語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【玉村豊男】ローマ皇帝ヴィテリウス,太陽王ルイ14世 ~大食漢伝説~

2016年01月23日 | ●玉村豊男

 (1)大食漢の伝説は多い。
 ローマ皇帝ヴィテリウスは、前菜に生牡蠣を100ダース(1,200個)食べた。
 文豪バルザックは、小説を1編書き終えると、生牡蠣100個、仔牛の背肉12枚、鴨のカブラ煮込み1羽、シャコのロースト2羽、舌平目のクリーム煮1尾をぺろりと平らげ、その勘定書を出版社へまわした。

 (2)太陽王ルイ14世は、帰属戦争やオランダ侵略戦争で隣国を「食べ」たが、その食事も盛大だった。
 朝10時、朝食。・・・・8コース計4皿。鶏2羽とシャコ6羽のキャベツ煮、16kgの仔牛肉、12羽の鳩のパイ詰め、七面鳥2羽の炙り焼き、トリュフ詰め若鶏2羽。食後に茹で玉子3個をデザート代わりに口中に放り込んだ。
 午後6時、夕食。・・・・腸詰め、パテ、煮込みを前菜に、仔牛4kgと鶏・雉・鳩類合計53羽をメインとして食べ、これでは足りないと言って、さらに鴨とヤマシギを追加注文した。
 夜食。・・・・鯉3尾、大型カワマス1尾、スズキ3尾、舌平目3尾、マス1尾、大鮭を半身。
 夜食を食べ終わると、深夜の空腹時用に、パン3個、ブドウ酒2瓶を抱えてベッドに入った。
 食べ残しはあっただろうし、どこまで伝説でどこまで事実か不明だが、とにかく太陽王の食欲はすさまじかったらしい。

□玉村豊男『食いしんぼグラフィティー』(文春文庫、1989)
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 【参考】
【食】スープの語源 ~玉村豊男『世界の野菜を旅する』~
【食】新大陸からの贈りもの ~ジャガイモの歴史~
【読書余滴】玉村豊男の、沖縄の人がコンブをたくさん食べる理由 ~聴衆からの質疑に答える極意~
【玉村豊男】国際的競争力のある宅配 ~日本人のお家芸~
【玉村豊男】大食漢の話 ~体重500キロ~
【玉村豊男】料理の四面体 ~理論と実例~
【読書余滴】玉村豊男の、ワインと女は古いほどよい ~熟成と生涯学習~
【読書余滴】玉村豊男の、批評する要件または批評の仕方 ~日本版ミシュランを採点する~
【読書余滴】玉村豊男の、フランスのレストラン・ガイド、料理批評 ~『ミシュラン東京版』の狙い~
【読書余滴】玉村豊男の、東京の隠れ家 ~都市の中の自由とその代償~
【読書余滴】理論と実践又はアルジェリア式羊肉シチューの事 ~料理の四面体~
【読書余滴】玉村豊男の、沖縄の人がコンブをたくさん食べる理由 ~聴衆からの質疑に答える極意~
【読書余滴】玉村豊男の、赤ん坊はキャベツから生まれる
書評:『パリ 旅の雑学ノート』
書評:『エッセイスト』
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【食】スープの語源 ~玉村豊男『世界の野菜を旅する』~

2016年01月18日 | ●玉村豊男
 スープの中にパンを入れて食べるのが、ヨーロッパの普遍的な習慣である。少なくとも家で食べる日常の食事ではそれが当たり前だ。特に田舎に行けばそうだ。スープが出てくれば当然のようにパンをちぎって投げ入れ、パンに汁が滲みてぐずぐずになった頃合いをみはからって、そのパンをスープといっしょにスプーンですくって食べる。
 南仏のレストランで、ブイヤベースやスープ・ド・ポワッソン(魚のスープ)を注文すれば、別皿に薄く切ったパンを載せてもってくる。そのパンの上にスパイスのきいたマヨネーズ状のものを塗り、スープの上にそっと置いて、しばらくしてパンに汁が滲みてきたら、そのパンごとスープをすくって食べるのが定番の作法だ。
 前日の残りパンの再利用だ。
 実をいうと、スープという言葉は、もともとこのパンのことを指していたのだ。
 ボウルか深皿に一片の硬いパンを入れ、そこに汁を注ぐ。しばらく待ってから食べれば、パンはやわらかくなっている。
 その、汁の滲みたパン、またはそのために汁の中に入れるパンのことを「スープsoupe」と呼んだ。フランス語の語源辞典によれば、12世紀末頃に登場した言葉だそうだ。
 その後、「ポタージュpotage」という語も登場したが、これは「ポ(ポット)pot=鍋」の中に入れる具材すべてを示す言葉で、パンのほかに肉や野菜を入れたスープをポタージュと総称するようになった。
 時代が進むにつれ、パンだけのスープから、野菜も肉類もと、しだに中身が豊かになってきた歴史がうかがえる。
 現代のフランス語でも、家庭菜園のような小さな野菜畑、料理に使うために野菜やハーブを育てている菜園のことを「ポタジェpotager」というが、これは、スープの鍋に入れる具材をつくる畑というのが本来の意味だ。
 なお、レストランでスープやポタージュにクルトン(焼くか揚げるかしたパンの断片)を最後に散らすのは、昔の「スープ(の中に入れるパン)」の姿を忍ばせる、ある種の儀式のようなものだ。

□玉村豊男『世界の野菜を旅する』(講談社現代新書、2010)
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 【参考】
【食】新大陸からの贈りもの ~ジャガイモの歴史~
【読書余滴】玉村豊男の、沖縄の人がコンブをたくさん食べる理由 ~聴衆からの質疑に答える極意~
【玉村豊男】国際的競争力のある宅配 ~日本人のお家芸~
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【玉村豊男】料理の四面体 ~理論と実例~
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【読書余滴】玉村豊男の、批評する要件または批評の仕方 ~日本版ミシュランを採点する~
【読書余滴】玉村豊男の、フランスのレストラン・ガイド、料理批評 ~『ミシュラン東京版』の狙い~
【読書余滴】玉村豊男の、東京の隠れ家 ~都市の中の自由とその代償~
【読書余滴】理論と実践又はアルジェリア式羊肉シチューの事 ~料理の四面体~
【読書余滴】玉村豊男の、沖縄の人がコンブをたくさん食べる理由 ~聴衆からの質疑に答える極意~
【読書余滴】玉村豊男の、赤ん坊はキャベツから生まれる
書評:『パリ 旅の雑学ノート』
書評:『エッセイスト』

   

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【玉村豊男】国際的競争力のある宅配 ~日本人のお家芸~

2013年01月23日 | ●玉村豊男
 玉村豊男の文章は、軽くて、読みやすい。あれほど読みやすい文章は、なかなか書けるものではない。
 その軽さに騙されて、一読、そのまま忘却するのはもったいない。あれだけ世界を旅している人だ。本人に批評する意図がなくても、自ずから批評が生まれる。

 団塊世代に対する田舎暮らしガイドブック『田舎暮らしができる人 できない人』は書く。
 通信手段の発達が田舎暮らしの不便を解消した、という。インターネットは暮らしのスタイルを根本から変えてしまった、と。
 原稿を書くにあたり、調べものをするには、東京に住んでいたときは都立や国立の図書館に行き、神田の古書店街を歩いて資料を探した。大型の書店にも出入りした。今ではパソコンの前に座るだけで、世界中の情報が検索できるし、教えを請えば姿の見えない無数の人が寄ってたかって教えてくれる・・・・。
 これは、さほど目新しい発見ではない。

 情報だけでなく、買物もインターネットで激変した。本を買うにも、本屋へ行くよりパソコンの中に探すほうが早く確実だ。本に限らず、そして東京に住んでいても、都心のデパートや専門店に行くよりネットショップのほうがはるかに能率的だ・・・・。
 これも、さほど目新しい発見ではない。

