「本の雑誌」2010年3月号の特集は書評で、冒頭に絲山秋子および豊崎由美による対談が載っている。題して、「書評採点ページを作ってくれぃ!」。
二人が槍玉にあげているのは、ネット書評ではアマゾンのレビューである。
レビューの書き手の問題点をあれこれ指摘するのは、豊崎だ。
自分の好き嫌いを作家に押しつける書き方をする人がいるし、読めている人のあらすじと、読めていない人のあらすじとは全然ちがう。平気で間違いを書くとか間違った解釈のまま誹謗するとかして、しゃらっとしている。書いたものを不特定多数に読まれる怖さを一般の人はもっと知るべきだ、と叱咤する。
アマゾンのレビューに係るシステム的問題を具体的に指摘するのは、絲山だ。
たとえば、レビューに対するコメント14人中「参考になる」が4人、「参考にならない」が10人いる場合、アマゾンは「参考になる」の4人のみを加算する。しかし、本来ならば「参考にならない」の10人の数を引かないとそのレビューに対する正確な評価がでてこない、と疑問を呈する。また、アマゾンができてから星五つという基準ができたが、星の基準が書き手それぞれによってバラバラである。だから、出てきた星の数を合計して平均値をだしても無意味である、と指摘をする。
レビューに対して作家の側が星をつけてはどうか、と絲山は提案する。
たとえば、「けなしているけれども星五つだ」「ほめてはいるけれども星二つしかやれない」などと評価するのだ。
*
絲山および豊崎の作品に目をとおしたことはない。また、アマゾンで発注したことはほとんどないし、アマゾンのレビューを参考にしたこともない。
したがって、アマゾンのレビューに対する二人の評価については判断を保留するしかない。ただし、アマゾンのシステムについては、二人の指摘するようなものであるならば、ダレル・ハフ『統計でウソをつく法』(講談社ブルーバックス、1979)の日本におけるよき見本となるだろう。
なお、レビューに対する作者からの星付けは大人げないという気がするが、作家の側からかかる反撃があれば、作品を論じるより自分の感情的反応を縷々とつづるのに忙しい変なレビューは駆逐されるかもしれない。
【参考】「本の雑誌」2010年3月号(本の雑誌社)
↓クリック、プリーズ。↓
二人が槍玉にあげているのは、ネット書評ではアマゾンのレビューである。
レビューの書き手の問題点をあれこれ指摘するのは、豊崎だ。
自分の好き嫌いを作家に押しつける書き方をする人がいるし、読めている人のあらすじと、読めていない人のあらすじとは全然ちがう。平気で間違いを書くとか間違った解釈のまま誹謗するとかして、しゃらっとしている。書いたものを不特定多数に読まれる怖さを一般の人はもっと知るべきだ、と叱咤する。
アマゾンのレビューに係るシステム的問題を具体的に指摘するのは、絲山だ。
たとえば、レビューに対するコメント14人中「参考になる」が4人、「参考にならない」が10人いる場合、アマゾンは「参考になる」の4人のみを加算する。しかし、本来ならば「参考にならない」の10人の数を引かないとそのレビューに対する正確な評価がでてこない、と疑問を呈する。また、アマゾンができてから星五つという基準ができたが、星の基準が書き手それぞれによってバラバラである。だから、出てきた星の数を合計して平均値をだしても無意味である、と指摘をする。
レビューに対して作家の側が星をつけてはどうか、と絲山は提案する。
たとえば、「けなしているけれども星五つだ」「ほめてはいるけれども星二つしかやれない」などと評価するのだ。
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絲山および豊崎の作品に目をとおしたことはない。また、アマゾンで発注したことはほとんどないし、アマゾンのレビューを参考にしたこともない。
したがって、アマゾンのレビューに対する二人の評価については判断を保留するしかない。ただし、アマゾンのシステムについては、二人の指摘するようなものであるならば、ダレル・ハフ『統計でウソをつく法』(講談社ブルーバックス、1979)の日本におけるよき見本となるだろう。
なお、レビューに対する作者からの星付けは大人げないという気がするが、作家の側からかかる反撃があれば、作品を論じるより自分の感情的反応を縷々とつづるのに忙しい変なレビューは駆逐されるかもしれない。
【参考】「本の雑誌」2010年3月号(本の雑誌社)
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