語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【花】木瓜咲くや漱石拙を守るべく

2019年03月15日 | 小説・戯曲
 
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「先生、先生」
と二声(ふたこえ)掛けた。これはしたり、いつ目付(めっ)かったろう。
「何です」
と余は木瓜(ぼけ)の上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。
「何をそんな所でしていらっしゃる」
「詩を作って寝(ね)ていました」
「うそをおっしゃい。今のを御覧でしょう」
「今の? 今の、あれですか。ええ。少々拝見しました」
「ホホホホ少々でなくても、たくさん御覧なさればいいのに」
「実のところはたくさん拝見しました」
「それ御覧なさい。まあちょっと、こっちへ出ていらっしゃい。木瓜の中から出ていらっしゃい」
 余は唯々(いい)として木瓜の中から出て行く。
「まだ木瓜の中に御用があるんですか」
「もう無いんです。帰ろうかとも思うんです」
「それじゃごいっしょに参りましょうか」
「ええ」
 余は再び唯々として、木瓜の中に退(しりぞ)いて、帽子を被(かぶ)り、絵の道具を纏(まと)めて、那美さんといっしょにあるき出す。
「画を御描きになったの」
「やめました」
「ここへいらしって、まだ一枚も御描きなさらないじゃありませんか」
「ええ」
「でもせっかく画をかきにいらしって、ちっとも御かきなさらなくっちゃ、つまりませんわね」
「なにつまってるんです」

□夏目漱石『草枕』の「十二」から引用

【池井戸潤】下町ロケット・シリーズの第3作と第4作

2018年10月16日 | 小説・戯曲
 半沢直樹シリーズでブレイクした池井戸潤。彼が手がけた別のシリーズの3冊目と4冊目が今年、たて続けに刊行された。池井戸は、半沢直樹シリーズを漫画と自称しているが、その性格をこちらのシリーズも帯びている。要するに、悪は滅び善は栄える。たいへん爽快なので、鬱屈したときに読むと、たちまち血色が良くなる。愉快な小説は、健康にとって良薬である。
 TVドラマは、TBS日曜劇場において、10月14日から始まった。

□池井戸潤『下町ロケット ゴースト』(小学館、2018/07/20)
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□池井戸潤『下町ロケット ヤタガラス』(小学館、2018/09/28)
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【本】残暑をしのぐために ~海堂尊『玉村警部補の巡礼』~

2018年08月29日 | 小説・戯曲
 累計1,000万部超のベストセラー「チーム・バチスタ」シリーズの最新刊。前作『玉村警部補の災難』に続き、加納警視正&玉村警部補コンビが主人公の短編集。
 今回の特徴は、四国霊場八十八ヵ所巡礼をBGMとしていること。最初の短編の冒頭で、弘法大師の波乱に充ちた生涯が、海堂尊一流のイキのよい文体で要約され、巡礼モードに引きずり込まれていく。
 玉村警部補はまじめに歩いて巡礼するつもりなのだが、型破りの加納警視正が勝手に割り込んできたせいで、文明の利器を援用し、かつ、弥次喜多的な旅になってしまう。しかも、事件が相次ぐ。
 本書もミステリーの片割れ。ネタバレにならない程度に結末に言及すると、海堂ドクターのライフワークらしいAi(オートプシー・イメージング=死亡時画像診断)が難事件解決に有力な役割を果たす。
 残暑をしのぐにもってこいの、軽快なテンポの喜劇的ミステリー。

□海堂尊『玉村警部補の巡礼』(宝島社、2018)

 

書評:『スパイス戦争 -大航海時代の冒険者たち-』

2017年07月17日 | 小説・戯曲
 歴史的事実は小説よりも奇・・・・いや、興味深い。
 歴史的事実は、別の歴史的事実とどこかで交差し、いまの私たちの生活環境を築いている。
 くわえて、本書はありふれた冒険小説以上に血沸き肉踊る事件が描かれている。

 時は17世紀。
 ヨーロッパは、まだ正確な世界地図を持っていなかった。
 海路、北極を経由して東洋の香料諸島に到達できるはずだと信じる探検家もいた時代である。
 喜望峰をまわるルートが開発されていたが、損害が大きかった。
 イギリス東インド会社は、1601年以来10年間余に三つの船団、延べ12隻と1,200人を送り出したが、三隻のうち一隻は沈没ないし行方不明になり、800人が死んだ。悪天候、暑熱、悪疫、壊血病、異文化の民による襲撃、事故によって。東洋航路は、まさしく冒険そのものであった。

