語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【言葉】学問嫌いの六つの害 ~学を好まざれば其の蔽や・・・・~

2010年05月31日 | 批評・思想
 子の曰わく、由よ、女(なんじ)六言の六蔽(へい)を聞けるか。対たえて曰わく、未だし。居れ、吾れ女に語(つ)げん。
 仁を好みて学を好まざれば、其の蔽や愚。
 知を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩。
 信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊。
 直を好みて学を好まざれば、其の蔽や絞。
 勇を好みて学を好まざれば、其の蔽や乱。
 剛を好みて学を好まざれば、其の蔽や狂。

 先生がおっしゃった。「由よ、お前は六つの言葉についての六つの害を聞いたことがあるか」
 お答えして、「まだありません」
 「坐りなさい。私がお前に話してあげよう。仁を好んでも学問を好まないと、その害として(情に溺れて)愚かになる。智を好んでも学問を好まないと、その害として(高遠な理論に走って)とりとめが無くなる。信を好んでも学問を好まないと、その害として(盲信に陥って)人をそこなうことになる。真っ直ぐなのを好んでも学問を好まないと、その害として窮屈になる。勇を好んでも学問を好まないと、その害として乱暴になる。剛強を好んでも学問を好まないと、その害として気違い沙汰になる。(仁智などの六徳は、学問で磨きをかけないと弊害が生じる)」

 子曰、由女聞六言六蔽矣乎、對曰、未也、居、吾語女、好仁不好學、其蔽也愚、好知不好學、其蔽也蕩、好信不好學、其蔽也賊、好直不好學、其蔽也絞、好勇不好學、其蔽也亂、好剛不好學、其蔽也狂、

【出典】『論語』陽貨第十七

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書評:『日本遠近 ふだん着のパリ』 ~対話する哲学者久野収の旅~

2010年05月31日 | 批評・思想
 久野収夫妻は、1981年の夏から冬にかけて、半年間パリで暮らした。最初の下宿は、サクレクールから徒歩10分、メトロのラマルク・コーランクール駅から石段を40段降りた下町にあった。
 徒歩10分の距離にモンマルトル墓地があり、夫妻は「アンリコ・ベーレ、ミラノの人、生きた、書いた、愛した」の墓碑銘が彫られた墓石を訪れている。久野の世代は、青年時代にスタンダールを愛読したらしい。
 市場のたずね歩きからはじまって、生活のかなめ、食の話が第1章から第2章までつづく。

 とはいえ、、腐っても鯛、「ふだん着」で旅しても久野収である。第3章あたりから彼らしい哲学的考察がはじまる。
 たとえば、庶民からインテリまで、とにかくおしゃべりが好きだ。デカルトのいわゆる良識(ボン・サンス)の間の対話、対話の内面化による知性の向上(見識)という図式をえがく。
 あるいは、二つめの下宿、セーヌ右岸第8区にあるコンスタンティノープル街のアパートの照明がじつに暗いことから、フランスにおいてメモワールという様式が盛んな理由に思いをいたす。広い意味でのメモワールには、ジュールナール(日記)、カイエ(手記・手帖)、プロポ(雑談・雑記)、レットル(手紙)、コレスポンダンス(往復書簡)が含まれる。暗い照明の部屋で、昼間の外側との交渉をふりかえって哲学するのだ。すなわち、昼間は広場で外側と会話にはげみ、夜は住居の内側において内省にふける・・・・。ロジシャン久野収の面目躍如だ。

 ポール・ヴァレリー『詩学序説』にも言及がある。久野によれば、ヴァレリーは芸術の生産者と消費者をまったく別個の範疇に属するものと区別し、文化における公衆(消費者・享受者・鑑賞者)の成立がフランス文化の卓越をもたらした、と考えた。そして、久野は、安い料金で見物する観客を劇場がいかに大切にしているかを目のあたりにした体験から、ヴァレリーを支持する。

 旅して考えるとは、こういうことなのだ。
 参考書のないパリで論じることができるほど、久野収はヴァレリーをしっかりと吸収していた。フランクフルト学派となれば、血肉化されている。ヴァルター・ベンヤミンを軸に展開する都市論は、本書の刊行から四半世紀以上をへた今でも読みごたえがある。パッサージュ、ブールヴァール、アヴニュに一章があてられている。
 巻末に、ベンヤミン論とカール・ラデック論の2編のエッセイを付す。

□久野収『日本遠近 ふだん着のパリ』(朝日選書、1983)
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【読書余滴】錯視 ~ものの見え方の不思議~

