<スーパー字幕を仕事にするには語学のほかに三つの条件がどうしても必要である。
1 映画を愛し、映画を理解する力をそなえていること
2 日本語、とくに話し言葉に熟達していること
3 百科辞典的な雑知識に好奇心をもっていること
この三つのうち、1と2は当然のことだが、3の条件については案外忘れられている。この条件はスパー字幕をつくるときほどではないにしても、翻訳という仕事には多かれ少なかれ必要なことなのである。>【注1】
<この“文法”--スーパー字幕づくりの“きまり”はふつうの翻訳の場合とだいぶ違う。(中略)
JULIET:
What's in a name? That which we call a rose
By any other name would smell as sweet.
ご存じ『ロミオとジュリエット』第二幕第二場のジュリエットの有名なせりふである。どの引用句辞典にも出ていて、ごまかしのきかぬせりふである。坪内逍遙から小田島雄志まで日本語訳はいろいろあるが、中野好夫訳は次のようになっている。
「名前が一体何だろう。私たちがバラと呼んでいるあの花の、
名前が何と変わろうとも、薫りに違いはないはずよ」
『ロミオとジュリエット』は何回も映画につくられているが、われわれにはイタリーのフランコ・ゼフィレッリ監督がつくったのがもっとも印象に残っている。ジュリエットはこの映画で売り出したオリビア・ハッセー。歌手布施明と結婚したあおのオリビアで、彼女はこのせりふをおよそ8秒でしゃべった。したがって8秒で読みきれるスーパー字幕をつくらなければならない。入場料を払って映画を観にくる観客が8秒で読みきれなければならないのである。試写室で映画を見る先生がたの字幕を読む速度は標準にならないのだ。
観客がスーパー字幕を読む速度を計算してみると、2秒で7、8字、3秒で10字、5秒で20字ということになる。8秒あれば30字は読めるわけである。中野好夫の日本語訳は49字になっているから、およそ三分の二の30字ほどに要約すればよいわけである。
スーパー字幕は1行10字、2行までということにきまっている。「モロッコ」のときに1行13字だったのが、50年のあいだに1字ずつ減らされて、10字になったのである。私たちスーパー字幕屋が観客の反応を見ながら減らしていったわけだが、シネマスコープ、トッドAO、ビスタビジョン、シネラマなどという横に長い画面が多くなって、1行の字数を少なくした方が読みやすくなったのが大きな理由である。日本人の学力が低下して、文字を読む速度がおそくなったのだろうという人もいる。あるいはそんなこともあるかもしれない。
1行10字にすると、30字の字幕をつくるには字幕を2枚か3枚にわけなければならない。
俳優はせりふをしゃべるとき、一気にしゃべるのでなく、多くの場合、ところどころ間をおいてしゃべる。字幕をその間にしたがってわけると、しゃべられているせりふにぴったり合ったスーパー字幕ができ上がる。
このジュリエットのせりふをスーパー字幕にすると、次のようになる。
「名前が何なの?」
「バラという花が何と変
ろうと」
「香りは変わらないのよ」
スーパー字幕は本を読むのとちがって読み直しがきかないのだから、一枚一枚の字幕を観客の立場に立って読みやすくつくらなければならない。意味がよくのみこめぬうちに次の字幕があらわれると、頭が混乱してきて、映画を満足に鑑賞できなくなる。字数が多くなりすぎたり、読みにくい字を使ったりすることは絶対に避けなければならない。“翻訳”の話をしているのにわき道にそれすぎるようだが、“字幕スーパーの文法”について語るからにはぜひと頭に入れておかなければならぬことである。>【注2】
【注1】本書の「スーパー字幕よもやま話」から一部引用
【注2】本書の「字幕スーパーの文法」から一部引用
□戸田奈津子/上野たま子・編、清水俊二『映画字幕は翻訳ではない』(早川書房、1992)
【参考】
「【映画字幕】の中に人生 ~戸田奈津子の、要約と達意~」
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1 映画を愛し、映画を理解する力をそなえていること
2 日本語、とくに話し言葉に熟達していること
3 百科辞典的な雑知識に好奇心をもっていること
この三つのうち、1と2は当然のことだが、3の条件については案外忘れられている。この条件はスパー字幕をつくるときほどではないにしても、翻訳という仕事には多かれ少なかれ必要なことなのである。>【注1】
<この“文法”--スーパー字幕づくりの“きまり”はふつうの翻訳の場合とだいぶ違う。(中略)
JULIET:
What's in a name? That which we call a rose
By any other name would smell as sweet.
