語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】争いの原因

2019年01月22日 | ●大岡昇平
 <あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起こるのか。それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか。 --「ヤコブの手紙」4章1節

 人間には競争心がある。また、他人より上に立ちたいという優越への欲望もある。イエス・キリストの教えに忠実に従っていると主観的には思っているキリスト教徒でも、このような人間的弱点を免れることはできないのである。
 「ヤコブの手紙」の著者は、教会内部の諍いの原因について、「あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか」と戒めている。
 恐らくこの教会も、国家権力やユダヤ教など、外部からの脅威があったときには、一致団結して闘っていたのだと思う。企業でも官庁でも、外部との関係で大きな仕事に従事しているときは、組織内部は団結し、引き締まっている。しかし、そのような大きな課題がなくなると、内部での権力闘争が始まり、足の引き合いが起きる。「ヤコブの手紙」の著者は、このような内部抗争が、結果として教会の敵を利することになると警告する。聖書が組織論の参考書としても役立つ事例だ。>

□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「悪と向きあう言葉」の「争いの原因」を引用

 【参考】
【佐藤優】欲望が罪を生む
【佐藤優】罪の誘惑
【佐藤優】豚に真珠を与えるな
【佐藤優】右目を捨てなさい
【佐藤優】復讐してはならない
【佐藤優】荒野の誘惑
【佐藤優】受けるよりは与える方が幸い
【佐藤優】秤(はかり)のたとえ
【佐藤優】愚かな者になれ
【佐藤優】汚れたものとは
【佐藤優】劣った部分を尊ぶ
【佐藤優】知恵を誇るな
【佐藤優】偉くなりたい者は
【佐藤優】天国でいちばん偉い者
【佐藤優】どこまで罪を赦すか
【佐藤優】命を得るために
【佐藤優】預言者を敬わない人
【佐藤優】サマリヤの女
【佐藤優】新しいぶどう酒は
【佐藤優】返礼を求めるな
【佐藤優】金持ちへの警告
【佐藤優】ふたりの主人
【佐藤優】宝は天に蓄えよ
【佐藤優】罪のない者は誰か
【佐藤優】医者を必要とするのは
【佐藤優】施しをするときは
【佐藤優】呪ってはならない
【佐藤優】敵を愛しなさい
【佐藤優】目標をめざして
【佐藤優】試練を喜ぶ
【佐藤優】永遠の命のために
【佐藤優】立っていると思う者
【佐藤優】重荷を背負うのは
【佐藤優】苦難と希望
【佐藤優】弱さを誇ろう
【佐藤優】一粒の麦
【佐藤優】平和ではなく剣を
【佐藤優】恐れるな
【佐藤優】迫害される人
【佐藤優】平和をつくる人
【佐藤優】心の清い人
【佐藤優】あわれみ深い人
【佐藤優】正しさを望む人
【佐藤優】柔和な人
【佐藤優】悲しんでいる人
【佐藤優】心の貧しい人
【佐藤優】地の塩となれ
【佐藤優】狭い門を選べ
【佐藤優】求めれば与えられる
【佐藤優】明日を思い悩むな
【佐藤優】思い悩むな
【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~

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【本】大災害あと人はどう生きるべきか ~佐伯一麦『空にみずうみ』~

2018年09月12日 | ●大岡昇平
 (3)佐伯一麦『空にみずうみ』(中公文庫 1,370円)

 <(3)は、作家と染色家の妻の物語で丹念に夫婦の日常が綴られている。めざましいのは福原麟太郎、内田百閒、ルナール、伊東静雄などの文章を引用して、日常の時間と風景を切り取り、内面化して、見るもの聞くものを新たにする(生き方の更新をはかっている)点だ。東日本大震災、地震、仮設住宅などの言葉は出てこないが、人々の生活が「あの日」から変わったことがさりげなく語られる点も胸に迫る。大いなる災厄のあと死者を思いやりながら人はどう生きるべきかを真摯に訴えているからである。国をこえ、人種をこえ、たえまない戦争と災厄の中で読まれうる傑作だ。>

□「(池上冬樹が薦める文庫この新刊!)ユーモアと恐怖が背中合わせ」(「朝日新聞デジタル」2018年8月18日)を一部引用
(池上冬樹が薦める文庫この新刊!)ユーモアと恐怖が背中合わせ

 【参考】
【本】組織の改革について学ぶ ~『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』~
【本】対テロ戦争の最前線 ~『レッド・プラトーン 14時間の死闘』~
【片山善博】【本】地域づくりの要諦を学ぶ ~『地域からつくる 内発的発展論と東北学』~
【本】世界中で食べられるトマト缶 ~消費者が知らない驚愕の事実~
【本】移民政策の得失を冷静に分析 ~キューバ移民の第一線学者~
【本】戦前から日本は変わらず ~1940年体制~
【本】いかに“米中戦争”を避けるか ~歴史から国際政治を類推する~
【本】つげ義春は文章も面白い ~『つげ義春とぼく』~
【本】バブルを描く古典的名著 ~『バブルの物語 暴落の前に天才がいる』~
【本】塩野七生、最後の歴史大長編 ~『ギリシア人の物語3』~
【本】日本銀行はどのようにして政治的に追い込まれたのか ~『日銀と政治 暗闘の20年史』~
【本】最悪の選択は現状維持と分析 ~黒田日銀の5年間を問う好著~
【本】麻薬撲滅のための経済学思考 ~アピールと説得の理論と方法~
【本】モンゴルのユーラシア制覇 ~『モンゴルvs.西欧vs.イスラム 13世紀の世界大戦』~
【本】歴史はどう繰り返すのか ~『歴史からの発想』~
【本】社会変革のヒントを得る ~『フィンランド 豊かさのメソッド』~
【本】時流に流されないために ~『誰か「戦前」を知らないか 夏彦迷惑問答』~
【本】戦争の矛盾がよく理解できる/存在自体が珍しい軍事技術書 ~『兵士を救え! (珍)軍事研究』~
【本】北朝鮮核危機を描く労作 ~『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』~
【本】スウェーデンの高福祉で高競争力、両立の秘密 ~『政治経済の生態学』~
【本】ネット時代のテロリズムはどこから生まれてくるのか ~『グローバル・ジハードのパラダイム: パリを
【本】1920年代の経済報道に学ぶ ~『経済失政はなぜ繰り返すのか メディアが伝えた昭和恐慌』~
【本】朝日新聞・書評委員が選ぶ「今年の3点」(抄)
【本】著者の知的誠実さに打たれる日韓問題を深く理解できる書 ~『「地政心理」で語る半島と列島』~
【本】人の判断はなぜ歪むのか/2人の研究者の友情物語 ~『かくて行動経済学は生まれり』~ 
【本】エネルギーの本質を学ぶ ~『エネルギーを選びなおす』~
【本】JR九州の勢いの秘密を凝縮 ~読んで元気が出る人間の物語~
【本】日本は英国の経験に学べ ~『イギリス近代史講義』~
【本】噴火の時待つ巨額損失のマグマ ~『異次元緩
【本】“立憲主義”の由来を知る ~『立憲非立憲』~
【本】日本語特殊論に与せず ~『英語にも主語はなかった』~
【本】小国の視点で歴史を学ぶ ~『石油に浮かぶ国/クウェートの歴史と現実』~
【本】日本における婚姻を考える ~『婚姻の話』~
【本】元財務官僚のエコノミストが日本経済復活の処方箋を説く ~『日本を救う最強の経済論』~
【本】歴史を知らずに大人になる不幸 ~『戦争の大問題 それでも戦争を選ぶのか。』~
【本】私たちの食卓はどうなるのか ~工業化された食糧生産の脆さ~
【本】歪み増殖していく物語に迷う ~『森へ行きましょう』~
【本】加工食品はどこから来たのか ~軍隊と科学の密な関係~
【本】80年代中世ブームの傑作 ~『一揆』~
【本】万華鏡のように迫る名著 ~『新装版 資本主義・社会主義・民主主義』~
『【本】『世界をまどわせた地図』
【本】率直過ぎる米情報将校の直言 ~『戦場 -元国家安全保障担当補佐官による告発』~
【佐藤優】宗教改革の物語 ~近代、民族、国家の起源~」」
【本】舌鋒鋭く世の中の本質に迫る/地球規模で読まれた洞察の書 ~『反脆弱性』~
【本】【神戸】「自己満足」による過剰開発のツケ ~『神戸百年の大計と未来』~
【本】英国は“対岸の火事”にあらず ~新自由主義による悲惨な末路~
【本】人材開発でもPDCAを回す ~戦略的に人事を考える必読書~
【本】仮想通貨が通用する理屈 ~『経済ってそういうことだったのか会議』~
【本】進化認知学の世界への招待 ~『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』『動物になって生きてみた』~
【本】「戦争がつくっった現代の食卓」 ~ネイティック研究所~
【本】IT革命、コミュニケーションの変容、家族の繋がりが希薄化 ~『「サル化」する人間社会』~
【本】生命はいかに「調節」されるかを豊富な事例で解き明かす ~『セレンゲティ・ルール』~
【本】メディアの問題点をえぐる ~『勝負の分かれ目 メディアの生き残りに賭けた男たちの物語』~
【本】テイラー・J・マッツェオ『歴史の証人 ホテル・リッツ』
【本】中国から見た邪馬台国とは
【本】核兵器は世界を平和にするか ~著名学者2人がガチンコ対決~
【本】『戦争がつくった現代の食卓 軍と加工食品の知られざる関係』
【本】梅原猛『梅原猛の授業 仏教』
【本】東芝が危機に陥った原因は「サラリーマン全体主義」 ~『東芝 原子力敗戦』~
【本】バブル崩壊後の経済を総括 ~『日本の「失われた20年」』~
【本】20世紀英国は実は軍事色が濃厚 ~通念を覆す『戦争国家イギリス』
【本】時代による変化、方言など ~『オノマトペの謎 ピカチュウからモフモフまで』~
【本】冷笑的な気分に喝を入れる警告と啓発に満ちた本 ~『日本中枢の狂謀』~
【本】物質至上主義批判の古典 ~『スモール イズ ビューティフル』~
【本】日本近現代史を学び直す ~『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』~
【本】精神の自由掲げた9人の輝き ~『暗い時代の人々』~
【本】遊牧民は「野蛮」ではなかった ~俗説を覆すユーラシアの通史~
【本】いつも同じ、ブレないのだ ~『ブラタモリ』(1~8)~
【本】分裂する米国を論じた労作 ~『階級 「断絶」社会 アメリカ』~
【本】否応なきグローバル化、つながることの有用性 ~「接続性」の地政学~
【本】読書の効用、ゆっくり丹念な ~より速く成果を出すメソッド~
【本】国谷裕子『キャスターという仕事』
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【レイテ戦記】エピローグ ~現代日本の縮図~

