語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】脱原発シンポジウム(抄) ~山口二郎・柄谷行人・大澤真幸・岡崎乾二郎~

2011年08月31日 | 震災・原発事故
●山口二郎
 最近「政治学はすごく堕落したな」と思うのは、政治学者が候補者やマニフェストをまるで商品を見るようにして位置づけていることです。カタログを見て「民主党の商品と自民党の商品とどっちがいいのか」というくだらない選択をあたかも民主主義だというふうに錯覚させて回っている。メディアがその錯覚を振りまいて、その流れで民主党の政権交代が起こったけれど、そういう不毛な議論はもう打破しないといけない。いま目の前に起こった新しいことがらについて、私たちがどんどん意見をいっていかないと、政治家の押さえは効かないと思います。

●柄谷行人
 今回の原発のことでもそうですけど、原発反対というと、何か積極的な代案を出せといわれます。自然エネルギーを実際にどうやるんだとか、そういう社会設計に関する「アーキテクト」としての役割を求められるわけです。しかし、私はそんなことをいう必要はないと思います。たんにやめればいい。やめることで、はじめて考えることがはじまるのであって、その逆ではない。代案を出すという思考が、すでに原発と同じものなのだと思います。そんなことをやっていたら、絶対に原発をつくった資本=国家を脱構築することはできないのです。

●大澤真幸
 私は人間の想像力の最大の源泉は事実が何であるかを直視すること、見極めることにあると思います。一般に私たちは想像力というと、存在しないもの、知覚できないことについてあれこれと考えることだと思っていますが、大事なことは事実性に関する想像力なのです。例えば、原発事故が起こる前からそれが起こりうるということをみんな知っていました。しかし、それは大きな力にならなかった。ところが、現に原発事故が起こると、みんな原発について本当に考えるようになるし、行動をするようになる。原発が事故を起こしたという事実が、人の想像力と行動を圧倒的に触発している。同じように、原発を止めた後にどういう代替エネルギーがあるかなどと、いまあれこれ考えていても限界がある。まず原発を100パーセントの意味で断念する、というところからはじめないとならない。原発は不可能だということを事実として見極めることからはじめるべきです。そのときに、はじめて人間のイマジネーションとクリエイティビティが本当に発揮されるということです。原発という選択肢が事実として消えたときに、はじめて代替的なものへの想像力も本当に活動する。想像力を先に働かせてから原発を断念するのではありません。逆に、断念が想像力を触発するのです。

●岡崎乾二郎
 放射線というのは、極めて不均質ですね。平均値をとってもわからないということです。確率的被害といわれる低線量被曝、内部被曝にこの問題は典型的にあらわれる。絶対的な安全はありえず、一方その危険性も確定的にいうことができない。放射性物質がもたらすリスク=究極的には正視の違いをもたらすリスクは確率的なものだというしかない。実際にいまわれわれが直面している問題は、個々の身体ごとに確率が異なる問題です。さらに事故から時間を経て、空気を通した自然拡散の段階を超えると物流による拡散が起こりますから、関西のほうが福島に近い関東よりも危険でないとはかぎらないということも起こる。もっと局所的には、この椅子は隣の椅子よりも線量が高いとかいうこともある。これは個々の人間の身体でも同様です。つまり、それぞれの人間がかかえる生死のリスク、危険性の確率が違う。一般化できない。自分は危なく、隣の人は安全かもしれない。ゆえに、そのリスクへの不安を他人に語りにくく、それぞれが個々の判断で、いわば投機的に行動するしかない場面も多くなる。共同体的な原理での連帯は困難になる。共同体的な原理はむしろこうした行動を抑圧することにもなるでしょう。これが、いまわれわれが置かれている状況だと思います。つまり、われわれは選ぶ側(ソフィー)にいるわけではなく、それぞれが選ばれる側の子どもの立場にいるということですね。一般解は存在しないという状況。確率的というのは自分自身のなかに例えば40パーセント確実な死と60パーセント確実な生が同時にあるという状況でしょう。この確率の分布の差、そしてそれが一般化して測定することができない、ということが現在における危険性=究極的には「生か死か」の一般化された判断、共有されうる決定に抵抗している。

●柄谷行人(その2)
 「不在の他者」の話で、一つ言い残したことがあります。ある意味で「不在の他者」をもっとも考えざるをえないのは、ナショナリストなんですよ。「ネーション」というのは「民族」と訳すとまずい場合があります。ネーションは多民族でも成り立つものだからです。しかし、「国民」と訳してもまずい場合がある。というのは、国民というと、いまいる国民だけになってしまうからです。ネーションには民族と同様に、死者や子孫もすべて含まれます。つまり、「不在の他者」が含まれるのです。そのようなネーションが国家と異なるのは当然です。それらは通常、相補的ですが、ネーションが国家に対立する場合があります。例えば、今回の原発問題ではどうか。原発は資本=国家による短期的な利益のために推進されましたが、その結果、美しい日本の国土が汚染され、また放射能によってわが子孫たちが長く苦しむことになる、ナショナリストなら、そのことに対して憤激を覚えずにはいないだろう、と私は思いました。しかし、そのようなナショナリストはほとんどいなかった。要するに、彼らはナショナリストではなく、国家主義者なのです。あるいは、資本=国家主義者である。/ただ、丸川さんの話を聞いて持ったのですが、原発事故の後、国家主義とは異なる「ナショナリズム」が出てきた面もあると思います。その意味で、ネーションと国家のあいだに亀裂が出てきているともいえます。私がなぜ資本=ネーション=国家というかといいますと、この三つの構成要素がそれぞれ異質だからです。資本、ネーション、国家はそれぞれ、単独で存在するのではなく、必ず結合した形であらわれる。それらは相補的です。しかし、同時に、それらのあいだに亀裂がある。対立的契機があるのです。そのことをいっておきたいと思います。

 以上、シンポジウム「震災・原発と新たな社会運動」の第2部ディスカッション(「atプラス」、2011年9月号)から一部引用した。
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【震災】原発>雑誌の東電マネー汚染度一覧

2011年08月30日 | 震災・原発事故
(1)調査目的
 原発問題の追及を控えてきたジャーナリズムの“骨抜き”度の実態を明らかにする。
 ここでは、月刊誌および週刊誌を採りあげる。

(2)調査対象
 言論・オピニオン系の雑誌27誌。

(3)調査方法
 発売日が2010年3月11付けから2011年3月11日付けまでの雑誌について、電力会社または原発推進団体による1ページ以上の広告を抽出し、そのページ数を合計する。

(4)調査結果
 01 ソトコト・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・75p (うち原発をとりあげたもの0p)
 02 WiLL・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50p (うち原発をとりあげたもの14p)
 03 潮・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31p (うち原発をとりあげたもの24p)
 04 週刊新潮・・・・・・・・・・・・・・・・・・29p (うち原発をとりあげたもの12p)
 05 婦人公論・・・・・・・・・・・・・・・・・・28p (うち原発をとりあげたもの20p)
 06 プレジデント・・・・・・・・・・・・・・・・23p (うち原発をとりあげたもの9p)
 07 中央公論・・・・・・・・・・・・・・・・・・22p (うち原発をとりあげたもの10p)
 08 WEDGE・・・・・・・・・・・・・・・・・・21p (うち原発をとりあげたもの11p)
 09 文藝春秋・・・・・・・・・・・・・・・・・・20p (うち原発をとりあげたもの12p)
 10 Voice・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17p (うち原発をとりあげたもの14p)
 10 テーミス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17p (うち原発をとりあげたもの4p)
 12 週刊ポスト・・・・・・・・・・・・・・・・・16p (うち原発をとりあげたもの6p)
 13 週刊文春・・・・・・・・・・・・・・・・・・15p (うち原発をとりあげたもの8p)
 14 週刊朝日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9p (うち原発をとりあげたもの6p)
 14 週刊現代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9p (うち原発をとりあげたもの9p)
 16 サンデー毎日・・・・・・・・・・・・・・・7p (うち原発をとりあげたもの3p)
 16 パンプキン・・・・・・・・・・・・・・・・・・7p (うち原発をとりあげたもの3p)
 18 ニューズウィーク日本版・・・・・・6p (うち原発をとりあげたもの0p)
 19 AERA・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4p (うち原発をとりあげたもの2p)
 19 SAPIO・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4p (うち原発をとりあげたもの0p)
 22 週刊SPA!・・・・・・・・・・・・・・・・・0p
 22 週刊プレイボーイ・・・・・・・・・・・・0p
 22 女性セブン・・・・・・・・・・・・・・・・・・0p
 22 女性自身・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0p
 22 週刊女性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0p
 22 FRIDAY・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0p

(5)所見
 (a)ワースト1位の月刊誌「ソトコト」は、毎月、連載「ロハスクラブ」を5ページぶちぬきで掲載していた。ロハスクラブの会員、東電のPRページだ。この連載以外にも東電のオール電化の広告が多数あり、年間広告量はダントツの75pとなった。「地球に優しく」というスローガンが、3・11以降の東電自らを痛烈に諷刺する。
 (b)ワースト2位の月刊誌「WiLL」の花田紀凱・編集長は、震災時に勝俣恒久・東京電力会長とともに“中国ツアー”に同行していた。同誌は、真ん中あたりのページをカラーにし、電気事業連合会のPRページを毎月5ページ掲載している。Q&A式クイズやお涙ちょうだい型の広告がある。
 (c)ワースト3位の月刊誌「潮」は、創価学会系の雑誌。毎月見開きカラーページで、「明日へ手渡すもの」と題する電事連の原発PR広告を掲載した。エッセイ風の広告に特徴がある。
 (d)ワースト4位以下の特徴は、①電力会社社員を使って宣伝するものと、②文化人・タレントを使った広告に分かれる。

 以上、佐々木奎一(ジャーナリスト)「週刊誌・新聞の『東電広告』出稿頻度ワーストランキング!」(『日本を脅かす! 原発の深い闇 東電・政治家・官僚・学者・マスコミ・文化人の大罪』、宝島社、2011)に拠る。
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【震災】原発>食品>新米は安全か?