2010年05月30日 | 心理
 人は感覚器を通じて感覚し、感覚は人の心のはたらきによって知覚となる。
 知覚の一種に錯覚がある。本書は目の錯覚、すなわち錯視をやさしく概説する。
 たとえば、同じ長さの2本の線分をT字形に組み合わせると、同じ長さであるにもかかわらず、垂直方向の線分のほうが長く見える。この現象は、垂直水平錯視と呼ばれる。本書で報告された図形は、T字形をひっくり返した図形だが、T字形と効果は同じだ。
 ちなみに、大学生を被験者として垂直方向の線分をだんだんと短くしていく実験をしたところ、垂直方向の線分が水平方向の線分の20から25%短くなるあたりで水平方向の線分と同じ長さに見える、というのが平均的な回答であったよし。
 このほか、ミューラー=リヤー錯視、ポンゾ錯視、ツェルナー錯視、ポッゲンドルフ錯視から、図地反転、多義図形、騙し絵、そして3Dビジョンにヴァーチャル・レアリティまでふれている。図版豊富だから、眺めて楽しい。楽しんで読み進めるうちに、人間の心の不思議さに打たれるだろう。

 本書は、いまでは入手しがたいが、幸いネットでいくらでも錯視の実例に接することができる。たとえば「錯視のカタログ」だ。

【参考】椎名健『錯覚の心理学』(講談社現代新書、1995)
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書評:『危機と克服 -ローマ人の物語8-』 ~リーダーシップに欠けるトップ~

2010年05月30日 | 歴史
 1992年以来毎年1巻づつ刊行され、2006年に全15巻が完結した壮大なシリーズの第8巻目である。
 本巻では、ネロの死からトライアヌスが登場するまでの30年足らず、68年夏から97年秋までが描かれる。この間、ガルバ、オトー、ヴィテリウス、ヴェスパシアヌス、ティトス、ドミティアヌス、ネルヴァの7皇帝が矢つぎばやに入れかわった。

 アウグストゥスにはじまるユリウス・クラウディウス朝は、ネロの死により崩壊した。
 直後から、ローマ市民同士が血で血を洗う内戦へ突入した。わずか1年の間に、ガルバ、オトー、ヴィテリウスの3皇帝が相ついで即位し、そして自死または殺害された。
 その虚をついて、ゲルマン系の一部族の指導者ユリウス・キヴィリスがローマに叛旗をひるがえす。反ローマの「ガリア帝国」は次第に勢力を拡大し、ライン軍団を構成する7個軍団のうち6個軍団が降伏し、敵に忠誠を誓った。ローマ史上、タキトゥスのいわゆる「一度として経験したことのない恥辱」であった。

 ヴェスパシアヌスが内戦を収拾した。叛乱を制圧し、フラヴィウス朝を創始した。「健全な常識人」だった彼は、「なかったことにする」寛容な措置で内外ともに報復を抑え、新たな繁栄の礎を築いていった。その長子ティトス、二子ドミティアヌスも堅実な路線を継ぎ、善政をしく。
 しかし、元老院を圧迫したドミティアヌスは、暗殺に斃れた。
 元老院はただちに議員のネルヴァを皇帝に推す。内乱の記憶は、まだ人心にまだなまなましく、異論は起きなかった。五賢帝時代の幕開けである。

 連綿とつづく『ローマ人の物語』の特徴は、リーダーの人間学である。リーダーシップが、これでもか、というほど書きこまれ、分析される。
 本巻では、ことに負の側面からリーダーの要件が剔抉される。反面教師となるべきリーダーの特徴である。すなわち、ガルバにおいては人心把握の失敗、オトーにおいては実戦の経験不足、ヴィテリウスにおいては消極性、無為。・・・・なにやら、現代日本の宰相を思わせる特徴ではないか。

 その立場にふさわしくないリーダーの下では危機が起こり、続く有能なリーダーによって危機が克服される。こうして「ローマ」は栄えつづけてきた。危機の後に繁栄がやってきた。
 歴史はくり返すか。
 すくなくとも危機または政治的混迷の克服にかんしては、ローマ帝国の歴史が現代日本で再現される見こみは、今のところ、ない。

□塩野七生『危機と克服 -ローマ人の物語8-』(新潮社、1999)
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書評:『ダウンタウンに時は流れて』 ~多田富雄の青春、誰にもある「移動祝祭日」、そして文学の力~

2010年05月29日 | エッセイ
 ヘミングウェイは、『移動祝祭日』で言っている。「もし誰でも運よく青年時代にパリに住んでいたら、残りの人生をどこで過ごそうとも、パリは自分についてまわる。パリは、持って歩ける楽しい祭りなのだから」と。
 キャパにも青春時代のパリという「移動祝祭日」があったし、加賀乙彦や天沢退二郎にもあった。
 しかし、誰にもそれぞれの「パリ」があり、「移動祝祭日」があるのだ、と思う。
 そして、多田富雄の「パリ」は、コロラド州の州都デンバーだった。

 本書の前半は、デンバー生活の思い出にあてられている。
 著者は、2回デンバーで暮らした。さいしょは1964年初夏から2年間。医学部大学院を卒業した年のことで、30歳になったばかりだった。「小さな研究所」の研究員として赴任し、月給225ドルが支給された。1ドル360円の時代で、裕福ではないが、単身生活の青年には十分だった。二度目は、1968年から1年間。出立の年に娶った新妻が同行した。

