語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】堀田善衛の、日本人スペイン移住計画批判 ~『天上大風』~

2010年09月30日 | ●堀田善衛
 停年退職者たちが老後を外国ですごす、という計画が進行している。経産省が積極的に後援している。すなわち、“シルヴァー・コロンビア計画”である。すでにマラガ地方では、日本の地上げ屋が土地を買いあさっている。
 ・・・・というような噂が耳にはいってきて、堀田善衛は次のように書いた。いまはむかし、1987年のことである。
 堀田は、次のように注意を喚起する。
 日本国内の移住でも、住民票の異動届をはじめ、わずらわしい手続きが必要だ。外国となると、少なくともスペインの場合には煩瑣きわまる手続きが必要なのだ。

(1)三か月期限の居住許可がしるされたヴィザのあるパスポート【オリジナル&コピー2通】。ヴィザは、入国スタンプがあるか、日本のスペイン領事館が発行したもの。パスポートは、所轄の警察の外事課へ提出し、記入するべき用紙をもらう。
(2)日本領事館の在留証明書【オリジナル&コピー2通】。ちなみに、スペインの日本領事館はマドリードとバルセローナにしかない。
(3)日本国内における犯罪歴証明書(無犯罪証明書)【オリジナル&コピー2通】(日本領事館の保証書が必要な場合もある)。
(4)居住予定地の警察の発行する犯罪歴証明書(無犯罪証明書)【オリジナル&コピー2通】。
(5)当地居住のスペイン人2人の身柄保証書【コピー2通】。そして、そのスペイン人の市民証【コピー2通】。
(6)銀行預金の残高証明書【オリジナル&コピー2通】。
(7)定期的に日本から送金がある由を記した証明書【オリジナル&コピー2通】。
(8)1か月に1人につき10万ペセタ(約850ドル)ずつ以上引き出しているという証明書【オリジナル&コピー2通】。
(9)住む家、アパートの買収あるいは賃貸の契約書【オリジナル&コピー2通】。 
(10)当地の医師会の発行した健康診断書【オリジナル&コピー2通】。
(11)当地において有効な、何らかの健康保険に入っているという契約書【オリジナル&コピー2通】。
(12)(夫人同伴の場合)夫人と確かに結婚しているという証明書(戸籍抄本と、これが間違いないものであるという当地の日本領事館の保証書)。
(13)(夫人同伴の場合)夫人に収入がない場合には夫である男子がその夫人を確かに養っていくものであるという誓約書。

 ということで、約13件の書類が必要となる。「約」と断るのは、(3)のように保証書が追加して必要な場合があるし、(5)や(12)のように異なる複数の書類をここでは1件と数えているからだ。
 これだけの書類をそろえるだけでも3か月は充分にかかる。
 ということは、到着直後からこの手続きにかからねば間に合わない。
 しかも、警察、銀行、医師会などに出頭して、質問にも答えることができる程度にスペイン語を操ることが前提となっている。
 (旅行ではない)外国居住経験のない停年退職者たちに、「果たしてこれだけの煩雑かつ面倒なことが出来るものであろうか」というのが堀田の結論である。

 書類だけではない。
 まず住む土地の近くに火葬場があるかどうかを確かめておかなくてはならない・・・・と、聞きようによっては物騒きわまりない話を堀田は付け加える。
 老人ならそのうちに(若者より近いうちに)死ぬ。死体を空輸するには莫大な手間と費用がかかる。非キリスト教徒を埋葬させてくれるほど教会は寛容ではない。「人間の死体ほどにも始末におえぬものはないのである」

【参考】堀田善衛『天上大風 同時代評セレクション1986-1998』(ちくま文庫、2009)
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【読書余滴】加藤周一自選集全10巻完結

2010年09月29日 | ●加藤周一
 2010年9月、加藤周一自選集全10巻が完結した。第10巻(1999~2008)は、第9巻までと異なり、全巻の収録著作索引、年代順の著作目録、外国語訳著作一覧が巻末につく。
 年代順の著作目録は、117ページにわたる詳しさだ。ちなみに、最初の著作は1936年12月に発表された映画評「ゴルゴダの丘」である。

 目録にしたがい、年代順に著作の表題を追ってみると、著作の大部分は第1期もしくは第2期の著作集(2010年9月完結)、または自選集全10巻に収録されている。
 しかし、たとえばコラム集『言葉と人間』は一部しか著作集に収録されていない。したがって、著作集および自選集を読みつくしても、加藤周一の全貌は明らかにならない。
 