2011年08月29日 | 震災・原発事故
 農林水産省は。青森県から静岡県の17都県に対し、玄米のセシウム汚染調査を行うよう求めた。
 暫定規制値(500Bq/kg)【注1】を超えた場合、その地域のコメの出荷は禁止される。
 他方、自主検査を行う自治体は、北陸、近畿、中国、四国地方まで拡大し、13府県が実施を決めた(8月13日時点)。
 検査は、収穫前後の2段階方式で行われる。収穫前の予備検査で(a)200Bq以下のコメ、(b)200Bq超のコメに分類。(a)は収穫後の本検査でも200Bq以下ならそのまま販売可能となる。予備検査、本検査で200Bq超過のコメは、約15haごとに改めて検査し、その結果が500Bq以下ならば販売可能となる。

 「500Bq/kg」は、あくまで「暫定」的な規制値にすぎない。
 チェルノブイリ原発事故後、旧ソ連は、86年5月30日から87年12月15日まで、セシウム137およびストロンチウム90に関して飲料水370Bq/kg、牛乳370~3,700Bq/kg、穀類370Bq/kgなどの規制値を設けた。
 また、事故後に独立国となったベラルーシは、91年以後、穀類やパンの放射線規制値は40Bq/kg以下と定めている。
 日本のコメは、チェルノブイリ原発事故の旧ソ連の穀類の規制値(370Bq/kg)を上回っている。

 暫定規制値の「暫定」は、具体的には何時から何時までの期間を指すのか。
 驚くべし、これは事故発生から「24時間」なのだ【注3】。放射性物質放出継続時間が「24時間」を超える事故は、原子力安全委員会は想定していなかった。「24時間」を超えて放射性物質が放出され続ける事態が想定されていなかった以上、今回の福島第一原発事故に適用できる規制値は存在しない。
 事故から5ヵ月経っても「暫定」規制値を適用し続けている現状は異常だ。
 その異常さは、原子力安全委員会自ら承知していて、新たな規制値制定を求める委員の発言が委員会速記録に記録されている。
 新たな規制値は、現在、食品安全委員会に諮問中であり、答申を見た上で検討する。【厚生労働省食品安全部基準審査会】

 霞が関の官僚が責任逃れに終始する中、消費者は検査そのものに不信を抱く。
 巷では、新米の人気が陰る一方、10年産の古米の人気が過熱する。
 8月の頭にテレビで「11年産が危ない」と扇情的に報道した結果、関東に本拠を置く某米穀会社では、その後5日間に限って例年の2~3倍のペースで売れ行きが伸びた。買いだめしたところで、夏場は虫が湧くだけなのだが【注4】。

 新米が100Bqなのか499Bqなのか、消費者に確かめる術はない。
 ブレンド米をひと粒ひと粒検査するのは、事実上不可能だ。【農水省消費流通課】
 ブレンド米以外なら検討の余地はあるはずだが、農水省が真剣に検討している様子はない。

 【注1】食品衛生法に基づき、11年3月17日に制定された。
 【注2】茨城県鉾田市で、全国で初めてコメから放射性物質が検出された。【記事「収穫前の米から微量セシウム 茨城・鉾田 検出全国初」、2011年8月19日13:02 msn産経ニュース】
 【注3】事故防災の指針集『原子力施設等の防災対策について』の「EPZについての技術的側面からの検討」に拠る。EPZとは、防災対策を重点的に充実すべき地域のことだ。
 【注4】例えば、秋田でも似た状況となった。【記事「原発事故不安、古米品薄…秋田」、2011年8月26日 YOMIURI ONLINE】

 以上、市川琢也「主食のコメは本当に安全なのか」(「週刊金曜日」2011年8月26日号)に拠る。
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【震災】原発>公金と利権 ~政官財学マスコミ癒着の構図~

2011年08月28日 | 震災・原発事故


 3・11の福島第一原発事故は、たんなる地震や津波による天災事故ではない。政・官・財・学・マスコミの癒着の結果だ。地域独占、発送電一体、総括原価といった電力会社の利益を、与野党の政治家、官僚、マスコミ、学会など、その分け前にあずかっていた者たちが皆で守ってきた過程で、安全性が損なわれ、透明性が失われていったのだ。
 この構図は原子力ムラに特有のものではない。

 国土交通省の河川局は、基本高水(水系にダムが必要かどうかを判断するための基本的な判断材料)を数十年にわたり捏造してきた。利根川水系にあらたにダムが造られたことを忘れて数字を操作した結果、あらたに建設されたダムがなければぴったり合う数字をつくってしまった。むろん現実にはダムがあるから、そうはならない。それで、数字の捏造がばれた。
 馬淵大臣が予算委員会で、これまで捏造に使っていた数値を発表し、真実を表に出そうとした。しかし、馬淵大臣が問責されたあと、河川局は河川族の政治家、河川ムラの学者、関連するシンクタンク、そしてあろうことか学術会議まで駆使してあらたなウソを創りあげた。

 国土交通省道路局は、道路の下の空洞調査を、自分たちの先輩である技監が天下った公益法人に、調査能力がまったくないことをしりながら発注した。このときは、事故が起きたら責任を取らされる国道事務所からの内部通報で悪事がばれた。きわめて悪質な報告書で、同じ写真を違う調査箇所に何度も使いまわしていた。
 前原大臣が、責任をきちんと取らせる、と答弁した。が、理事長は退職金をまるまる手にして辞めた。
 この悪質な公益法人は、さすがに解散に追いこまれた。しかし、理事長が退職金の支払いを求めて提訴すると、なんと被告側は弁論すらせず、理事長を勝訴させ、退職金を支払った。

 公金が流れるところに利権が発生する。政治家はもとより官僚まで利権の分配にかかわってくる。利権の最大化が目的になり、安全性や経済合理性は忘却される。一部の人間には好都合だが、国民の利益はない。
 原子力ムラはその極限だった。

 6月18日、海江田経産大臣が各地の原発は安全だ、と宣言し、定期点検後の原発再稼働を求めた。
 しかし、「安全」の中身は、何年後までにこうした措置をとる、という予定を並べただけだった。しかも、電力会社の隠蔽体質はまったく問題視されなかった。事故が起きたときに対処する能力がないことを露呈した保安院や原子力安全委員会をどうするか、何ら言及がない。シナリオを読み合わせているだけだと酷評された安全訓練にも、ちっとも触れていない。

 30トンを超える核分裂性のプルトニウムをどうするのか。使用済み燃料をどうするのか。放射性廃棄物の最終処分をどうするのか。核燃料サイクルは、もやは成立しない。
 この際、エネルギー政策を白紙に戻し、合理性、論理性の観点からしっかり再検討するのだ。それができれば、不合理な政策、利権でゆがめられた政策を糺すことができる。それが正しい政治主導のはずだ。

 以上、河野太郎「あとがきにかえて」(飯田哲也/佐藤栄佐久/河野太郎『「原子力ムラ」を超えて -ポスト福島のエネルギー政策-』、NHKブックス、2011)に拠る。
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【震災】原発>立花隆の原発擁護

2011年08月27日 | 震災・原発事故
 最近の原発原子力をめぐる議論を聞いていると、このような永井隆【注1】や長田新【注2】の爆弾と平和利用の峻別論を忘れて、核をすべてアプリオリに邪悪なものと決めつける、「脱原発以外に道なし」論者が日本の多数派になりつつあるようだ。
 そういう人は、クロード・アングレ/ドミニク・ド・モンヴァロン『フランスからの提言 原発はほんとうに危険か?』(原書房 1,500円+税)を読むべき。
 核をアプリオリに邪悪なもの視する人々は、核は人間にコントロール不可能なものと思いこんでいる。フクシマがそれを証明したと思っている。しかし、フクシマで起きたことは、第一世代第二世代の古い原発にマグニチュード9.0という未曾有の災害が襲いかかったときに起きたことで、現代の最先端の原発(いま三世代半まできている)では決して起こりえないことがすぐわかる。いまの原発では、フクシマの悲劇の最大のもとになった水素爆発が絶対に起こらない(水素が発生したとたん融媒によって酸素と結合させられ、H2O になってしまう)。フクシマの悲劇をもたらした全電源喪失メルトダウンも絶対起こらない(電源なしでも冷却継続)。いまの日本の原発論議は、驚くほど時代遅れの内容になっている。 

 【注1】永井隆『長崎の鐘』(日本ブックエース、2010)
 【注2】長田新『原爆の子(上・下)』(岩波文庫ワイド版、2010)

 以上、立花隆「写真で見るヒロシマ・ナガサキ、原発と原爆 ~綿塩読書日記~」(「週刊文春」2011年9月1日号)から引用した。

   *

 時代遅れになっているのは、原発原子力をめぐる議論ではない。原発原子力をめぐる金儲けのシステムだ。
 「総括原価方式」で荒稼ぎする電力会社、その札束で頬をひっぱたかれて汗を流す政治家、莫大な広告料のため口をつぐむマスコミ、曲学阿世の学者、電力関連団体に天下りする官僚・・・・。
 そして、原発が三世代半まで来ていようといまいと、いま現に、フクシマは汚染されている。汚染は、東北6県【注】から関東、中部に広がり、海も汚染されている。

 【注】例えば、徳丸威一郎・大場弘行(本誌)「東北6県100地点 どこまで安心できるのか 放射能汚染マップで分かった盲点」(「サンデー毎日」2011年9月4日号)。
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【震災】原発>食品>秋の魚は大丈夫?

2011年08月26日 | 震災・原発事故
 魚は、もっとも危険な時期に入ってきた。海藻、近海物はだめ。サバも一部が汚染された。ストロンチウムを測定しなければ安心はできない。地域は太平洋側の宮城沖から静岡、愛知ぐらいに限る。

 以上、武田邦彦「秋の食材・・・これは大丈夫、これは危険」(「武田邦彦(中部大学)」 2011年8月24日号)に拠る。

    *

 水口憲哉・東京海洋大学名誉教授は、次のようにいう。

 魚種の群(「単位群」)ごとの活動範囲は、ある程度まで絞りこまれている。産地表示が正しく行われ、それらの情報を元に消費者が選択できるのであれば、安心な魚を食べ続けることができる。
 例えば、福島周辺の「根付き魚」はもちろんのこと、回遊するコースが福島原発近くを通る魚種には相応の汚染がもたらされる、と考えたほうがよい。また、福島からの汚染水の到達が確認されている海域で採れる海草類も、ヨウ素131の場合は取りこまれる割合が非常に大きい。
 陸地の田畑と同じく、海底の土も大事だ。田畑の土も海底の土も、放射能を取りこむ。
 食物連鎖のため、今から半年後、1年後は惨憺たる状態になる。回遊魚にしても、あと半年か1年もたてば影響が出てくる。マグロは日本中の近海を泳ぎ回っているので、いずれ日本中で調べなければならない、という状況になるかもしれない。
 食べても安全とか、危険とか、言うつもりはない。心配だったら食べなければよい。これが基本だ。
 私は、スーパーで買物をするとき、コウナゴなら愛知県産を買う。愛知県産のコウナゴは、福島あたりとは別の群だからだ。茨城県沖で獲れるコウナゴは、千葉県沖から仙台湾あたりまでと一緒の「単位群」だ。こうした区別ができることを知ってさえいれば、消費者の選択肢が増える。
 生産者のためにも消費者が魚を食べ続けるためにも、きちんとした情報を出すべきだ。
 
 以上、明石昇二郎(ルポライター)「魚の放射能汚染はこれからが本番」(別冊宝島第1796号『日本を脅かす! 原発の深い闇 東電・政治家・官僚・学者・マスコミ・文化人の大罪』、宝島社、2011)に拠る。