 デンバー回想は、おおきく3つに分かたれる。
 第一、家主のドイツ系老夫妻との交際である(『春楡の木陰で』)。著者は、貧しい年金生活者の、ことに細君には大きな印象をあたえたらしい。英語の個人教授を受け、著者もなにかと気くばりしている。彼女の死にあたっては、葬儀のため動いた。
 第二、行きつけのバー「リノ・イン」でふれた下町の人情である(『ダウンタウンに時は流れて』)。研究所や日本人会では噂になったらしいが、著者は「危険」な地区で出会った個性的な人々を記録している。著者は、彼らの仲間として受け入れられたらしい。たとえば、帰国の予定をバーで告げたとき、飲み仲間の先住民から「兄弟よ」と呼びかけられた。俺の養子になって米国に残れ・・・・。
 第三、中華料理店で出会ったウェイトレス、チエコの運命である(『チエコ・飛花落葉』)。彼女は、いわゆる戦争花嫁として渡米したが、離婚。けなげに母子世帯をまもっていた。著者は、留学を終えてからも学会などで再三渡米し、コロラド大学で講演も行っているが、こうした機会にデンバーを再訪してなじみの人々と旧交をあたためた。手紙の交換もあり、チエコとの接触はつづいた。その悲惨な自死にいたるまで。

 『跋に代えて』で、シェークスピアを引用し、著者はいう。得体のしれない幻を追いかけてダウンタウンをうろつきまわったあの頃は、若さゆえに奇跡的に現出した「私の黄金の時」だった、と。
 鶴見和子との往復書簡集『邂逅』(藤原書店、2003)によれば、著者は我が意のままに動いてくれない自分の体に「非自己」を考えている。
 おそらく著者にとって青春回想は、半身不随となった今の心理学的「自己」と過去のそれとの連続性を確かめる作業だったのだろう、と思う。

 本書の後半の主題は、さまざまだ。観劇からスイスの免疫学の泰斗ニールス・カイ・イェルネの人物素描まで。
 わけても『わが青春の小林秀雄』に注目したい。多田富雄は医学者だったが、文学者でもあった。後者を形作る原点がここに記されている、と思う。
 この回想につづく『花に遅速あり』は、著者の叔母の逝去にあたって書かれたが、そのなかにこんな文章がある。著者の父親は長男だったが、叔母はその7人兄妹の「末っ子だったので、私の叔父、叔母という関係では、最後の生き残りだった。多少の狂いはあったが、みんな順序正しく死んでいった」。
 「順序正しく死んでいった」・・・・この文体は、小林秀雄の弟子ともいえる大岡昇平の『俘虜記』を思わせる。事実を正確にたどりながら、いくぶんの諧謔をこめて、しかも端正である。

 著者は、医学という普遍的な科学に生涯の多くの時間を費やしたが、半身不随となった身を内面で支えつづけたのは、特殊をとり扱う文学の力ではなかったか。
 文学は・・・・芸術一般は、と広くとらえてもよいが、享受することもまたひとつの創造である。そして、創造力は「堅固な安定した『自己』ではなくて環境に新たに適応してあらたに生成した『自己』」(『邂逅』)を生む力をもたらすだろう。
 本書は、そんなことを考えさせる。

□多田富雄『ダウンタウンに時は流れて』(集英社、2009)
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書評:『沈まぬ太陽』 ~事実とフィクションとのややこしい関係~

2010年05月28日 | 小説・戯曲
 国民航空(日本航空がモデルとされる)の過度の営利中心主義、組織的たるみ、そこから発生した事故(1985年8月12日の日本航空123便、ボーイング747SR-46墜落事故がモデルとされる)、遺族が物心両面に受けた深甚な被害、遺族に対する国民航空の不誠実な対応をえがく小説である。
 たとえば、労務管理。組合を分裂させ、昇格差別・不当配転・いじめを徹底的におこなう。端的な例は元委員長、恩地元(日本航空元社員の小倉寛太郎がモデルとされる)の不当配転である。通常なら僻地勤務は2年間のところを、10年以上中近東やアフリカへの赴任を強いられる。国見会長(カネボウ会長の伊藤淳二がモデルとされる)は恩地を抜擢するが、国見が解任されるや否や、恩地はまたしてもナイロビへ追いやられる。
 あるいは、整備。収入増をはかって他の航空会社の飛行機整備もおこなう。ために、自社の飛行機の整備がおろそかになる(小説では事故原因=圧力隔壁修理ミス説を採る)。
 交渉力のある組合は現場の声をトップに伝える機能を持つのだが、組合の分断、第二組合の御用組合化によって、上層部は現場の問題点を把握できなくなる。かくて、整備未了のまま飛び立つのはザラ、という事態に陥ったのだ。
 また、世界に例のない機長=管理職制度は、機長の経営者に対する発言を封殺した。
 経営能力より政治的能力の高いトップ、政治家との癒着、高級官僚の背後にうごくカネ、御用組合幹部の豪勢な汚職、なども描かれるが、いちいち言及するに耐えない。