 全貌は明らかにならないとしても、第1期もしくは第2期の著作集、または自選集に目をとおせば、加藤の議論の要点は明らかになる。
 たとえば自選集第10巻に所収の「情報源としてのTV」。
 TVにおける一般的な情報提供の機能を三つあげる。第一、優先順位。第二、中立公正主義。第三、日本語。
 第二点について、「両極端の意見を足して二で割れば公正な意見が得られるとは限らない」。例として、かつてヨーロッパにあったユダヤ人みな殺し説と差別反対論を挙げ、両者の中間、「殺さぬ程度に差別すべしという議論が公正でないのは、あきらかだろう」。新聞・雑誌・ラジオ・TV放送は、中間説のみを報道するのではなく、「多数意見と共に少数意見の両端を併記すべきだろう、と私は考える」。異なる意見の併記だけではなく、「特定の場合には、一方の意見の塁に拠って戦うべき状況もあり得る」。特定の場合とは、言論の自由の危機である・・・・。
 大衆報道機関の「中間説」の欺瞞、欺瞞というのが言い過ぎであるならば考え不足を指摘し、さらに特定の状況においては特定の行動があるとも指摘する。
 加藤に親しんだ人は、「中間説」にしても「特定の状況」にしても、その議論の構造はおなじみだろう。
 初めて加藤に接する人は、ここから公正さとは何か、あるいは一般と特殊について一考する機会となる。

 エリック・ホッファーにとって、知識人は労働に従事しないばかりか、労働する人を言葉によって操作、管理、支配しようとする胡乱な存在にすぎなかった。
 加藤は知識人だが、ホッファーが激しく反発した知識人とは異なる型の知識人だ。
 第一に、加藤は医師として出発した。医師は工場労働者とは異なるが、言葉によって操作、管理、支配しようとする職業ではない。そして加藤は、文筆をもっぱらにするようになってからも、医業に対する関心は薄れなかった。森鴎外、斎藤茂吉、木下杢太郎を終生の課題としたのも、こうした関心の延長上にある。
 第二に、加藤の主な関心は「世界を理解する」ところにあり、「理解」を言葉にあらわした結果ひとを動かすことになっても、それはあくまで結果にすぎなかった。「九条の会」についても、基本的には同じだと思う。平和について、加藤は加藤の理解を語り、しかも精力的に語ったが、ホッファーのいわゆる操作、管理、支配の欲求は悉皆なかった。

 芸術について政治について、加藤周一は語った。
 権力からほど遠いところで思索し、語った。
 一人の人間として、一個の市民として見、聞き、思索し、語った。
 つまるところ、加藤が遺した最大のものは、徒手空拳の個人が、自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の頭で考える術だろう、と思う。
 2期にわたる著作集および自選集は、加藤の著作の全編を網羅するものではないが、網羅されていなくても加藤の精神を汲む読者は困らないはずだ。

【参考】鷲巣力編『加藤周一自選集 1999~2008』第10巻、岩波書店、2010
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【読書余滴】河合隼雄の、青年期の心理・離婚相談の心理学 ~『快読シェイクスピア』~

2010年09月28日 | 心理
 むかしむかし河合隼雄は、カウンセラーとして現役のころ、性格が合わないので離婚したい、という相談を受け、こんなたとえ話をしたことがあった。
 「夫婦は、川の両岸のようなものなんですね。川幅があるほど、岸と岸との距離が遠いほど、両岸の間に張った網には、魚がたくさん獲れます」
 なかなかの効果をあげたので、河合先生、内心得意になって、似たようなケースに何度か同じたとえ話をした。
 あるとき、このたとえ話を聞いたクライエントが膝を打っていわく、
 「わかりました。どうして私と夫がうまくいかないかが。夫と私は平行して流れる二つの川なんですね。いくら網を張っても、魚が獲れないのは当たり前でした」
 河合先生、ダァーッとなって総括する。
 かくのごとく臨床家は常に相談者から新たな挑戦を受けるのである・・・・。

   * 

 この河合が翻訳家にして演劇評論家の松岡和子とともに、『ロミオとジュリエット』、『間違いの喜劇』、『夏の夜の夢』、『十二夜』、『ハムレット』、『リチャード3世』の6編を語り合ったのが本書。
 たとえば、『ロミオとジュリエット』に青年期の心理を「快読」する。

 二人はジュリエットの年齢、14歳に着目する。
 「下敷き」(マッテオ・バンデッロ著、アーサー・ブルック英訳『ロミウスとジュリエット』)では16歳と設定されていたが、シェイクスピア『ロミジュリ』では14歳に年齢を引き下げられた。こう指摘するのは松岡。
 以下、二人は、この年齢に特徴的な心理を『ロミジュリ』から読みとっていく。14歳という年齢に特徴的な言動を活写した場面を『ロミジュリ』から抜き出す。
 たとえば、ロミジュリ双方とも、恋することで秘密をもち、嘘をつく。この二つはセットになって、子どもが大人になる条件を形成するのだ。少なくとも河合の心理学的考察によれば、そういうことだ。
 あるいは、思春期はものすごく精神的な反面、まったく肉体だけの世界をもち、両者の間で揺れるものだ。『ロミジュリ』では、猥雑きわまる言葉遊びで下半身の話をする乳母やマキューシオが肉体の側面を受け持ち、ロミジュリはピュアな精神的純愛を受け持っている。芝居全体が恋愛の両側面を描きつくすわけだ。