    *

●濃縮係数
 1位;カツオ。2位:ブリ。3位:スズキ。スケトウダラやホッケも高い。暫定基準値超えしているメバル、イシガレイ、アイナメも比較的高い。
 イカ、タコなど軟体類のセシウム濃度は、魚類に比べれば一般に低い。 

●秋から美味になる魚
 カツオは、日本列島を黒潮に沿って南から北へ向かい、三陸海岸沖まで行き、秋になると南下する。300km前後の沖合を南から北に向けて回遊するため、汚染の可能性は比較的少ない。福島沖でさえ、6月には巻き網漁法をしている。これまで、回遊魚から暫定基準値を上回る放射性物質は検出されていない。
 サバは、3~6月まで福島県沖から茨城県沖で過ごし、その後青森県沖に北上、11~12月にはふたたび福島・茨城県沖に戻ってくる。秋一番に注視すべき魚だ。福島第一で汚染水が放出されたその時期に、その辺りを回遊していたこと、汚染の高い地域のコウナゴを食べた可能性があること、その後も汚染濃度が比較的高かった時期に沿岸を移動している可能性があることがその理由だ。7月20日、福島県原釜沖のマサバから117Bqのセシウムが検出された。水産庁の担当者は、「暫定基準値は500Bqだが、もし沖合で回遊するサバから300Bqが出たら沿岸の魚はもっと汚染の可能性がある。そうなればさらに検査数を増やさなければならない」と警戒を緩めない。
 サンマは、千島列島沖方面から徐々に南下する。8月末は北海道沖が漁場で、10~11月にかけて茨城県沖に移動する。川からの汚染の影響を受けやすい沖合近くを通るものがある。全国さんま棒受網漁業共同組合は、福島第一から100km圏内の操業自粛を決めた。
 サケも、千島列島沖方面から徐々に南下する。10~12月に産卵のため太平洋側の河川に遡上する。遡上の南限は利根川。沖合を含め、サケの検査値に注意したい。

●川魚
 道路のアスファルトや木の葉についた放射性物質は、雨で河川に流れこんだ結果、東北や関東の河川は放射性物質の濃度が高くなっている。梅雨を経て暫定基準値を上回る川魚が増えた。6月23日には福島県南相馬市のアユから暫定基準値を超える4,400Bq、7月23日には同県伊達市の阿武隈川のアユから1,240Bqのセシウムが検出された。
 河川で暫定基準値を超える魚が出たのは福島県だけだが、栃木県では5月に2ヵ所で採取したアユから400Bqを上回るセシウムが検出されている。 

●海産物の加工品
 缶詰の検査は行われていない。厚生労働省は、「原料の魚や野菜を検査しており、安全なもので作られていることを前提としているから」と説明している。
 安全性の担保にも限界があり、自主検査が求められる。
 加工大手のマルハニチロでは、「事故後は関東や東北の太平洋沿岸で取れた海産物は購入していないので、検査していない。今後は各工場や中央研究所で自主検査する」という。

 以上、永見恵子「放射能と食 第2弾 秋の魚は大丈夫?」(「サンデー毎日」2011年9月4日号)に拠る。
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【震災】原発>小沢一郎を後援する東京電力 ~東電&電事連の政界支配~

2011年08月25日 | 震災・原発事故
 電気事業連合会の本部は、地上23階、地下4階の高層ビル、経団連会館(東京・大手町)の16階と18階にある。
 電事連の会長は、福島原発事故後、清水正孝・東京電力社長から八木誠・関西電力社長に移ったが、常勤副社長、企画部長、原子力部長、広報部長といった主要ポストは依然として東電がガッチリ握っている。業界団体の電事連は、東電の別働隊だ。
 原子力ロビーは、情報を塞ぐことに手腕を発揮する。原子力は完璧に安全であるということを保証するために、新聞、雑誌、テレビの大々的なキャンペーン広告に出資する。【「ル・モンド」紙】

 「国策民営」の東電の力の源泉は、政官界とのつながりの強さにある。利権の塊である電力会社は政治と直結している。泥をかぶる“仕事人”を必要とした。こうした汚れ仕事を一手に引き受ける総務部は、東電社長への登竜門だった。営業畑の木川田一隆に続く水野久男、平岩外四、那須翔、荒木浩まで4人の歴代社長は、すべて総務部出身だ。
 平岩外四は、東電中興の祖、木川田に認められて順調に出世した。第6代社長就任(76年)後、電事連会長として業界のリーダー役を果たした。社長退任(84年)後、東電会長に就くと、財界活動に専念し、第7代経団連会長に就いた(90年)。経団連会長を退任(94年)後も、財界と東電の顔であり続けた。
 平岩時代から、東電&電事連によるロビー活動が活発になった。
 
 正力松太郎没後、原子力事業を仕切ったのは田中角栄だ。72年に首相に就いた角栄は、オイルショックを契機に、原子力に着目。電源三法を成立させた(74年)。ちなみに、当時の通産相は中曽根康弘だ。
 角栄のお膝元、新潟県柏崎市は、原子力によって街が発展した。柏崎市には、32年間に1,133億円の交付金が下りた。カネの見返りに、選挙のとき投票してもらう。持ちつ持たれつの関係ができあがった。原発誘致は、田中派の利権となった。

 平岩外四は、自民党所属時代に田中角栄の子飼いだった小沢一郎(元・民主党代表)の後援会長になった【注1】。平岩は、その師の木川田一隆が政界と一定の距離を置く方針を180度転換したのだ。
 原子力発電は、官民一体で推進された。電力業界は、不況時に設備投資して景気対策に協力し、通産官僚の天下りを積極的に受け入れた。
 
 政官財からマスコミ、裏社会まで目配り、気配りをして抜かりなくやってきた東電に思わぬ伏兵が現れた。電力自由化の旗を降る通産省の改革派官僚たちだ。
 旗頭は、村田成二。村田は、資源エネルギー庁公益部長として第一次電力自由化に取り組み、電力会社への電力卸売りが認められるようにした(95年)。自家発電を持つ企業から余剰電力を買い取る制度だ。
 官房長になった村田は、第二次自由化に打って出る。料金自由化の第一弾として、大規模工場やデパートなどの大口需要家向けの電力の小売りを解禁した(00年)。
 村田は、改革の本丸を発送電分離と定めた。
 97年1月、佐藤栄作・元首相の次男、佐藤信二・通産相は、年始の会見で爆弾発言を放った。「発電、送電事業の分離はタブーとされてきたが、大いに研究すべき分野だ」
 村田ら改革官僚が振り付けた、とされる【注2】。これで電力自由化の論議が高まった。
 佐藤は、00年、03年の2度の衆院選で、電事連が背後で推す民主党議員に惨敗した。佐藤・元首相の地盤を継いだ山口二区で連敗したのは、電事連の強い意向を汲んだ中国電力が佐藤の選挙運動をサボタージュしたため、というのが地元における定説だ。

 発送電一体体制は、電事連の聖域だ。地域独占によって、電力各社は安定した収益をあげることができる。欧米諸国のように発電、送電、小売りと、それぞれが専業化されたうえに電気料金の自由化競争を強いられたら、特権的な地位を失い。電力会社は普通の企業になってしまう。
 電力会社は調達企業だ。原発には、東芝、日立製作所、三菱重工業の原子炉御三家、鹿島、大成建設、大林組、清水建設のスーパーゼネコンを始め、オールジャパンが関わっている。財界主流から発送電分離論が出ることは、まず、ない。原発が大型化した現在、1基あたり建設費は5,000億円もかかる。そこに、原子炉メーカー、プラント会社、大手ゼネコン、下請け企業群、製鋼やセメントの素材メーカー、電気系統から各種器具、機材、メンテナンス会社まで、電力会社を頂点とする巨大なピラミッドが形成され、5,000億円が流れていく。【注3】
 01年6月、電事連の新会長に南直哉・東電社長が就いた。
 02年7月、村田成二が経産省事務次官に就いた。
 02年8月29日、福島第一、第二、柏崎刈羽原発を点検した米技術者の告発で、東電が原思慮の炉心隔壁にひび割れがあったという記録を改竄していたことが発覚した。南・社長を始め、荒木・会長、平岩・相談役、那須・相談役の歴代トップ4人が引責辞任した。
 副社長から社長に昇格したのが勝俣恒久・現会長だ。
 電事連は、巻き返しに出る。京都議定書が定める二酸化炭素排出規制のために経産省が導入を進めていた石炭への新たな課税制度を、発送電分離を阻止するための「人質」にとった。
 自民党政権下では、部会、政調審議会、総務会の事前審査を通らないかぎり、法案を国会に提出できない。電事連/東電は、村田たちが進める発送電分離と小売り全面自由化を断念させるため政治工作を水面下で展開した。
 後の経産相、電力族として知られる甘利明・自民党エネルギー総合政策小委員会委員長、東電副社長から参議院議員になった加納時男・同小委員会事務局長が、発送電分離は「十分に議論が尽くされていない」と強硬に反対した。同小委員会では、石炭課税制度の議論も進められていた。
 村田ら改革派官僚は、発送電分離案を引っ込め、石炭課税の導入を優先することと決断した。石炭課税は通った。
 第三次自由化の結論をまとめた経産省の報告書は、07年に再検討するとの方針を盛りこんだ。だが、07年7月の経産省の総合資源エネルギー調査会電気事業分科会は、全面自由化は「現時点では適切ではない」と無期限の見送りを決めた。
 村田は、04年夏に退官。後任次官の杉山秀二、北畑隆生ら、経産省内の原子力推進派が盛り返し、村田と行動を共にしてきた改革派官僚は、軒並みパージされた【注4】。 
 村田以降、東電と事を構える経済官僚はいなくなった。

 09年秋、政権交代を果たした民主党は、自民党寄りだった経団連との対話を拒絶し、財界は政界との意思疎通の手段を失う非常事態に陥った。
 経団連の窮地を救ったのは、東電の政界人脈だった。企画畑出身の勝俣・会長も、資材畑出身の清水・前社長も、企画畑の西沢俊夫・新社長も、政界人脈はない。民主党と経団連の関係修復に乗り出したのは、荒木・元会長だ【注5】。荒木は、小沢一郎とのパイプが太い。平岩外四が小沢一郎の後援会長を引き受けて以来、総務部は小沢とパイプをつないできたのだ。