   *

 山崎豊子は、長大な大作を次々にものするエネルギーの持ち主で、とりあげる主題も切り口もわりと好みなのだが、一点、権力者の陰険な手口をあれやこれや、しつこく描くのには閉口する。読んで愉快なものではないからだ。
 たとえば、利根川総理(中曽根康弘がモデルとされる)は三顧の礼をもって国見を会長に迎えるのだが、国見があまりといえばあまりな国民航空の実態に匙をなげ、総理のブレーン龍崎一清(瀬島龍三【注】がモデルとされる)へ辞職願を提出する。龍崎としては、総理のメンツをつぶすわけにはいかない、と裏で手をうち、国見を蚊帳の外においたまま解任の新聞発表へもっていく。悪いのは総理ではなくて国見だ、と宣伝するために。

 【注】山崎豊子『不毛地帯』の主人公、壱岐正のモデルでもある。

 ところで、小説はフィクションであり、現実とは別個の言語空間なのだが、本書の場合・・・・というより山崎のおおくの作品の場合、事実とフィクションとの境目が朦朧としている。前述の権力者の手口のくだりにみられるように、小説の登場人物と現実のモデルとがきわめて近接しているのだ。
 この結果、二つの問題が生じる。
 第一、小説はフィクションである以上、現実とは別個のもの、とオーソドックスな読み方をする人は、作家の想像力が生みだした作品のはずなのに生の資料をまるごと取りこんだ文章に出くわし、眉をひそめることになる。
 第二、小説を現実の出来事そのものと受け取って読む人には、「これは自分が知っている事実と相違する」とする点が問題となる。

 第一点は、山崎に何度も起きている盗作疑惑と関係する。
 作家は、自分の文章は自分の言葉で紡ぎださねばならないのだが、山崎は資料や他人の文章を(ほとんど)そのまま小説のなかに溶けこませて、しかも一言も断らないで平然としている。図々しいのはけっこうだが、自分の文体を守らず、手抜きしている作家を小説家と呼んでよいのだろうか。
 山崎作品の登場人物は類型化がはなはだしいが、これも山崎の手抜きから来ているのではないか。

 第二点は、森鴎外の『堺事件』の捏造ぶりを批判した大岡昇平にならって、事実を再構成するしかない。
 『レイテ戦記』で事実の壮大な再構成をおこなった大岡さえ、『堺港攘夷始末』は未完のまま、志なかばにして鬼籍にはいった。
 「国民航空」をめぐる事実を再構成する作業は容易ではないだろう、と思う。

□山崎豊子『沈まぬ太陽(1~5)』(新潮文庫、2001~2002)
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書評:『OVNI PARIS GUIDE オブニー・パリガイド』

2010年05月27日 | 社会
 「オブニー(OVNI)」は、パリで発行されている無料の日本語新聞である。5年間続いたミニコミ誌「いりふね・でふね」を引き継いで、1979年春、刊行された。
 当初はタイプで打たれた裏表2頁の小さな新聞だったが、いまではタブロイド版12頁に成長した。月2回発刊。日本でも購読できる。ホームページ「パリの新聞:OVNI(オブニー)」に日本語版と仏語版がある。メール・マガジンも発行し、ホームページの更新情報を教えてくれる。
 本書は、この新聞のさわりを集めたものだ。

 「横まちとひろっぱと」
 「ブティックいろいろ」
 「パリから1泊、記者の旅」
 「パリの暮らし、あれこれ」
 「フランス人も楽じゃない」
 「パリに風がふいて~フランス生活の喜怒哀楽」
 「マンガ/ジャポネ」
 「街角のデザイン」
 「パリを丸ごとかじったら」(料理と店の案内)
 「Arts&Spectacles」(映画、音楽、ほか)
 「ANNONCES アパートの案内、のみの市、求人、えとせとら・・・・、イヌ百科」

 主なタイトルをご覧になっておわかりのとおり、パリで暮らす人のための実践的な情報誌である。事実に即して具体的、しかもパリ人らしく軽い文体で読みやすい。写真、図版、カットが豊富だから、眺めているだけでも楽しい。
 特集もとりあげられている。題して「パリは混血文化の街」。パリの中のマグレブ、フランス生まれのアルジェリア人たちの紹介である。パリの中の日本人と日本文化を相対化する視線が背後にある。

   ■LA CAVERNE AUX MYSTERES 水曜日の午後、エヴリーヌさんが童話を聞かせ
    てくれる。35フラン。<住所><電話番号>(予約要)

 というような記事が、地球の裏側の日本人にとってどんな関係があるか。さして関わりはないだろう。にもかかわらず、面白い。事実というものから、無限の考察を引き出すことができる。読み聞かせの記事から、書かれた言葉と語られる言葉について、フランスにおける朗読の重視について、日本における昔話の語りの喪失について、日本の幼児教育(保育)における読み聞かせの取り入れについて・・・・いくらでも考えることができる。
 本書には、芸術のパリとは別のパリ、生活人のパリがある。日本の私たちと等身大の人間をそこに見つけることができる。私たちと同じく食べて飲んで買い物をして聴いて観て・・・・そして、その行動が私たちと共通しているがゆえに、かえってそのなかみ、話題の人やTVをはじめとするメディアの違いが際だってくる。

□エディション・イリフネ編『OVNI PARIS GUIDE オブニー・パリガイド』(草思社、1991)
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書評:『オランダ東インド会社』