 こういった指摘は、心理学者ではなく演劇評論家でもない読者でも読みとることはできそうだ。
 しかし、双方の親がその「愛によって」二人の歓びを殺した、という解釈には刮目させられるだろう。二人の幸福のために知恵をしぼった僧ロレンスも、この点は同じだ、と河合は指摘する。「親だけではない。教育者、宗教家、心理療法家など、人助けをしたがる大人たちは、自分の愛によって他人の歓びを殺していないかを反省する必要がある」
 この洞察は、心理療法家としての臨床経験に裏打ちされている、と思う。河合は、親がその「愛によって」青年を抑圧した例を少なからず見てきたはずだ。

 打てば響く松岡は、次のように補足する。

   See what a scourge is laid upon your hate,
   That heaven finds means to kill your joys with love;

 これを「見ろ、これがお前たちの憎悪に下された天罰だ。/天は、お前たちの歓びを愛によって殺すという手立てを取った」と、2行目をほぼ直訳した。そのおかげて、ロミジュリの愛だけではなくて「親の愛」をも読みとってもらえた、と。
 松岡は先人の翻訳を列挙し、坪内逍遙から小田島雄志まで、軒並みに「love」を二人の愛に限定した訳となっている、という。翻訳畏るべし。

【読書余滴】河合隼雄/松岡和子『快読シェイクスピア』(新潮文庫、2001)
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書評:『男のコラム』 ~戦うコラムニスト、尖閣漁船衝突に係る日本政府の対応に思う~

2010年09月27日 | 批評・思想
 『男のコラム』に収録の41編の議論は、いずれも一筋縄ではいかない。したたかで、しかもユーモアに満ちている。
 たとえば『フランク・シナトラ』のばあい、シナトラさまからだ、と小柄で猪首の男が威張って持参した手紙全文の引用からはじまる。
 シカゴ滞在中にシナトラが泊まるホテルのスイート・ルームの外に、24時間体制で警察の護衛がつくことになった。そのいきさつについて、ロイコがコラムを書いた。そのコラムに対する苦情・中傷の洪水である。

 手紙にいわく・・・・、
 第一、私のまわりにフランキー(チンピラ軍団)なるものなど存在しないことが君にはすぐわかったはずだ。
 第二、私自身も私の秘書も私のボディガードも、警察の護衛を依頼した覚えはまったくない。そもそも私たちは、そんな必要性をちっとも感じていないのだ。私が、かつて酔払いだろうとなんだろうと、老人をぶん殴ったことがあるかどうかをはっきり立証してみたまえ。それができたら、君に10万ドルをあげよう。
 そして、ごていねいにも、末尾につけくわえるのだ。手紙の写しを市長、警察署長、出版社主等に送った、と。 あからさまな脅しである。

 ロイコは悠々と反撃する。
 まず、その昔、ともにまだ若いころ、シナトラは私の英雄の一人だった、と回想する。この30年間私はシナトラをポップスの王様だと考えていた、、と持ち上げもする。こんな話をするのは、シナトラを批判することがいかに辛いかをわかってもらうためなのだ・・・・。
 シナトラの品のない罵詈雑言の洪水に対して、公平な態度をしめし、愛情さえ吐露する。パンチを食らわせる直前の準備作業である。そして続ける。
 もしも君が自分のまわりにはチンピラなどひとりもいないと言うのであれば、私はその言葉を素直に信じ、遺憾の意を表明したい。もちろんあの手紙を運んできたチンピラにも同じように遺憾の意を表明する・・・・。
 事実がシナトラの言葉を裏切っている、というわけだ。痛烈な皮肉である。そしてダブル・パンチ。
 君は自分から警察の護衛を依頼した覚えはないと言っているし、私もまたそれを信じたい。だが、念のために言うと、君が護衛を頼んだとは、私は一言も言っていない。ただ、君から依頼があった、と証言する警察署の広報官の言葉を引用したにすぎない。今のところ私としては、誰か政治家が君の機嫌を取ろうとして警官を派遣したのが真相だろう、と推定している。こんなことは、あのコラムを書く以前にいくらでも確かめることができたのだ。ところが、私が君のスイート・ルームに電話をかけるたびに、君の秘書が無愛想に電話を切ってしまうから、こんな羽目におちいった。インテリ気どりの女性秘書は、きっと君の好みではないだろうな・・・・。
 駄目押しも強烈だ。
 君の記事が載っているたくさんの新聞記事の切り抜きに目を通して見た。たしかに君は、年寄りの酔払いを殴ったことは一度もないようだね。君が殴った酔払いの大半は、老人と呼ぶには若すぎたようだ・・・・。

