていた。ここで大きな勘違いを思い出してしまった。

昭和43年の住宅地図

労働基準監督署はもっとにあった。ヒェーッ!これで謎が解けた。すべて私の勘違いだった。ゴメンね ゴメンね ゴメンして チョーダイ すると、労働基準監督署と勘違いしていた(駅の敷地内に建っていた)のは三重交通の建物だったか? 敷地内だから地図に記載がなかったのだ!

(勝手に)気分を変えて 昨日の中日新聞に穴太のことが出ていた

ここで気付いたのは「・・昔は(穴太(あのう)には)七堂伽藍が立ち並んでいた・・」の記述である。北勢線の中間駅であり、桑名と阿下喜間の途中に位置する田舎かな?くらいにしか印象がなかったが、歴史があって寺院が乱立する境内では、さぞや地元のヤクザによる博打が盛んだったのだろう。そんな金の臭いのする土地なら、穴太徳が生まれて当然と思った。穴太徳は後に、鈴鹿の荒神山で吉良の仁吉と一戦交えることになります。

余談が過ぎました。さて、今日のお題は

ヒント:対岸に見える白亜のお屋敷は、九鬼門十郎(訂正:紋十郎)氏が邸宅 さて、いつのどこか?

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一枚の写真シーズン2 ⑫ 清八ヶ答

2025年02月10日 | レモン色の町

先ほど写真を撮ってまいりました

初代諏訪駅跡を東進する下り列車

電車の後方に見える二代目諏訪駅を出発して四日市駅(現:JR四日市駅)へ向かう緩行列車。二代目諏訪駅は昭和17年~31年まで使用された。現在のスーパーサンシ付近から(昭和31年撮影吉田 勬氏)樹林舎刊「四日市の昭和」より

彼方に見えるのは「北岡時計店」さん。踏切の側には時計塔が立っていたとお聞きしました。遥かにまあるく見えるのは、時計塔ではないかと思います。こうして眺めるとゆっくりカーブしていたんですね。一番街の真ん中を電車が走っていたことを話すと、驚く方が見えます。随分昔のことになりますから・・・。

初代諏訪駅跡と書かれていますが、昭和17年以前は、東海道沿いに諏訪驛はありました。旧四日市を語るに諏訪驛の様子が描かれています。

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一枚の写真シーズン2 ⑫ 喜六ヶ問題

2025年02月08日 | レモン色の町

喜六と清八 関西落語の「伊勢参宮神賑(いせさんぐうかみのにぎわい)」に登場の二人組であります。

本日、四日市は朝から雪が降り続いています。日の差す間もありますが、またもやすっかり曇って雪です。

鵜森神社

諏訪神社

前回の問題、駅前には、円形デッキが着工中。

本日の問題。ヒントは遠くに見える まあるいものなーんだ?

オマケ:前回の出題者、神戸の長吉と穴太徳は稲葉翁伝の血煙荒神山に登場されるお二方です。再々掲載ですが、忘却の彼方の方は再度ご覧ください。

血煙荒神山その1.前奏曲 ①

2021年8月30日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その2.前奏曲 ②

2021年8月31日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その3.荒神山へ

2021年9月1日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その4.決戦!仁吉倒れる!

2021年9月3日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その5.仁吉と稲葉翁

2021年9月4日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その6.荒神山観音寺

2021年9月5日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

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一枚の写真シーズン2 ⑪ 穴太徳の答

2025年02月07日 | レモン色の町

辻さんのが残した写真 昭和30年5月 もちろん新しい近鉄駅ができる以前の中央通り 西方向

昭和32年 駅舎の二階である近鉄ストアから東 市役所方面を撮った写真 昭和32年

昭和33年3月 雨の中を 駅前バス停から駅へ向かう人々

そして辻さんは この写真を撮った日を 記録されていました

昭和33年7月

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長吉が 閑話休題

2025年02月05日 | レモン色の町

ありがとうございました たいじゅさんからコメントが届きました。八王子線と湯の山線が並ぶ写真の入手先は、ブログ『地方私鉄1960年代の回想』からでした。謹んでお詫び申し上げます。こちらのブログも是非ご覧ください。

昭和40年とすると・・(右に建つ労働基準監督所?)