 これに加えて、国家間の争いがあった。
 オランダ東インド会社は、膨大な資本力にものをいわせて大型の船舶を多数派遣して、陸海軍力によって先行のポルトガルを駆逐し、通商上の要地を要塞化した。資本力に劣るイギリス東インド会社が派遣する小型船舶は、いたるところでオランダから圧迫を受けた。

 当時も今もおなじだが、組織において、本部との情報が途絶している末端の動き方は、その出先機関のトップの器量次第である。
 たとえば、三次遠征隊で小さな船の長をつとめたデイヴィッド・ミドルトンは、きわめて効率的に行動した。東インド諸島までごく短期間で往復し、人命の損失も最小限にとどめている。

 個性的な船長たちのうちで、本書はナサニエル・コートホープに多くの紙数を割く(原題は『ナサニエルのナツメグ』である)。
 彼は、覇権を誇るオランダに対して、モルッカ諸島の南部、バンダ諸島のうちナツメグ豊富なルン島にこもって抵抗を続けた。水も食糧も乏しい中、島民と小数の部下とをよく信服させ、戦略的な才能も発揮した。暗殺されなかったら、抵抗はさらに続いたにちがいない・・・・と著者はいう。

 いささか美談めいたこのくだりに、著者のナショナリズムを感じとる読者もいるだろう。
 海外に雄飛した日本人もしばしば登場するのだが、ジャンクに乗った無表情な海賊、オランダ側の傭兵、長刀による斬首・・・・といずれも物騒な一面しか描かれていない。
 このあたりにも、著者の英国一辺倒な姿勢を見てとることができる。
 本書には書かれていないが、英蘭両国の力関係は18世紀後半にはいると完全に逆転する。

□ジャイルズ・ミルトン(松浦伶訳)『スパイス戦争 -大航海時代の冒険者たち-』(朝日新聞社、2000)
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【加賀乙彦】『永遠の都』をめぐる対話

2017年07月16日 | 小説・戯曲
 
 精神科医、作家、日本藝術院会員、日本ペンクラブ顧問の加賀乙彦と著書150冊の作家、岳真也が『永遠の都』の読みどころを拾い出し、背景を語り、読みを深める。
 〈例1〉加賀の受洗は57歳のときだが、『永遠の都』を書き始めて1年ぐらい経ってから。受洗によって書きやすくなった。
 〈例2〉『永遠の都』は『雲の都』を経て最近作『殉教者』によって完成する。
 〈例3〉『資本論』を一生懸命読んだ。資本主義社会では恐慌、パニックは必ず起こる、と加賀も考える。

●加賀乙彦の受賞歴
 1968年『フランドルの冬』/芸術選奨文部大臣新人賞
 1973年『帰らざる夏』/第9回谷崎潤一郎賞
 1979年『宣告』/日本文学大賞
 1986年『湿原』/第13回大佛次郎賞
 1998年『永遠の都』/第48回芸術選奨文部大臣賞
 1999年『高山右近』/日本芸術院賞
 2000年 日本芸術院会員
 2011年 文化功労者
 2012年『雲の都』/第66回毎日出版文化賞企画特別賞
 2016年 第5回歴史時代作家クラブ賞・特別功労賞

□加賀乙彦×岳真也『永遠の都は何処に?』(牧野出版、2017)
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【相場英雄】『震える牛』 ~添加物を大量に混ぜた際のリスク~