 【注1】「【震災】原発>小沢一郎と東京電力「蜜月21年」+原発事故に関する小沢語録」参照。
 【注2】当時、古賀茂明はOECD事務局科学技術工業局規制制度改革担当課長だった。OECDのプロジェクトで発送電分離が焦点となっていた。そこで、OECDが日本に勧告するように動いた。「正式に報告書を出すまでには時間がかかるし、発表後では新聞でもベタ記事で、結局は闇に葬られることも考えられる。一方、検討段階での予想記事なら扱いも大きくなるし、国内の準備も整っていないから、ショック療法としては効果的だ」・・・・ということで、旧知の読売新聞の記者に連絡をとって、記事にしてもらった。正月にはニュースがない。1月4日の朝刊に、「OECDが規制改革方針 電力の発電と送電は分離」と大きく載った。「この日は土曜日で、6日が御用始め。念頭の記者会見で、佐藤信二通産大臣が前向きなニュアンスで答えたものだから、大騒ぎになった」「当時の通産相幹部が退官した後教えてくれたことには、『いやあ、あのときはたいへんだった。省内は大騒ぎだし、電力会社は、騒ぎまくるわ・・・・。でも、いまから考えれば良かったんだよ。あれから本格的に電力の規制改革の議論が動き出したんだから』とのこと」【古賀茂明『日本中枢の崩壊』、講談社、2011】
 【注3】総括原価方式は、電力料金=原価+報酬(原価×固定%)だ。コストがかかればかかるほど電力会社は儲かるしくみだ。
 【注4】「【震災】原発>経産省歴代次官の大罪 ~原発官僚~」参照。
 【注5】「【震災】東京電力の隠蔽体質」参照。

 以上、有森隆(経済ジャーナリスト)「東電&電事連 『財界』『政界』支配の暗黒史」(『日本を脅かす! 原発の深い闇 東電・政治家・官僚・学者・マスコミ・文化人の大罪』、宝島社、2011)に拠る。
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【震災】原発>食品>産地偽装

2011年08月24日 | 震災・原発事故
 汚染山菜を福島県民以上に食べているのは、首都圏の消費者かもしれない。
 というのは、出荷制限を受けている時期に裏ルートで首都圏にどんどん出荷されたからだ。

(1)山菜・筍・苺
 (a)各種山菜を都内の卸業者に送り届けてきた会津地方の男性は、今年は放射能のおかげで競争相手が少ないから山菜を採り放題だった。福島県産だと、卸業者も「それでは売れない」と言うので、話し合った末、新潟、山形県産にして出荷することにした。競りにかけるわけじゃないから、そんなことはどうにでもなるわけだ。本当の産地を言ったら、店が買ってくれないから仕方ない。「俺だって生活がかかっているしな」。しかし、放射能汚染をネタに卸業者に買い叩かれたから、去年の半値にもならなかった。

 (b)浜通りの男性は、同じ手口で福島県産山菜を首都圏の業者に売り払った。
 彼と10年以上付き合いのある業者から依頼があった。「東日本大震災と放射能騒ぎで東北産の山菜が品不足だ。関東のスーパーではタケノコが1本800円もするので、そっちでなんとか調達できないか」
 浜通りではタケノコから基準値オーバーのセシウムが検出され、県が採取、出荷自粛を呼びかけていたが、「自粛したら俺たち一家が干上がってしまう」。竹林の持ち主が、「竹がこれ以上増えたら手に負えなくなる。どんどん採ってくれ」と言うので、3日に1回のペースで東京に運んだ。もちろん、トラックで。すべて新潟、山形、青森県産として売り、都内の業者も「了解済み」だった。
 ちなみに、この男性の主な採取地いわき市内では、タケノコからセシウム134とセシウム137の合算で650Bq(暫定基準値500Bq)が検出されている。

 (c)この男性は、イチゴも捌いた。
 イチゴは出荷制限を受けていないが、放射能騒動の影響で売れ行きがガタ落ちだ。福島県民が福島県産を警戒しているのだから、どうしようもない。それで、浜通り、中通りのイチゴ農家からブツを安く買い集めて、横浜と名古屋に運んだ。タケノコと同じで、福島県産とは言えない。千葉、埼玉、栃木県産と称して売っている。売値は、関東産の相場の半分だから、買い取り業者は大喜びだ。

(2)トマト
 福島県のあるスーパーマーケットの従業員によれば、千葉県産はすぐ売れて次々と補充されるが、隣に置かれた県内産は、、形も色もいいが、手を出す客はほとんどいない。
 県内産が売れないからといって、廃棄処分にはできない。売れ残ったトマトは、閉店後の今夜か開店後の明朝、店長の指示で千葉県産の売場にそっと移す。ずっとその繰り返しだ。
 近いうちに「産地表示の札を書き換える」と店長から言われている。売場を同じくして、札の表示を「千葉・福島産」とするのだ。そうしないと、バレたときに産地偽装で問題にされるから。

(3)梅
 中通りにあるスーパーマーケットの店長によれば、出荷制限地域の○○産の梅をうっかり並べたら、客から注意され、すぐに撤去した。納入業者にきつく文句を言ったら、地元JAの担当者から「うちが扱う梅は独自検査でセーフだから、どうしても売ってほしい」と頼まれたそうだ。それでまた売ることになった。和歌山県産がキロ980円、栃木県産がキロ580円、福島県産がキロ280円の値段をつけた。でも、なかなか売れなくて、梅の下側から黒く腐れてくる。JAに睨まれて得はないから、仕方なく置いているだけだ。
 福島県内で行き場を失った梅は、南下、北上を続けながら産地を偽装して今なお県外のスーパーで売られている。

(4)米
 被曝検査は、第三者が立ち会った公明正大なものでないと消費者は納得しないだろう。しかし、低い数値をわざと発表して高濃度被曝米を無制限に流通させてしまう恐れが充分ある。
 当然ながら、福島県産では買う人がいないから産地が偽装される。ひとめぼれ、あきたこまちは秋田、宮城、岩手県産になる。コシヒカリは新潟、千葉、埼玉、栃木県産にされる。
 昔ならともかく、今のJAには偽装できない。が、生産者から米国卸業者に直接売られる流通米は、産地をどうにでも変えられる。しかも1俵5,000円前後で買い叩かれ、被曝検査をしないコメが大量に出回るはずだ。

(5)牛
 20km圏内には牛が3,500頭、豚が3万頭、鶏が45万羽取り残されたが、多くが被曝したまま餓死した。
 他方、20km圏外の被曝家畜が食肉処理されて流通している。
 普通、仔牛は生後10ヵ月で、体重がオスなら300kg、メスで280kgのとき売られる。原発周辺からは、生後3ヵ月で100kg未満の牛も出てくる。それでも、ブランド化が進んだ飯館村の和牛は血統がよいせいか、40万円近くで競り落とされた。一般的な和牛なら10万円そこそこだから、異常な高値だ。6月には臨時の競り市が何度も開かれ、28日に飯舘村の最後の1頭が落札された。
 5月の競り市までは、ブランドの米沢牛、前沢牛を抱える山形、岩手県の業者が買っていたが、6月から買わなくなった。肉にしても被曝が明らかになったら、ブランドに傷がつくと判断したのだろう。
 高値でもどんどん買うのは、実は宮崎県を中心にした九州勢だ。口蹄疫で牛を殺処分され、国から入った補償金で買っているらしい。3ヵ月後には、どこでも生まれようと産地は肥育地にできるから、被曝牛が有名な宮崎ブランドになってしまう。高値といっても、原発事故が起きる前の相場と比べたら、ずっと安い。だから血統の良い牛だけ買い漁るのだ。
 去年の7割安で買い叩かれる牛もいるから、「東京に生きたまま運んだほうがマシ」だ。

(6)鰹
 6月28日に宮城県気仙沼港に初水揚げされた350トンのカツオは、実はいわき市沖、つまり事故原発の沖合で捕獲されたものだ。

(7)地産・非地消 ~野菜~
 福島市と白河市を結ぶ中通りの野菜生産者によれば、野菜は例年どおり県内、県外に出荷するが、自家消費用は作付けしないことにした。土壌が放射能に汚染されていたら、野菜だって危ないだろう。そんなもの、家族に食わせられない。国や県は「畑地の放射能物質は基準以下」と言っているが、汚染されていることには変わりないからね。その数値だって、いちばん低いのを出しているかもしれない。いちがいに信用できない。だから、わが家で食べる野菜は、県外産をスーパーで買っている。安心・安全のためには、それしかない。

 以上、吾妻博勝「『地元在住記者』が苦渋の告発! 流通の闇に消える福島産『被曝食品』」(『日本を脅かす! 原発の深い闇 東電・政治家・官僚・学者・マスコミ・文化人の大罪』、宝島社、2011)に拠る。

    *

 3月31日、シンガポール政府は、静岡県産の小松菜から648Bq/kgのヨウ素131などを検出したとして、静岡県産の野菜と果物の輸入を即時停止すると発表した。
 この後、シンガポールでは兵庫県産の白菜からも同国の基準(100Bq/kg)を上回る放射性ヨウ素が検出され(118Bq/kg)、輸入停止措置は福島、茨城、栃木、群馬、千葉、愛媛、神奈川、東京、埼玉、静岡、兵庫の11都県に広がった。

 ところが、「愛媛県産」と書類に記載されていたアオジソ(大葉)は、実は福島県産であることが判明した。続いて、「静岡県産」とされた小松菜は、埼玉県産、「兵庫県産」とされた白菜は茨城県産であることも明らかになった。
 ここにおいて、食品放射能汚染の問題は、産地偽装の問題へ装いを変えた。
 仲卸の段階ですでに産地があやふやだとすれば、その先にある小売のスーパーや八百屋で表示される産地は信用しがたい。
 
 埼玉県産の小松菜を「静岡県産」、茨城県産の白菜を、「兵庫県産」と偽って輸出していたのは、東京築地市場の青果仲卸業者「築地三徳」だ。放射性ヨウ素が検出されたのは、同社がシンガポールの日本料理店向けに輸出した野菜だった。

 問題の第一、JAS法ではレストランなどの業務用として出荷する場合には産地表示義務はないから、国内法による処分はない。ただし、都道府県の条例による処分はあり得るし、実際、都は中央卸売市場条例違反で処分した。
 第二、「産地偽装」が行われたのは小松菜2束に白菜2個にすぎず、しかも、これは業者が築地場内の同業者から分けてもらったものだ(「仲間買い」)。つまり、シンガポールの基準を超えるヨウ素131などを帯びた小松菜、白菜、その他が築地市場で捌かれている。

 以上、明石昇二郎「魚の放射能汚染はこれからが本番」(前掲書)に拠る。
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【震災】原発>東電のマスコミ籠絡法 ~朝日新聞の原発記者~

2011年08月23日 | 震災・原発事故
(1)接待
 朝日新聞は、70年代に社論を統一し、基本的に原発を容認した(「イエス、バット」)。
 その背景に、東電からの広告の受け入れ、東電幹部からの接待、出張費の肩代わりがあった【注1】。

(2)広告
 2010年の1年間に東電が朝日新聞に出した広告は計13本。朝日新聞が定める規定の広告料にしたがって計算すると、計2億3千万円余となる。
 ほかに電事連や日本原子力文化振興財団などの広告もある【注2】。

