日本の新聞、テレビは、監視すべき政府機関やその構成員たる官僚に寄り添い、その意向につき従おうとする習性がある。
この事実を見事なまでに浮き彫りにしたのが、原発災害に関する報道だった。
わけても象徴的だったのは、福島第一原発1号機の原子炉建屋が爆発した際の報道だ。3月12日、NHKをはじめ民放各局とも、爆発の瞬間については、しばらく報じなかった。建屋の上部が吹き飛び、鉄骨が露わになった建物を静止画像で流していたにすぎない。
だが、日本のテレビが音無しの構えをとっていた間、BBCはその爆発の瞬間をとらえた映像を放送し、WEBでも即座に公開した。
この不自然かつ不気味な情報格差は、ツイッターやメールで日本国内に瞬く間に周知のものとなった。そして、多くの国民が日本のメディアに抱いてきた不信を確信に変えた。
日本の新聞やテレビは、公権力がゴーサインを出すまで“国民の知る権利”に応えようとしないのだ。というより、「できない」のだ。
彼らの取材拠点「記者クラブ」の運営経費の大半は、税金で面倒を見てもらっているからだ(16年前の調査だが、当時少なくとも111億円の税金が投入されていた)。
批判すべき相手側から、これだけ手厚い経済的便宜供与を受けていれば、「完全な自由を有する」報道など、できなくて当たり前だ。
それどころか、邪な官僚たちの御先棒を担ぐ報道に利用されたとしても、何ひとつ文句を言えない。記事にしなければ次のネタがもらえない、などと情けないことを言う始末だ。
5月26日、毎日新聞が1面でスクープを報じた。・・・・が、これも、厚労省年金局の“一部官僚”にうまくそそのかされ、書かされたものだ。
くだんの記事は、民主党のマニフェストの柱ともいうべき年金記録問題への取り組みの変更を伝えるものだ。年金記録の全件照合は国家的プロジェクトだ。これによって民主党は政権交代を果たした、とさえ言ってもよい。その重要政策の変更となれば、民主党内で議論が不可欠だ。しかし、議論が活発かつ広範囲に戦わされた事実は存在しない。にもかかわらず、厚労省がリークする形で「全件照会を断念する方向で検討に入った」との記事が出現したのだ。
細川律夫厚労大臣は、国会で記事内容を全否定している。政務三役の一人は、毎日新聞に抗議するよう事務方に命じている。
いったい、どういうことか。
マニフェストの変更を望む一部官僚が、自らの願望を厚労省の意思であるかのにように吹聴し、新聞に書かせた。これが真相だ。
記事のネタ元となった年金局の官僚は、得意のべらんめえ口調で、全件照合などやるわけないだろう、と各紙の記者にうそぶいた、という。
年金局の幹部の一人も、発信源の官僚は局のラインにいる人じゃない人だから勝手なことを触れ回られ困っている、と苦り切っている。
この記事を書いた記者は、報道の使命とあり方を真摯に問い直すべきだ。
報道の本来のあり方に立てば、官僚の説明を鵜呑みにするのではなく、まず内容を検証し、事実に反する以上、その邪な発言こそ問題とするべきだろう。
一部官僚の思惑だけで世論が恣意的に誘導される事態がまかり通れば、国会軽視が常態化し、それこそ議会制民主主義の否定になる。
以上、岩瀬達哉「官僚のリークによる御用記事をいつまで書き続ける気か ~ジャーナリストの目第75回~」(「週刊現代」2011年7月9日号)に拠る。
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この事実を見事なまでに浮き彫りにしたのが、原発災害に関する報道だった。
わけても象徴的だったのは、福島第一原発1号機の原子炉建屋が爆発した際の報道だ。3月12日、NHKをはじめ民放各局とも、爆発の瞬間については、しばらく報じなかった。建屋の上部が吹き飛び、鉄骨が露わになった建物を静止画像で流していたにすぎない。
だが、日本のテレビが音無しの構えをとっていた間、BBCはその爆発の瞬間をとらえた映像を放送し、WEBでも即座に公開した。
この不自然かつ不気味な情報格差は、ツイッターやメールで日本国内に瞬く間に周知のものとなった。そして、多くの国民が日本のメディアに抱いてきた不信を確信に変えた。
日本の新聞やテレビは、公権力がゴーサインを出すまで“国民の知る権利”に応えようとしないのだ。というより、「できない」のだ。
彼らの取材拠点「記者クラブ」の運営経費の大半は、税金で面倒を見てもらっているからだ(16年前の調査だが、当時少なくとも111億円の税金が投入されていた)。
批判すべき相手側から、これだけ手厚い経済的便宜供与を受けていれば、「完全な自由を有する」報道など、できなくて当たり前だ。
それどころか、邪な官僚たちの御先棒を担ぐ報道に利用されたとしても、何ひとつ文句を言えない。記事にしなければ次のネタがもらえない、などと情けないことを言う始末だ。
5月26日、毎日新聞が1面でスクープを報じた。・・・・が、これも、厚労省年金局の“一部官僚”にうまくそそのかされ、書かされたものだ。
くだんの記事は、民主党のマニフェストの柱ともいうべき年金記録問題への取り組みの変更を伝えるものだ。年金記録の全件照合は国家的プロジェクトだ。これによって民主党は政権交代を果たした、とさえ言ってもよい。その重要政策の変更となれば、民主党内で議論が不可欠だ。しかし、議論が活発かつ広範囲に戦わされた事実は存在しない。にもかかわらず、厚労省がリークする形で「全件照会を断念する方向で検討に入った」との記事が出現したのだ。
細川律夫厚労大臣は、国会で記事内容を全否定している。政務三役の一人は、毎日新聞に抗議するよう事務方に命じている。
いったい、どういうことか。
マニフェストの変更を望む一部官僚が、自らの願望を厚労省の意思であるかのにように吹聴し、新聞に書かせた。これが真相だ。
記事のネタ元となった年金局の官僚は、得意のべらんめえ口調で、全件照合などやるわけないだろう、と各紙の記者にうそぶいた、という。
年金局の幹部の一人も、発信源の官僚は局のラインにいる人じゃない人だから勝手なことを触れ回られ困っている、と苦り切っている。
この記事を書いた記者は、報道の使命とあり方を真摯に問い直すべきだ。
報道の本来のあり方に立てば、官僚の説明を鵜呑みにするのではなく、まず内容を検証し、事実に反する以上、その邪な発言こそ問題とするべきだろう。
一部官僚の思惑だけで世論が恣意的に誘導される事態がまかり通れば、国会軽視が常態化し、それこそ議会制民主主義の否定になる。
以上、岩瀬達哉「官僚のリークによる御用記事をいつまで書き続ける気か ~ジャーナリストの目第75回~」(「週刊現代」2011年7月9日号)に拠る。
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