 ちょっと独創的なのは、ネットショップを支える宅配便サービスの充実を賞揚している点だ。
 日本では、インターネットであれ直接の電話であれ、注文すればどこへでも間違いなくモノが届く。あたりまえのように思いがちだが、消費者物流をこれほど正確迅速安全におこなうことができる国は、世界でもめったにないのだ。
 商品を、間違いなく、ていねいに運び、正確な時刻に、きちんと相手に届ける。しかもその場で代金を受け取り、事務処理までして、帰って会社に報告する(カード決済でない場合)。こういうことをやらせたら、日本人の右に出る国民はない。
 世界の多くの国では、配達人を信用して現金を渡すことはできないだろう。
 だから、もし仮に日本が沈没して外国で生きなければならなくなったら、スシ職人になれない人は宅配業者が一番だ。いや、日本沈没がなくても、世界中に日本の宅配便システムを広め、汗をかきながら律儀にものを運んでいれば、日本人は世界の敬意を集め、戦争の準備をしなくても平和に生きることができるであろう・・・・。
 このあたりが、かなり独特な考察だ。そして、現実性のある考察で、事実、クロネコヤマトは海外に進出したし、国際宅急便に新規に乗り出した事業所もあるらしい。

 玉村は、念を押すように、書いている。
 <それぞれの国には、お家芸とでもいうべき得意の職業があるものです。フィリピン人はその笑顔とホスピタリティーで看護師、介護福祉士、ハウスメイド、もしくはその天性のリズム感を生かして歌や踊りのエンタテイナー。インド人は、貴金属商でなければ理髪師か仕立屋さん。ギリシャ人は船乗りか美容師。ポルトガル人はコンシェルジュ(アパートの管理人)、というように、私は、日本人が世界の中で生きていくには、宅配をお家芸にするのがいちばんいいのではないかと思っています。>
 産業構造転換のヒントになるかもしれない。

□玉村豊男『田舎暮らしができる人 できない人』(集英社新書、2007)

 【参考】
【玉村豊男】大食漢の話 ~体重500キロ~
【玉村豊男】料理の四面体 ~理論と実例~
【読書余滴】玉村豊男の、ワインと女は古いほどよい ~熟成と生涯学習~
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【玉村豊男】大食漢の話 ~体重500キロ~

2013年01月22日 | ●玉村豊男
 太陽王ルイ14世は、帰属戦争やオランダ侵略戦争で隣国を「食べ」たが、その食事も盛大だった。
 朝10時、朝食。・・・・8コース計4皿。鶏2羽とシャコ6羽のキャベツ煮、16kgの仔牛肉、12羽の鳩のパイ詰め、七面鳥2羽の炙り焼き、トリュフ詰め若鶏2羽。食後に茹で玉子3個をデザート代わりに口中に放り込んだ。
 午後6時、夕食。・・・・腸詰め、パテ、煮込みを前菜に、仔牛4kgと鶏・雉・鳩類合計53羽をメインとして食べ、これでは足りないと言って、さらに鴨とヤマシギを追加注文した。
 夜食。・・・・鯉3尾、大型カワマス1尾、スズキ3尾、舌平目3尾、マス1尾、大鮭を半身。
 夜食を食べ終わると、深夜の空腹時用に、パン3個、ブドウ酒2瓶を抱えてベッドに入った。
 食べ残しはあっただろうし、どこまで伝説でどこまで事実か不明だが、とにかく太陽王の食欲はすさまじかったらしい。

 大食の伝説は多い。
 ローマ皇帝ヴィテリウスは、前菜に生牡蠣を100ダース(1,200個)食べた。
 文豪バルザックは、小説を1編書き終えると、生牡蠣100個、仔牛の背肉12枚、鴨のカブラ煮込み1羽、シャコのロースト2羽、舌平目のクリーム煮1尾をペロリと平らげ、その勘定書は出版社へまわした。

□玉村豊男『食いしんぼグラフィティー』(文春文庫、1989)

   *

 マイケル・フレバンコという米国人は、あまりに食べ過ぎて体重が500kgにもなった。写真では、巨大なボールのような体型をしていた。
 当然、寝て暮らすしかない。
 当然、移動には起重機がいる。
 何年か前、このニュースを見て驚き呆れ、メモだけはとっておいたが、今ネットを検索しても出てこない。
 念のために「体重500キロ」で検索したら、Mayra Rosales さん(31歳)、体重1,100ポンド(約500kg)超、という記事が見つかった。

 【参考】
【玉村豊男】料理の四面体 ~理論と実例~
【読書余滴】玉村豊男の、ワインと女は古いほどよい ~熟成と生涯学習~
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【読書余滴】玉村豊男の、沖縄の人がコンブをたくさん食べる理由 ~聴衆からの質疑に答える極意~
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【玉村豊男】料理の四面体 ~理論と実例~

2013年01月20日 | ●玉村豊男
  

1 玉子料理 ~ウォーミングアップ~
 5種類の玉子料理料理がある。
  (1)フライド・エッグ(目玉焼き)
  (2)スクランブルド・エッグ(炒り玉子)
  (3)ポーチド・エッグ(落とし玉子)
  (4)ボイルド・エッグ(茹で玉子)
  (5)オムレツ(卵焼き)
 (3)と(4)の違いは、料理以前に殻を剥くか剥かないかであって、両者とも料理は湯(水+火)を使う。よって同じ料理に分類できる。
 ただし、(3)は普通の湯に玉子を割り落としただけでは黄身も白身もグズグズ拡散してしまう。少々の酢を入れておく必要がある。
 だから、料理にはやはりア・プリオリな知識が必要なのだが、酢の入っていない湯に落としたところで、食べられないわけではない。湯ごと掬って食べればよい。掻き玉子とか、玉子とじになる。姿は異なるが、掻き玉子、玉子とじ、かきたま(掻き玉)は同じ本質を持った料理だ。
 黄身も白身もグズグズ拡散した料理は、(3)としては失敗だが、汁(スープ)としては新たな料理を開発できる。
 (1)は「玉子の姿炒め」だ。同時に、(2)は「玉子の崩し炒め」、(5)は「玉子の炒め固め」だ。いずれも玉子の油炒めだ。「殻なし玉子の油炒め」が異なる衣装をまとって立ち現れたものだ。日本の「だし巻き」も、(2)の固まったものにすぎない。

2 料理の四面体【注】
 (1)料理の四要素
  A 水
  B 空気
  C 油
  D 火

 (2)稜線と面
  1のA、B、Cの3点を結ぶ三角形をつくり(二次元)、この三角形の上部にDを置いて三角錐を設定する(三次元)。すると、次のような稜線と面が出現する。
  (a)稜線
    ① A(水)~B(空気) 
    ② A(水)~C(油)
    ③ B(空気)~C(油)
    ④ A(水)~D(火)
    ⑤ B(空気)~D(火)
    ⑥ C(油)~D(火)
  (b)面
    Ⅰ A(水)~B(空気)~C(油)
    Ⅱ A(水)~B(空気)~D(火)
    Ⅲ A(水)~C(油)~D(火)
    Ⅳ B(空気)~C(油)~D(火)