2018年08月16日 | ●大岡昇平
 作戦の細目には幾多の問題が残った。16師団の半端な水際戦闘、第1師団のリモン峠における初動混乱、栗田艦隊の逡巡、ブラウエン斬込み作戦の無理などがあるが、それらは全般的戦略の上に立つさざなみにすぎず、全体として通信連絡の不備、火力装備の前近代性--陸軍についていえば、砲撃を有線観測によって行い、局地戦を歩兵の突撃で解決しようとする、というような戦術の前近代性によって、勝つ機会はなかった。
 しかし、そういう戦略的無理にも拘わらず、現地部隊が不可能を可能にしようとして、最善を尽くして戦ったことが認められる。兵士はよく戦ったのであるが、ガダルカナル以来、一度も勝ったことがないという事実は、将兵の心に重くのしかかっていた。「今度は自分がやられる番ではないか」という危惧は、どんなに大言壮語する部隊長の心の底にもあった。その結果たる全体の士気の低下は随所に戦術的不手際となって現れた。これは陸軍でも海軍でも同じであった。
 陸海特攻機が出現したのは、この時期である。生き残った参謀たちはこれを現地志願によった、と繰り返しているが、戦術は真珠湾の甲標的に萌芽が見られ、ガダルカナル敗退以後、実験室で研究がすすめられていた。捷号作戦といっしょに実施と決定していたことを示す多くの証拠があるのである。
 この戦術はやがて強制となり、徴募学生を使うことによって一層非人道的になるのであるが、私はそれにも拘わらず、死生の問題を自分の問題として解決して、その死の瞬間、つまり機と自己を目標に命中させる瞬間まで操縦を誤らなかった特攻士に畏敬の念を禁じ得ない。死を前提とする思想は不健全であり煽動であるが、死刑の宣告を受けながら最後まで目的を見失わない人間はやはり偉いのである。
 醜悪なのはさっさと地上に降りて部下をかり立てるのに専念し、戦後いつわりを繰り返している指揮官と参謀である。

□大岡昇平『レイテ戦記(4)』(中公文庫、2018)の「30 エピローグ」から一部引用

 【参考】
【レイテ戦記】鎮魂歌
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【レイテ戦記】鎮魂歌

2018年08月16日 | ●大岡昇平
 死んだ兵士の霊を慰めるためには、多分遺族の涙もウォー・レクエムも十分ではない。

   家畜のように死ぬ者のために、どんな弔いの鐘がある?
   大砲の化物じみた怒りだけだ。
   どもりのライフルの早口のお喋りだけが、
   おお急ぎでお祈りをとなえてくれるだろう。

 これは第一次世界大戦で戦死したイギリスの詩人オーウェンの詩「悲運に倒れた青年たちへの賛歌」の一節である。私はこれからレイテ島上の戦闘について、私が事実と判断したものを、出来るだけ詳しく書くつもりである。75ミリ野砲の砲声と38銃の響きを再現したいと思っている。それが戦って死んだ者の霊を慰める唯一のものだと思っている。それが私に出来る唯一のことだからである。

□大岡昇平『レイテ戦記(1)』(中公文庫、2018)の「5 陸軍」から一部引用

 
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【大岡昇平】『レイテ戦記』、『野火』、戦争

2017年08月12日 | ●大岡昇平
【大岡昇平】『野火』が成立するまで、物語の構造、俘虜記とレイテ戦記
【大岡昇平】ミンドロ島ふたたび
【大岡昇平】加賀乙彦の、『野火』および大岡昇平 ~回想~
【大岡昇平】開高健が伝えるところの ~『人とこの世界』~
【大岡昇平】論 ~加藤周一『日本文学史序説』~
小林信彦と台湾沖航空戦 ~沢村栄治小伝補遺~
沢村栄治の悲劇 ~原発・プロ野球創成期・レイテ戦記~
原発事故または戦争の事 ~8月15日のために~
『野火』のレトリック、首句反復 ~英訳『野火』~
加賀乙彦の、大岡昇平における「私」と神 ~『俘虜記』と『野火』~(1)
加賀乙彦の、大岡昇平における「私」と神 ~『俘虜記』と『野火』~(2)
加賀乙彦の、大岡文学における体験の深化と拡張 ~新しい方法論の創造~
加賀乙彦の、大岡文学における体験の深化と拡張 ~新しい方法論の創造~(2)
埴谷雄高が気宇壮大に読み解く『俘虜記』 ~『二つの同時代史』~
『野火』の文体 ~レトリック~
『レイテ戦記』にみられる批評精神(抄) ~日本という国家、軍隊という組織~
『レイテ戦記』にみる第26師団(1)
『レイテ戦記』にみる第26師団(2)
『レイテ戦記』にみる第26師団(3)
重松大隊の最後 ~『レイテ戦記』にみる第26師団・補遺~
レイテ島作戦陸軍部隊における第26師団の位置づけ
『野火』とレイテ戦(1) ~はじめに~
『野火』とレイテ戦(2) ~主人公の行動~
『野火』とレイテ戦(3) ~注(1)~
『野火』とレイテ戦(4) ~注(2)~
『野火』とレイテ戦(5) ~注(3)~
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【大岡昇平】『レイテ戦記』、『野火』、戦争

2017年04月05日 | ●大岡昇平
【大岡昇平】『野火』が成立するまで、物語の構造、俘虜記とレイテ戦記
【大岡昇平】ミンドロ島ふたたび
【大岡昇平】加賀乙彦の、『野火』および大岡昇平 ~回想~
【大岡昇平】開高健が伝えるところの ~『人とこの世界』~
【大岡昇平】論 ~加藤周一『日本文学史序説』~
小林信彦と台湾沖航空戦 ~沢村栄治小伝補遺~
沢村栄治の悲劇 ~原発・プロ野球創成期・レイテ戦記~
原発事故または戦争の事 ~8月15日のために~
『野火』のレトリック、首句反復 ~英訳『野火』~
加賀乙彦の、大岡昇平における「私」と神 ~『俘虜記』と『野火』~(1)
加賀乙彦の、大岡昇平における「私」と神 ~『俘虜記』と『野火』~(2)
加賀乙彦の、大岡文学における体験の深化と拡張 ~新しい方法論の創造~
加賀乙彦の、大岡文学における体験の深化と拡張 ~新しい方法論の創造~(2)
埴谷雄高が気宇壮大に読み解く『俘虜記』 ~『二つの同時代史』~
『野火』の文体 ~レトリック~
『レイテ戦記』にみられる批評精神(抄) ~日本という国家、軍隊という組織~
『レイテ戦記』にみる第26師団(1)
『レイテ戦記』にみる第26師団(2)
『レイテ戦記』にみる第26師団(3)
重松大隊の最後 ~『レイテ戦記』にみる第26師団・補遺~
レイテ島作戦陸軍部隊における第26師団の位置づけ
『野火』とレイテ戦(1) ~はじめに~
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【大岡昇平】澤地久枝の、「レイテ戦記」の地を訪ねて

