相合橋ではなくて、相生橋でした。
大正13年西詰
高砂町と袋町の間の納屋運河に架けられた相生橋は、港新道(12間道路)の完成と同時の大正13年10月に竣工した。中央部の車道は砂利だけで未舗装、両側の人道は板張りのまま。対岸の白い洋館九鬼紋十郎氏邸。明治23年創設の初代相生橋は、このすぐ右手(北側)に架かっていたので、対岸に橋の跡と、旧袋町の狭い通りの入り口が見える。
相生橋が出来たのは明治23年でした。稲葉翁の築港事業も一段落、市の四大事業で諏訪新道が敷かれることとなります。諏訪神社から四日市驛までは順調でしたが、四日市驛から相生橋までの十二間道路は大正期の完成となります。
明治39年の消印がある相生橋(ロシア兵)俘虜通過の光景 水谷宜夫氏提供
昭和35年の日活ロケの風景
電光石火の男
現在の相生橋です