 【注】「加藤周一の、大きさの話または『野生の思考』の事 ~絵画・写真と構造~

3 実例(1)
   ④ A~煮物(スープ)~煮物(シチュー)~D
   ⑤ B~干物~くんせい~ロースト~グリル~D
   ⑥ C~揚げ物~炒め物~煎り物~D

 <実例(1)>
  
4 実例(2) ~豆腐料理~
 (1)一丁の豆腐を用意する。生の豆腐は、最初は水漬け状態だから、A点に位置する。
 (2)冷や奴(料理以前のサラダ状態)は、水~空気の稜線(①)上に位置する。水に張ったままならA点と重なるし、完全に水を切って出せばB点に重なる。
 (3)(2)に時間という要素を加え、そのまま皿に置いて腐らせる(発酵させる)と、植物性のチーズのようなものができあがる。中華料理の「腐乳」がこれに近い。そのまま酒のツマミにすると絶妙だし、潰して各種のタレに加えるとコクと深みを増し、風味をひきたてる。時間の要素のほかに、バクテリアの働きによっていささかの熱がプロセスに加わるのかもしれないが、火熱を加えたわけではないから、B点から心持ちDの方向へ引き上げ、焼き物ライン(⑤)のいちばん下のところに位置づければよい。
 (4)豆腐を油に浸せば、「豆腐の油漬け」だ。C点と重なる。しかし、このまままでは食べにくいから、油の量を減らし、その代わりに醤油をかけて食べる。この作業は、C点からAの方向へ移動させる作業だ。A点にかなり近づければ、冷や奴に醤油とラー油をかけて食べる一品ということになる。さらしネギと煎りゴマを添えるとよい。
 (5)A点における豆腐を再検討すると、生のまま醤油につけた「醤油漬け」、味噌に漬けた「味噌漬け」、体内の水分を凍結させてつくる「凍み豆腐」(<例>高野豆腐)なども表す。ただし、凍み豆腐は寒風にさらしてつくるから、空気も関係する。よって、凍み豆腐はBへ位置を少しずらす。
 (6)(1)~(5)は生ものの世界だったが、以下は火の支配する料理本体の世界になる。AからBへ上がっていくと、途中で「湯豆腐」ができあがる。ただの水ではなく、出しと酒で煮れば、「豆腐のすっぽん煮」となる。醤油と出し、味醂などで味をつけた汁で煮れば「煮奴」となる。味噌汁の中でさっと煮れば、「豆腐の味噌汁」となる。
 (7)水で煮るのではなく、水蒸気で蒸せば、豆腐は煮物ラインから少しはずれて「蒸し豆腐」となる。他の肉や魚といっしょに蒸し合わせれば、豪勢な料理になる。和風にするか、中華風にするかは調味料の使い方しだいだ。むろん、豆腐をすり潰してから魚のすり身や野菜を加えて蒸せば、また異なった料理のレパートリーとなる。
 (8)揚げ物ライン(⑥)の上に豆腐を置けば、「油揚げ」、「揚げ出し豆腐」、「炒り豆腐」などができる。潰して揚げれば「がんもどき」(飛竜頭)、潰さないか、大きく切るか、小さく切るか、そのままでいくか、粉をつけるか、衣をつけるか、パン粉をつけるか、等あとの工夫はアイデア次第だ。豆腐の天ぷら、豆腐のカツ・・・・豆腐ハンバーグは近年店頭でよく見かける。
 (9)焼き物ライン(⑤)の上に持ってくれば、「焼き豆腐」、「田楽」といった類の料理ができる。もっと火から話して、「豆腐のくんせい」を作ってもよい。
 (10)四面体は、1回使うだけではたいした数の料理は発見できないけれど、2回か3回繰り返して使うと、さまざまな料理の姿が見えてくる。例えば、豆腐をG点に持っていき、「揚げ出し豆腐」「油揚げ」(G豆腐)を作った場合、こんどはそのG豆腐を底面に持っていくのだ。つまり、底面の三角形(生ものの世界)の板を取り払い、そこへG豆腐の板をはめこむ(G豆腐の状態を生ものと見る)のだ。すると、G豆腐があちこちに移動するたびに、
 「GE豆腐(いったん揚げた豆腐を出し汁、スープ、醤油等の“水”で煮たもの)
 「GI豆腐(油揚げの網焼き)」
 「GF豆腐(揚げ出し豆腐を蒸したもの)」
など、次々にあらたな料理が立ち現れる。この“底面変換”をさらに繰り返して、
 「GHE豆腐(油揚げの炒め煮)」
 「GJF豆腐(厚揚げの田楽蒸し)」
 「GEHI豆腐」
などをつくることもできる。
 実は、最初に豆腐を冷や奴にしようか、などと考えたとき、すでに“底面変換”をやっていたのだ。豆腐屋から買ってきた豆腐を“生もの”として扱っていたのだから。豆腐は、すでに調理済みの食品なのだ。A大豆が煮ものライン(④)をのぼってE大豆になり、再び煮ものライン(④)をくだって(冷めて)A点に戻る、といった動きがあったのだ。スタートラインの大豆は、一度旅に出てから故郷に戻ると、人あたりの柔らかい豆腐になっていたのだ。

 <実例(2)>
  
□玉村豊男『料理の四面体』(中公文庫、2010)

 【参考】
【読書余滴】玉村豊男の、ワインと女は古いほどよい ~熟成と生涯学習~
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【読書余滴】玉村豊男の、赤ん坊はキャベツから生まれる
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【読書余滴】玉村豊男の、ワインと女は古いほどよい ~熟成と生涯学習~

2011年02月08日 | ●玉村豊男
 玉村豊男が、まだ40代の頃、ポルトガルは北部の古都ポルトの小さなホテルのバーに入った。カウンターに腰をかけたが、あたりに誰もいない。そのとき、背後から男の声がした。
 「ボンディア! ドリンク?」
 ポルトガル語と英語のちゃんぽんで、しかもたった二語で用を足す簡便さ。英語は下手そうだが、小才のきく人懐こさは有能なホテルマンであることを示す。ホワイトポートを注文し、話をかわした。日本からやってきた、と聞いて、バーテンダー君、興味津々の表情となった。日本では腰に刀をさしたサムライが花魁のような着物を着た女を抱きかかえ、ホンダのバイクに乗って疾走する・・・・といったイメージを持っていたらしい。いまから20年前の話である。
 それはさておき、バーテンダー君、ふだんはフロントにいて交替でバーに入るだけなのだが、21歳だった。2年前に勤め始めた、という。
 若いね、将来は何になりなたいのか、と問う玉村に答えていわく、特に考えていない、結婚して子どもをもって平穏に暮らせれば、それでよい・・・・。
 「そういうもの?」
 「ポルトガルには、今日よりよい明日はない、という言葉があります。毎日を満足して暮らせれば、それで十分だと思います」

 この会話は衝撃的だった、と玉村は回想する。
 21歳の若者に教えられるとは。今日よりよい明日を求めるから、人は思い煩う。際限のない欲望に苦しめられる。ポルトガル人は、世界の海を制した15~16世紀から何世代もへて、ある種の達観ないし諦念を自然なかたちで受け入れている。翻って、私たちは「すでに成熟した社会」にふさわしい生き方をしているだろうか・・・・。

   *

 エッセイスト玉村豊男は、「ヴィラデストガーデンファーム・アンド・ワイナリー」の経営者でもある。
 玉村は、吹き荒れるグローバリズムの影響をできるだけ受けないように、拡大よりは持続をめざす「『超』効率の悪い零細企業」を『里山ビジネス』(集英社新書)で語った。
 この本を刊行した2008年6月には、まだ「神武・いざなぎを超える戦後最長の好景気」の余塵がくすぶっていた。しかし、同年秋から年末にかけて急速に経済が悪化した。これをみて、それぞれの人生においても、これまでとは別の戦略を立てる必要がある、と玉村は考えた。拡大より持続をめざすのである。
 『今日よりよい明日はない』の上記のエピソードに、「持続」の考え方の一端を窺うことができるだろう。

 ところで、ワイナリーのオーナーである玉村は、ワインの熟成と劣化は紙一重だ、という。発酵と腐敗は表裏の関係にある、ともいう。成長と老化は、事の両面である。
 日本人は若い、未熟な食べものを好む。野菜や果物は、季節を先取りしたものに人気がある。日本人は、「旬」と「走り」を取り違えている。ロリコン趣味である。
 牛肉は切り出して3週間熟成するとうまくなる。ワインは古いほどよい。ブドウの樹も老木ほど、その果実からつくられるワインは最高級品とされる。
 女はどうか。2008年度の朝日広告賞受賞作品に、資生堂の広告があった。前田美波里の若い頃と現在の写真を並べたヴィジュアルだ。デビューした頃も可愛いが、それから40年へた今の笑顔はもっと素晴らしい。60歳という年齢とはみえない若々しさもさりながら、「年齢とともに積み重ねてきた自信や余裕や覚悟が、充実した人生そのものの厚みとして、彼女しかない美しさを輝かせているのです」。
 その写真には、コピーが添えられていた。「私たちのエイジング」
 前田美波里とほぼ同世代の玉村にとって大切だと思われるのは、アンチエイジング(老化防止)ではなくてエイジング(熟成)なのだ。
 生涯発達の心理学・・・・フランスの発達心理学の紹介者、波多野完治は、生涯教育の概念を初めて日本へ持ちこんだ。玉村のいわゆる「熟成」は、生涯教育/生涯学習とも重なる。