2010年05月27日 | 歴史
 周知のとおり、江戸幕府は17世紀から19世紀まで、鎖国政策をとった。中国(清)及びオランダを例外として外国人の渡来や貿易、日本人の海外渡航とを禁じたのである。
 幕府がこの2か国に通商を限定することになったのは、オランダの策謀によるらしい。本書によれば、日本にとって損な選択だった。
 では、当時、オランダは日本の外で、何をやっていたのだろうか。
 海の道で日本とつながるインドネシアを侵略していた。

 オランダの海外飛躍の組織的担い手は、オランダ東インド会社であった。同社は、17~18世紀、ジャワ島の西部、バタヴィアを根拠地とした。
 軍事力を背景とする強引な取引、会社に隠れておこなう「私貿易」を抑圧する独占は、住民の反感をかった。総督府は、力で圧す。華僑を虐殺し、ドイツ系の混血にして資産家のエルヴェルフェルトに無実の罪をきせてさらし首にした。

 オランダ東インド会社は、その目的を商業においていた。しかし、マタラム王国の継承戦争の一方を支援することで次第に利権を増やしていくうちに、領土的野心がふくらみ、やがてこの国を属国化するにいたる。
 総督府内部では、内政不干渉を堅持するべきだとの異論もあったが、軍人は戦さのために存在するのである。存在証明の機会を逃すはずはない。
 ところが、皮肉なことに、軍事費がかさんだ結果、商取引による利益がふっとんでしまったのである。内政干渉はペイしなかった。

 オランダ本国は、四度にわたる蘭英戦争のため、また産業革命に乗り遅れたために弱体化する。
 東インド会社もまた、設立当初は新興ブルジョアジーが精力的に活動し、大船団を次々に送り出した。しかし、だんだんと進取の気性を失い、退嬰的な気分が政府を支配するようになった。
 出先機関たる総督府もこの弊をまぬがれず、腐敗した。
 本国にフランス革命の余波が押し寄せ、出先機関はバタヴィア共和国となって、会社は2世紀にわたる歴史を閉じる。

 本書は、もっぱらオランダ側の史料に依拠して書かれたせいか、支配される側つまり原住民の動きはあまり見えてこない。多少気遣いが感じられる程度だ。
 とはいえ、イギリス一辺倒の『スパイス戦争 -大航海時代の冒険者たち-』ではよくわからないオランダ側の事情を示す読み物として、手頃な一冊である。

□永積昭『オランダ東インド会社』(講談社学術文庫、2000)
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書評:『子育てごっこ』 ~きだみのるの娘~

2010年05月26日 | 社会
 「検閲を警戒すること。しかし忘れないこと--社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です」とスーザン・ソンダグは言った(『良心の領界』、NTT出版、2004)。
 稀代の旅行家にして社会学者のきだみのるは、もっと簡潔にいっている。「良心とは心にすむ他人だ」と。

 本書は、表題作のほか、『親もどき<小説・きだみのる>』をおさめる。
 いずれもきだみのるとその11歳の娘の千尋が中心人物で、『親もどき<小説・きだみのる>』は事実により近く、『子育てごっこ』は事実からより遠離る、という関係らしい。

 『親もどき』は小説と銘打つが、あとがきによれば、娘を裕美と仮名にした一点を除いて事実そのままらしい。それならば回想としてもよさそうなもので、あえて小説とする理由がわからない。事実において不徹底、かといって小説と呼ぶには想像力が貧しすぎる。そんな妙な作品である。
 さしあたり事実と受けとって読めば、晩年のきだみのるの一側面を知ることができて興味深い。

 裕美はきだみのるが68歳のときにもうけた子である。籍は入ってない。
 きだみのるは、女が別の男に走ったことに激怒して裕美を連れ歩くことにした・・・・らしい、と三好は推定する。

 未就学であると知って驚いた三好は、裕美を自宅に寝起きさせ、彼とその妻が教壇にたつ分校へ通わせることにした。
 ところが、これがたいへんな娘だった。ご馳走になりながら、料理が下手だと文句をたれる。朝起こしても狸寝入りをきめこむ。好きな烏賊の塩辛があると、それだけを食べて飯も他のおかずも手をつけない。授業中には悪ふざけばかり。教師の指示には従わない。
 以下、裕美へのしつけと教育をタテ糸とし、きだみのるの言動をヨコ糸として話は進行する。

 教育の大切さが本書の訴えたい意図であるらしい。
 しかし、評者には、著者の意図には反して、管理教育よりも、きだ式放任主義のほうに惹かれる。
 きだみのるは家庭をもたなかった。だから、裕美をしつけなかった。しつけないから、裕美はきだ・みのるの言動をみて模倣した。料理が下手ならズケズケいうのも、好きな食べ物があれば集中的に食べるのも、きだみのるのふだんの行動そのままである。