2017年04月01日 | ●大岡昇平
 2009年夏、わたしはレイテとミンドロへ行った。この年は明治42年からちょうど百年にあたる。つまり、大岡昇平氏の生誕百年の年であった。
 世間が大岡昇平を忘れていると、わたしは肚を立てていた。毎日新聞学芸部のSさんが『レイテ戦記』について記事を書くことになり、取材に誘われて「大岡さんはレイテよりミンドロ島」といい、ふたりで両島に行くことになった。
 編集者生活約十年、ものかきになって四十五年、わたし自身が八十六歳まで生きて、実に多くの人の縁に恵まれた。美しい人は多くあるが、なかでも大岡昇平さんである。
 戦争末期の1944年に軍隊にとられ、フィリピンのミンドロ島に配属され、マラリヤをわずらい、米兵と真向かう。銃は手にしていたが、大岡さんは引き金をひかなかった。
 俘虜にされてレイテ島に送られ、戦後に復員。家庭には妻と二人の子どもがあり、三十代半ばだった。その体験が『俘虜記』になった。
 そして「死んだ兵士たちに」の献辞がある『レイテ戦記』は、戦争を知らない子どもや孫の世代のために書かれている。
 大岡さんは東京生まれで京都大学に学び、フランス語の家庭教師が小林秀雄だったという人である。男性に美貌という言葉は似合わないが、痩身の美しい人であった。
 編集者として大岡さんの北海道への講演旅行のお供をしたとき、わたしは推理小説の「樽(キャスク)」を読んでいた。二十代の終わり頃で、手軽な本という知恵はなく、読みかけていた本をもって行った。移動の列車の中でそれに気づいた大岡さんは、三冊の推理小説を教えてくれ「面白いよ」と言われた。
 旅行中の寝台車で(上下二段の二等寝台だった)、一夜、一睡もできなかった。下の寝台で大岡さんが眠っていると思うだけで本も読めず、眠れなかったのだ。
 1971年に『レイテ戦記』が出版され、その翌年にわたしの『妻たちの二・二六事件』が同じ中央公論社から本になった。
 大岡さんが「この著者はどういう人?」と編集者に問われたと聞いた。わたしは1963年2月の中央公論社退社以前に離婚して旧姓にもどっており、誰にも知られない著者としての出版だった。以後、亡くなる直前まで御縁があった。
 大岡さんは父の世代というべく、若い日のことを知らない。中年以後、年齢をかさねるほど大岡さんはいい顔になられた。
 それは、時代が逆行して、二度とくりかえさないはずの戦争へ、日本が変わってゆくことへの異議申し立ての明白さとつながるものであったと思う。どんな美男子であっても、時代と闘う意志がなくては、「美」とは言えまい。
 『俘虜記』は人間が最低の状態におかれたときの予想外のことをつぶさに書いている。若い米兵と向き合って射たなかったのは、「私がこのとき独りであったから」と書かれている。僚友が一人でも隣にいたら猶予なく射っていただろうとある。兵士は一人の人間になれば、人殺しはできないということだ。
 記憶がとぎれる何秒かがあり、大岡さんは米兵にとらえられる。1945年1月25日である。
 「顔見知りの山地人が通りかかった。私はこれほど憐憫にあふれた顔を見たことはない。つまり生涯でこの時ほど私が憐れむべき状態にあったことはないわけである。それは一人の若い男であったが・・・・その顔を私は美しいと思った」(『俘虜記』)
 大岡さんは『レイテ戦記』の雑誌連載の途中、取材のためフィリピンに行っている。慰霊団に加わり、戦争末期の激戦地のひとつレイテ島に行き、そのあとミンドロ島に行った。1967年3月のことで、ミンドロ島は編集者との二人で足を運んだ。まだ対日感情の悪い時期で、大岡さんは部隊にかかわる場所に行こうとしてさえぎられている(『ミンドロ島ふたたび』)。
 2009年の旅行では、日本軍兵士としての大岡さんが果たせなかった場所に行こうと考えていたが、町はさびれていて、『俘虜記』の場所は特定できなかった。
 サンホセで市長に会い、ネックレスを贈られた。レースで左右に分かれて「MINDORO SAN JOSE」の文字が白地に赤で編まれている。女性が家事の片手間に作ると思われるが、根気と時間を必要とする品で、素朴で美しかった。
 兵士を語る大岡さんの、大粒の涙を思い出す。人の美しさは言葉にせよ、メロディーにせよ、表現すると消えていくものではないだろうか。
 大岡さんは遺稿で「一党独裁三十三年の結果たる腐敗は、政財界の隅々まで行きわたっている」「もう昭和的政治はやめてもらいたい」と書いた(『昭和末』)。1988年12月、79歳で逝かれた。

□澤地久枝「大岡昇平/「レイテ戦記」の地を訪ねて ~「明治百五十年」美しき日本人~」(「文藝春秋」 2017年4月号)を引用
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【南雲つぐみ】加齢黄斑変性とその治療法

2017年03月13日 | ●大岡昇平
 年齢とともに起きやすい目の病気といえば、白内障や緑内障が知られている。今、増えているのが加齢黄斑変性だ。目の網膜の中心部にある黄斑という組織が変性して、視野の中心に映るものがゆがんだりして見えにくくなったりする。
 50歳以上では100人に1人起こるとされ、最初のうちは歩行はできるものの、テレビを見たり、読書などができなくなってきたりするという。年齢とともに進行し、日本人の失明原因の第4位(日本眼科学会調べ)となっている。
 発見方法には方眼紙や碁盤の目のような四角い模様を見て、格子のゆがみを調べる方法がある。片目ずつチェックして、ゆがんで見えたらすぐ眼科を受診してほしい。
 「滲出(しんしゅつ)型加齢黄斑変性」は、進行が早く、失明の危険が高いといわれる。網膜のすぐ下に異常な血管が新生し、黄斑にダメージを与えるものだ。これを抑える医薬品が「ルセンティス(ラニビズマブ)」で、視力改善効果が確認され、2009年から注射による治療に保険適用されている。

□南雲つぐみ(医学ライター)「加齢黄斑変性 ~歳々元気~」(「日本海新聞」 2017年2月27日)を引用
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 【参考】
【南雲つぐみ】頭痛が続く時 ~「気象病」~
【南雲つぐみ】クラゲの癒やし ~ストレス解消~
【南雲つぐみ】アレルギー性結膜炎 ~目の花粉症~
【南雲つぐみ】遺伝子検査と生活習慣
【南雲つぐみ】早春の香り ~匂いとセラピー~ 
【南雲つぐみ】白酒と甘酒 ~甘酒は栄養豊富~
【南雲つぐみ】背骨の新しい治療法
【南雲つぐみ】ビーナスベルトと地球影 ~西の空~
【南雲つぐみ】火災を防ぐ ~春季全国火災予防運動~
【南雲つぐみ】温泉かれい ~北陸~
【南雲つぐみ】がんと就労 ~仕事と治療の両立~
【南雲つぐみ】富士の笠雲
【南雲つぐみ】歩き方いろいろ ~室内でできるスロージョギング~
【南雲つぐみ】飲酒のメカニズム ~前頭葉を刺激~
【南雲つぐみ】ハリーアップ症候群 ~時間に追われると~
【南雲つぐみ】おでんの日 ~車麩~
【南雲つぐみ】フローズンショルダー ~肩関節周囲炎~
【南雲つぐみ】更年期女性と心疾患 ~微小血管狭心症~
【南雲つぐみ】梅の季節
【南雲つぐみ】皮膚の乾燥やかゆみ ~傾向と対策~
【南雲つぐみ】お菓子の日とビタミンB1
【南雲つぐみ】午の時刻、方位、初午の名物料理
【南雲つぐみ】添加物が気になる時 ~ワカメのみそ汁の効果~
【南雲つぐみ】揺さぶりに注意 ~赤ちゃんの脳震盪や硬膜下出血~
【南雲つぐみ】喉あめの効果 ~唾液分泌~
【南雲つぐみ】静電気を防ぐには ~綿や麻は電子を帯びにくい~
【南雲つぐみ】目の温浴 ~蒸しタオル~
【南雲つぐみ】海苔の日 ~「海の緑黄色野菜」~
【南雲つぐみ】大豆とエクオールは女性にとって健康の秘訣 ~今日は節分~
【南雲つぐみ】体の痛みが示すもの ~臓器の健康~
【南雲つぐみ】飲む乳酸菌の役割 ~明日2月3日は「乳酸菌の日」~
【南雲つぐみ】マスクで花粉症の予防 ~ダイエットにもなる~
【南雲つぐみ】寒灸の習慣 ~関節の痛みやこりを和らげる~
【南雲つぐみ】タイの天ぷら ~徳川家康の死因考~
【南雲つぐみ】アボカドの栄養とその調理法
【南雲つぐみ】フェリチンに注目 ~貧血対策~
【南雲つぐみ】ショウガを飲む ~その薬効~
【南雲つぐみ】ナマコとコノワタ ~三河湾では今が旬~
【南雲つぐみ】寒たまご ~1日2個以上も可~
【南雲つぐみ】安納芋の栄養価と味わい ~焼くか蒸す~
【南雲つぐみ】小正月には小豆がゆ ~むくみによる体重増の対策~
【南雲つぐみ】「おなかの風邪」の予防と事後処理 ~ノロウイルス、「ロタウイルス」~
【南雲つぐみ】食事制限だけのダイエットは危険 ~運動が大事~
【南雲つぐみ】温泉の安全な入り方
【南雲つぐみ】七草がゆ
ミカンのうんちく ~延命長寿の果実~
【南雲つぐみ】鍋で養生 ~今年1月5日は小寒~
【南雲つぐみ】お雑煮の食べ方 ~事故の防止法~
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【佐藤優】沖縄報道の植民地主義的な認識 ~朝日新聞~