2017年04月19日 | 小説・戯曲
「添加物に害は?」
「一応、当局の検査をクリアしたものばかりです」
「なにかリスクがあるのですか?」
 鶴田はバッグからメモ帳を取り出したあと、小松を見た。
「一つひとつの添加物は、動物実験を経て発がん性や毒性のチェックをクリアしています。ただ、これを同時に混ぜ合わせた際の実証データはありませんし、国も監視していません」
 メモ帳の上で、ペンが停まった。悪寒が首筋から背中いっぱいに広がった。
「水気をたっぷり吸った雑巾のようだという理由のほかに、私やかつての同僚が一切自社製品を食べなかった理由がそれです」
 小松は今までと同じように冷静に告げ、もう一つの焼きおにぎりを手に取った。
「この焼きおにぎりは、メニューの中でも添加物が少ない部類です。だから食べさせていただきました」
「おにぎりまで?」
「三個で150円ならば原価は80円程度。間違いなく古々米が原料です。古いコメに乳化成分、ブドウ糖液、増粘多糖類を加えていなければ、とても食べられるシロモノにはなりません」
 小松はそう言ったあと、焼きおにぎりを頬張った。
「でも、生鮮サラダなら大丈夫でしょ?」  
 鶴田が小エビの載った皿を差し出すと、小松は強く首を振った。
「次亜塩素酸ナトリウムという消毒剤、アスコルビン酸ナトリウムという酸化防止剤のプールに浸かった野菜を食べる気にはなれません」
「今朝、時間がなかったのでコンビニのハムサンドとサラダを摂ったのですが」
「おそらく多数の添加物が入っていますね。サラダの野菜がカットしてから一日経っても黒ずんだりしないのには、ちゃんと理由があるのですよ」
 親指についた米粒を口に入れた小松が言った。
 無意識のうちに、鶴田は頭を振った。添加物を大量に混ぜた際のリスクは、国ですら把握していない。鶴田をはじめ、一般の消費者は全く情報を知らされぬまま、便利な食べ物を口に運んでいる。

□相場英雄『震える牛』(小学館、2012/後に小学館文庫、2013)「第三章 薄日」から引用
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【小川国夫】『生のさ中に』 ~醇乎たる言語空間~

2016年08月28日 | 小説・戯曲

 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。以下、刊行当時の所見。

 (1)『アポロンの島』に続く第2作品集。
 所収の23の短編は全編自伝的作品と呼んでよいが、大きく分けると、静岡を舞台にした少年時代と海外を舞台にした紀行の二つ。量的には後者が多い。海外は具体的にはイタリア、ギリシア、北アフリカである。

 (2)後記にいわく、
 <私は日本語の椅子と西洋の椅子が似て非なるものだということを知っている。日本語の会話の味わいとフランス語の会話の味わいが全く違うということも、若干知っている。しかし私は、これらの截然とした相違を作品の中で説明することを、自分に許そうとはしなかった。許さないことによって、私は自分の作品の形をうち樹てようとした。森有正氏のいう、犬とchienとは別物だという認識は、私に目を開かせるものがあった。そして私は、これほど異質な人間と言葉と風物と交流したことを、直接な表現として、日本語の伝統の中に探ろうとしていることを意識した>

 (3)すなわち、本書に収録された紀行は、「果て知れない間口と奥行を持った」ヨーロッパを日本語で描く試みである。採用した「日本語の伝統」は、特に志賀直哉である。
 たとえば「スパルタ」における次の段落。
 <曇ったり晴れたりした一日だったが、太陽のありかはいつも判った。そして、太陽は大方行く手にあったのだから、トリポリを過ぎて南へ走っていた時に、起こったことだったろう。バスが停留所で止まると、運転手がまっ先に下りて行ってしまった。すると、口髭を立てた、太った車掌が乗客になにか告げた。命令する口調だった。その直後の乗客たちの反応を見て、浩は、しばらく休憩、の意味だろうと察した。休憩は十分くらいだろう、と彼は、解らないのに、一人決めした>
 このように簡潔にして剛毅、簡勁な文体で、小川国夫は醇乎たる言語空間を織りあげた。

□小川国夫『生のさ中に』(審美社、1967/のちに講談社文庫、1978)
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【濱嘉之】中国の最優先課題/環境問題 ~『聖域侵犯』~