【参考】玉村豊男『今日よりよい明日はない』(集英社新書、2009)
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【読書余滴】玉村豊男の、批評する要件または批評の仕方 ~日本版ミシュランを採点する~

2011年02月07日 | ●玉村豊男
(1)批評には知識・経験が必要
 『ミシュラン東京版』の刊行にあたり、朝日新聞に記事が載った。記者が、玉村豊男に2回、合計1時間半、話を聞いて数行のコメントを付けた。
 この記者、体験記事を書き添えていた。銀座のレストラン<ロオジェ>で、これが三ツ星か、と思って高い料理を食べたが、どこにそんな価値があるかわからなかった、云々。
 ものを知らない若い記者が勝手に書いたなら、編集デスクが即刻ボツにするべき記事だ。デスクの命令で<ロオジェ>に行き、社の取材費で食べたなら、ミシュランに対するある種の批判を込めたつもりかもしれないが、かかる愚かな原稿を得々と掲載すること自体、編集長・編集デスクを含めた新聞記者の質の低下を如実に示す。
 それまでほとんどフランス料理を食べたことのない人が、突然、最高級のレストランで、時代の先端をいくフランス料理を食べて、その価値がわかるだろうか。
 じつはその記者、あとでまた電話してきた。ウナギをゼリー寄せにしたような料理が出たが、あれは日本料理の影響か・・・・。
 玉村、答えていわく、フランス料理では昔からウナギを食材として使っている。ウナギのゼリー寄せはイギリスの伝統的な料理だ。シェフは、そうした一連の文脈を踏まえた上で、日本の風味も取り入れながら、現代風料理にアレンジしたのではないか・・・・。
 スポーツでもルールを知らなければ楽しめない。音楽や演劇などのどのジャンルの芸術でも、よりよく鑑賞するためには、ある程度の知識・経験が要請される。フランス料理の知識・経験のない人が、三ツ星レストランで食べて、「こんな料理のどこがよいのかわからない」と言っても、何の批評にもならない。

(2)ミシュランより高く評価
 『ミシュラン東京版』2008年版および2009年版で一ツ星が与えられた2軒のフレンチがあり、仮にAおよびBとしておく。そこで玉村は、食事をした。2009年版発売直前と、その1ヵ月前に。いずれも玉村には初めての店だった。
 Aは、青山通りにほぼ面したモダンなビルの1階にある。
 シェフとしては、お任せのコースを食べてもらいたいようで、アラカルトで取れる料理は少なかった。しかし、メインをアワビにして軽く食べたい、野菜で何か前菜をつくってほしい、とアラカルトにない料理を注文すると、快く応じてくれた。最初のアミューズから最後のプチフールに至るまで、間然するところのない料理と、そのプレゼンテーションは見事だった。
 インテリアは、最近の外国人がデザインしたハイアット系らしき感じだが、品がよく、落ち着いていた。人懐っこいが、リラックスできるサービスも出色だ。
 日本のフレンチにもこういう店があらわれたか、と玉村は感心した。これは二ツ星である。足を踏みいれただけで心が浮き立つような雰囲気づくりができれば、ほとんど三ツ星といってよい。

(3)ミシュランより低く評価
 Bは、ビルの半地下という環境だ。オフィスの一部のようで寂しい。わざとそうしているのだろうが、花も飾らない「シンプルモダン」(ミシュランの表現)のインテリアは、食事の場所としてかならずしも成功していない。好みにもよるだろうから、それだけでは失点とはいえない。しかし、天井から吊り下がっている無数の長い剣のような照明器具が地震の時に落下するのではないか、と玉村は不安になった。落下せずとも、食事中に揺れたら嫌だ。
 メニューはお仕着せコースのみだ。料金は高いコースの分を払うから、肉料理は安いコースに組みこまれているものと入れ替えてくれ、と頼んでみた。すると、厨房に確認したうえで、できないと拒否された。満員ではないから、食材が足りなかったとは思われない。この程度のことで厨房の手順が狂うようでは、星つきの店とはいえない。
 料理はきれいにつくられているが、それだけのことだ。料理人の伝えたいメッセージが伝わってこない。
 内装、サービス、料理とも、ラテン的というよりゲルマン的だ。杓子定規を求める客には向いているかもしれない。
 しかし、玉村の評価は、Aと比べるとはっきり低い。星ナシだ。

(4)体験談とガイドブックの違い
 (2)および(3)では、体験談として書くだけだから、たった1回の訪問で評価を下した、と玉村はいう。
 しかし、ガイドブックを書くなら、少なくとも2回、そのときに評価が異なればさらにもう1回、訪問しなければならない。
 また、Bの低評価は、単に玉村の趣味や好みが店の方針やコンセプトと合わないだけの理由かもしれないから、玉村と異なる審美眼をもつ審査員を同行させて審判を仰がなければならない。ガイドブックは、不特定多数の読者を対象とするからだ。

(5)日本版ミシュランの採点
 AおよびBに係る『ミシュラン東京版』2008年版および2009年版のコメントを読み比べてみると、両者とも文章がほとんど同じだ。語尾や配列をほんの少しだけ変えてあるだけだ。
 毎年発行するレストランのガイドブックは、前年から1年間にその店の料理がどう進化したか、その店がどういう方向に向かおうとしているのか、それが時代や流行とどう関わっているのかを示さねばならない。評論の機能を持たねばならない。
 日本版ミシュランは、ガイドブックの名に価しない。「星ナシ」と評価するしかない。

   *

 以上、「ミシュラン解題」による。なお、このコラムは、2008年11月28日に書かれた。

【参考】玉村豊男『オジサンにも言わせろNPO』(東京書籍、2009)
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【読書余滴】玉村豊男の、フランスのレストラン・ガイド、料理批評 ~『ミシュラン東京版』の狙い~

2011年02月06日 | ●玉村豊男
 フランスのレストラン・ガイド『ゴー・ミヨ』は、アンリ・ゴーとクリスチャン・ミヨという料理ジャーナリストが1969年に創刊した。年刊。最初は料理雑誌だった。その後主宰者も経営者も変遷しているが、現在も20点満点で各店を評価する(20点を満点とするのはフランスの伝統的な採点法)。創刊号以来、黄色の表紙で、その解説は料理に係る克明で正確な批評性に富む。解説の文章は魅力的で、料理の批評も正鵠を射ていることが多く、読み物として面白い。
 『ピュドロ』や『ルペ』も『ゴー・ミヨ』と同じく、著者の名で、著者の審美眼にしたがって店を選び、採点している。数冊読み比べると、著者の好みや偏見がわかる。読者はより客観的な判断ができる。
 他方、古い歴史を誇るフランスの『ミシュラン』は、星の数による評価を示すだけで、店の各種データは掲載するが、コメントは記さない。評価の理由は一切語らない。書けば悪口になる場合でも書かずに済ますことがでいる、というある意味ですばらしい大人のやり方とも言えるが、そのノーコメント主義こそ、きわめて厳正と噂される調査や評価とともに、『ミシュラン』の神秘的な権威の源泉となっている。
 
 『ミシュラン』が権威を獲得したのは、取材調査であることを店に告げず、身分を明かさない調査員が一般の客を装ってふつうに食事し、きちんとその代金を払う、というやり方によるところが大きい。カネを払って店の記事を載せてもらうことが当然のようになっているフランスでは、買収が効かない取材者は恐ろしい存在だろう。店は何も協力しない(協力できない)。撮影さえ協力していない(フランスの『ミシュラン』には写真がない)。取材者は、何の引け目も感じることなく、自由に書ける。
 『ゴー・ミヨ』は、身分を明かして取材するらしいが、やはり写真は撮影しないし、もちろん代金は払う。だから、しばしば辛辣な指摘をすることがある。それが彼らの料理評論家としてのスタンスを明快に示すやり方だ。また、「無言のミシュラン」に対する一種の批判になっている。『ゴー・ミヨ』は在野の精神に溢れている。