2017年02月16日 | ●大岡昇平
 (1)2017年1月31日から2月3日まで、翁長雄志・沖縄県知事が米国を訪問した。訪問の目的は、米海兵隊普天間飛行場の移設を口実とする辺野古(沖縄県名護市)への新基地建設を断念させることにあった。客観的に見て、この訪米は成果をあげた。
 <アメリカのワシントンを訪れている沖縄県の翁長知事はアメリカ議会の下院議員と相次いで面談し、アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設には多くの県民が反対していて工事は進まないなどとして、計画を見直すよう訴えました。
 アメリカのワシントンを訪れている沖縄県の翁長知事は、日本時間の1日夜遅くから2日朝にかけて、共和党の下院議員1人と外交委員会や軍事委員会などに所属する民主党の下院議員6人の合わせて7人と相次いで面談しました。
 面談の様子は公開されませんでしたが、翁長知事によりますと、この中でアメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設について「多くの県民が反対していて、民意を大切にしないと日米安保体制が不安定になる。工事は順調にいっても10年かかるだろうし、そう簡単には進まない」と述べ、計画を見直すよう訴えたということです。
 これに対し、下院議員からはトランプ政権の外交・安全保障政策は、これから定まっていくだろうという見解などが示されたということです。
 翁長知事は記者団に対し、「相手の発言内容は明かせないが、長い人で1時間ぐらい議論ができた。多くの議員と面談でき、アメリカ議会には柔軟性があると思っている」と述べました。>【注1】

 (2)東京の外務本省は、ワシントンの日本大使館に極秘電報で「翁長知事と米要人との会談を妨害せよ」という訓令を送ったことだろう。中央政府の意向を受けたワシントンの日本大使館が陰湿な妨害活動を行ったにもかかわらず、7人の下院議員との会談が成立したのは大きな成果だ。沖縄県のワシントンにおけるロビー活動(そこには沖縄系米国人も大きな役割を果たしている)が力を持っている証拠だ。
 3日、ワシントンで行った記者会見んきおいて、翁長知事は、安倍晋三・首相と米国のマティス国防長官が沖縄の頭越しで、辺野古新基地推進を確認したことを弾劾した。沖縄が外交においても自己決定権を強化しつつあることの現れだ。
 <翁長知事は、マティス米国防長官と安倍晋三首相が会談で米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設推進を確認したことについて「辺野古が唯一の解決策という考え方に固執すると、日米安保体制に大きな禍根を残す」と強調した。その上で「今後も辺野古新基地建設反対を継続的に訴えていく。私の決意はかえって強くなっている」と述べ、移設阻止への決意を新たにした。 知事は会見で、日米両政府が自身の訪米中に辺野古移設を推進することで一致したことに対し「沖縄県民に対して大変失礼なやり方ではないか」と反発。「辺野古反対の大きな政治勢力がつくられ、選挙で世論も示されている。県民に対し強硬なやり方では(安保体制への)大きなダメージとなる」と指摘した。
 訪米に同行した稲嶺進名護市長も会見で、首相と国防長官の会談について「辺野古が唯一と言うが、根拠が全く説明されていない。絶対に県民は納得できない」と批判。「市長の権力を市民のために行使していきたい」と述べ、市長権限を駆使し移設阻止を目指す考えを改めて示した。
 知事は上下両院の連邦議員らとの面談を通じて、新基地建設など沖縄の基地問題への理解が深まったと総括。「ワシントン事務所を通じて、今回の面談で得られたネットワークを活用して、継続的に新基地問題を訴える」と強調した。>【注2】

 (3)しかし、朝日新聞を読むとまったく異なる印象を受ける。そもそも、「訪米の翁長知事、成果乏しく 政権有力者と会えず」と否定的な見出しを立てていることからして奇妙だ。外交上の成果とは、当初建てた目標をどの程度実現したかによって決まる。
 翁長知事は、米国の要人会見ではなく、同国の政治エリートとマスメディアに沖縄の基地問題を理解させることが目標だった。偏見に満ちた不愉快な記事だが、「朝日新聞」の沖縄観を示す資料として、敢えて執筆記者の姓名を含めて全文を引用しておく。
 <沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事が3日(日本時間4日)、訪米で予定された日程を終えた。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設反対をトランプ政権に訴える目的だったが、有力者には会えず、逆に米国防長官が入れ違いに訪日して辺野古移設推進を再確認する結果となった。
 「(面会者の)3分の1くらいは、沖縄の問題が出たら今日聞いたことを伝えて議論したいと言ってくれた。(過去と比べて)柔軟な議論が出来た」。3日夕、翁長知事はワシントンで会見し、成果を強調した。
 翁長氏が基地問題を訴える目的で訪米するのは、2014年末の就任以来3度目。今回は下院議員12人や政府機関の日本担当者らと面会したほか、大統領も参加する朝食会で、ティラーソン国務長官にも接触した。ただ、ティラーソン氏とはあいさつを交わした程度で、トランプ氏に近い議員らとの面会もできなかった。面会できた国務省の日本部長らは「辺野古が唯一の解決策」と日本政府と同じ見解を示した。
 翁長氏の周囲の状況は厳しさを増している。訪米のさなか、マティス米国防長官が来日して安倍晋三首相や稲田朋美防衛相らと会談し、「辺野古が唯一」を再確認。政府は今月6日にも辺野古の海上での新たな工事に着手する構えだ。
 足元も揺らぐ。側近中の側近だった安慶田(あげだ)光男氏が教員採用をめぐる口利き疑惑で副知事を辞任し、後任は空席のまま。1月には宮古島市長選で自身が支援した候補が敗れた。
 こうした状況に、県内からも冷ややかな声があがる。5日に告示される浦添市長選で自公が推す現職の集会に参加した中山義隆・石垣市長は「知事は訪米するより、政府に頭を下げて日本で国防長官に会わせてもらった方がいい」と皮肉った。
 今回の訪米で、辺野古移設阻止に向けた決意が「かえって強くなった」と語った翁長氏。ただ、辺野古移設を阻止する方法について問われると、「戦術は言えない」と明言しなかった。(小山謙太郎、ワシントン=吉田拓史)>【注3】

 (4)翁長氏の訪米と安慶田前副知事の疑惑は何の関係もない。
 また、中山石垣市長は、辺野古新基地建設推進を明言する中央政府に過剰同化した人物だ。
 この記事を読んだ読者は、翁長知事の権力基盤が脆弱で、しかも辺野古新基地建設を阻止する術を沖縄は持っていないという印象(実態から乖離している)を受ける。
 小山、吉田両記者の植民地主義的認識が滲み出ている。

 【注1】記事「訪米の翁長知事 米議員に基地移設計画の見直し訴え」(NHK NEWS ONLINE 2017年2月2日)
 【注2】記事「知事「安保に禍根」 新基地阻止訪米要請 辺野古強行、日米を批判」(琉球新報 2017年02月05日)
 【注3】記事「翁長知事、米で有力者に会えず マティス氏とは入れ違い」(朝日新聞デジタル 2017年2月4日)

