(承前)
<日本政府が7月から参加する環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉で、米国が難色を示していた遺伝子組み換え食品の表示義務を受け入れる方針であることが15日、分かった。>
で始まるこの記事は、
<日本にとっては、一部で指摘されていたTPP参加による「食の安全」への懸念が払拭されることにつながる。政府は7月の交渉参加を見据えて情報収集を強化するため、「TPP政府対策本部」の本格稼働を前倒しさせる検討にも入った。
TPPにおける遺伝子組み換え食品の表示義務化については、豪州やニュージーランドが賛成の立場を表明。米国は遺伝子組み換え食品の輸出大国として義務化には反対だったが、TPP交渉全体の進展を重視し妥協を受け入れた格好だ。
米国にとっては厳しい表示義務が導入されれば、消費者の抵抗感が残る遺伝子組み換え食品の売り上げ減につながる恐れがある。また、大豆やトウモロコシなど生産・流通段階から遺伝子組み換えとそうではない作物を細かく管理する必要があり、コスト増のデメリットも抱えることになる。
一方、日本にとっては、TPP参加によって「食の安全安心への懸念がある」(自民党の決議案)との指摘もあっただけに、遺伝子組み換え表示の義務化が担保されれば、 TPP交渉の課題が1つ解決される。>
と結ばれている。
(9)記事の背景には、遺伝子組み換えで収穫量の多い種子を創り、世界の穀物市場を制覇したいモンサントなど米国の穀物会社の思惑が絡んでいる。
害虫を寄せつけない特殊な植物が人体に安全か。・・・・消費者の疑念はぬぐえない。
巨大穀物会社は、多くの国で実施されている「遺伝子組み換え食品の表示義務」を世界戦略の妨げと見ている。米国政府を後押ししてTPP交渉で表示義務を止めさせようとしてる。だが、オーストラリアやニュージーランドなどの農業国が遺伝子組み換え種子を入れまいと抵抗している。
(10)産経は、「米国は交渉全体をまとめるために表示義務を容認した」と書いた。
米国が諦めたのなら食の安全は確保される。TPP参加を妨げる条件が一つ外れた。・・・・というのが、(8)の記事のメッセージだ。
産経は、どうやって秘密交渉の中身を知ったのか。
(11)消費者団体が農水省に、記事の真偽を問い合わせたが、「わからない」「確認できない」という返事だった、という。メディアの取材も有権者の問い合わせも、「分かりません」と機械のように答えて済ます。
すべて政府が抱え込み、政権につごうのよいことだけリークして書かせる。
全体像が知れると困る協定でも、小出しする情報の操作で肯定的なイメージをつくることができる。
内部告発でもない限り、政府に不利な情報は出てこない。メディアは飢餓の状態に置かれ、配給されると飛びついて記事にする。
発表を超えた厚みのある事実を集めようとすると、担当者と個人的な信頼関係が必要だ。
出し手側の事情を斟酌することになり、批判的な取り上げ方はしにくい。
(12)TPPの報道で目につくのは、交渉の成り行きと経過報告ばかりだ。
「TPP、迫る時間切れ 日米首脳、妥結へ協力一致」【4月30日付け朝日新聞】
「TPP、26~28日閣僚会合--日米前進で妥結目指す」【5月1日付け共同通信】
「TPP閣僚会合 グアムで開催へ」【5月1日付け読売新聞】
「TPP参加国閣僚、フィリピンで非公式会合」【5月25日付け日経新聞】
どこで集まる。交渉は難航する。大筋合意を目指す。・・・・といった無内容なイベント記事が多い。交渉の中身が書けないので、行事の紹介で動きを伝える。マンネリ記事は記者クラブ制度の反映でもある。情報の配給を待つ受け身の姿勢だ。
(13)問題点を掘り起こそうとすれば、米国がTPPに先だって締結した米韓自由貿易協定(米韓FTA)を調べればいい。何が決まり、どんな後遺症をもたらしたか。
「安い輸入豚肉席巻 欧米と自由貿易協定先行」【2013年5月22日付け朝日新聞】
という韓国のルポは問題提起必至の記事だ。輸出立国を目刺し、米国とFTAを結んだ韓国における畜産農家の苦渋が描かれている。
(14)米国の市民や労働者を「反TPP」に走らせた北米自由貿易協定(NAFTA)にも教訓が多い。
米国の穀物企業がメキシコの農業を圧倒したが、1,000万人超の破産した農民が米国に流入し、失業の増大と低賃金を米国経済にもたらした。
ごく一部のグローバル企業は大儲けしても、多くの人は職を失い、格差は拡大する。こうした惨状が市民や労働者の反TPP運動に繋がっている。
(15)秘密協定の中身も部分的にはわかっている。ウィキリークスで流出した案文の翻訳作業が、ボランティアの協力で少しずつ進んでいる。
米韓FTAやNAFTAで起きたことを重ね合わせれば、TPPがもたらす事態が見えてくるはずだ。
役所相手の記者クラブ取材は真実にたどり着けない。福島の原発事故をきっかけに朝日新聞で連載されている「プロメテウスの罠」のような調査報道がTPPにも必要だろう。
踏み切るかどうかは編集幹部の意欲私大だが、その姿勢は朝日にも見えない。
(16)記事「政府『食の安全、悪影響ない』TPP交渉状況、一般向け説明会」【5月16日付け朝日新聞】によれば、この説明会に400人が集まったという。遺伝子組み換えや残留農薬の基準が米国並みに緩和されること、企業が政府を訴えるISDS条項などへの質問が出た。
記事によれば、<渋谷和久内閣審議官は「今の制度を変えることにはならない」。ISDS条項では「日本が訴えられる心配はない」と述べた>とある。
どこか、安倍首相の国会答弁と重なる。
「アメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にない」
首相も審議官も、なにを根拠に、自信たっぷりに言えるのか。
(17)TPP交渉でなにがどう話し合われ、どんな合意が行われたのか、知らされないまま「心配ない」と言われても安心できない。
朝日の記事は、「大本営発表」を垂れ流しただけではないか。
それとも役人から言質を取ったつもりなのか。
しかし、心配が現実になったとき、太鼓判を押した役人はもう退職しているかもしれない。
□神保太郎「メディア批評第91回」(「世界」2015年7月号)の「(2)TPPとメディア「壁」を突き崩す調査報道」
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【参考】
「
【メディア】とTPPの「壁」を突き崩す調査報道」