 日本では、演劇でも美術でも音楽でも、仲間うちの誉めあいや提灯持ちの宣伝記事はあっても、対象を批判しながら育てていくような、ほんとうの意味での批評といえるものは、めったに存在しない。とくに料理の世界では、フランスと違って料理そのものが批評の対象となるジャンルとして認められていない。そのうえ、料理人の世界は閉鎖的で、外部からの批判を決して受け付けようとしない。
 フランスでは、一流の料理人はかならず自分のレシピを公開して分厚い本を書く。料理の批評記事は、一流新聞に定期的に掲載される。
 また、どんな高級レストランでも、一般に開放されている。誰でも電話一本で予約できる。
 ところが、日本料理の世界では、料理は秘伝として公開しないまま代々受け継ぐ。一見さんはお断り、取材なんかとんでもない、という閉鎖性がまだまだ存続している。京都の老舗ともなれば、なおさらだろう。それはそれで伝統的な文化として守る価値はあるかもしれない。しかし、レストランという括りで見た場合、その閉鎖性は世界標準であるオープンなシステムとは相容れない。
 『ミシュラン東京版』は、出来不出来はともかく、伝統的な土俵から世界標準のピットに日本料理を引きずり出そうとする。まさしくグローバルな「黒船」にほかならない。

   *

 ミシュランのタイヤを履いた車で行けない海外の都市を扱おうとしたとき、『ミシュラン』の主宰者はこれまでとは別個の案内書をつくろうと決意したらしい。コメントも写真も載せない、という『ミシュラン』の決まりは、2005年のニューヨーク版で破られた。その結果できたのは、ミシュランの名を冠するには余りにもお粗末なガイドブックだった。面白みもなく役立ちそうもないわりに大きな写真と、店側の言い分をただ垂れ流すだけの節操のない文章が盛りこまれた。
 2007年の東京版も、こうした、ちょっと悲しくなるガイドブックだ。
 『ミシュラン東京版』の目玉が、スシ店を取りあげることにあったのは明白だ。フランスをはじめ、世界中で流行しているスシの、これが本場の最高基準なのだ、ということを他に先駆けてミシュランが示すこと。ジョエル・ロビュション氏をはじめとする世界の超一流料理人たちが来日するたびに訪れるようになった<すきやばし次郎>を「三ツ星」として認定すること。これが、『ミシュラン東京版』の前提条件になっていたのは容易に想像できる。
 フランスの『ミシュラン』では、三ツ星に価するレストランが満たすべき条件のひとつに、店の大きさと内装の立派さがある。フランスでは、これを「カードル(枠組)」と呼ぶ。要するに、入れもののことだ。レストランがどんな建物の中にあるか、店の施設、設備、家具、什器、食卓の設え、インテリアのグレードなど。トイレは必ずチェックされるらしい。ソフト面のサービスとは別に、ハードなモノや構造そのものが評価基準のひとつとされている。店の大きさ、収容能力の目安はないが、三ツ星レストランにあまり小さい店はない。
 この意味で<すきやばし次郎>は破格だ。店があるのはビルの地下、それも数軒の飲食店が並ぶ小さな地下街の一角である。10人も座ればいっぱいになってしまうカウンターが中心で、車いすは入れないし、キャッシュカードは使えない。トレイはビルの共用トイレだ。世界のミシュラン三ツ星の中で、店内にトイレがない店は、おそらくここだけだ。
 店主の小野二郎氏は自他ともに認める世界一のスシ名人だ。その料理<スシ>が三ツ星に価することは疑いようはない。だから、この店を三ツ星に認定するために、ミシュランは敢えてカードルの枠をはずしたのだ。
 
 2008年の第二版ではスシ店が6軒増えた。世界的な人気からいって、外国人読者が関心を寄せる日本の食べものは何といってもスシだ。だから、スシを中心に据えるのは当然の編集方針だろう。
 『ミシュラン東京版』は、東京を訪れるフランス人ないし英語を読める外国人旅行者一般を読者対象にして、フランス人が彼らの感覚で編集したガイドブックなのだ。だから、日本料理店に比べてフランス料理店が少ないし、日本料理店でもワインの飲める店が優遇されているのだ。
 『ミシュラン東京版』がとりあげる店の中には、日本人から見るといかにも薄っぺらな、バブルっぽいダイニングのようなインテリアの店がある。これもフランス人の趣味と考えれば納得がいく。フランス人は、日本人が考えるよりもはるかに新しいもの好きの「ミーハー」だ。古くて重厚な内装は見飽きているが、虚仮威しでも目先の変わった流行のインテリアには弱いところがあるのだ。スシに限らずやたらとカウンター席の店が多いのも、たがいに見知らぬ客が隣同士で肩をならべながら食事をするカウンターというスタイルが、フランス人にとって驚くべき斬新な発見だからである。
 フランス人が好む料理店、外国人を連れて行くとよろこばれる料理店という視点で見れば、『ミシュラン東京版』の選択は首尾一貫している。

   *

 以上、「ミシュラン解題」による。なお、このコラムは、2008年11月28日に書かれた。

【参考】玉村豊男『オジサンにも言わせろNPO』(東京書籍、2009)
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【読書余滴】玉村豊男の、東京の隠れ家 ~都市の中の自由とその代償~

2011年01月28日 | ●玉村豊男
 玉村豊男は、大学を卒業してしばらくの間ツアーコンダクターを勤めたことがある。この時の体験から、みんなの手伝いをして少しでも楽しい時間を過ごしてもらおうとするのがツアコンの精神だ、という。
 そして、ツアコン精神で文章を書いている、ともいう。「ゼロから物語を創造する小説家ではなく、原資料に当たって研究する学者でもなく、自分の体験したこと考えたことを土台にさまざまの情報をつけ加えて、読者にわかりやすく解説する雑文ライターがぼくの仕事だ。読んだ人はそれでいくらか知識が増えるか、新しいモノの見方を知るか、あるいはそのどちらの役に立たなくてもとにかく読んでいるうちは楽しい、エンターテインメント」
 そういう文章を目指している、と。

 玉村は、1945年生まれ。1983年に東京から軽井沢に引っ越した。
 しかし、物書きとして、しばしば東京に出かけねばならない。今なら新幹線で1時間余り、往復1万円ちょっと。一杯やって真夜中近くになっても十分日帰りできるのだが、玉村は1ヵ月に5、6泊、ホテルを利用した。
 ホテルの利点は、次の三点が重要だ、と玉村はいう。
 (1)調度が快適で、とくにバスルームが広く心地よい。自分で掃除する必要もない。
 (2)火の元だの戸締まりだのを気にする必要がない。管理責任がない。
 (3)フロントをはじめとするサービス機能を利用して、事務所と同じように使うことができる。
 ホテル内レストランがあるが、高価だ。ルームサービスもあるが、自分でコーヒーを入れる設備があると、そのほうが便利だ。
 かといって、街に出ていこうとすると、案外これがたいへんなのだ。大型のシティーホテルはどこでも周囲の都市機能から隔離されて存在するのがふつうだからだ(1986年の話である)。ホテルの玄関先からタクシーに乗り、あちこち出かけては、またホテルに戻る生活を続けているうちに、“ホテルという街”で暮らしている気分になった。東京という都市と物理的かつ心理的にもう少し密度の濃い接触をもちたい・・・・。
 ということで、玉村は自前の部屋をもつ決意をした。