□佐藤優「『朝日』沖縄報道の植民地主義的な認識 ~飛耳長目 第128回~」(「週刊金曜日」2017年2月10日号)
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【佐藤優】サウジアラビア ~「イスラム国」で中東が大混乱(3)~
【佐藤優】米国とイランの接近  ~「イスラム国」で中東が大混乱(2)~
【佐藤優】シリア問題 ~「イスラム国」で中東が大混乱(1)~
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【佐藤優】の略歴
【佐藤優】表面的情報に惑わされるな ~英諜報機関トップによる警告~
【佐藤優】世界各地のテロリストが「大規模テロ」に走る理由
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【佐藤優】【沖縄】辺野古への新基地建設は絶対に不可能だ
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【佐藤優】「イスラム国」という組織の本質 ~アブバクル・バグダディ~
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【佐藤優】ロシアはウクライナで「勝った」のか ~セルゲイ・ラブロフ~
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【佐藤優】スコットランド「独立運動」は終わらず
「森訪露」で浮かび上がった路線対立
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【佐藤優】水面下で進むアメリカvs.ドイツの「スパイ戦」
【佐藤優】ロシアの「報復」 ~日本が対象から外された理由~
【佐藤優】ウクライナ政権の「ネオナチ」と「任侠団体」 ~ビタリー・クリチコ~
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【佐藤優】日本は「戦争ができる」国になったのか ~閣議決定の限界~
【ウクライナ】内戦に米国の傭兵が関与 ~CIA~
【佐藤優】日本が「軍事貢献」を要求される日 ~イラクの過激派~
【佐藤優】イランがイラク情勢を懸念する理由 ~ハサン・ロウハニ~
【佐藤優】新・帝国時代の到来を端的に示すG7コミュニケ
【佐藤優】集団的自衛権、憲法改正 ~ウクライナから沖縄へ(4)~ 
【佐藤優】スコットランド、ベルギー、沖縄 ~ウクライナから沖縄へ(3)~ 
【佐藤優】遠隔地ナショナリズム ~ウクライナから沖縄へ(2)~
【佐藤優】ユニエイト教会 ~ウクライナから沖縄へ(1)~ 

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【大岡昇平】の文章の特徴 ~現代名文案内~

2016年08月31日 | ●大岡昇平
 

 (1)小説やエッセイ40作品を選び、さわりを抜き出して名文たるゆえんを解説する。併せて作者の略歴、代表作、文章の特徴も簡潔に紹介する。
 「ものの存在を問う」「人生の陰翳を映す」など6部に分かたれる。たとえば大岡昇平『野火』は、福永武彦『風花』などとならんで「心のひだを照らす」に収録される。『野火』から引用されているのは、次の箇所である。

 <月が村に照っていた。犬の声が起り、寄り合い、重なり合って、私が歩むにつれ、家々の不明の裏手から裏手を伝って、移動した。声だけ村を端れても、林の中まで、追って来た。
 靄が野を蔽い、幕のように光っていた。動くものはなかった。遠く、固い月空の下に、私の帰って行くべき丘の群が、薄化粧した女のように、白く霞んで、静まり返っていた。
 悲しみが私の心を領していた。私が殺した女の屍体の形、見開かれた眼、尖った鼻、快楽に失心したように床に投げ出された腕、などの姿態の詳細が私の頭を離れなかった。
 後悔はなかった。戦場では殺人は日常茶飯事にすぎない。私が殺人者となったのは偶然である。私が潜んでいた家へ、彼女が男と共に入って来た、という偶然のため、彼女は死んだのである。
 何故私は射ったか。女が叫んだからである。しかしこれも私に引金を引かす動機ではあっても、その原因ではなかった。弾丸が彼女の胸の致命的な部分に当ったのも、偶然であった。私は殆んどねらわなかった。これは事故であった。しかし事故なら何故私はこんなに悲しいのか>

 (2)著者が大岡の文章の特徴とするものを要約すれば次の3点となる。
 ①論理的な表現である。論理的な接続詞(「しかし」)の多用。抽象名詞を主語とする翻訳的文型(「悲しみが私の心を領していた」)。「私に引金を引かす動機ではあっても、その原因ではなかった」と動機と原因を峻別し、一方を否定して他方を肯定する分析的判断である。
 ②感覚的・情緒的表現である。犬自体ではなくて「犬の声」と表現し、「寄り合い、重なり合って」と擬人的に表現する。「靄が野を蔽い、幕のように光っていた」の比喩、「固い月空」の感覚的で的確な形容。
 ③「主観的な論理文体」である。引用文の後半は一文が7~13字の短文を連ねている。余計な修飾語が削られ、情緒が排除されている。さらに「戦場では殺人は日常茶飯事にすぎない」と一般化し、さらに「私が殺人者となったのは偶然である」と自らを論理的に納得させようとする。しかし、「『悲しい』という現実の感情の前では、そういうことばはすべてむなしく響く」。
 「主観的な論理文体」は思わぬ効果をあげる。「作者が意図的に排除したはずの叙情が流れる」のだ。

 あえて付言すれば、大岡における「論理的な文体」は感情を抑圧するためでなくて、むしろ感情をその生動するがままに純粋に抽出するための装置だと思う。だからこそ、『レイテ戦記』のような記録文学においてさえ、そこから響いてくるのは濃厚な感情、死せる兵士たちへの鎮魂の思いなのだ。

□中村明『現代名文案内 ~文章ギャラリー40作品~』(ちくま学芸文庫、2000)
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【大岡昇平】ノート一覧

2016年08月15日 | ●大岡昇平
【大岡昇平】『野火』が成立するまで、物語の構造、俘虜記とレイテ戦記
【大岡昇平】ミンドロ島ふたたび
【大岡昇平】加賀乙彦の、『野火』および大岡昇平 ~回想~
【大岡昇平】開高健が伝えるところの ~『人とこの世界』~
【大岡昇平】論 ~加藤周一『日本文学史序説』~
【大岡昇平】晩年の知的好奇心、仕事への意志、公平な目 ~『成城だより』~
『神聖喜劇』評 ~大西巨人を悼む~
社会を見る眼 ~「末期の眼」・批判~
大岡昇平と中国
資料 「大岡昇平、そして父のこと」
小林信彦と台湾沖航空戦 ~沢村栄治小伝補遺~
沢村栄治の悲劇 ~原発・プロ野球創成期・レイテ戦記~
本をタダで入手する法 ~『パルムの僧院』と文体~
原発事故または戦争の事 ~8月15日のために~
身体に抵抗する精神 ~『成城だより』の文学的でない読み方~
『成城だよりⅡ』にみる21年後の改稿、批判の徹底の理由 ~『蒼き狼』論争~
『成城だより』にみる判官びいきまたは正義感の事 ~大西巨人vs.渡部昇一の論争~
『成城だより』にみる啖呵の切り方 ~「堺事件」論争異聞~
丸谷才一の、女人救済といふ日本文学の伝統
『野火』のレトリック、首句反復 ~英訳『野火』~
加賀乙彦の、大岡昇平における「私」と神 ~『俘虜記』と『野火』~(1)
加賀乙彦の、大岡昇平における「私」と神 ~『俘虜記』と『野火』~(2)
加賀乙彦の、大岡文学における体験の深化と拡張 ~新しい方法論の創造~
加賀乙彦の、大岡文学における体験の深化と拡張 ~新しい方法論の創造~(2)
埴谷雄高が気宇壮大に読み解く『俘虜記』 ~『二つの同時代史』~
『死霊』をめぐって ~埴谷雄高との対談~
荒正人・石川淳・鉢の木会 ~埴谷雄高との対談~
『野火』の文体 ~レトリック~
『フィクションとしての裁判 -臨床法学講義-』 ~捜査官の取調べと弁護士の役割~
大岡昇平の松本清張批判
『レイテ戦記』にみられる批評精神(抄) ~日本という国家、軍隊という組織~
『レイテ戦記』にみる第26師団(1)
『レイテ戦記』にみる第26師団(2)
『レイテ戦記』にみる第26師団(3)
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開高健が伝える大岡昇平 ~『人とこの世界』~
『愛について』
加藤周一の大岡昇平論
『萌野』
『成城だより』
『大岡昇平全集 1』(筑摩書房、1996)
『大岡昇平全集 2』(筑摩書房、1994)
『大岡昇平全集 3』(筑摩書房、1994)
『大岡昇平全集 4』(筑摩書房、1995)
『大岡昇平全集 5』(筑摩書房、1995)
『大岡昇平全集 6』(筑摩書房、1995)
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『大岡昇平全集 21』(筑摩書房、1996)
『大岡昇平全集 22』(筑摩書房、1996)
『大岡昇平全集 23』(筑摩書房、2003)
『大岡昇平全集 別巻』(筑摩書房、1996)

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【大岡昇平】『野火』が成立するまで、物語の構造、俘虜記とレイテ戦記

2016年08月15日 | ●大岡昇平
(1)『野火』の最初の構想
 昭和21年。『野火』の原型は『狂人日記』という題名を与えられていた。大岡昇平は、「疎開日記」と題して発表した当時の日記に、昭和21年6月27日付けで<『狂人日記』を書いている>と。構想が練られていただけでなく、それに平行して一応は執筆していた。
 『野火』の単行本は昭和27年2月に刊行された。その1年半余後の昭和28年10月に自作自解のエッセイ「『野火』の意図」を発表した。最初の構想では、『狂人日記』は三章で構成される小説となるはずだった。そして第1章の冒頭には、米兵の靴を磨く少年が登場することになっていたらしい。

