垂坂山に立つ「遥拝の碑」のお答えです。出題の写真は、下総人様が富田のウエブサイトを見つけていただき、ここからの盗用であることを思い出しました。
当時、木々の茂りはなかったようです
遠足で出かけた垂坂山がきっかけとなり、壬申の乱へと広がりを見せてワクワクしながら思いを馳せた記憶があります。
徘徊の謎は解けるのか? - 花の四日市スワマエ商店街 よろしければご覧ください。
さて、幼少の頃に風邪をひいたときはどうしたか?というお題です。
小さい頃は、しばしば風邪を引いた。病気で学校を休むなどとんでもないことで、家の陰から集団登校する友達を見送っていた。夕刻近くになると友達が学校の帰りに給食のパンを届けてくれた。
さて、風邪をひくと裏の早川薬局で“タウリンエキス”を買ってくる。箱にガラスの容器で6本ほど入っている。付属のハート形ヤスリで首のところを擦り、親指をかけてポンと割ったらストローで飲む。これが難しかった。風呂は休み。前の嶋口屋へ鍋を持参して素うどんを買ってくる。熱いうちにうどんを食べたら布団をかぶって寝る。熱が高い時には頭に氷嚢を乗せる。深夜、汗がどっと出たら「熱が下がった」と喜んでシャツを着替える。
やや重症の時。1号線沿いの角に川村薬局があった。店に入るとお爺さんが友達と碁を指していて、「熱があって、頭が痛くて、咳が出る」とお袋に言われた通りに告げると、お爺さんは名残惜しそうに碁盤を眺めながら調剤室へ入り、瓶から粉を取り出してはかりにかけて小さな紙に分けて積み分ける。大切に家に持って帰ると、さっそく粉薬をオブラートに包んで飲んだ。このオブラートがなかなかの曲者で、口へ入れてもたもたしていると破れて苦い薬が口中に広がる。こんな時は葛湯を作ってもらう。熱湯を入れないと透明にならない。砂糖を入れて完成だが、あまりおいしいとは思えなかった。
沖の島の森医院へも連れて行かれた。お袋の後をついて諏訪新道をタラタラ歩くと15分は掛かる。扉を開けて三和土で履物を脱ぐと、先客さんらの目が一斉にこちらを向く。小窓で受付を済ませ畳敷きの隅で熱を測って待つ。やがて来る注射が恐ろしくて神妙に待った。
前出の川村薬局の息子さんが、その後に川村医院を開設した。午後は往診に回ってくれた。“罹りつけ医”そのものである。先生の診断を思い出す。「なあ、風邪やろ?風邪やなぁ?風邪の薬だしとくわ!」
今や 川村先生も亡くなり、森医院跡地も駐車場になり面影はない。思えば、小さい頃はよく風邪をひいた。