 『子育てごっこ』の初出は1976年(同年きだみのる没)。『親もどき』が発表された時期は不明だが、同じ年か翌年だろう。
 戦後まもない頃には学ぶ機会を奪われた子どもがたくさんいた。未就学の裕美に教育を受ける機会を与えた三好の方針は、こうした時代の理想を追っていたのだろう。たしかに、学校でしか学べないものもある。少年時代の一時期に失明し、生涯学校で学ぶ機会のなかったエリック・ホッファーさえ似た感想を漏らしている。
 しかし、ホッファーは独学で独自の思想を織りなした。
 きだみのるもまた、自由奔放に生きて、貴重な社会学的観察の数々と旅行記、そして『ファーブル昆虫記』の名訳をのこした。
 型破りの人間は、やはり社会に必要なのだ。

 三好京三は、養子にした千尋から、後年、性的虐待のかどで告発された(広瀬千尋『過去へのレクイエム』、オーク出版サービス、1986)。
 一見常識人のようにみえて、三好もまた「型破り」の一人であったことになる。

□三好京三『子育てごっこ』(文春文庫、1979)
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書評:『介護保険 何がどう変わるか』

2010年05月25日 | 医療・保健・福祉・介護
 著者は、1954年生まれ。24歳で宅地建物取引業「春山商事」を開業した直後、進行性筋萎縮症が発病した。病が進行した29歳の時、医療・福祉の世界へ転身する。全国初の福祉のデパート開業を経て、1991年に総合ヘルスケア業「ハンディネットワーク インターナショナル」(HNI)を設立した1999年度は、スタッフ20名で売り上げ8億円強となった。各種企業、行政、医療機関と連携してバリアフリー商品を開発し、併せて福祉に係るコンサルティングをおこなう。
 著者は、34歳で握力ゼロ、37歳で自力では寝返りがうてなくなった。いわば要介護状態の老いがひとより速くやってきたのだ。だが、「体が不自由になっても、ささやかでも人間の尊厳を保ち続けたい」と著者はいう。

 利用者には、次の5点を助言している。
 第一に、利用者が医療・福祉を選ぶこと。要介護認定はもとよりケアプラン作成において、利用者がしっかりとイニシアティブをとる。業者の利益優先の論理を打破するために。
 第二に、住む地域も利用者が選ぶこと。保険料に見あったサービスを提供しない故郷は捨て去るくらいの心がまえを持て。
 第三に、医療・福祉の業者を見極めること。出会いの15秒間、別れの15秒間に相手の姿勢がもろに出てくるから、ここで見分ける。
 第四に、意にそわないことは笑顔ではっきりと「ノー」と言うこと。納得できないケアプランは修正を求め、場合によってはケアマネージャーをとり替えてもさしつかえない。たとえば車いす作成において、利用者のニーズを汲みあげずに発注者をあっせんしてくれる病院や施設にばかり顔を向けている業者に対しては、「消費者の最低の権利は、拒否権だ」と突きはなす。
 第五に、医療を主体とする総合的サービスを選ぶこと。高齢者の体の状態を把握する医療が介護の中心である。日々変化する本人の状態や家族環境などの情報が一元化されて総合的なプロフェッショナル・サービスを提供できる業者が望ましい。サービスは特定の業者に偏るべからず、とする厚生省の、お役所的な公平の論理の犠牲にならないように。

 受け皿がないに等しい第五点はさておき、利用者の立場をまもる実践的な知恵である。
 こうした知恵は、介護の現状に対する批判が背景にある。たとえば、人生の大先輩を「ちゃん」づけで呼ぶ特別養護老人ホームの若手職員など。事は呼び方にかぎらない。

 自動車損害賠償保険と介護保険のアナロジーは、興味深い。
 1960年代に交通事故が多発して、自賠責保険が生まれた。これを契機に、任意保険への加入が急増した。交通戦争に対する危機管理意識が国民に浸透したのである。「介護保険は人生という車輌の自賠責保険だ」と著者は指摘し、ほぼ次のように預言する。「介護保険は必要最低限の介護を保障するものにすぎないから、老いに対する危機管理意識が高まれば、二階部分をどうするかの議論がいずれ出てくるであろう」
 公的保険たる介護保険が対応しない介護については、任意保険が受けもつ、というのも議論のひとつだろう。

 本書は、小冊子だが、サービス利用者の自己決定尊重という点で一貫し、かつ、利用者に実践的な知恵を提供し、しかもサービスを提供する事業者への示唆も富む点で、本書は類書と一線を画する。開拓者の闘志が伝わってくる好著である。介護保険の施行(2000年4月1日)前に刊行されているが、いま読みかえしても新鮮だ。

□春山 満『介護保険 何がどう変わるか』(講談社新書、1999)
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書評:『北欧からの花束 -絵本画家のピクチュアーエッセイ・カラー版-』

2010年05月25日 | □スウェーデン
 著者は、外交官の妻として、スウェーデンとデンマークにそれぞれ5年間ずつ、計10年間北欧で暮らした。
 外交官の名は明記されていないが、北欧の政治や外交について多数報告している武田龍夫か。だとすると、氏の著書がふれていないものを令室が補完しているわけだ。
 つまり、「北欧の国々に住む人々の人生や日常の生活、自然や四季のうつろい」である。