 土地の選択、物件めぐりといった細かい話は本書に委ねる。
 保証人を要求されて奇怪な思いをするのだが、マンションの管理会社の担当者がかなりの老婆で不得要領、契約書の保証人の欄に管理人の名前を書いて捺印したから、結局保証人の手配はしなくてすんだ、といった奇妙な話も省く。
 とにかく、赤坂に7.5坪のワンルームを見つけ、電話の後に“三種の神器”をそろえた。浄水器、空気清浄機、太陽灯である。計6万数千円で、「限りなく自然に近い水と空気と光」を都会の狭いマンションの部屋に導入したわけだ。
 ところで玉村は、この「隠れ家」を出版社にも知友にも、細君を除いて誰にも知らせなかった。玉村は「人と実際に会って原稿を渡したり打ち合わせをしたりするのは非常に煩わしく、時間も無駄になるため大嫌い」な人なのであった。仕事も私用もすべて軽井沢の自宅に電話かファックスで伝えてもらい、その内容を玉村が細君に電話をして確認し、必要がある場合はその相手に玉村から連絡をとる。あまり連絡をとりたくない相手の場合には、うまく連絡がとれなかったことにして済ませる(繰り返しになるが、1986年の話である。今ならメールで似たような対応が可能だろう)。
 かくて、赤坂プリンスホテルで朝食(11時までブレック・ファースト・タイムなのだ)。喫茶店で原稿を書き、午後遅くサウナに入る。汗を流した後は寝椅子で本を読む。韓国料理屋で夕食をとり、帰途デザート用の水ようかんを和菓子屋で買って、部屋でお茶をいれて飲む。夜は遅くまで音楽を聴く。ボリュームを上げても、隣は事務所だから誰もいない。 

 こんな生活も悪くない、と玉村は感想をもらすのだ。「ホテルの部屋には泊まらないが、ホテルの施設とサービスは利用する。/それと同じように、都市に住む人々と深い契りは結ばないが、都市の機能だけは十二分に利用する。そんなことが許されるのだろうか。/もちろんだ。/そもそも、都市というものは、その機能を利用されるためにだけ存在するのではないのか?」
 グランドプリンスホテル赤坂が2011年3月31日に営業終了するのは、玉村のような客が多かったから・・・・か、どうかは、定かではない。
 参加せずに利用する、その代償は何か。
 考えてもよくわからないが、「ひとつだけわかることは、この音楽の音が外に聞こえないのと同じように、この部屋でいくら大声で叫ぼうとも誰も助けには来てくれない、ということだ。そのことだけはたしかだ。しかし、そのことも、誰ともかかわりがなくて孤独だとか淋しいというのではなく、たった一人で誰にも知られずに死んでいく自由があるのだ、と考えれば、代償というよりは特権と考えられないこともない」
 玉村、まだ40代に入ってまもない頃の生活と意見である。

 アルベール・カミュといえば一世を風靡し、ノーベル賞を受賞した小説家だが、その師ジャン・グルニエは哲学者にして作家だ。玉村は、Jean Grenierの“Les Iles”を学生時代から愛読してきたと、その一章を引く。
 「見知らぬ町における秘密の生活についての私の夢にもどろう。私は自分が何者であるかをありのままに語ることはないだろう。そればかりか、異邦の人に口をきかなくてはならないときは、むしろ実際よりももっとつまらない人間であるかのように自分を語るだろう。(中略)パリは、そういう見地からすれば、非常に大きな都市のすべてと同様に貴重な町であり、何かを隠す必要のある人は、そのためにこの町を好むのである。彼らはそこで二重の生活、三重の生活といったものを送ることができる。そればかりか、何ひとつ隠す必要がなくてもただ隠れて暮らすこともできる。アパルトマンの管理人かホテルのフロント係以外とはかかわりを持たずに、あなたがまったく知らないパリのある区域で1ヵ月暮らすことができる。ただし、そうした生活を守りぬくためには、デカルトのように一日に二度は管理人かホテルの使用人とやむなく話を交えることが絶対に必要である。彼らの軽率で危険なおしゃべりに先手を打つために、こちらから先に打ち明け話をしに行くことさえ必要なのである。そしてその打ち明け話は、こちらが秘密の生活をしたいと願えばこそそれだけ腹蔵のない、それだけ深い打ち明け話でなくてはならないだろう。もちろん、そんな打ち明け話の範囲は、隠すべき当の生活とはまったく無関係な領域に限られることはいうまでもないが」

【参考】玉村豊男『雑文王 玉村飯店』(文春文庫、1993)
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【読書余滴】理論と実践又はアルジェリア式羊肉シチューの事 ~料理の四面体~

2011年01月13日 | ●玉村豊男
  

 玉村豊男、1945年10月8日生、エッセイスト、画家、ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー代表、長野県原産地呼称管理委員会会長、「安心、安全、正直」な信州の温泉表示認定委員会委員。

 彼の作家としての出発は、『PARIS パリ 旅の雑学ノート カフェ/舗道/メトロ』(ダイヤモンド社、1977)および『PARIS パリ 旅の雑学2冊目 レストラン/ホテル/ショッピング』(ダイヤモンド社、1977)だ。両者とも新潮文庫に入り、いまでは前者が中公文庫で入手できる。
 しかし、料理に関するエッセイストとしての出発は、『料理の四面体』(鎌倉書房、1980)だ。空気・水・油という3要素が構成するナマものの世界があり、料理以前の世界だが、これに火という要素を加えると、火と油で揚げもの、火と水で煮もの、火と空気で焼きものができる。すべての料理は、この4要素が基本である。ゆえに、料理の四面体・・・・と説く。
 実にシンプルな理論で、その単純さは衝撃だった。
 本の洒落た装丁で、御大みずから手がけた・・・・ものであることは、長い間気づかなかった。ほぼ同時に『文明人の生活作法』が同じ書肆から出ている。こちらも面白かったが、一度も文庫化されていない。『料理の四面体』は一度文春文庫に入っているから、このたび二度目に文庫化したことになる。

 『料理の四面体』を書き下ろした当時、玉村は34歳。バツイチで、東京は三田のマンションの一室にこもって、ヒマさえあれば料理をつくって独りで食べていた。
 本書の冒頭、アルジェリア式羊肉シチューの体験は、玉村23歳のとき、ほっつき歩いていたアルジェリア南部のサハラ砂漠近くで路傍のアルジェリア人に呼び止められたところから始まる。

 数人の青年がピクニックの仕度をしていた。すでに七輪のようなコンロに、炭火が真っ赤におこっている。そこへ青年は、ペコペコにゆがんだアルミの深鍋をかけ、大きな瓶から黄色い濃厚なオリーブ油をドボドボと中に注いだ。そして、袋からとりだしたニンニクの皮を剥き、手にもったまま小刀で削って、たっぷり一個分を小片にして油の中に落とした。ニンニクの小片の周囲にふつふつと小さな泡が立ちはじめる。しだいにニンニクの輪郭の白がキツネ色に変わりはじめ、香気が勃然とたちのぼって、あたりを支配する。そのころあいに、袋から取り出した羊肉を無造作に鍋の中に放りこんだ。羊肉は、あらかじめ骨ごとに適当な、しかしかなりの大きさにブッ切りにされている。
 以下、かんたんに要約すると、鍋をゆすってオリーブ油を均等に肉片にからめながら炒める。肉の表面に焦げめのついたころ、真っ赤なトウガラシの粉をかなりの量、上からバサバサと振りかける。もう一度鍋をゆすって混ぜ合わせた後、よく熟した真っ赤なトマトを3~4個、ヘタをもぎとって、鍋の上で握りつぶす。さらに、ジャガイモを2個、皮を剥いてから四つ切りにして、鍋に放りこむ。塩をふたつまみほど入れる。
 炭火はしだいに峠をこして勢いを失い、トロ火になる。その変化に任せて羊肉をじっくり煮上げる・・・・。

 玉村と青年たちは、川べりに敷いた毛布の上に車座となって、お茶を飲みながら話をかわした。30~40分たったころ、料理番の青年が「できたぞ」と叫んだ。
 玉村が鍋のフタをとってみると、一瞬すばらしい香りがひろがり、ふつふつと羊肉が煮えていて、ジャガイモにも汁がたっぷり滲みて、見るからにうまそうだ。小皿にとりわけて食べてみると、臭みのない羊肉が香り高いトマト辛子ソースと渾然一体になった、まったりとした味わいは「絶佳の一語に尽きた」。
 この料理を日本で再現するには、ハンデがある。
 「砂漠近くのオアシスのような木陰、小川のほとりで鍋を囲む、豪快にして繊細な感覚の美は再現することが日本では不可能だ。この料理の美味のかなり多くの部分はそうした舞台装置に支えられているのかもしれないから、その欠如はほとんど取り返しがつかない」