(2)進まぬ構想
 構想はなかなか固まらなかったし、したがって執筆も進まなかったようだ。昭和21~22年頃、大岡はフィリピンで死と隣りあわせになった敗兵としての経験、それにつづく俘虜収容所での生活の経験の記録を書くかたわら、中原中也、富永太郎に関する評伝的エッセイに手を着けていた。スタンダール論、スタンダール翻訳の仕事もあった。作家活動がそんなふうに活発にはじめられたなかで、『狂人日記』にふりあてられる時間が少なかったということも多少はあるかもしれないが、それはむろん二の次の理由にすぎない。最初のプランが崩れ、手はじめに書いた草稿が破棄される結果になったのは、かならずしもそういう外的な制約のためではなく、作者の筆を阻むものはむしろ内側にひそんでいた。

(3)主題をどんなふうに展開するか
 主題がはっきりしているからといって、それを繰りひろげてゆく筋道がただちに見つけだせるものではないし、重大な扱いにくいものであればあるほど、その度合は当然高くなるはずだ。『狂人日記』の場合はまさにそれに相当する。
 『野火』を書こうと思いたったきっかけとして、大岡は、俘虜収容所で聞いた、レイテ島の戦闘の話に動かされたことを何度か挙げている。ミンドロ島で俘虜となったあとレイテ島の収容所に送られた大岡は、そこで人肉食(カニバリズム)まで含めて数々の凄惨な敗戦の実相を知って、<その悲惨さに強い印象を受けた>【『レイテ戦記』あとがき】。せっかちな小説家ならばそこになにがしかの粉飾を加えて、悲惨な戦闘をただ悲惨なまま拡大したような小説を、たちどころに仕立ててみせるところかもしれない。
 だが、『狂人日記』はその種の即席の産物として構想されたのではなかった。悲惨の極限をつたえる情報によって、奇蹟的に生き残った敗兵である作者のなかに生まれた激しい情動というモチーフは、そこからある明瞭な主題がひきだされる。実現しなかった最初のプランの概略だけからも、主題のありかはほぼ推察がつけられるはずだ。
 『野火』の主題について、大岡はたとえば<敗兵に現れる思考、感情の混乱>【「『野火』の意図」】というふうに説明する。『狂人日記』の段階から、すでにこの主題が明確に把握されていたのは間違いないが、この言葉に圧縮されているように、戦争が過酷な状況に追いこまれたとき人間はどこまで歪められるか、どこまで錯乱するか、大岡はそれを極限まで見極めようとしたのだ。ただ小説家的な関心というだけでなく、同じ戦場の敗兵のなかで生き残った者の責任の意識が、そこに働いていたことを忘れてはならない。そして人間は人間らしさをどこまで失うか、どこまで堕ちていくものであるか、またどれだけその転落に抵抗することがでえきるかというこの主題には、戦争と深く結びつきながら、戦争を超える契機がおのずから秘められているのではないか。それもまた、とくに『野火』の現在の読者としては、考えるに値する問題だろう。
 T・S・エリオットの用語をすこし拡張解釈して使うなら、『狂人日記』が突きあたったのは主題にふさわしい虚構の「客観的相関物」を創りだす難しさだ。深くひろい射程を秘めたこの主題をすっかり溶けこませながら、しかもダイナミックにはじまるプランが捨てられたのは、いいかえればその苦心がまだ実るに至らなかったということだろう。それが結実するまでには、最初の構想のあと、まだかなりの時間が必要だった。

(4)『野火』誕生に至る前史の第二段階
 (a)主題
 昭和22年12月に現れる。まず昭和22年12月3日付け「疎開日記」に<『野火』に一転換>とあり、それまでに題名が決まっていたことが分かる。また、「『野火』の意図」によると、<部隊を追われた兵士が野火を見るところから始まって、健忘中の野火の映像を恢復することに終わる現存の構想を得たのは」、昭和22年末だったと記されていて、主題を展開すべき虚構の物語の筋道が、すくなくとも大枠としてはほぼ固まった時期を示してくれる。「一転換」と「疎開日記」に書いてあるのは、そのことを指していたのかもしれない。といっても、「現存の構想」はそのとき隅々まで確定したのではなく、「神」はそこにまだ姿を見せていなかったらしい。12月3日付けで<すぐ書き始めること>と記したすぐあと、つづいて同6日付けで<『野火』はやっぱり駄目だった>と記述しているが、結実の時期がここでまた先送りにされるのは、<主人公の性格がきまらなければならぬ>【「疎開日記」】ということも含めて、敗兵の彷徨する筋道が細部まで見通されていなかったからだ。「神」の未登場もむろんそれに関連する。

 (b)文体
 主題とそれを容れる虚構の物語との釣り合いのほかに、もうひとつ、文体の問題が大岡を待ちかまえていた。昭和21年4月29日付け「疎開日記」に<文体--模範とすべき文体がないので、翻訳体をとるのは、辛いことである>。これは『狂人日記』を直接に念頭に置いたものではなく、作家活動に乗りだしたまず最初に解決すべき問題として、固有の文体を創りださねばならない、という心覚えを記したということだろう。どちらかといえば、これはのちに『俘虜記』にまとめられる作品に向けられていたのかもしれないが、いずれにせよ、この記述から『狂人日記』=『野火』の文体を大岡が手さぐりしていた様子は推察できるし、その手さぐりが解決の糸口をつかむまでに、これまたかなり時間を必要としたのは言うまでもない。 
 『野火』の文体は、それまで日本の小説の知らなかった新しい質の散文を基礎にしている。『野火』が出現した直後から、明晰さ、正確さを刻みこんだ文体の新しさが多くの評家に喧伝されたのは繰り返すまでもないが、その定評のわりに、この文体がここに語られていく事柄と隙間なく溶けあっていることについては、これまであまり強調されていなかった。
 装飾的要素の過剰を抑えて、必要なことだけ的確に言いきる短いセンテンスをつづけていく文体には、フィリピンの自然のなかを独りで歩きまわる敗兵の動きを現前させる力が、たえず張りつめている。危険とともに移動しているその一挙一動が、見誤りようなくそこに提示されている。行動的な文体であることはだれにでも見てとれるが、それと並んで、というかそれと絡まりあう特質として、敗兵の眼の捉えた自然や地形を、その捉えた瞬間の様相において表出しようとする視覚性も挙げておかねばなるまい。それはつまり、敗兵にとって、見ることは行動の一形式にもなっているところが出てきた特質だ。
 視覚性といっても、この敗兵の眼は、細かな対象の細かな局所に粘着するのではない。そうではなく、たとえば夕焼の空の下にそびえる群峰と地上の草原の景観、あるいは崖の底から湧く水が谷間に開いていく水路の形状など、視野にひろがる対象をいわばゲシュタルト的に把握するのだ。その視像を言語表現に変換した文体は、したがって細密な写生画のような性質を帯びるのではなく、ここでは、自然にせよ地形にせよ、対象は視線をひきつけた要素をとくに際立たせた構成的な画面のように提示される。読者の想像力は、こまごまと煩わしい具象的なイメージに制約されることがないから、この簡明な構図から、熱帯の明るい自然の感覚や、丘と川と野原のかたちづくる原初的な地形のすがたを、かえって強烈に喚起することができるにちがいない。この視覚性は読者を縛るのではなく、解放するのだ。
 『野火』の、というより大岡の文体の論理的な性質、合理的な分析を重んじる性質についても多くのことが言われてきた。『野火』に限っていえば、敗兵が何をどう考えたり感じたりしているのか、思考と感情が混乱していれば混乱しているなりに、敗兵の心のなかで刻々と明滅するものをできるだけ正確に論理化し、できるだけ明晰に分析しようとする動きが、この文体を特徴づける瞬間は何度も認められる。定評はたしかに誤っていないとすれば、問題はそれでは論理性と分析性がどこから出てくるか、ということだ。
 文体が論理的になり分析的になったのは、主人公の敗兵が論理的であり分析的であろうとするからだといえば、ただ同義語反復としか聞こえかねないかもしれないが、そのあたりの微妙な関係はやはり見落としてはならない。<主人公の性格がきまらなければならぬ>【「疎開日記」】という一節にもおそらく関連づけられようが、周囲の状況について、孤独な敗兵としての行動について、自分自身の思考と感情について、さらには他人の思惑についても、田村一等兵はいつも論理的に検証し合理的な分析を向けようとする。「名状しがたいもの」に駆られて、<私自身の孤独と絶望を見極めよう>【「7 砲声」】と決めた人間を追跡する小説にとって、文体の論理性と分析性は欠かすことのできない条件だ。その条件は十分に満たされている。精妙に張りめぐらされた論理の網と、読者が頷くきおとのできる分析力をそなえた文体に支えられて、主題は小説的に肉づけされていくのだ。
 もうひとつの特徴として、とくに敗兵の心が幻覚と幻想の領域に接近していくとき、散文的な正確さばかりでなく、この文体が詩的な性質を帯びる場合があることも見ておく必要があろう。たとえば<死は既に観念ではなく、映像となって近づいていた>【「8 川」】と感じ、<実は私は既に《死んでいる》から>【「9 月」、《》内は原文傍点】と考えるあたりでは、その性質がことさら強く刻みつけられている。生の境界を踏みこえて、幻覚、幻想の氾濫のなかへ進んだ特異な意識の状態と、詩性を帯びた文体はよく溶けあっている。また自然の感覚の蕩揺に心を揺すぶられる部分においても、詩的な高揚の効果が、いちじるしいことを付けくわえておきたい(兵士たちの会話の粗暴な調子も、『野火』の文体の見逃せない要素だ。手記本文の端正な整いとのいちじるしい差異が、対照的な効果をつくりだすのだ)。