 量的に多く、しかも文章が躍動する主題は、自然である。北欧にだけ咲く花、ブローシッパにふれて、「青い花には空や湖や宇宙を思わせる神秘が宿っている」と書く。
 あるいは、6月、北欧の輝く季節には、木々はわずか1週間で芽吹き、「ライラックは六月の喜びの女王」である。長く重苦しい冬でさえ浄福の世界に出会う。一冬のうちに数回しかめぐり会えないが、馬に乗って入りこんだ森の霧氷にたまたま陽が射すと、木々は白い彫刻かとまがう輝きを帯びる。

 「この雪と氷が創り出す自然の美を永遠にとどめようとした」から、世界に名立たるスウェーデンのガラス工芸が発達した、と著者はいう。
 こうなると文明批評の域に達する。
 世界でも独特の制度、「1%ルール」にも当然言及される。公共建造物の建築費の1%分は芸術に支払われなければならない、という制度である。1930年代にはじまった。学校、病院、保育園、老人ホームが建築されるときには、絵画、彫刻、美術品などが同時に配慮されなければならないのだ。古来スウェーデン人は、環境を大切にしてきた。
 また、ストックホルムの公園の野生の雀は、人の掌からパン屑をついばむ、と著者は感動する。それは、「根底に人々の弱いものへのいたわりや優しさがあるから」だと。

 こうしたスウェーデンが第一部で、デンマークは第二部で、ノルウェー及びフィンランドは第三部で回想される。
 回想のうちに甦る自然や芸術、そして人々は限りなくやさしい。
 遠い過去の話であるにもかかわらず、記憶はじつにみずみずしい。それは、著者が画家という創造する人でもあるからだろう。
 著者自身による絵が本書に多数挿入されている。概して青や白を基調とする淡いタッチで、花や小動物といった自然はもとより、人造の食卓やガラス細工を描いても繊細な命を感じさせる。自己主張しない慎ましい画風で、それが何ともいえぬ懐かしさを呼ぶ。魂にこだまする北欧がここにある。
 文庫オリジナル作品。

□武田和子(文・絵)『北欧からの花束 -絵本画家のピクチュアーエッセイ・カラー版』(中公文庫、1998)
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書評:『ハバナ・ベイ』 ~『ゴーリキー・パーク』シリーズ最終巻~

2010年05月24日 | ミステリー・SF
 ロシアの人民警察捜査官アルカージ・レンコを主人公とするシリーズ第4作。
 著者は、『ローズ』に続き、本書でハメット賞を受賞した。

 このシリーズ、1981年以来(邦訳はその翌年)、5年間に一作のわりで刊行されてきた。そして、一作ごとに時代背景が変っている。つまり、このシリーズは、旧ソ連、そして現ロシアの激変する世相を忠実に反映している。
 本書の解説には、第1作『ゴーリキー・パーク』、これに続く『ポーラー・スター』、『レッド・スクエア』の梗概が紹介されている。したがって、まず解説から読みはじめてもよい、と思う。ちなみに、『ゴーリキー・パーク』はウィリアム・ハート主演のTVドラマ(1984)がある。
 第1作で、レンコはKGBのプリブルーダ少佐(後に大佐)と当初対立するが、事件の解決に尽力するうちに親しくなる。
 第2作では、プリブルーダは、レンコの命を救った。

 そのプリブルーダ大佐(KGBの後身の連邦保安機関SVRに所属)が大使館付き武官としてキューバへ赴任し、行方不明になって1週間後、死体で発見された。
 身元確認のためレンコはキューバを訪れる。大佐の息子は、ピザ店を経営していて動けない、というのだ。プリブルーダにおいて、親子の関係はレンコとの職業上のつながりほど濃くないわけだ。げにも、人間は社会的動物である。

 レンコは復権し、モスクワ検察局に勤務していたが、キューバでは何の権限もない。
 それどころではない。かつてキューバに対して「封建君主」のようにふるまっていたロシアの「裏切り」に対する敵意ないし嫌悪に取り囲まれた。しかも、プリブルーダにはスパイの疑いがかけられ、国際問題になりかねない。キューバとしてはアルカージをさっさとロシアへ追い返したい、という雰囲気なのだ。
 周囲の悪意と圧力の中で孤立無援のまま捜査するのがアルカージの宿命らしい。

 水死体には顔も指紋も残っていない。身長、体重、臼歯の鉄の詰め物(ロシアの典型的な歯科治療)はプリブルーダの特徴と矛盾しないが、それだけでは「かもしれない」としか言えない。じじつ、レンコはそう答える。
 こうした細部へのこだわり、または論理の徹底がレンコを有能な捜査官としたが、同時に彼の存在を不都合とする者をも生じさせた。かつてはロシアン・マフィアがそれだったが、キューバにも類似のグループがいる。
 かくて、レンコによる孤独な捜査は、またしても社会主義社会の裏面を浮き彫りにするのだ。