(3)株
 東電は、また、テレビ朝日の大株主だ。3,100株(全体の0.3%)を保有する。

(4)記者OB
 井田敏夫・「井田企画」社長は、47年生まれ。朝日新聞入社後、社会部、政治部に籍を置き、82年1月に退社。83年11月。(a)「朝日クリエイティブ」設立。86年4月、(b)「井田企画」設立。
 (a)と(b)の取引先は、東電を初めとする電力各社、日本原燃、原子力発電環境整備機構、コスモ石油など主にエネルギー関連の法人だ。
 中でも、(b)設立まもなく獲得した大型案件は、「SOLA」の仕事だった。
 「SOLA」は、89年8月創刊、後に季刊誌となった。東電の生活情報誌で、A4版、カラーと2色刷り、約50ページ、定価350円(税込み)。ただし、市販されていない。東電の本店営業部が一括して買い上げ、各営業所に配布される。そして、顧客に無償で提供される。要するに、東電お抱えの雑誌だ。
 「SOLA」の公称部数は8~10万部。年間取引額は最大1億4千万円となる。(b)の手がける事業の大黒柱だ。

 井田は、「SOLA」制作にあたり、朝日新聞OBの人脈をフルに活用してきた。創刊以来、編集長を務めるのは江森陽弘・元「週刊朝日」副編集長。看板企画の政財界人インタビューでは、田中豊蔵・元取締役論説主幹((a)の会長でもある)。その他、環境問題に係る論考を毎号寄稿している岡田幹治・元論説委員。
 政財界人インタビューでは、荒木浩・元東電会長、武黒一郎・元東電副社長(現・国際原子力開発社長)、加納時男・元東電副社長/前参議院議員など、東電関係の要人がたびたび登場する。例えば、武黒・元東電副社長は、うそぶく。
 「日本の原子力発電は過去50年間、安全をしっかり守って利用することは確実に行われてきました」
 直近の夏号は、通常ならば5月20日に発行されるところ、1ヵ月遅れて発行された。その第104号に、南川秀樹・環境事務次官が登場している。驚くべきは、取材が行われた日だ。省をあげて震災対応に多忙を極めていたはずの3月17日に実施されているのだ。  

 「井田企画」を基点とする朝日新聞OBとの関係は、まだある。
 00年11月、井田企画内にNPO法人「地球こどもクラブ」が設立された。小学生らを対象にポスターコンクールなどを主催し、09年度の支出額は2,100万円だった。東電からも寄付を受け入れ、今年6月までは鼓紀男・東電副社長や加納・前参議院議員も副会長を務めていた。その他の理事は、「SOLA」に関与する朝日新聞OBと重なる。井田、江森、田中、岡田・・・・中江利忠・元朝日新聞社長の名まである。また、会員企業は、東電のほか、北海道電力、東北電力、四国電力、日本原燃が名を連ねていた。
 「井田企画」の忘年会には、東電のお偉いさんや東電にゆかりのある政治家50~60人が来ていた。
 「井田企画」は、ほかに言論サイト「ナレッジ」を開設し、田中ら8人の新聞OBをレギュラー執筆陣に揃えている。うち、中村政雄・元「読売新聞」論説委員は、電力中央研究所の名誉研究顧問で、原発推進を叫ぶ言論人として名高い。

 江森・「SOLA」編集長は、いう。
 井田君から家内に報告があった。このたびの夏号が最後だ、もうカネは出せないと東電に言われた、とのこと。編集長を引き受ける際、井田君に対して、原発の話題は一切触れない、と念を押した。「恥ずかしい話ですが、地震が起きてやっと気付いたんです。これは東電が朝日新聞を捲き込んだ世論操作のための隠れ蓑だったかもしれない、と。かかわっているメンバーを見れば、それは否定できないですよね。気付くのが遅かったんです」 

(5)「朝日新聞」の原発記者
 「朝日新聞」社内で原発に係る社論をリードしてきたのは、田中慎次郎に始まる「田中学校」の門下生たちだ。田中は、「朝日ジャーナル」を創刊するなど、社内でも左寄りの考えの持ち主だったが、原発には好意的だった。
 その田中の一番弟子が渡邊誠毅・元朝日新聞社長。正力松太郎とかけ合い、「日本原子力産業会議(現・日本原子力産業協会)」の創設に一役買った。
 「田中学校」の系譜は、岸田純之助、柴田鉄治、武部俊一らに引き継がれた。
 中でも、科学部畑が長く、77~83年まで論説主幹を務めた岸田は、電力業界にとっぷりと浸かった。定年退職を間近に控えた84年、岸田は関西電力の広報誌「縁」の監修者となった。さらに88年、東電から出向していた「政策科学研究所」の理事の誘いで、勉強会「岸田懇談会」を他の電力シンパ記者とともに開くようになった。92年には、関電子会社の「原子力安全システム研究所」の最高顧問会議メンバーに就いた。中村政雄・元「読売新聞」論説委員と共に。岸田は、91歳の今でも「日本原子力文化振興財団」の監事だ。

 【注1】【注2】東電の広告宣伝費は245億円、販売促進費240億円(09年度)。さらに、中部電力など各電力会社、電気事業連合会を含めると年間2,000億円の電力マネーがメディアに流れている。【神林広恵「誰も書けなかったテレビ・新聞・雑誌の腐敗 東電広告&接待に買収されたマスコミ原発報道の舞台裏!」(『原発の深い闇』、宝島社、2011)】

 以上、記事「メディア最大のタブー 東電マネーと朝日新聞」(「週刊現代」2011年8月20・27日号)に拠る。
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【震災】原発推進に多大な貢献をする「読売新聞」論説委員たち

2011年08月22日 | 震災・原発事故
 井川陽次郎・「読売新聞」論説委員は、03年から論説委員を務める。本務のかたわら、原子力委員会の新計画策定会議の委員、総合資源エネルギー調査会電気事業分科会原子力部会の委員などに就いている。国の原子力政策立案のインサイダーとなって、原子力推進派が主催するパネリスト、コーディネーターなどを務め、原子力政策をPRしてきた。

 <例1>シンポジウム「東電福島原発事故とその教訓」、3月15日、於都内。
 反原発派は「事故がすごく嬉しそうなんですね。人の不幸を喜んじゃいかんと思うんですけれども。思った通りのことが起きたぞということで、お祭り騒ぎみたい」。
 再生可能エネルギーの普及に取り組む孫正義・ソフトバンク社長は「日本では脱原発だけど、韓国ではやっぱり原子力発電所。火事場泥棒みたい」。
 「脱原発、本当にするにしたって、何するにしたって、ちゃんとした部分が何もできないというのが現状だ」

 <例2>城山英明・東京大学教授との対談(2011年2月19日付け「読売新聞」掲載の全面広告)
 「日本には発電技術はもちろん、安全規制や核拡散に関する知識が豊富にあります」
 「原子炉の運転で日本の安全水準は国際的に高い、と思います」

 <例3>シンポジウム「低炭素社会における原子力の役割」(日本原子力産業協会の年次大会)
 「首都圏で原子力への関心が低下している。原子力広報予算が削減傾向にあるのは問題だ」

 <例4>シンポジウム「原子力発電の長期運転と安全性」(福井県原子力平和利用協議会主催)
 「高経年化炉ではなくベテラン炉という言葉はどうか。30年、40年の運転経験があって、むしろベテランとして安定して発電できる炉ではないか。ベテラン炉が増える福井県を、世界レベルの情報発信地域として発展するよう、産官学で支援してほしい。ベテラン炉を弱点と捉えず、福井県でも大丈夫だから世界も大丈夫だと情報発信できればいい」

 井川は、破綻が明確な核燃料サイクル路線の支持者として知られる。10年7月の原子力委員会では、現行の大綱策定に同委員会の新計画策定委員として、「有識者」の一人としてヒアリングを受けた。
 「世論調査の結果を見ると、現行の政策に対する国民の支持も一定程度はある」
 「再処理工場の稼働状況などを踏まえて、専門家を交えてしっかりした議論をした上で、次の時を見据えてやられる方がいい」

 国の原子力推進勢力と「読売新聞」科学部出身の論説委員との密接な関係は、今に始まったことではない。井川には、中村政雄という優秀な先輩がいる。科学部出身にして論説委員という経歴、在職中に張った原発推進の論陣・・・・同じパターンだ。
 中村は、91年3月、日本原子力文化振興財団原子力PA方策委員会委員長として、「原子力PA方策の考え方」という報告書【注】をまとめ、原発事故後、物議を醸した。
 「停電は困るが、原子力はいやだという虫のいいことを言っているのが大衆であることを忘れないように」
 「文化系の人は数字をみるとむやみにありがたがる」
 「ドラマの中に抵抗の少ない形で原子力を織り込んでいく」
 このように愚民思想に満ちた「世論操作マニュアル」をものした中村は、原発推進派の記者を集めて「原子力報道を考える会」を作り、「原子力報道は危険性を強調しすぎる」など、メディア批判を繰り広げている。

 中村は、読売新聞社を退社後、電力中央研究所(電中研)の「名誉顧問」となった。
 その活躍の場の一つは、旧科学技術庁系の独立行政法人「科学技術振興機構」が提供する科学技術専門放送「サイエンスチャンネル」だ。ここで中村は、共同通信社や朝日新聞社の「原子力記者OB」とともに、原子力PR番組の作成に関与している。
 原子力ムラの一員となった記者たちには、在職中のみならず、退職後も、さまざまな形の恩典が用意されているのだ。

 このたび、新大綱策定会議にメディアからただ一人委員として参加したのは、知野恵子・「読売新聞」編集委員だ。
 正力松太郎以来、「読売新聞」には原発推進に協力する記者に事欠かない。

 【注】「【震災】原発>日本原子力文化振興財団による「国民洗脳マニュアル」」参照。

 以上、水木守「原発推進に多大な“貢献”をする『読売新聞』の論説委員たち」(「週刊金曜日」2011年8月19日号)に拠る。
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【震災】原発>経産省歴代次官の大罪 ~原発官僚~

2011年08月21日 | 震災・原発事故
 経産省は、電力行政一つをとっても、電力業界には競争がないため消費者に不利益を与えているにもかかわらず、まだ多くの規制を残したまま、これを緩和するつもりはない。

 (a)本当に必要な政策と、その運用成果で人材を評価される・・・・ということが、経産省では無い。(b)省益をつくった人が最も評価される。天下りポストをどれほど作ったかどうかが重視される。(c)無意味な政策にもかかわらず、その目的が見かけの上でいかに立派か、というのも大事だ。
 <例1>リース・クレジット業界における債権流動化事業。「財団法人資産流動化研究所」をつくり、通商産業省が予算をつけ、審査業務を委託する法律をつくった。しかも、民間だけにやらせるわけにはいかない、という名目で、事務局長にノンキャリアから、理事長にキャリア組から、という天下りポストを用意させた。
 <例2>核燃料サイクルに新たな関連団体をつくり、半永久的に使う。・・・・これには当時から強く反対意見を述べた若手官僚たちがいたが、多くは退職を余儀なくされたり左遷された。