(5)『野火』生成の第三幕
 明晰に整えられた均質な形態のなかに、さまざまな性質を複合させているこの文体が確立されたのは、昭和23年6月~9月だ。年2回の割合で刊行されていた雑誌「文体」の求めに応じて、決定稿の「7 砲声」までの部分の執筆を進めたこの時期は、『野火』生成の第三幕に相当するが、その段階で、文体の確立が構想の実現に結びついた面も大きかったにちがいない。「神」の観念が構想に入ってきたのも、この時期だという。
 この時期にできあがった部分が、「文体」第3号(昭和23年12月刊行)に発表されたあと(このときは現行の「37 狂人日記」に対応する箇所が、序章として冒頭におかれていた)、「19 塩」までの部分が「文体」第4号(昭和24年7月刊行)に掲載された。しかし、「文体」が廃刊になったため、執筆はまたもやいったん中断されることになった。
 そのあと『野火』の執筆がひとまず結末まで漕ぎつけたのは、月刊誌「展望」昭和26年1月号~8月号に連載されたときだ。「展望」連載時にも章分けが行われて各章に題名がつけられていたが、連載が終わってからも、章の区分と題名の変更をふくめてさらに訂正が加えられたのち、昭和27年2月に単行本が刊行された(その後も版を改めるときに訂正されている箇所がある)。
 はじめて構想が芽ばえたときから数えれば、『野火』は完結まで5年半以上を要した作品ということになる。

(6)生成の過程をふりかえる意味
 この長い生成の過程をふりかえってきたのは、ただ完結に至るまでの経緯を跡づけるためばかりでなく、どんな小さい部分もゆるがせにしない堅固な構成にたどりつくには、やはりそれだけの労苦がかけられていた事実をあらためて見直したかったからでもある。実際、この小説では、どの部分にもそれぞれ意味と役割があり、なにげなく書かれているかに見える部分がやがて他の部分と交響しあい、全体が精密に構造化するように方向づけられる。
 〈例〉①特殊な関係にある<速成の親子>【「6 夜」】の挿話は、後半の奇怪な結びつきに変質して新しい意味を帯びることになるし、②主人公が殺人の道具となった銃を捨てる場面と、神の怒りの代行者としてもう一度銃を手にとる箇所とは、深く反響しあっている。
 そんなふうによく考えぬかれたそれぞれの部分の意味と役割を読み解くことが、すなわち『野火』を読むことなのだ。

(7)物語の弁証法的な展開
 『野火』に書かれていく個々の細目について、つまり小説の内容に亙る面については混濁したところはなく、読者はほとんどすべて明瞭に読み解けるはずだが、敗兵の彷徨の筋道、いいかえれば物語が展開されていく筋道が、いわば弁証法的に進んでいくことだけ一言しておきたい。
 〈例1〉軍隊組織から解放された<無意味な自由>【「8 川」】の気分は、群居本能という社会的感情とぶつかって別の翳りを帯びるし、死に閉ざされていた孤独の意識は、無辜の命を奪ったすぐそのあと、見知らぬ僚友に出会った偶然も働いてふたたび生のほうにむけられようとする。敗兵はあらためて出発し直すが、死の境地をいったん通過するようにして、生へもう一度向かっていくこの転回は、すくなくとも単線的ではない。同じ生の意識といっても、今度は死もいっそう深く包みこみながら、前とは次元の違う段階を彷徨するのだ。
 〈例2〉①はじめは慰めのように現れる神が、いくつかの段階を通った末、人間のむごたらしい醜悪さをひたすら憤る存在に変わる変遷にしても、②感覚をこころよく揺すぶっていた自然が、やがて雨季が来て敗走の障害でしかなくなる変化にしても、同じ種類の進行の型を示しているのは疑いをいれない。

(8)『俘虜記』、『野火』、『レイテ戦記』
 極限の状況のなかで人間がどこまで堕ちていくのか、堕ちていく自分を見つめながら堕ちていく自分に抵抗する意識は、狂気と隣りあわせなければならないのか、という主題がしだいに深められるのは、敗兵の彷徨の物語が、このような進行の型によって刻々と、漸層的に、最悪の場所へ近づいていくからだ。ここには飛躍もなければ曖昧な停滞もない。主題と物語を緊密に溶けあわせて進行していくこの小説の歩みは、こうして一種の論理的な階梯に支配されているかのようだ。悲痛さ、悲惨さの極みに胸を打たれる一方で、読者は一種の明るい整いが隅々まで浸透していることに気づかされるし、その結果、ある明晰さの快感が読後の印象として残ることになる。こうして凄惨さ、残酷さと明晰な秩序の感覚が化合しあって、『野火』の小説世界の、他に類を見ない魅力がかたちづくられるのだ。
 <敗兵に現れたる思考、感情の混乱>--生の境界を越えて死にひとしい領域に追いこまれた錯乱は、ここでは戦争が個人に強いる極限の状態として捉えられている。原型『野火』をはじめて構想した敗戦直後の時期、虚構として書くしかないこの状態のなかにできるだけ遠く踏みこむ試みが、戦争についてぜひ果たさなければならない証言になると、大岡が考えたであろうことは想像に難くない。そういう極限の状態をこれほど明瞭に見つめたこの戦争小説が、戦後の日本の小説のなかで傑出した一頁をかたちづくっているのは繰りかえすまでもないし、世界のどんな言語で書かれた文学のなかにも、こういう戦争小説はほとんど見受けられない。
 それをまず認めたあと、『俘虜記』と『野火』につづいて、大岡が『レイテ戦記』の著者となったことをもう一度思いだしておきたい。戦争は個人の視野から離れようがないのにくらべて、『レイテ戦記』においては、兵士たちを動かす見えない巨大な歯車としての戦争が追跡される。つまり『俘虜記』、『野火』、『レイテ戦記』は、それぞれが異なる位相から戦争の実態に迫る作業を通して、ひとつの系列につながりあう作品群である。『野火』を読んだ読者は、『俘虜記』と『レイテ戦記』を読むことによって、三つの作品の奥行がいっそうよく見えてくるはずであり、戦争とはどういうものであるか、その実態がそこに露出してくるように感じられるにちがいない。 

□菅野昭正「解説」・・・・『野火/ハムレット日記』(岩波文庫、1988)の解説のうち『野火』に関わる部分を抽出、整理
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【大岡昇平】ミンドロ島ふたたび