ご存じ『ロミオとジュリエット』第二幕第二場のジュリエットの有名なせりふである。どの引用句辞典にも出ていて、ごまかしのきかぬせりふである。坪内逍遙から小田島雄志まで日本語訳はいろいろあるが、中野好夫訳は次のようになっている。
「名前が一体何だろう。私たちがバラと呼んでいるあの花の、
名前が何と変わろうとも、薫りに違いはないはずよ」
『ロミオとジュリエット』は何回も映画につくられているが、われわれにはイタリーのフランコ・ゼフィレッリ監督がつくったのがもっとも印象に残っている。ジュリエットはこの映画で売り出したオリビア・ハッセー。歌手布施明と結婚したあおのオリビアで、彼女はこのせりふをおよそ8秒でしゃべった。したがって8秒で読みきれるスーパー字幕をつくらなければならない。入場料を払って映画を観にくる観客が8秒で読みきれなければならないのである。試写室で映画を見る先生がたの字幕を読む速度は標準にならないのだ。
観客がスーパー字幕を読む速度を計算してみると、2秒で7、8字、3秒で10字、5秒で20字ということになる。8秒あれば30字は読めるわけである。中野好夫の日本語訳は49字になっているから、およそ三分の二の30字ほどに要約すればよいわけである。
スーパー字幕は1行10字、2行までということにきまっている。「モロッコ」のときに1行13字だったのが、50年のあいだに1字ずつ減らされて、10字になったのである。私たちスーパー字幕屋が観客の反応を見ながら減らしていったわけだが、シネマスコープ、トッドAO、ビスタビジョン、シネラマなどという横に長い画面が多くなって、1行の字数を少なくした方が読みやすくなったのが大きな理由である。日本人の学力が低下して、文字を読む速度がおそくなったのだろうという人もいる。あるいはそんなこともあるかもしれない。
1行10字にすると、30字の字幕をつくるには字幕を2枚か3枚にわけなければならない。
俳優はせりふをしゃべるとき、一気にしゃべるのでなく、多くの場合、ところどころ間をおいてしゃべる。字幕をその間にしたがってわけると、しゃべられているせりふにぴったり合ったスーパー字幕ができ上がる。
このジュリエットのせりふをスーパー字幕にすると、次のようになる。
「名前が何なの?」
「バラという花が何と変
ろうと」
「香りは変わらないのよ」
スーパー字幕は本を読むのとちがって読み直しがきかないのだから、一枚一枚の字幕を観客の立場に立って読みやすくつくらなければならない。意味がよくのみこめぬうちに次の字幕があらわれると、頭が混乱してきて、映画を満足に鑑賞できなくなる。字数が多くなりすぎたり、読みにくい字を使ったりすることは絶対に避けなければならない。“翻訳”の話をしているのにわき道にそれすぎるようだが、“字幕スーパーの文法”について語るからにはぜひと頭に入れておかなければならぬことである。>【注2】
【注1】本書の「スーパー字幕よもやま話」から一部引用
【注2】本書の「字幕スーパーの文法」から一部引用
□戸田奈津子/上野たま子・編、清水俊二『映画字幕は翻訳ではない』(早川書房、1992)
【参考】
「【映画字幕】の中に人生 ~戸田奈津子の、要約と達意~」
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