 経産省の方向性は、04年の杉山秀二次官、06年の北畑隆生次官の頃から道を誤った。この頃から、地べた主義、国内主義、内向き志向になった。
 とりわけ北畑次官は、会見の席で外資系ファンドを名指しで批判するなど、外資からは敵視政策と受け止められた。外国企業誘致など、およそ関心外だと見られてしまった。
 その間アジア諸国は外資誘致の政策を推進した。そのため外国企業がアジアでビジネスを展開するうえで、日本は国際拠点としては視野に入らないエリアになってしまった。今やシンガポール、香港、ひいては中国本土にすら完全にそのポジションを奪われてしまった。日本企業が海外に出ていくのも当然だ。日本は、いま優良外国企業に土下座してでも来てもらわねばならない。そのために本気で環境整備しなければならない。経産省の幹部たちは、およそ世界の流れを理解していない。

 戦後の産業政策は、先進国になるための保護行政だった。問題は、ジャパン・アズ・ナンバーワンが言われた80年代後半以降だ。
 90年代はまだ規制緩和などに取り組んでいたが、00年過ぎから経産省の産業政策は進歩が止まった。企業側はお上に頼り続け、政府側は保護するスタンスのままだ。韓国、ロシア、中国などの途上国の保護政策を踏襲している。通常の先進国であれば、「産業省」はその規模を縮小している。日本は、ついに先進国になれなかった。
 役割を終えた経産省は、解体するしかない。

 菅直人首相の退陣が明らかになった今、注視しなければならないのは「大連立」だ。自民党と民主党それぞれの守旧派がタッグを組み、既得権を守るべく「大談合」して、特定の産業、企業、組合など各々の支持層へのバラマキを拡大する危険性が高い。
 もちろん、そのツケは増税だ。 

 以上、古賀茂明「道を誤った歴代次官の大罪 役目を終えた経産省は解体を!」(「週刊ダイヤモンド」2011年8月27日号)に拠る。

   *

●松永和夫・前事務次官
 原子力安全・保安院の院長を務め【注1】、原発の耐震基準の策定作業(06年)に関係した。津波の想定を甘く見誤った規制官庁のトップだった。
 事故直後には、銀行から東電への緊急融資を取り付けるのい尽力した。東電の損害賠償スキーム策定では、電気料金値上げが織りこみ済みの案で押し切った(国民への負担つけ回し)。東電を救済し、既得権益を守った。【注2】
 今回の原発事故では、事務方トップとして何ら指導力を発揮できず、終始失態続きだった。

●安達健祐・事務次官
 娘は東電社員。

●望月晴文・元事務次官
 原発の海外輸出への素地を作った。経産大臣だった自民党の甘利明や二階俊博をうまく宥めてコントロールした。
 東海村JCO臨界事故(99年)をきっかけに、原子力規制を強化するために旧通産省と旧科学技術庁の規制部門を統合する形で保安院が発足した。
 01年、保安院の初代次長に就任。公益法人の改革に便乗して、第三者機関による原発の当直長(運転責任者)資格認定試験を止めるよう通達を出した。原発の安全管理を軽視した措置として専門家からも異論があったにもかかわらず、資格試験は01年をもって廃止された。資格試験廃止後は、各電力会社が独自に試験を行い、資格を付与する形が採られた。
 この試験は、スリーマイル島原発事故(79年)を契機に82年から始まった。当時、スリーマイル事故は運転員の操作ミスだと言われ、日本でも運転員の技術レベルを向上させる施策が急務だった。そこで旧通産省は、省令で社団法人火力原子力発電技術協会が資格試験を行うことと定めた。運転シミュレーターでの実技、筆記、口頭の試験を導入した。「安全を重視するなら決して無くしてはいけない制度」だった。
 今回の震災による原発対応には資格試験廃止の影響があったのではないか、と専門家は指摘する。
 東海第二原発は、3個の非常用電源のうち1個が動かず、残り2個で3日半かけて冷温停止まで持っていった。冷却系統を巧みに使い分けながら一定のスピードの範囲内で温度を下げていく技術には熟練が必要だ。東北電力の女川原発も、非常用電源の修理中に余震でダメージを受け、綱渡りの運転で乗り切った。東電は、原子炉が多く運転員の数も多い。運転員の質の向上において、行き届かない面があったのではないか。

●村田成二・元事務次官
 かつて日本は、太陽光発電で世界一のシェアを誇っていた。03年時点で2位につけていたドイツの2倍だった。その一因は、94年に始まった家庭用太陽光発電設備の補助制度で、ピーク時で年間235億円が出ていた。
 ところが、突然、経産省が05年度に補助金を打ち切った。すると一気に市場が収縮し、05年にはドイツに世界一を奪われ、08年にはスペインにも越された。ドイツは、日本で余った太陽光パネルを安く買い上げ、国内で太陽光の電気を電力会社が高く買い取る制度も充実させたことで普及が進んだ。
 補助金打ち切りは、村田が事務次官のとき、03年に決定した。
 当時は小泉改革で、各省庁の補助金を生け贄として差し出すよう言われ、経産省は太陽光発電の補助金を差し出したわけだ。もともと太陽光はコストが高く、電力の買い取り制度と補助金を併用させなければ普及しない。経産省は無策のまま補助金を打ち切った。【飯田哲也・環境エネルギー政策研究所長】
 09年に補助金が復活し、今後は買い取り制度の拡充が図られる見こみだが、わずか3年の空白で業界地図はガラリと変わってしまった。
 経産省のある課長はうそぶく。「太陽光発電が全国に普及したところで総電力量の1%か2%にすぎない。実のところ、火力に置き換わるのは原子力しかない。それを知らしめるために太陽光の普及に力を入れているようなものだ」【全国紙経済部記者】

 【注1】02年7月から05年9月まで。
 【注2】「今国会で成立した『原子力損害賠償支援機構法』の青写真を描いた金融機関に「暗黙の政府保証」を与えた--ともいわれている。東電の経営責任を追及せず、銀行や株主の利益を重視し、ツケを国民に負担させる悪法だ」【記事「遅すぎた「クビ」 松永和夫経産次官の許し難い所業の数々」、2011年8月5日付け「日刊ゲンダイ」】

 以上、記事「経産省『原発官僚』の大罪を暴く!」(「週刊文春」2011年8月25日号)に拠る。
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【震災】原発立地を住民が決める根拠 ~エネルギーの共同体自治~

2011年08月20日 | 震災・原発事故
 例えばスウェーデンなどでは国が原子力政策からの脱却を表明している。日本は、あれだけの事故を起こしたのに、そう簡単には行きそうもない。この違いは何なのか。【神保哲生】
 日本は先進国で唯一、共同体自治の概念が存在せず、何ごとにつけ依存する社会だ。国家に依存し、市場に依存し、地域独占的電力会社に依存する。総じて巨大システムに依存し、自明性に依存する。近代社会に必要な<引き受けて考える作法>でなく、<任せて文句垂れる作法>だ。【宮台真司】
 例えば、自民党支持者の多くは、平時は投票に行かず、贈収賄事件などがあった場合に「お灸を据える」ために共産党に投票する。自明性が揺るがない間は「任せて」投票せず、政治家の不祥事があると、任せているのにフザケルなと「文句を垂れる」わけだ。【宮台】
 こうした前近代的な政治文化のせいで、本来は「食の共同体自治」を意味するスローフードが、オーガニックでトレーサブルな「食材」の問題に縮んでしまたように、本来は「エネルギーの共同体自治」を意味する自然エネルギーが、太陽光発電や風力発電といった「電源種」の問題に縮んでしまうことは問題だ。【宮台】

 日本が原発大国になり、原発ムラができあがったのは、一言でいえば思考停止のせいだ。すべての人が目先の仕事を盲目的に達成しようとした結果、壮大な日常性とビューロクラシーの積み上げで、一番中心にいる人、上にいる人は何も考えていないのに、そこを問うことなく、日常を突き進んだ結果だ。内部でパーソナルなコミュニケーションを持っている人たちは、高木仁三郎のように外部から批判を投げかけられても、「自分は誇り高い仕事をしているのに外から何だ」と、批判の中身に入る前に、批判されていること自体に反発してしまう。内部に入っていかないで外部から批判しても、壮大な日常にレミングのように突っ走るこの群は変わらない。原発社会への批判はしていたが、反原発というレッテルを貼られることには慎重だ。脱原発にしても、その言葉がもつネガティブインパクトがあって、社会を変えようとしているときにそれがノイズとして入ると困る。【飯田哲也】

 グランドデザインも最終目的も参照しようとしない。小出裕章・京大原子炉実験所が言っていた。原子力政策の妥当性に関する討論で一回も負けたことがないが、しばしば討議が終わった後で言われる。「小出君、僕にも家族がいるんだ、生活があるんだ」【宮台】
 単なる口実で、実際はポジションを失うのが恐いだけだ。カール・マンハイムは「知識人」とは特定の共同体や利益集団に帰属しないことを信頼される存在だ、とする。知識人は、所属を無関連化しなければならない。何が妥当/合理/真理なのかを訴え、共同体や利益集団に埋没しがちな大衆にとって道標になるべき存在だ。【宮台】

 例えば、経産省の役人は、10年スパンで言えば自然エネルギーが勝ち馬なのはわかっているから、そう遠くない段階で、こんどは自然エネルギーの分野で「特別措置法×特別会計×特殊法人」図式で権益確保に乗り出すのは確実だ。自然エネルギー分野に「ナントカ財団」を30コ作って天下り先を確保するだろう。彼らが利用するのは、「これから○○が流行だ」という空気だ。これに抗うには、空気の利用では足りない。中長期的には、<空気に支配されるコミュニケーション>を変え、<知識を尊重するコミュニケーション>で「科学に基づく自治」を樹立する必要がある。【宮台】

 スウェーデンやデンマークでは、人口2~3万人の街であれば、必ず一つはエネルギー会社がある。地域暖房と電気の供給を請け負う。90年代にどんどん民営化された。地方自治体の議員が理事に入って運営している。まさにエネルギー自治だ。日本の水道と同じ感じで、暖房と電気を自治体が売っている。【飯田】
 電気は、その会社で発電しているわけではなく、大きな電力会社から買って配っている。電気宅配会社みたいな感じだ。デンマークでは、もっと素朴に、風力協同組合を作って、自分たちの電気は自分たちで賄う仕組みを作った。参加者が電力を分け合っている。このような自給のモデルが80年代にどんどん広がった。【飯田】
 エネルギー自給は、金の流れがそこにくっついてくる。例えば、秋田県40万世帯の光熱費は年間1,000億円。あきたこまちの年間売上げと同じくらいだ。この金は、県外に出て行く。仮に秋田県内にエネルギー公社があって、それを自分たちで生み出していたら、1,000億円は県の中で回る。エネルギー自治は、お金の自治、経済の自治でもある。【飯田】
 もう一つ大事なことは、エネルギーには必ず環境負荷がある。自然エネルギーを使えばその地域の自然が使えるが、原発を作ったら必ず原発のインパクトがある。化石燃料には環境負荷がある。【飯田】
 北欧のエネルギー政策を調べると、環境、エネルギー、マネーがすべて表裏一体で、それを地域の中でどう閉じていくか、という大きな構造が見えてくる。【飯田】
 日本でも、市民出資によるエネルギー自治がモデル的に誕生している。NPO法人北海道グリーンファンドしかり、「おひさま進歩エネルギー」(長野県飯田市)しかり。【飯田】
 