 しかし、玉村は、あえてこの料理の再現を試みる。火は、木炭七輪の代わりにガス・レンジ。天然でなく、人工的に精製された透明なオーリブ油。骨ごと断ち切ったフレッシュなマトンの代わりに、ニュージーランド産冷凍羊肉の骨なし。トウガラシは、アルジェリア産は入手できないから、メキシコ製チリ・パウダーで代用する。
 「肝腎なのは、つくりかたの豪快さである。/この点だけがホンモノそっくりに真似できる点であって、しかもそれがこの料理の味と雰囲気の再現のためにもっとも重要なポイントなのだ」
 以下のこまごました留意点は、本書に委ねよう。
 「料理の四面体」理論は、こうした細部の事実から帰納されている。

【参考】玉村豊男『料理の四面体』(中公文庫、2010)
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【読書余滴】玉村豊男の、沖縄の人がコンブをたくさん食べる理由 ~聴衆からの質疑に答える極意~

2011年01月08日 | ●玉村豊男
 玉村豊男は、ある年、金沢市で開催された「コンブのシンポジウム」にパネラーとして出席した。
 コンブの生態とその食文化に果たした役割・・・・これが基調講演のテーマだった。大学でコンブの研究をしている専門家が話した。
 ディスカッションは滞りなく終わった。最後に、聴衆の質問に応じることになった。
 司会者に促されて、二人が手をあげた。

 最初の人の質問は、こうだ。「コンブとワカメとは、どう違うのですか」
 質問を受けた先生、しばらくのあいだ黙って、じっと考えこんだ。聴衆が待ちくたびれた頃、意を決したように発言した。
 「店でコンブといって売っているものはコンブ、ワカメといって売っているものはワカメです!」
 会場はドッと湧いたが、すぐに静けさを取り戻した。聴衆は納得したようだった。
 専門的にみれば、コンブとワカメの生物学的な境目はかなり微妙なものらしい。この微妙さを詳しく説明しても、時間がかかるばかりで、一般の聴衆には理解しがたい。だから、店がコンブ、ワカメといって売っているものをコンブでありワカメであると理解すればよい。それが、この先生の結論だったのだ。

 二番目に手をあげた人が、質問に立った。「沖縄の人は、なぜそんなにコンブを食べるのですか」
 北海道のコンブは、北前船によって日本海の港に運ばれた。そこから、陸路関西を経由し、富山の薬売りなどの手を介して沖縄まで持ちこまれた。コンブの消費量は、今でも沖縄が日本一である。こんな話がシンポジウムで話題になった。
 これに関する質問なのだが、先生、またもや考えこんだ。最初の質問のときよりも長い間、沈思黙考するのであった。
 沖縄では豚肉をよく食べる。コンブは、栄養のバランスを取るために必要だった。・・・・などという通りいっぺんの回答をするつもりは、ちっともないらしい気配であった。
 聴衆は、前の質問の際、先生の真摯とも滑稽ともいえる、誠実な学者らしい回答を聞いていた。だから、固唾を呑んでじっと待っていた。
 すると、先生、やおら昂然と顔を上げて、
 「それは、沖縄の人は、コンブが・・・・好きだからです!」
 一瞬、聴衆は静まりかえった。
 ついで、万雷の拍手が湧き起こった。
 
 「そうなのだ。その通りだ。そうとしか、いいようがないのである」と玉村は、聴衆と共に拍手する。
 辛い辛いトウガラシだって、同じことだ。
 「韓国ではあんなにたくさん食べるのに、日本では最近までほとんど食べなかった。
 タイではあんなに辛い料理を平気で食べるのに、ベトナムでは調味料に加えるくらいしか使わない。
 スペインでは食べることは食べるが、すぐ向かいの北アフリカ諸国のように、辛いペーストをふんだんに使うことはない・・・・。
 どの瞬間に、いかなるモチベーションによって、最初のバリアを越えたのか。
 その国がトウガラシ愛好国になるのかどうかの境目は誰にもわからないのだから、考えれば考えるほど、好きだから、としかいいようがないのである」

【参考】玉村豊男「トウガラシはなぜ辛いのか」(『世界の野菜を旅する』、講談社現代新書、2010、所収)
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【読書余滴】玉村豊男の、赤ん坊はキャベツから生まれる

2010年09月23日 | ●玉村豊男
 『世界の野菜を旅する』は、食に話題をしぼった紀行文でもあるし、野菜のルーツ探究でもある。
 その第1章のタイトルが、「赤ん坊はキャベツから生まれる」。

 ポルトガルを旅していると、この国なら長いこと暮らしていけそうだ、と感じる瞬間があるらしい。
 人は優しいし、生活のリズムは穏やかだし・・・・そんな抽象的なことでピンとこなかったら、魚を塩焼きにして食べるし、コメのおじやがうまいし、それに何といっても味噌汁がある。
 網にかけた魚を直火で焼く日常食の料理法をもつ地域は、ヨーロッパではイベリア半島から地中海にかけての一帯に限られる。
 中国、インド、中東諸国をつうじて、魚は煮たり揚げたり鍋で焼くことはあっても、網にかけた魚を直火で炙る光景は、特別なレストランでもない限りめったに見られない。
 ポルトガルのレストランで、塩焼きの魚はコース料理のメインディッシュだ。
 その前に何を食べるか。ポルトガル人が勧めるのは、カルドヴェルデだ。「緑のスープ」という意味だが、ポルトガルの国民食で、見た目にはこれが青菜の味噌汁にそっくりなのだ。
 緑のスープの緑はキャベツである。味噌に似た粉末の正体はジャガイモである。

 ポルトガルのキャベツは、長い茎をもつ背の高い植物で、その茎から葉が互生している。タチアオイのように、左右交互に一枚ずつ、大きな緑色の葉が茎から出ている。
 収穫にあたっては、その葉を一枚一枚掻き取って束ねる。市場に出荷されるのは葉っぱだけで、茎もなければ丸い塊もない。
 キャベツは、もともと結球する植物ではなかった。
 アブラナ科のキャベツも、キク科のレタスも、菜の花や春菊のようにもともとは派がまっすぐに伸びていく青菜である。ところが、青菜を育てる過程で過剰な栄養を与えると、葉の数がどんどん増え、そのうちに増えた葉の行き場がなくなり、しかたなく内側に向かって巻きながら互いに重なりあうようになる。これが結球という現象である。
 過剰な栄養を与えても、全部が全部丸まるわけではなく、葉の形状や葉脈の反りかたなどから適性をもったものを選んでかけ合わせ、長い時間をかけて改良していったのだ。
 結球すると、中には太陽が当たらないから、葉がやわらかくなり、白くなる。これを「白軟化」という。結球の利点だ。土から顔を出さないように育てるホワイトアスパラや、暗いトンネルで栽培するウドやチコリも白軟化のケースだ。

 ポルトガルは、玉村の大好きな国のひとつで、ひと頃は毎年のように訪ねていた。その目的は野菜ではなく、ワインだった。この国は、どの地域でも昔から伝えられている在来のブドウ品種をいまでもつくり続けている。メルローとかシャルドネとか、国際的に評価の定まったフランス系のブドウ品種には目もくれず、何百年も前から各地域で栽培されてきた古い品種を、いまでも全国で100種類以上維持している。
 玉村が民家の庭先に「立ちキャベツ」を見つけたのも、そんなワイン探しの旅の途中だった。なるほど、ポルトガルなら、キャベツの古い品種をそのままのかたちで育てていても不思議はない。

 キャベツの原産地は、北欧から中欧にかけての、海岸沿いの土地らしい。それがケルト人によって地中海周辺まで伝えられて栽培が広がった、とされる。
 13世紀から14世紀にいたる頃には、ヨーロッパの主要な地域に結球性のキャベツが広まっていたらしい。
 ヨーロッパは、北海道とほぼ同じ緯度に位置する。海流のおかげで温暖だが、日本のように多様な植物が繁茂する気候ではない。ヨーロッパ旧大陸原産の野菜は数が少ない。その少数の野菜がキャベツであり、タマネギ、ニンニク、ソラマメなど何種類かの豆が、古代中世から近世にいたるヨーロッパの住民の日常生活をささえたのだ。
 ギリシャの哲学者ディオゲネスいわく、「キャベツを食べて生きていけば、権力者にへつらう必要はない」
 それを聞いた弟子いわく、「権力者にへつらえば、キャベツばかり食べなくても済む」
 ローマ皇帝ディオクレティアヌスは、老いて引退したが、支持者に復位を求められた。答えていわく、「私は菜園にキャベツを植えた。そのキャベツ畑を見れば、誰ももう一度権力者に戻れとは言わないはずだ」
 かくて、フランスでは、「キャベツを植えに行く」といえば、引退して自由になることを意味するようになった。