2016年08月27日 | 小説・戯曲
<「(前略)ところで青山、一つ教えてくれ。中国にとって今一番大事なことはなんだ?」
 藤中が神妙な顔つきになって訊ねた。大和田も青山の顔を覗き込むように見ていた。
「必死になっているのは環境問題だ。そして公害・環境問題の解決のためには空気、水、土の浄化が最優先だな」
「空気、水、土というとどうしても農業を思い起こしてしまうが・・・・中国の富裕層は自国産の食料を口にしないと言われて久しいからな」
 大和田が言うと藤中も続いた。
「香港では自国が作った野菜を毒菜と言っているらしいぜ」
「そんなことを言っても日本のファミレスのほとんどが中国産の野菜を使っている。ファミレスを使わない者はいいが、子供を抱えた家族にとってファミレスは大事な食事の場となっている場合が多いからな」
 青山が他人事のように言ったので藤中が質問した。
「それでもファミレスは潰れるどころか増えているんじゃないのか?」
「それは仕方ないことだ。ファミレスで食事をすることが悪いとは言っていない。ただリスクを負う覚悟が必要だと言うだけだ。それほど中国の多くの土壌は汚染されている」
「空気はどうなんだ?」
「ニュースを見ればわかるだろう。昨年末にパリで開かれたCOP21がいい例だ」
 COP21の正式名称は「国連気候変動枠組み条約第21回締結会議」である。
 これに参加した中国政府代表団副団長が2020年以降の地球温暖化対策の新たな国際枠組みに関し、中国自身が途上国グループに所属する立場から「歴史的責任に基づき、(各国が取り組む対策に)差をつけることが必要だ」と強調し「過去に温室効果ガスを大量に排出してきた先進国が、より重い責任を負うべきだ」と改めて主張した。
 中国の代表団幹部が自ら自国を発展途上国と認めたのだ。
 さらに中国政府の気候変動事務特別代表もまた「先進国が開発途上国に十分な資金・技術支援を行うかどうかが成功のカギだ」としながら、中国を「発展途上国代表」と自負した。そして年1千億ドル(約12兆円)の拠出が決まっている発展途上国向けの環境対策資金についても「中国は自発的に支援を続けているが、先進国の資金援助は義務だ」と強調している。
 藤中が口を歪めて言った。
 「発展途上国ねえ。発展途上国仲間のアフリカでは国家の幹部を金で釣りながら、イミテーションの武器をばら撒いて紛争を煽っている国だからな」
「よく知っているじゃないか。それでいて都合が悪いと発展途上国に先祖返りだ。第一次産業従事者の人口比率を見れば確かに発展途上国には間違いないんだけどな」
 青山が冷静に答えると大和田が言った。
「近隣国家にとって大気汚染だけでもいい迷惑なんだが・・・・北京ではPM2・5を含む汚染指数が600を超えた日が何度かあったらしいんだ。中国でも最悪レベルの『危険』が301から500だから、600超えの異常さがよくわかる」
 青山が頷きながら後を続けた。
「中国代表団に同行した中国関係者は『国民の関心は温暖化より目の前のスモッグに集まっている』と言っていたそうだ。国民の間で地球温暖化に対する関心などほとんどない一方、健康に直結する大気汚染には極めて敏感になりつつあることを政府も認めているそうだ」
「環境は他人任せか・・・・」
「いや自分たちでできることはやったというところを見せてやらなければ、アフリカをはじめとした本当の発展途上国は付いて来ない。金の分捕り方を教えて、その使い方をメイドインチャイナで売り込むのが奴らのこれまでの手口だ」
 青山は冷静ながら中国に対しては実に厳しい言い方をした。藤中が自分の考えを確認するように訊ねた。
「そのメイドインチャイナがパクりというか、技術を盗むことにつながるんだ?」>

□濱嘉之『聖域侵犯 警視庁公安部・青山望』(文春文庫、2016)
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【ロバート・ゴダード】『閉じられた環』 ~複雑に入り組んだ謎~

2016年08月27日 | 小説・戯曲
 
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 (1)ゴダードの長編第7作目、邦訳としては第9作目の作品。
 解説の紹介からはじめたい。関口苑生による解説は、ちょっとしたゴダード論である。いわく、ゴダードの魅力は、複雑に入り組んだ謎の構築、それを解明する方法、その両方におけるプロットの巧緻にある。主人公は職業的な探偵ではなくて、読者とともに謎の解明にあたる。最初、一見単純に見える謎を探求するうちに、第二、第三の謎がつむぎだされて読者を混迷の極みへいざなう。その際、背後に漂う何やら不気味なものが緊張感を高める。最大の魅力は、小説の外側ですでに惹起した事件と小説の内側で現在起こっている事件との関連が物語られる過程である、云々。
 本書でも、このゴダード節がたっぷりと奏でられる。

