(1)敗戦も必至という1945年の春。ひそかに中立諸国を通じて、和平の打診が試みられていた。7月12日、ついに勅命による近衛特使ソ連派遣が決まった。
この事実を知る人は多い。
しかし、表面的には白紙交渉というふれこみだったものの、内実は「和平交渉の要綱」なる文書をまとめていたことを知る人は多くない。
(2)全文は「要綱」と「解説」に分かれている。「要綱」の一節、「条件」なる項によると、(ロ)領土問題に
<なるべく他日の再起に便なることを努むるも、止むを得ざれば固有本土を以て満足す>
とある。
では、固有本土とは何か。
「解説」の3項「条件について」に具体的に記されている。すなわち・・・・
<固有本土の解釈については、最下限沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半部を保有する程度とすること>
近衛派遣は、すでに手遅れで、流産に終わった。
ただ、サンフランシスコ平和条約にみる領土条項は、ほぼこの通りだった(その上に、千島など近衛私案以上にもぎ取られた)。
(3)注目するべきは、近衛「私」案にせよ、このときすでに沖縄は「固有本土」のうちに数えられてはおらず、早々と棄てられかけていたことだ。その1か月足らず前まで、非戦闘員だけでも20万人以上の県民犠牲を強いた沖縄であるにもかかわらず。
(4)この文書、さすがに外務省編集『終戦史録』(昭和27年刊行)には収録されていない。全文掲載されているのは、淮陰生が参看したかぎりでは、矢部貞吉『近衛文麿』下巻だけだ。
近衛とその側近による私案とはいえ、近衛は天皇に示し、御璽まで添えた親書として携行する腹だったらしい。
1977年6月、外務省は敗戦直前から連合軍進駐直後の一時期までの外交機密文書を公開した。この公開文書によれば、近衛私案にある北千島放棄について、すでに5月11~14日の最高戦争指導会議においてはっきり合意をみていた。
最高戦争指導会議に係る公文書は、『終戦史録』二巻において公開されている。ただし、北千島放棄に関する合意の要所だけは、「以下省略す」との数語で、さりげなく隠されている(上巻332ページ)。
*
岩波書店のPR誌「図書」の1970年1月から1985年1月まで掲載されたコラム「一月一話」の集大成『完本 一月一話』の筆者、淮陰生の正体は誰か。
連載中から、中野好夫ではないか、という噂があった。英語にも漢文にも堪能、シェークスピアへのたび重なる言及、該博な知識、剛毅な文体、犀利な政治批判・・・・。
ちなみに、中野好夫は1903年(明治36年)8月2日生、1985年(昭和60年)2月20日没。コラム中断時期と中野昇天の時期とは付合する。コラムに「上方育ち」と自己紹介しているが、中野は愛媛県松山市生まれ、三高の卒業生だ。
そして、本書の著作権は、中野静に属した。すなわち中野好夫の夫人である。
□淮陰生『完本 一月一話 ~読書こぼればなし~』(岩波書店、1995)
↓クリック、プリーズ。↓
この事実を知る人は多い。
しかし、表面的には白紙交渉というふれこみだったものの、内実は「和平交渉の要綱」なる文書をまとめていたことを知る人は多くない。
(2)全文は「要綱」と「解説」に分かれている。「要綱」の一節、「条件」なる項によると、(ロ)領土問題に
<なるべく他日の再起に便なることを努むるも、止むを得ざれば固有本土を以て満足す>
とある。
では、固有本土とは何か。
「解説」の3項「条件について」に具体的に記されている。すなわち・・・・
<固有本土の解釈については、最下限沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半部を保有する程度とすること>
近衛派遣は、すでに手遅れで、流産に終わった。
ただ、サンフランシスコ平和条約にみる領土条項は、ほぼこの通りだった(その上に、千島など近衛私案以上にもぎ取られた)。
(3)注目するべきは、近衛「私」案にせよ、このときすでに沖縄は「固有本土」のうちに数えられてはおらず、早々と棄てられかけていたことだ。その1か月足らず前まで、非戦闘員だけでも20万人以上の県民犠牲を強いた沖縄であるにもかかわらず。
(4)この文書、さすがに外務省編集『終戦史録』(昭和27年刊行)には収録されていない。全文掲載されているのは、淮陰生が参看したかぎりでは、矢部貞吉『近衛文麿』下巻だけだ。
近衛とその側近による私案とはいえ、近衛は天皇に示し、御璽まで添えた親書として携行する腹だったらしい。
1977年6月、外務省は敗戦直前から連合軍進駐直後の一時期までの外交機密文書を公開した。この公開文書によれば、近衛私案にある北千島放棄について、すでに5月11~14日の最高戦争指導会議においてはっきり合意をみていた。
最高戦争指導会議に係る公文書は、『終戦史録』二巻において公開されている。ただし、北千島放棄に関する合意の要所だけは、「以下省略す」との数語で、さりげなく隠されている(上巻332ページ)。
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岩波書店のPR誌「図書」の1970年1月から1985年1月まで掲載されたコラム「一月一話」の集大成『完本 一月一話』の筆者、淮陰生の正体は誰か。
連載中から、中野好夫ではないか、という噂があった。英語にも漢文にも堪能、シェークスピアへのたび重なる言及、該博な知識、剛毅な文体、犀利な政治批判・・・・。
ちなみに、中野好夫は1903年(明治36年)8月2日生、1985年(昭和60年)2月20日没。コラム中断時期と中野昇天の時期とは付合する。コラムに「上方育ち」と自己紹介しているが、中野は愛媛県松山市生まれ、三高の卒業生だ。
そして、本書の著作権は、中野静に属した。すなわち中野好夫の夫人である。
□淮陰生『完本 一月一話 ~読書こぼればなし~』(岩波書店、1995)
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