ここの諏訪駅は、どうやら空襲以前に建っていたらしい。同じアングルから見た写真があった。
昭和27年とある。構内へ入る庇と思っていたが、駐輪場らしい。駅前は前の写真と比べるとすっきりしている。
「惚れるな弥ん八」の看板が傾いている。現公園通りと1番街の交差点から東を見る。映画の封切りは昭和31年9月26日だから、諏訪駅廃止の時期とちょうどぴったりだ。線路上での井戸端会議。複線のはずがガラクタで埋まっているので単線に見える。ヤマカワさんの看板。
この看板の向こう、線路を背に小さい店舗が並んでいた。サンシ百貨店の向かい側になる。小さい食堂を見た記憶がある。うまいやかのんきやだったか?狭い路地の上には屋根がかかっていた。
店屋物 といって、近所の食堂から岡持ちで“うどん”などを運んでもらうのは、ちょっとしたごちそうデシタ。店が忙しくておかずをつくる暇がなかったからです。
昭和30年代は1番街が形成される時代で 岡田屋をさんはじめ 資金力のある店舗は どんどん出店してきました
あの辺り、寿司屋、魚屋、うどん屋の記憶がゴチャゴチャです。
さて、通りの近くにはうどんの嶋口屋さんがあったので 助六さんは お寿司屋さんだったような気がします。助六寿司 そう呼んでいました
安堵しました。ヤレヤレ、、、、、(笑)
地図の右下の助六さんて、当時はうどん屋さんだったような?
今の場所に移動してから寿司屋さんになったような?
それとも、全くの無関係ですかね?
うどん屋さんの頃は大家族だった覚えがあります。
何を混乱しておりますやら
やはりいつ建ったのか?空襲で焼けたのか否かは 依然不明です
ユーチューブ 商店街ドミノ対決 で見ていただけます
20年前の事です
勿論 健在ですが 当時の毒舌をお聞きすることはできなくなりました
はじめの写真諏訪駅は 商工会議所からお借りしたもので 撮影時は不明です
ところが昭和27年の写真とほぼ同時期と思われます(看板も同じ)
昭和20年の空襲で焼失していないようです 古い建物の謎が解けます
草野さんは 戦後建ったようで 現在は半分の店舗となり 評判のごみ屋敷と化しております 悩みの種
諏訪駅がある頃から、そのままの姿って聞いたのですが、本当でしょうか?
ぺんぎんさんは、一回改築していたような気がしますが。
違ったアングルではなく、同じアングルの写真でした。
違ったアングルの(空襲前の?)写真とはどんな写真ですか。
二枚目の写真は昭和27年の撮影と書かれています。