2016年08月12日 | ●大岡昇平
 <昭和33年1月20日、遺骨収集船「銀河丸」が芝浦桟橋を出た。(中略)戦後、厚生省引揚援護局がはじめて出す船だった。一ヵ月ばかり前に発表された予定地にミンドロ島は入っていなかった。ところが一週間前の新聞に不意にその名が出た。私は衝撃を受け、いまから申込んで便乗出来ないか、どこかの新聞社に頼んで特派員の列に加えて貰えないものか、なんとか打つ手はないか、と考えた。
 ミンドロ島サンホセは、私が昭和19年8月から12月まで駐屯した町である。(中略)
 ミンドロ島の名が出たのは夕刊で、私は食事をはじめていた。二本のビールに酔った頭で、翌日方々へ電話をかけて、なんとか段取りをつけることを空想した。しかし興奮が鎮まってみると、結局仕事のやりくりもつきそうもないし、一週間では出国手続が間に合わないことは、あまりにも明らかであった。
 20日夜、銀河丸出帆の光景がテレビのニュースに出た。埠頭で遺族が泣いていた。
 私も涙を流し、部屋に帰って、詩のようなものを書きつけた。
    おーい、みんな、
    伊藤、真藤、荒井、厨川、市木、平山、それからもう一人の伊藤、
    そのほか名前を忘れてしまったが、サンホセで死んだ仲間達、
    西矢中隊長殿、井上小隊長殿、小笠原軍曹殿、野辺軍曹殿、
    練習船「銀河丸」が、みんなの骨を集めに、今日東京を出たことを報告します。
    あれから13年経った今日でも、桟橋で泣いていた女達がいたことを報告します。
    とっくの昔に骨になってしまったみんなのことを、まだ思っている人間がいるんだぞ。
    あの山の中、土の下、薮の中の、みんなの骨まで、行くことは出来そうもないが、
    とにかくサンホセではお祭りが行われる。
    坊さんがお経を読み、サンホセの石を拾って帰って、
    みんなのお父さんやお母さん、兄さんや妹さん、子供に渡すということだ。
    坊さんのお経の長いことを祈り、
    石が員数でないことを祈る。
    僕も自分で行きたかったんだが、
    誰も誘ってくれる人はなく、
    なまじ生きて帰ったばっかりに仕事があり、
    仕事のせいで行けないんだ。
    ここでこうやって言葉を綴り、うさ晴らしするだけとは情けないが、
    なさけないことは、ほかにもたくさんあるんです。
    誰も僕の気持ちを察してくれない。
    なさけない気持で、僕はやっぱり生きている。
    わかって貰えるのは、みんなだけなんだと、こん日この時わかったんだ。
    しかしみんなは今は土の中、薮の中で、バラバラの、
    骨にすぎない。骨に耳はないから
    聞こえはしないし、よし聞こえたって、
    口がないから、「わかったよ」と
    いってもらうわけにも行かない。
    しかしとにかく今夜この場で、机の前に坐り、
    大粒の涙をぽたぽたこぼし、
    みんなに聞いてもらいたい、
    ・・・・・・・・
 以下、103行、私としても生まれて初めて書く詩みたいなものだった。
 その頃私は一応自分の戦争経験を書き終わり、一週間に三度ゴルフをやったり酒を飲んだり、昭和30年代の大衆社会状況に絶望しながら、結構呑気な生活を送っていたのだが、一つのテレビ放送によって、痙攣的な反応が起きたのは、自分でも意外だった。
 また10年経った。昭和42年から私は「中央公論」に『レイテ戦記』を書きはじめた。レイテ島は同じフィリピンでもミンドロ島のような呑気な戦場ではなく、昭和19年10月以来、太平洋戦争で最も大規模な、空陸海の決戦が行われたところである。
 私は(中略)そこ【引用者注:タクロバンの俘虜収容所】で陸海軍の俘虜に会い(それは主にスリガオ海峡から突入した西村艦隊と、東海岸の水際で戦った第16師団の兵士だった)、レイテ島の戦闘の話を聞き、感銘を受けた。
 それをもとにして小説を書いたこともあるが、最近漸く各種資料が出版され、レイテ島の戦闘の全貌がわかって来たのである。同時に、私は自分の戦ったミンドロ島の戦闘についても、一兵士にはわからなかったこと、帰国してから回想を書いた時にも、知ることが出来なかった多くのことを知った>

□大岡昇平「ミンドロ島ふたたび」(『ミンドロ島ふたたび』、中央公論社、1969)から引用
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【大岡昇平】加賀乙彦の、『野火』および大岡昇平 ~回想~

2016年08月11日 | ●大岡昇平
 <戦後派作家のなかで、いちばんお付き合いをさせていただいたのは、やはり大岡昇平さんです。(中略)
 大岡さんとはそのとき初めてお目にかかったのですが、実に話が合いました。(中略)
 私が大岡さんの名前を知ったのは意外に早いんです。(中略)
 小説家・大岡昇平を知ったのは、『野火』からです。「『野火』は宗教小説である。それは神を知らぬ男が、極限状況において神を発見する物語である*47」と私が書いたら、それを読んだ大岡さんは喜んでくれて、「あの教会の十字架を見ているというシーンは、すごく大事なんだよ」といっていました。自分が小説家になって、あらためて大岡さんの凄さがわかります。私が考えるフィクションとは、現実をより深く描くための手法であり、私はそういう小説を書きたいと思っていたのですが、大岡さんの小説はまさにそういう小説です。
 私が『フランドルの冬』でいちばん力を入れて書いたのは、アルジェリア戦争で重傷を負い、復員してきてやがて自殺する医者(ミッシェル・クルトン)の話です。当時は、アルジェリア戦争の戦況が悪化し、ド・ゴールが出てきてなんとか終戦に漕ぎ着けて第五共和制ができる、という時代背景がありました。あの戦争は後のヴェトナム戦争と同じく、とても正義の戦争とはいえないものでした。アルジェリア戦争に徴兵された青年たち--当時フランスはまだ徴兵制度がありました--は、大義のない戦いのなかで大勢のアラブ人を殺したことに悩む。悩んでもその罪は消えない。それは神と異邦人の主題でもあるわけです。それだけに、受賞のとき、ご本人から電話をいただいたときはほんとうにうれしかったですね。
 大岡さんは小説家としてだけでなく、人間としてもしっかり芯が通っていた方でした。大岡さんが藝術院会員に推されたときに、「私は一兵卒で戦ったけれども、力足りなく捕虜となり、陛下のご要望に応えられなかった。そんな人間が藝術院の会員になるのは畏れ多い」という理由で辞退したのは有名な話です。ちょうどそのときの記者会見の席に私もいたのですが、新聞記者が帰った後、「うまいだろ」ってぺろって舌をだした(笑)。「この人は大物だ」と思いましたね。私なんか気が小さいから、断れなかったのですが(笑)*48。>

 【原註から】 
 *47 加賀乙彦「大岡昇平における私と神 -『野火』をめぐって-」(「展望」1970年9月号/後に『文学と狂気』、筑摩書房、1971に収録)
 *48 加賀乙彦は、2000年、藝術院会員になった。

□加賀乙彦『加賀乙彦自伝』(ホーム社、2013)
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【大岡昇平】開高健が伝えるところの ~『人とこの世界』~

2016年01月22日 | ●大岡昇平
 (1)『人とこの世界』収録の12編の初出は、「文芸」昭和42年4月号から45年6月号まで断続的に発表した「文章による肖像画集」。

  行動する怠惰 広津和郎
  自由人の条件 きだみのる
  マクロの世界へ 大岡昇平
  誰を方船に残すか 武田泰淳
  不穏な漂泊者 金子光晴」
  カゲロウから騎馬国家へ 今西錦司
  手と足との貴種流離 深沢七郎
  逃亡と籠城 島尾敏雄
  惨禍と優雅 吉沢岩美
  “思い出屈した” 井伏鱒二
  絶対的自由と手と 石川淳
  地図のない旅人 田村隆一

 (2)「マクロの世界へ 大岡昇平」で、大岡昇平はいう。
 フク団はルソン島で、レイテ島にはいなかった。
 太平洋戦争当時、フィリピンには(1)反米・反日のグループ、(2)親米・反日のグループ、(3)朦朧たる山賊のグループがあり、(1)の徹底的民族主義グループは親日・反米に解消した。残部はルイス・タルクが指導するコミュニスト・ゲリラとなり、抗日民族戦線を張りつつ、自己の勢力圏内で農地解放をしていた。フクのルイス・タルクはマニラ郊外まで肉迫したが、マグサイサイの善政に敗れて投降した。マグサイサイは投降したフク団員にミンダナオ島などにどんどん土地を与え、政府内部の汚職をたたきつぶし、戦闘となると真っ先かけて突進した。
 「政府が反政府のやりたいことを先制してやったら人民戦争もけっして万能ではないという例をマグサイサイが示した」
 大岡が、レイテ戦だけでなく、その後のフィリピンにも眼くばりしている証左である。

 (3)ちなみに、『野火』の田村一等兵は、レイテ島西海岸に上陸した26師団「泉」(名古屋)所属の兵士と想定した由。
 『野火』にはフィリピン女の民族ゲリラが降服した日本兵を射殺するシーンがある。俘虜のなかに女性も銃を持っていた、という聞き取りに基づくが、フィリピン訪問時にゲリラ関係文献を買って読んだところ、
 「当時ヴィサヤ以南には農業組合もなかったし、コミュニズムは入っていなかった。レイテには米軍ご指定の、ゲリラ隊長がいて、あの段階では女は後方の看護婦とかサービス係だったはずなんだ。女性まで武装するのは挙国抵抗でないと出て来ないんです」

 (4)対談が終わってしばらくして、大岡昇平から開高健へ手紙がきた。ゲラに次の一行を追加してほしい、とのこと。
 「戦争に行かなかったら何も書かなかったろう」

□開高健『人とこの世界』(河出書房新社、1970。後に中公文庫、1990/後にちくま文庫、2009)
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