 ウルリッヒ・ベックはチェルノブイリ原発事故の直後に出した『リスク社会』で自治が必要な理由を論じる。原発や遺伝子組換作物を含めた高度技術のリスクは、予測不能・計測不能・収拾不能で、ベイズ統計を用いた合理的行動計画が立案できず、妥当な保険を設計できない。原発立地を合理化できる科学的枠組みは存在しない。だから、そうした決定を国家が行うと正当性の危機が生じる(正当性危機論)。サブ政治(自治)しかない。
 また、グローバル化状況では市場と国家への過剰依存は危険だ(安全保障論)。これらが食やエネルギーの共同体自治を説く根拠だ。
 さらに、単なる効率や合理性に還元できない実存的価値が共同体自治を支える(実存的価値論)。イタリアはピエモンテ州のブラという街から始まったスローフード運動は、有機野菜を食べよう、という運動ではない。「食の共同体自治」の運動で、意味の半分は実存的だ。顔の見える範囲で作って売る、だから良いことをしようと一生懸命になる。一生懸命の姿を見ているから、スーパーより高くても買う。こうして地元農家が守られ、地元商店が守られ、自立的経済圏が周り、街の人間関係、街並み、祭り文化、街の匂いが守られる。要は幸福や尊厳の問題なのだ。

 以上、宮台真司(首都大学東京教授)/飯田哲也(環境エネルギー政策研究所長)/神保哲生(ビデオニュース・ドッコム代表)「緊急討論 原発ムラという怪物をなぜ我々は作ってしまったのか」(「創」2011年9・10月号)に拠る。
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【震災】原発>政財官メディアの無定見 ~メディア批評~

2011年08月19日 | 震災・原発事故
 「原発ルネッサンス」は、3・11を経験した今、まことに奇っ怪な響きを持っている。この用語が国際的な枠組みの中で日本に移植されたのは、北海道洞爺湖サミット(08年7月)においてのことだ。地球温暖化=低炭素社会の実現をスローガンに、クリーンなイメージで復権する、というレトリックが用いられた。
 政権末期の自民党は、自らの失政が招いた「失われた20年」のつけを清算すべく、発展途上国に原発技術を輸出しようと企てた。この企ては、政権交代後の民主党に引き継がれた。新成長戦略の柱になった。
 そこに福島第一原発の事故だ。このルネッサンスはあだ花だった。これが世界的評価だが、肝心の日本ではどうか。これほどの破局を目の当たりにしてもなお、「政財官メディア」の無定見は底なしだ。

 メディアが直ちに回復しなければならないのは、言葉の軽重に係る感度だ。
 3・11後に再読して苦笑を禁じえないものの一つに、平成21年度版「原子力白書」がある。原発の役割の充実と拡大に向けて楽天的に課題を列挙している。「①54基の原子力発電所がエネルギー安全保障と温室効果ガス排出抑制に貢献しており、②新潟県中越沖地震を踏まえた各原子力施設の耐震安全性の再評価、③諸外国と比較して低水準にある原子力発電所の設備利用率の改善」うんぬん。
 これは、あり得たかもしれない現実または夢だ。
 それにしても、メディアは、なぜこんな野放図な物言いを放置してきたのか。

 最新の「メディア総研」の特集は「大震災・原発事故とメディア」だ。ここに再録された「原子力PA方策の考え方」は、チェルノブイリ原発事故(86年)で人気急落した原発の巻き返しを図るべく日本原子力文化振興財団が91年3月に作成した(科学技術庁が委託)。
 「停電は困るが、原子力はいやだ、という虫のいいことをいっているのが、大衆であることを忘れないように」「主婦は反対派の主張に共感しやすい」
 原子力推進派は、みごとに愚民思想の持ち主だ。男性中心主義者だ。
 映像メディアをどう動かすか、という箇所では、
 「NHKのは批判色が強かったり、くせがありすぎる。もっとフェアに作れないか。民放の方がよいのではないか」
 あのNHKでさえ急進的と見える彼らの目は、いったい何を見るための目なのか。
 「事故の時こそ広報の好機」というのが彼らの「原子力文化」だそうだ。破局の後に何を言い出すのだ。

 震災から2ヵ月以上経ってから、斑目春樹・原子力安全委員長は発言した。「3月11日以降のことが全部取り消せるんだったら、私は何を捨てても構いません」(NHKスペシャル「原発危機 第1回 事故はなぜ深刻化したのか」、6月5日)
 なんと軽く浅薄な言葉だ。この人物の頭には「責任」という概念が存在していない。

 それから1ヵ月ほど経って、菅直人首相が「脱原発」を言い出した。市民の感覚からすれば遅すぎたが、政治家たち(政党の差が見られないので一括りにする)が蜂の巣をつつく大騒ぎになった。レイムダックの首相の延命策だ、となじるのが精いっぱい。
 メディアは、首相退陣の理由を問わず、ただ退陣時期のみを問う世論調査に狂奔した。
 こうしたときに政治部記者がしたり顔で永田町の風評を語る。菅首相が「脱原発依存」と言い出したのは、世論の70%が「脱原発」だから、それに迎合しただけだ、うんぬん。この記者が70%の側に立っていたら、「迎合した」とは言わず、「民意を反映した」とでも言ったはず。
 経団連は、「原発を止めるなら国外に拠点を移す」と凄んでみせた。脱原発のデモに襲いかかる民族派がいる一方で、脱原発なら国を捨てる、とすねる企業人がいる。
 メディアは、それを無批判にリピートするだけだ。  
 3・11以降、メディアは不正確な情報、不確かな記憶に依拠し、議論の場としての機能を放棄し、被災者に寄り添うことさえしなくなった。メディアの「全言論喪失」だ。

 朝日新聞新聞の連載シリーズ「原爆と原発」の初回、「原子力二つの顔」(7月22日)にこんなエピソードが紹介された。
 ここ数年、NGO団体ピースボートは、広島・長崎の被爆者が世界を一周しながら、原爆の恐ろしさをしてもらう企画を続けてきた。今年の航海は、寄港する先々で、「原爆の被害に遭った日本が、なぜあれほど原発を持っているのか」と聞かれ、被爆者たちは言葉を詰まらせた。
 3・11後になっても、原爆と原発が放射能被害で通底していることを言葉にできない私たち日本人がいる。

 今、NHKが削除を要求しても、いや要求すればするほどYouTube上に亡霊のように甦る番組がある。現代史スクープドキュメント『原発導入のシナリオ』(94年3月)だ。原発がどのような経緯で米国から日本にもたらされたか、その理由、人脈、波及効果などを克明に描く。
 米国は、ビキニ事件を奇貨として、日本を核の傘ですっぽり覆ってしまった。それを裏でしかけた大物保守政治家がいまだにメディアに影響力を行使している。彼らには、原爆であれ原発であれ核を管理できる、という奢りがある。だから、「原子力の平和利用」という欺瞞が、「原発ルネッサンス」という奇っ怪な観念に行きついたのだ。本来ルネッサンスは破局の後に構想される根源的なムーブメントであるべきだが、この国では、再生を掲げて破滅を招く、という最悪の選択をしつつある。

 以上、神保太郎「メディア批評 ~連載第45回~」(「世界」2011年9月号)に拠る。
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【震災】原発>米国の低線量内部被曝 ~ペトカウ効果~

2011年08月18日 | 震災・原発事故
 内部被曝すると、下痢、口内炎、鼻血、紫斑などの症状が現れることがある。
 3・11から暫くして、福島市内などの住民に下痢、口内炎が出た。この症状は、放射線被曝の初期症状の可能性がある。

 だるくなる状態が発作的に起きる。ある日、ちょうど喘息が始まるように発作的に始まり、動けなくなる。短い人は1、2日たつと動けるようになる。何日かたつとまた発作が起こる。起こり方は皆ちがうが、類型化できる。
 だるくなると寝ていて、調子が良い時は起きて、だんだん外に出る回数が減って、やがて出てこれなくなって、ある日亡くなる。
 慢性疲労症候群の患者とそっくりだ。

 こうした症状は、内部被曝のメカニズムで説明できる。細胞の中でたくさんの分子が互いに化学反応を起こして新陳代謝を行って命を作る。それぞれの元素が特有のエネルギーを持ち、全部、100電子ボルト以下だ。そこに放射性分子が入ってくると、270万電子ボルトもあって、その場をめちゃめちゃにしてしまう。それが、かったるくて動けないぶらぶら病の状態を作りだす。一つ一つの細胞が一人前の働きをしなくなり、生命活動がだんだん衰えていく。
 この症状が出ると、普通の医者には対応できない。検査しても何もでてこない。放射線内部被曝の症状だと気づく人がいればいいが、今の現役の人は広島・長崎の被爆者を診たことも聞いたこともない。
 原爆病院はまったく信用できない。日赤に丸投げして、かかった費用を政府が補填している。日赤には固定の医師はいない。大学から3年ごとにパートで派遣される。
 七條和子・長崎大学原爆医療研究所助教は、プルトニウムにより内部被曝した腎臓から放射線が出ているところを撮影した(世界初)。
 09年6月26日にNHKが報道し、続いて大新聞が書いた。しかし、それっきり報道が途絶えてしまった。米国の手が入ったのだろう。

 米国も深刻な被曝を受けてきた。それを隠していた。内部被曝は、低線量でも人体に深刻なダメージを与える。この事実が隠蔽され、放射線科学が歪められた。核兵器開発が多くの国で容認され、原子力発電もより多くの国で行われてきた。
 米国では、50年から89年まで、乳癌死亡率が2倍に増えた。最も増えた郡では4.8倍に増えた。この事実を明らかにしたのが、統計学者のジェイ・M・グールドだ。癌発生率が上がった1.300以上の郡に共通する因子を一つずつコンピュータに入力したところ、全部に関係する因子が一つだけあった。核施設から100マイル以内の郡に癌が増えていた。グールドは、放射線被曝の影響で乳幼児死亡率、低体重児出生率が増加したこと、免疫不全が拡大したことを明らかにしている。
 米国には、原発のみならず核兵器の材料のプルトニウムを生産するためのウラン採掘功罪や濃縮工場が多数ある。ここで放射能漏れが起きていたが、軍事機密として隠蔽されてきた。核施設は農場地帯に多い。放射能汚染されたミルクがニューヨークなどの大都市に運びこまれていた。核兵器保有国は、核実験を含めて核兵器を作る過程でたくさんの放射能を出す。通常の原発の運転でも、許容量と称して放射能物質が出ている。それも深刻な被曝を引き起こしている。
 福島第一原発事故の際、米国が日本にいる米国人に福島原発から80Km圏外に逃げるよう指示した。これには根拠があるのだ。
 狭い日本に、原発から80Km圏外に逃げだす余裕はない。日本は、事が起こると何も手を打つことができない原発を50基以上も作ってしまった。