 (2)1931年の夏、悪事がばれて米国を逃げ出した二人の詐欺師、主人公ガイ・ホートンとマックス・ウィンゲートは、英国へ向かう豪華客船でダイアナ・チャーンウッドと知り合う。彼女は、20を越える有力企業に対する国際的投資家フェビアンのひとり娘であった。これを知り、カモにするべく接近し、首尾よくよしみを通じる。だが、誤算が生じた。月の女神と同じ名をもつこの美女に、マックスが本気で惚れこんだのである。彼女も恋におちる。
 英国に着いて、マックスは結婚の許可を彼女の父親に求めるが、一蹴される。詐欺師の前科を喝破されていたのだ。
 しからば駆け落ち・・・・となる直前、フェビアンが殺害された。マックスは逃亡して、行方が知れない。ガイは真相を探りはじめる。
 これが発端だ。

 (3)ここで、関口苑生がふれなかった、ゴダードのもう一つの魅力にふれておきたい。
 すなわち、情念の多層構造である。一方に男女の恋愛があり、他方に家族愛がある。愛はすばらしい。だが、表層の愛の底に、違ったものが蠢く。遠大な計画に基づいてたてられた計算による冷徹な意思があり、愛しつつ憎悪するアンビヴァレンスもある。こうした多様な情念の力学が多様な人間関係、複雑なプロットを生む。本書も例外ではない。

□ロバート・ゴダード(幸田敦子・訳)『閉じられた環(上・下)』(講談社文庫、1999)
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【マルセル・エイメ】『壁抜け男』 ~幻想小説のリアリティ~

2016年08月26日 | 小説・戯曲
 
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 幻想小説ばかり5編を集めた短編集。
 たとえば「変身」は、オルゴールに魅せられて殺人を犯した精神発達遅滞の男が、神の恩寵により死刑当日に赤子となる。
 あるいは「サビーヌたち」は、無数に分裂した女が多様な人生を同時に生きる。
 「死んでいる時間」は、二日に一日しか生きていない男の悲劇。
 いずれも現実にはありえない話だが、世間噺をするかのようなさりげない語り口にのせられているうちに、読者はいとも自然に架空の世界の扉をくぐり抜けてしまう。
 その架空の世界、小説の中では登場人物は、あくまでも真面目、論理的、日常的なのだ。
 架空の世界の日常性に違和感を感じなくなり、登場人物に共感できたら、幻想はすでに現実となっている。
 主人公は、いずれも冴えない。自在に壁を通過する能力を獲得した「壁抜け男」さえ、一時は神出鬼没のアルセーヌ・ルパン的超人ぶりを発揮するが、やっぱり冴えない結果に終わる。
 幸福は束の間は訪れてくれる。だが、永遠には続かない。よって、どの作品の結末にもペーソスが漂う。
 訳者あとがきによれば、エイメは新聞記者をはじめとする雑多な職業に就き、辛酸を舐めた。シャルル・ペローに傾倒した。こうした経歴がこれら短編にも反映しているらしい。

□マルセル・エイメ(長島良三・訳)『壁抜け男』(角川文庫、2001)
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【アゴタ・クリストフ】『悪童日記』 ~内面でなく行動を描く~