地方私鉄 1960年代の回想: 三重電気鉄道 内部・八王子線

写真を撮られた日は、昭和40年8月5日となっています。では、昭和43年発行の住宅マップには労働基準監督所が建ってないのはなぜでしょう。この3年間のブランクはどうしたものでしょう?

昭和43年の住宅地図のハズ

まあ、ええか。オラが人生に何の影響もないわい。わい わい

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一枚の写真シーズン2 ⑪ 神戸の長吉が問

2025年02月04日 | レモン色の町

頭を悩ませていただき 家庭内に不穏な空気の流れるを防ぐため 今回は安易な問題に 致しそろう

道路に直線が走ります この頃の舗装は 地面に区切りを入れて セメントを流し込んでいたようです

さて、いつごろの どこごろか? どこごろの いつごろか?

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一枚の写真シーズン2 ⑩ 回答ねずみ小僧

2025年02月03日 | レモン色の町

大きな車輛と、右にはかわいらしい車輛が並んだ写真。左の車輛は“湯の山”行で

右は“八王子”行となっています。

右は「菰野」行か?訂正:左は菰野行か?

昭和31年、開設直前の近鉄四日市駅は、東側から近鉄名古屋線、湯の山線、八王子線と並んでいます。(昭和31年以降の写真)

昭和43年のマップによると、この時点で近鉄四日市駅西側には労働基準局が建っていません。(昭和43年以降の写真)

マップの下 地下通路を出たところに松坂競輪場外券売り場がありました

昭和何年か?右端に見える建物が 確か 労働基準監督所 やったかなぁ?

近鉄の高架工事は昭和46年12月着工から昭和48年10月完成となっていて(昭和46年以前の写真)

結果、昭和43年から46年の間の写真と云うことになりそうですが・・・

 

 

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一枚の写真シーズン2 ⑩ 大岡越前の問

2025年02月02日 | レモン色の町

今回は、お待たせしました。鉄道ファン必見の問題です

懐かしい風景です。この写真を何処で入手したのか?わかりません。撮られた方には、大変申し訳ありません。

少し悩んで、行き先を隠しました。場所は分かると思いますが、いつ頃かが問題です。

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一枚の写真シーズン2 ⑨ 回答明智小五郎編

2025年02月01日 | レモン色の町

諏訪駅の南にあった 集合店舗の諏訪百貨店、通称 スワマーケット内部の様子です。ボタン屋さんです。他にリボンや縫い糸なども売られています。これだけで店舗が成り立っていたと考えるとオドロキですね。黒電話が店先にドカンと置かれていたりして、店の活気が伝わってきます。

昭和33年7月

その奥隣が下駄屋さん。ここも今では考えられないような取扱品です。下駄の鼻緒が大量に下げられて、扱い品目は下駄・突っかけがほとんど。鼻緒が切れてはここへ持ち込んだのでしょう。昭和33年7月のこと。諏訪駅がなくなって2年ほど経っています。

昭和33年7月

このスワマーケットから2~3軒西に、諏訪劇場へ抜ける狭い路地がありました。らくだ洋服店・カメラの光映堂・やきそばの柏屋、路地となっていて床屋と商人宿が向かい合ってあったようです。昭和33年7月

この路地は諏訪劇場へ抜ける道でした。出たところにスワン美容室と辻写真館がありました。

昭和35年12月20日

地権者の調整がようやく済んで、昭和35年12月スワマーケットが解体されることとなりました。

昭和35年12月

これと同じ日にボタン屋さんが撮影されました。上では解体作業が進められている中、中の店舗はぎりぎりまで営業が続けられていました。

 

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