 アブラム・ペトカウ博士は、カナダ原子力公社の研究所で医学・生物・物理学の主任を務めていた。実験で初めて内部被曝のメカニズムを見つけた(「ペトカウ効果」)。
 内部から出る放射線は、大きなエネルギーは大きな被害を生むという一般の常識とは正反対の働きをする。
 牛の脳から抽出した燐脂肪でつくった細胞膜モデルにX線を58時間、全量35Svを照射すると、細胞膜が破壊された。試験材料を少量の放射性ナトリウム22が入った水に落とすと、燐脂肪の膜は全量0.007Svを12分間被曝しただけで破壊された。彼は、何度も同じ実験を繰り返し、放射時間を延ばすほど、細胞膜の破壊に必要な放射線量が少なくてすむこととを確かめた。低線量の被曝によって細胞膜が破られ、中が傷つけられるメカニズムを解明した。
 ノーベル賞に値する発見だったが、米国はペトカウ論文を徹底的に排撃した。これを認めたら、核兵器を作るどころか、原発の運転も認められなくなるからだ。そのため、低線量被曝の恐ろしさをまったく無視した放射線学を語り続けてきた。日本の学者の多くも、この米国の見解だけを繰り返している。

 以上、肥田舜太郎(医師)「インタビュー 放射能との共存時代を前向きに生きる」(「世界」2011年9月号)に拠る。

   *

 低線量の内部被曝の問題は、多くのわかりにくさと難しさを抱えている。
 ジェイ・マーティン・グールド『内部の敵--原子炉周辺で暮らすことの高い代償』(1966)【注】の「低線量内部被曝の脅威--原子炉周辺の健康破壊と疫学的立証の記録」では、全米3,000余の郡について、原子炉や核実験場周辺での異常な乳癌発生率の増加を証明し、レイチェル・カーソンの予見を裏づけている。
 本書で、グールドは、ハンフォード核兵器工場(43年操業開始)の風下に住む人々が同工場の事業者を相手に起こした集団訴訟の原告27,000人の圧力を受け、米国エネルギー省(DOE)が91年に次の事実を認めた、としている。すなわち、45年、プルトニウム供給を急いだハンフォード工場がチェルノブイリ原発事故に匹敵するほど大量に大気中に放出した放射性ヨウ素が原因となって、数は不明であるけれども、甲状腺癌が発生した。
 そして、米国内で被曝の実態が隠されてきた多くの事例をもとに、低線量放射線への健康への影響を追求している。
 
 【注】J・M・グールド(肥田舜太郎/齋藤紀/戸田清/竹野内真理・訳)『低線量内部被曝の脅威 原子炉周辺の健康破壊と疫学的立証の記録』(緑風出版、2011)

 以上、水口憲哉(東京海洋大学名誉教授)「まぐろと放射能」(「世界」2011年9月号)に拠る。

   *

 肥田舜太郎先生に手紙をいただきました。原爆直後から救急治療にあたられ、広島を離れて医療を始められても、後遺症に苦しむ人たちに注目し、さらには日本被団協の組織内で数少ない被爆医師として引退まで数千の被爆者に接して来られました。
 肥田先生は、いま現在の福島県の子供たちを憂えられるのですが、本来《アメリカと日本政府が意図的に隠してきた放射線による「内部被曝(ひばく)」の被害こそが、人類の未来にとって最大の脅威であることを学び、訴えつづけて》こられた専門家です。
 先生は私に、2003年から7年間、各地の被爆者が政府を相手に内部被曝を含む放射線の有害性を巡って闘った集団訴訟の記録が出ることを、まず教えてくださったのでした(『原爆症認定集団訴訟たたかいの記録』日本評論社)。原告の被爆者306名のうち264名が認定をかちとる大きい勝利を得ました。
 《しかし、政府は今まで内部被曝の被害を否定してきたことの誤りを認めず、正しかったと開き直っています。根拠は、「アメリカの説明によれば、内部被曝は放射線が微量で、人体には影響がない」の一点張りです。》
 
 以上、大江健三郎「(定義集)広島・長崎から福島へ向けて 庶民、生きのびる力を得る」(2011年8月17日付け朝日新聞)から引用した。
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【震災】原発>低線量放射性物質の害 ~チェルノブイリ膀胱炎~

2011年08月17日 | 震災・原発事故
(1)チェルノブイリ膀胱炎
 「児玉演説」は、「チェルノブイリ膀胱炎」に言及している。
 児玉龍彦・東京大学アイソトープ総合センター長が7月に『医学のあゆみ』に掲載した論文によれば、チェルノブイリ原発事故(86年)当時は100万人当たりの膀胱癌の発症者数が26.2人だったのが、01年には43.3人と65%増え、前癌症状の膀胱炎が広範に生じていた。炎症のみられた患者の尿中のセシウム137濃度は、高汚染地域に住む患者では1リットル当たり約6Bqだった。
 厚労省による母乳調査で福島県の女性から検出されたセシウム濃度2~13Bqは、チェルノブイリの炎症患者のセシウム濃度に匹敵する。「直ちに健康に危険がない」レベルどころではない。既に膀胱癌などのリスクが増えるおそれがある段階だ。【児玉演説】
 6月、フランスの民間機関が福島市の子ども(6~16歳)10人の尿を調査したところ、全員からセシウム134が0.41~1.13Bq、セシウム137が0.43~1.30Bq検出されている。値は低いが、子どもは放射線の影響を受けやすい。
 セシウムが尿を通じて体外に排出されることはよく知られている。問題は、排泄ルートだ。特に尿がたまる膀胱の粘膜などは、セシウムに被曝する時間が長くなる。【福島昭治・中央労働災害防止協会日本バイオアッセイ研究センター所長】
 児玉論文の元となる「チェルノブイリ膀胱炎」の研究を10年近く続けた福島所長が、病変を見つけたのは98年頃だった。
 ウクライナの前立腺肥大の患者の膀胱は、上皮の下の層が腫れて血管や繊維が増え、すりガラス状に変化していた。また、特定の遺伝子の変異や酸化による障害があり、癌化する恐れのある慢性の増殖性膀胱炎だった。組織を検査した131人中6割にそうした病変が見られた。病変が特異なため、セシウムの影響と考え、「チェルノブイリ膀胱炎」と名付けた。日本でも被曝と膀胱炎の関係を念頭に置く必要がある。今後、長期的な健康調査が不可欠だ。個人レベルの対策では、尿を我慢せず、トイレに頻繁に行くこと。【福島所長】

(2)国が内部被曝を軽視する理由
 国が設定する被曝線量安全基準は、実際の測定値を大幅に上回っている。だから、楽観論が根強い。
 政府は、国際放射線防護委員会(ICRP)の見解を根拠にしている。そのICRPの主な根拠は、47年に広島、翌年に長崎に設置された「米国原爆傷害調査委員会(ABCC)(現・日米共同研究機関「放射線影響研究所」による被曝データに基づく研究成果だ。
 放射線影響研究所には、被爆時の行動履歴などが保管され、被曝線量の推定に使われている。50年から約12万人の追跡調査を始め、死因、罹患した病気、被曝線量の関係を調べた結果、疫学的には100mSv以下の被曝では有意な関係が認められなかった。【長瀧重信・長崎大学名誉教授/放射線影響研究所元理事長】
 しかし、この研究は内部被曝の影響が考慮されていない、と指摘する専門家は少なくない。
 炭の火の前に座って火にあたるのと、燃えている炭を口の中に入れるのとでは全く違う。これが外部被曝と内部被曝の違いだ。内部被曝の影響は、外部被曝の600倍に及ぶ。ICRPに20年間籍を置いたジャック・バランタイン博士は、退職後、内部被曝のICRPの計算は900倍も過小評価している、と証言している。【クリストファー・バズビー・欧州放射線リスク委員会(ECRR)科学議長】
 バズビー議長によれば、福島原発200km圏内の今後の癌発生率は、住民が避難せず定住を続けるならば、ICRPの予測で6,000人余り、ECRRの予測で416,000人余り。そのリスク評価は、70倍近くの開きがある。
 なぜABCCは内部被曝による影響を考慮しなかったのか。
 ABCCが設置されたのは、米ソ間で核戦争が起きる可能性があった時期だった。核兵器を使えば放射線が自国の軍隊、敵国の軍隊にどんなダメージを与えるのかを研究するのが本来の目的だった。体内でじわじわ影響を与える内部被曝には関心がなかった。さらに、放射性降下物の影響を認めると、無制限に多数の人間に危害を加える兵器を使ってはならない、とする国際人道法に違反する。このため、内部被曝を無視する政策をとり、日本政府もこれに追従した。【沢田昭二・名古屋大学名誉教授】

(3)低線量放射性物質の害
 原発事故の長期化に伴い、環境中に放出される放射性物質が少しずつ増えている。低レベルの放射性物質が国土を徐々に覆いつつある。
 低レベル放射線の影響では、スウェーデンの公衆衛生学の専門家、トンデル氏の研究がある。
 チェルノブイリから1,000km離れたスウェーデン北部は、事故後の降雨で12,000平方kmの範囲に1平方m当たり37,000Bqのセシウム137が蓄積した。88~96年の癌患者22,409人を調査したところ、癌患者は汚染度合いに比例して増えていた。3,000Bq以下の地域を「非汚染地域」と見なし、癌発生リスクを「1」として調査したところ、3,000~2.9万Bqでは1.05、3万~3.9万Bqでは1.03、4万~5.9万Bqでは1.08、6万~7.9万Bqでは1.10、8万~12万Bqでは1.21だった。
 トンデル研究における癌の増加は放射能汚染による、とみるのが最も合理的な説明だ。癌患者22,409人中849人がチェルノブイリからの放射能汚染による、とトンデル氏らは見積もっている。この発癌リスクは、広島・長崎の10~20倍だ。【今中哲二・京都大学原子炉実験所助教】
 ちなみに、文科省のモニタリング調査では、福島県浪江町や飯館村の300万Bq以上を最高に、福島市、郡山市、二本松市などの一部では10万~30万Bq、宮城県では丸森町が3万~30万Bq、気仙沼市、女川町、栗原町の一部などが1万~3万Bq、栃木県では那須町、日光市などの一部が1万~6万Bqとされる。3,000Bq以上の汚染地域となると、さらに広範囲に及ぶ可能性が高い。

 以上、大場弘博(本誌)「セシウムが引き起こす『膀胱がん』」(「サンデー毎日」2011年8月21・28日号)に拠る。
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