2016年08月26日 | 小説・戯曲

 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 前大戦中のハンガリーの田舎町が舞台。父は出征して帰らず、母は生活の資を得るため双子の少年たち<ぼくら>を祖母にあずけて去る。祖母は粗野にして吝嗇。祖母宅には電気は通じておらず、風呂もない。
 <ぼくら>は、大人以上の才覚と行動力で生き抜く。冷静で意志的、計画的で図太い。じつにしたたかなのだ。
 こうした特徴を、独特の文体が際だたせる。<ぼくら>の内面はまったく語られない。その行動と、彼らをとりまく状況が記されるのみだ。だからイメージが鮮明なのだ。
 <ぼくら>を鏡として見ると、大人の人間味、しばしば感情にかられがちな言動が滑稽に見えてくる。たくまざる諷刺だ。いや、諷刺の意図は当然、この亡命作家にあっただろう。
 <ぼくら>は独特の倫理観、行動の格率をもち、その行動には一貫性がある。労働と勉強を自分たちの課題と心得るから模範少年みたいだが、邪魔な人物と見れば平然と殺人を犯したりもする。世相の荒廃ぶりを反映しているにちがいないが、おそるべき目的合理性である。
 戦後、両親と再会するが、戦争の波にあらわれて両親が変わった分、<ぼくら>との間に距離ができていた。<ぼくら>は両親の非業の死を平然と受けとめる。いや、平然どころではなく、両親の死を踏み台にして新しい人生に足を踏み出すのだ。
 このあたり、内心を吐露せずに行動だけを綴る文体が迫力をうむ。米国のハード・ボイルド小説に通じるところがあるかもしれない。
 著者はハンガリー人。1956年の動乱でオーストリアに逃れ、スイスに定住。本書をフランス語で書き、文壇にデビューした。

□アゴタ・クリストフ(堀茂樹・訳)『悪童日記』(ハヤカワepi文庫、2001)
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【池澤夏樹】南洋の神話 ~『マシアス・ギリの失脚』~

2016年08月26日 | 小説・戯曲
 
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。以下、刊行当時の所見。

 (1)夏休みには南洋にでかけたい方もいらっしゃるだろう。
 出かけたくとも先立つものがない方もいらっしゃるだろう。
 さいわい、私たちには『マシアス・ギリ』がある。

 (2)いや、たんに『マシアス・ギリ』ならば、南洋の島国ナビダード民主共和国第2、4代大統領の生涯または半生ということになるだろう。
 だが、『マシアス・ギリの失脚』となると、趣がだいぶ違う。まだ読まない先から、ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』のように、宿命づけられた男に宿命的にやってくるであろう結末が予感される。まるで神話である。
 じじつ、神話的な挿話が随所に挿入される。
 マシアス・ギリの失脚の遠因をなす観光バスの失踪(討ち入りした赤穂浪士と同数の47人の日本人が乗車する)からしてそうだ。目には見えないのに、録画されたフィルムにはきちんと映っている。至るところで目撃され、顕微鏡の中にすら目撃される。
 ところが、ケンペー隊はついに捕捉できない。
 ふしぎなことに、帰国が予定された期日には忽然とあらわれ、乗員はみな心と体の健康を取り戻しているのだ。
 ことに神話的な場面は、メルチョール島の8年に一度の祭、ユーカユーマイで見られる。
 主役の大巫女たちは海上を歩き、空を飛ぶ。ただし、誰も見ていないところで。
 古来の共同体を維持する核のごとき長老会議の決議を伝えるのも大巫女の役目である。長老会議は、刑罰をくださない。殺人者に対して「われわれはもうあなたを尊敬しない」告げるだけである。
 近代の市民社会では、この言葉は何ものでもない。自分を尊敬する、あるいは尊敬するふりをする者を他に求めれば足りる。受ける尊敬の有無にかかわらず、市民的生活は維持できる。
 しかし、人口7万人のナビダードでは、そうはいかない。
 長老会議がこれまでマシアス・ギリへ捧げた尊敬を取り下げると、たちまちギリの周りには服従する者はいなくなるのである。権力に対する権威の優位である。

 (3)マシアス・ギリは、戦後日本に渡って夜間高校を卒業し、日本的な商売のコツと清濁併せ飲む政治の技術を身につけた。ナビダードに帰国してから、若輩ながらも商才を発揮し、ついには小さいながらも一国の首長に昇りつめた。要するに、マシアス・ギリは日本的なエコノミック・アニマルであり、密室政治のテクニシャンである。
 その彼が、何の法的裏づけのない長老会議の決議によって自決に追い込まれる。思えば、自殺もまた、きわめて日本的な解決法ではある。

 (4)本書は、南洋の架空の島国を設定し、その鏡に映る日本を諷刺した現代の『ガリバー旅行記』として読める。
 あるいは、入澤康夫の擬物語詩を思わせる幻想的奇譚をたっぷり盛り込んだ散文詩でもある。
 大航海時代を証言する亡霊の口を借りて、アジア人の側からする歴史の見直しの試みでもある。
 著者の父親、福永武彦は性をオブラートで包んだ愛を描く名手だったが、著者は愛なき性をも追求してみせる。
 このようにたいへん欲張った材料とテーマをぶちこんだ作品で、それだけ多面的な読みを許すだけの厚みのある作品だ。1993年度谷崎潤一郎賞受賞作。