 ・・・・以上のように要約したところから察せられるように、本書は気ままな筆致で、時空を縦横に駆けめぐる。
 ストイックなまでも徹頭徹尾ふだんの暮らしの事物しか記さない、特異なパリ・ガイド『パリ 旅の雑学ノート』を処女作にもつ玉村豊男は、その後円熟の度を深め、自由闊達、融通無碍な文章をものするようになった。本書も、主題が野菜という自然の恵みであるせいもあって、読みやすい文章がはらむものは豊穣だ。
 ところで、赤ん坊はキャベツから生まれる、という伝説はどこから来たのか。
 第1章の最後にようやくタイトルを話題にするのだが、著者の想像は、いくぶんエロチックで、民俗学的には納得できそうな説だ。それがどういうものかは、本書42ページをご覧いただきたい。 

【参考】玉村豊男『世界の野菜を旅する』(講談社現代新書、2010)
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書評:『パリ 旅の雑学ノート』

2010年03月25日 | ●玉村豊男
 多産なエッセイストの処女作である。
 当時東大仏文科の学生だった著者は、2年間パリで留学生生活をおくり、その後本書を書きあげるまでの10年間、毎年2回ほど渡仏していた。
 ただし、名所旧跡とは縁がなく、ブラブラとあてどなく散歩するだけ、といった過ごし方だった。だから、いつまでたっても「フランスの政治・経済・文化など、高級なことども」はわからず、「ただ身近なこまかい事柄」だけが蓄積された、と著者はいう。
 かくて、まえがきは言う。「これからパリに行こうとしている人、(中略)パリの好きな人、(中略)フランス語を知っている人いない人、その他すべてのヒマな人のために書かれた。(中略)パリに関する本は山ほどあるが、本書ほどくだらない、どうでもいいようなことばかり、それもこれほど綿密に書き並べた本はない」

 じじつ、パリの名が喚起するイメージ、文学も哲学も政治も恋愛も、本書には一切出てこない。出てくるのは「こまかい事柄」ばかりだ。
 無名と有名とを問わず万民がそこで一杯やり、食事し、議論し、あるいは呆然と路上を行く人を眺めてすごすカフェをはじめ、パリ人の生活の核がきめこまかに、かつ、徹底的に綴られる。
 カフェにはカウンター(立ち食い、立ち呑みが原則)、サル(室内の椅子とテーブルを並べた空間)、テラスの歴然と区分される空間があるとか、街路樹の種類(もっとも多いのがプラタナス、その次がマロニエ、以下エンジュ、ボダイジュ、ニレ、ポプラ、アカシア、カエデ・・・・)とか、もっとも乗降客の多い駅はサン・ラザール駅だとか。

 これらは「どうでもいいようなこと」は、パリの住民にとって空気のように当然そこにあるものだ。読者は、「どうでもいいようなこと」をつうじて、パリジャンやパリジェンヌの日常感覚の一端を感じとることができる。
 すくなくとも、メトロの切符とかワインのラベルを旅のノートに張りつけて楽しむ人には無類におもしろい。

 日常生活で使われる言葉には原語が付記され、一部の言葉には歴史的な由来の説明もあるから、フランス語ないしフランス人の生活に関心のある人には興味深く読める。
 四半世紀以上前に書かれたから、その後の世情は反映していない。たとえば、世界で唯一普及したビデオテックスシステムのテレテル、そしてその端末機のミニテルには当然ながら言及されていない。また、貨幣単位をはじめ、今はむかしの「雑学」もある。

 だから、21世紀に初めてパリを訪れる短期旅行者向けのガイドブックとは言いがたい。しかし、パリを再訪する人、パリの生活の一端にふれたい人には、一読、再読する価値は今もってじゅうぶんにある。人を描かず、人をとりまく環境を綴って、見事にパリ人の生活を浮き彫りにしているからだ。

 本書は、後に文庫にはいったが、単行本に豊富に収録されていた写真、図版が小さくなってしまった。また、注釈をはじめとするノート感覚のレイアウトが失われ、単行本のときの妙味が消えてしまった。惜しい。

□玉村豊男『PARIS パリ 旅の雑学ノート カフェ/舗道/メトロ』(ダイヤモンド社、1977。後に新潮文庫、1983。後に中公文庫、2009)、『PARIS パリ 旅の雑学2冊目 レストラン/ホテル/ショッピング』(ダイヤモンド社、1977。新潮文庫、1983)
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書評:『エッセイスト』

2010年03月14日 | ●玉村豊男
 フットワークの軽さ、明快な文章で数々のエッセーをものしてきた玉村豊男が、50歳を区切りに書き下ろした半自伝である。
 四半世紀にわたる文筆活動を回想する。

 玉村豊男は、終戦の年に生まれた。言語学に関心をもち、学部学生時代の1968年9月から1970年4月までパリ大学言語学研究所へ留学した。
 ところが、1968年は5月革命が起きた年だった。
 ために、もっぱら本を読み、友人と交友する日々となった。通訳のバイトをきっかけに、放浪の旅へのめりこんで「遊学」の徒となり、フランス内外の各地で人々の生活と文化にふれた。料理に目覚めたのもこの頃である。

 帰国して就職活動をしたものの時期が遅くて就職口が見つからなかった。
 つてをたどってやっとフジテレビに潜り込んだが、採用が内定されたフジテレビは合宿の段階で辞退。組織になじめなかったのである。

 以後、通訳、添乗員、技術翻訳、雑文書き、その他で生活を支え、やがて筆一本で生きることになった。
 32歳で処女作を刊行し、フリーのエッセイストとして次第に業界に名を知られていった。
 38歳のとき軽井沢に本拠を移した。当時珍しく、高価でもあったファックスを導入することで、原稿の注文と発送をこなしたのである。

 自営業のシビアな事情が「取材と必要経費」で記される。
 コピー機などの設備に要する費用、電話代・交通費その他もろもろの経費は自分持ちだから、サラリーマンと同じレベルの仕事と生活を維持するには、フリーは2.5~3倍の年収が必要である。それでも給料取りは性に合わない、やってなんぼの稼ぎ方がいい、と著者はいう。

 ところで、エッセイストとは何か。
 著者の考えは次のとおりだ。
 (1)小説とちがって作り話をしない。
 (2)ノンフィクション(ルポ)よりも私的である。
 (3)随筆とくらべるとより考察的な散文の形式で、扱うテーマに制限はないが、どんなテーマを扱ってもそれに対処する自分というものが同時にひとつのテーマとなっており、思索や考察も日常感覚に根ざした筆者の等身大を越えない。天下の大事を語らず、大義も説かず、口先だけの話もしない。
 (4)記述はかならず体験に裏づけられていなければならず、感想は生活者の視点から語られるが、つねになんらかの意味で、面白いものでなくてはならない。

 ここでいう「面白い」とは、単に楽しいとか笑えるとかいうことではない。
 この言葉は、目の前がパッと明るくなる、白くなるというのが元の意味だ。転じて、目前の風景が急にクリアーになり、明快になり、目からウロコが落ちる、ということ。
 日常の誰もが目撃する光景、どんな人生にもありそうな出来事、だれも見逃してしまいそうなささいな事柄を語りながら、だれも気づかなかった物の見方をさりげなく呈示する。このあたりがよくできたエッセイの醍醐味である。要するに、「エッセイストは試みの人生を生きる人」だ。
 たしかに、玉村豊男の半生をたどると、夫子自身いろいろと試みることの多い人生ではあった。

□玉村豊男『エッセイスト』(中公文庫、1997)
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