 調べていくうちに、死体はどうやらプリブルーダ当人らしいことがわかってくるが、背後の事実を追求するうちに自らも死体となる危機に遭遇する。
 こうした努力をわかってくれる人はやはりいるのだ。出会った当初はレンコを毛嫌いしていたオフィーリア・オソーリョ刑事は、やがてレンコを母親と娘のいる自宅へ連れていく関係となる。娘の問いに、「いい人よ」などと答える。

 長く続くシリーズには、文章も独特の味わいがある。

   オフェーリアは勇気がよみがえるのを待った。すぐだろう。

 勇気が甦るまでの束の間の静寂な時間。
 警官も人間だ。勇気が萎える瞬間がある。
 しかし、萎縮してそのままの人もいるし、萎縮してのち、立ち直る人もいる。

   「冷たい気候には冷たい人びと、いえるのはそれだけだな」

 キューバではレンコを罠にかけたが、犯罪者とは別の立場で動いていた自動車整備工のエラスモ・アレマンが雪のモスクワでアルカージに再会し、別れしなに告げた言葉である。
 砂糖の契約の再交渉のため訪露したエラスモは、オフォーリアの消息を伝えるため、車椅子をこいでわざわざレンコの前に姿を見せたのだ。

□マーティン・クルーズ・スミス(北沢和彦訳)『ハバナ・ベイ』(講談社文庫、2002)
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書評:『ポーラー・スター』 ~続『ゴーリキー・パーク』~

2010年05月23日 | ミステリー・SF


 アルカージ・レンコ・シリーズ第2作。
 前作で正当防衛ながらも検事局長を殺害したレンコは、免職、党籍剥奪のうきめにあった。
 検事局長の有力な友人たちが執拗に彼を追求する。
 前作で友人となったプルブルーダ少佐(本書では大佐に進級している)は、精神病院における苛酷な尋問では生命すら危うくなったレンコを救いだし、2、3年シベリアでほとぼりを冷ませ、と忠告した。
 かくてシベリアの労働キャンプや北極海のトロール船を転々とし、今や「ポーラー・スター」号の加工場で2級船員として働いている。

 といった事情は全体の4分の1ほどページを繰ったあたりの回想でわかるのであって、本書の幕はトロール船の同僚ジーナ・パチアシュヴィーリの死で開く。
 レンコの前歴を知る船長は、彼に捜査を命じた。
 殺人事件ならば、船員たちの唯一の慰安、寄港地での上陸を許可できない。船長は、犯人発見もさりながら、船員の不満を爆発させたくはなかった。

 レンコは事情を聞いてまわるうちに、女性たちとの交情、上級船員の一部との共感が生じる。
 他方、政治士官や正体不明の敵の敵意が募っていき、再三生命を狙われる。
 調査するうちに、故人とその一味が従事していた副業、加工船「ポーラー・スター」号に課された別の使命がだんだんと炙りだされてくる。

 ロシア庶民の根っからのひとのよさ、官僚の詐術的冷酷さ、ソ連に(現ロシアではいっそう)はびこるブラック・マーケット、裏稼業に従事する者の冷血ぶり、当時の酷薄な諜報戦が重層的に描かれて厚みのある作品となっている。
 ペレストロイカの頃のソ連の雰囲気(「新思考」)、当時の米ソの関係(合弁事業)にも言及されている。ミステリーも時代の子なのだ。
 ちなみに原著は1989年に刊行された。

□マーティン・クルーズ・スミス(中野圭二訳)『ポーラー・スター』(新潮文庫、1992)
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【言葉】手帳 ~『カティンの森』~

2010年05月23日 | 小説・戯曲
 「不思議なことですが、人間には、何かしら痕跡を残したいという要求があるのです。自分が誰からも頼りにされていない、という状態が最も耐えられないのです。将校だったわたしたちが、一群の家畜になり、見張りが毎日、頭数を数えている・・・・」
 そのとき、あの手帳のことを聞かされたのだ。
 「少佐殿は、毎日手帳にメモをとっておられました。重要な出来事はすべて。いつチフスの予防注射が実施されたか。クリスマス・イブ直前に従軍司祭が全員連行されたときのこと。少佐殿が尋問された日のこと。この手帳は少佐殿が心を打ち明ける友でした。寝床で背を丸め、壁で鉛筆の切れ端の芯を尖らせているご様子が目に浮かびます・・・・」
 今度は、アンナが彼の姿を思い描く番だ。教会の薄闇のなか、寝床の上。毛布に身を包んだ鬚面の夫の姿。あの1939年の手帳は、クリスマス・イブをフィリピンスキ教授宅ですごしたときに、わたしがクラクフで買ったのだ。今わたしは聞いている--彼がそこにメモを記していたことを、本当ならば直接手紙でわたしに伝えたいと望んだことばを・・・・。

【出典】アンジェイ・ムラルチク(工藤幸雄訳)『カティンの森』(集英社文庫、2009)
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【言葉】幸福の敵

2010年05月23日 | ●スタンダール
 私はなんとかして誇張を避けようと努力している。すべてにおいて虚偽を幸福の敵として嫌っている。

   ※スタンダール 『日記』(ミラノ、1811年9月8日)。

【出典】クロード・ロワ(生島遼一訳)『スタンダール』(人文書院、1957)

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