□池澤夏樹『マシアス・ギリの失脚』(新潮文庫、1996)
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【本】『水妖記(ウンディーネ)』 ~言葉と魂~

2016年08月25日 | 小説・戯曲

 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 (1)解説によれば、ウンディーネは、ラテン語のunda(波)に語源をもつ水の妖精で、ルネッサンス期のパラケルスス(A・T・Paracelsus、解説ではパラツェルズス)がウンディーナundinaと名づけた。独語読みでウンディーネUndineとなる。仏語読みではオンディーヌondine、フランスの作家ジャン・ジロドゥーはフーケの作品を翻案して、しかし独自の戯曲『オンディーヌ』をものしたらしい。
 本書はドイツ・ロマン派の代表作とされる。

 (2)魂を持たぬ妖精が、人間と愛し合うことで魂を得る。魂を得ることで、妖精の時には知らなかった悲しみ、悩みを抱くにいたるが、ウンディーネは後悔しない。
 妖精の、魂をもたぬ状態は、田村隆一がうたう「言葉のない世界」(言葉なんか覚えるじゃなかった・・・・)に正確に対応するだろう。アヴェロンの野生児を引き合いに出すまでもなく、言葉は人間の人間たらしめる要素である。
 言葉と魂とは二にして一である。
 してみれば、ウンディーネは言葉を知ることで魂を得るにいたったのだ。

 (3)しかし、言葉がなかみを伴わないときもある。その時、言葉は魂を置き去りにし、あるいは逆に魂が言葉を置き去りにする。別の女に心を移し、夫という言葉だけを残した騎士フルトブラントがそのケースだ。
 ところが、ウンディーネは依然として騎士フルトブラントを愛し続け、不倫相手のベルタルダの身をも気遣う。切ないではないか。

□フリードリヒ・バローン・ド・ラ・モット・フーケ(柴田治三郎・訳)『水妖記(ウンディーネ)』(岩波文庫、1938/改訳、1978)
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【サルトル】『悪魔と神』

2016年08月25日 | 小説・戯曲
 
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 16世紀ドイツ農民戦争において各地に転戦した傭兵隊長ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲンを主人公とする劇作。
 非情かつシニックな私生児ゲッツは、兄を攻め滅してその領土を奪い取る。だが、「賭け」の結果、滅ぼすつもりだった都市の攻囲を解き、領土を開放して理想郷建設を志す。ところが、周辺の戦火はいっそう燃えさかって理想郷に及び、ただ一人の生き残りを除いて破壊つくされる。ゲッツは、無名の一介の兵士として再出発しようとするが、その経歴を知る者たちから指揮官への就任を要請される。ゲッツは、聖者への道を捨て、ふたたび傭兵隊長として立つ。
 つぎのやり取りは、劇の一部。

 <第三の士官/おれが大将なら、今夜のうちに攻囲を解くんだが。
 <ヘルマン/賛成だ。しかし大将はきみじゃない。>

□ジャン=ポール・サルトル(生島遼一訳)『悪魔と神』(新潮文庫、1971)
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【木山捷平】山陰

2016年08月25日 | 小説・戯曲
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 短編小説「山陰」は私小説で、「私」は下関から出発し、行きあたりばったりに川棚、湯本、玉造、皆生に一泊する。さらに鳥取県中部の、やや奧へ入ったところに位置する三朝温泉に至る。ラジウムを含む出湯の町である。ここで2泊する日々のほんのちょっとした出来事、住民との淡々たる会話。
 ストーリーはそれだけのことで、ストーリーと呼ぶほどのものではない。旅先の、その土地にすっぽり身を浸し、住民との会話を淡々と書きとめる。飄々と流れていくようであり、肝が据わっているようでもある。この短編小説、エッセイと呼んでもそれで通る文章で、読み流しても一向にさしつかえないのだが、妙に記憶に残る。

□木山捷平「山陰」(『日本文学全集65 ~現代名作集3~』、筑摩書房、1970)
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