 悪いのはどちらか。読者にとっては、一目瞭然だ。
 見事な論争術、レトリックである。
 第一、書いたことの根拠をしめし、自分のコラム、その主張を守っている。
 第二、相手の論旨に沿うかのごとく見せつつ、その要点を整理することで、その論旨に含まれる矛盾をおのずから浮き彫りにさせている。
 第三、相手の主張の一部(重要でない)を認めているふりをして、自分の主張の大部分(重要である)を強調する。
 第四、守ると同時に、辛辣に攻める。しかも、批判される者自身さえおそらく苦笑するにちがいないユーモアをこめて。圧力には一歩もひかないで、痛烈に、遠慮なく反論する。

 徒手空拳のコラムニストさえ、ここまで言ってのけることができるのだ。
 沖縄県・尖閣諸島周辺で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件に対する日本政府の対応とは、えらい違いだ。

 マイク・ロイコは、1932年生、1997年没。
 そのコラム『わが酒飲み人生』によれば、13歳から19歳までシカゴの数々の酒場でバーテンダーとして働いた。人生を酒場で学んだらしい。高校中退後、教育らしい教育は受けていない。エリック・ホッファーもそうだが、独学の書き手である。ピューリッツァ賞受賞者で、そのコラムは全米250紙に掲載され、全米ナンバー・ワンのコラムニストに選ばれた。
 ロイコは、コラムをつうじて闘った。悪、権力、官僚、欺瞞、「常識」、不条理に対して。

□マイク・ロイコ(井上一馬訳)『男のコラム -辛口ユーモア・コラム41-』(河出書房新社、1987)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、法人税減税批判 ~「超」整理日記No.530~

2010年09月26日 | ●野口悠紀雄
(1)法人税率引き下げ論
 法人所得課税の実効税率は、財務省の資料によれば、2010年において、国税27.89%と地方税12.80%を合わせて40.69%だ。
 米国40.75%、仏国33.33%、独国29.41%、英国28%、中国25%、韓国24.2%だから、米国を除く諸外国に比べて高い。
 日本の法人は重い税負担にあえいでいる。これが日本経済不調の大きな原因だ。
 だから、法人税率を引き下げよ・・・・。

(2)税引き前当期純利益に対する負担率の推計、その1
 (1)の議論は怪しい。なぜなら、実効税率を算出する際の分母は課税所得であるが、これは企業会計における利益とは異なるからだ。
 税務上の利益概念は、会計上の利益概念とは異なる。
 加えて、租税特別措置などのために、課税所得は会計上の利益よりかなり少なくなっている可能性がある。
 単純な比較はできないが、国際的に標準的と認められる利益を分母にして負担率をみる必要がある。
 税引き前当期純利益に対する負担率は、野口の推計【注】によれば、国税20.6%と地方税を合わせて28.4%だ(2008年度)。
 諸外国の実効負担率が税引き前当期純利益に対するものであれば、日本の負担率は中国・韓国よりは若干高いが、欧米諸国よりは低いことになる。

  【注】国税庁の会社標本調査および財務省の法人企業統計調査に基づく。

(3)税引き前当期純利益に対する負担率の推計、その2
 (2)では、黒字企業の場合だけ会計上の利益と税務上の利益が乖離すると仮定した。
 しかし、赤字は7年間繰り越すことができるので、将来の法人税負担を軽減するため、赤字企業の赤字額も税務上は拡大している可能性もある。
 そこで、第二ケースとして、それを仮定して推計してみると、国税24.3%と地方税を合わせて33.5%だ。欧州諸国なみで、格別高いとはいえない。
 なお、税務上の赤字企業は構造的に赤字で、将来黒字に転換する可能性がない場合が多い。したがって、赤字企業が赤字を拡大して申告するケースは少なく、33.5%という数字は過大推計かもしれない。

(4)法人税率引き下げ論の誤り
 地方税をふくめた法人課税の実効税率は、税引き当期純利益に対する率でみれば、28.4%~33.5%程度だ。これは、先進国の標準的な額であり、格別高いわけではない。
 財務省資料にある40.69%という値は、課税所得に対する比率なので、国際比較をする場合には適切な値ではない。
 結論:「日本の法人税率が外国より高い」という主張は誤りである。
 以上述べたことは、各企業の決算書によって直接確かめることができる。税引き前当期純利益に対する法人税・住民税・事業税の比率は、(2)および(3)の推計値の範囲内に入っている。

(5)国際比較の指標
 税務上の利益概念は国によって差があるので、国際比較をするのであれば、法人所得課税の対GDP比をみるほうが適切だ。
 財務省の資料によれば、2010年における法人所得課税の対GDP比は、1.5%である。
 米国2.7%、英国3.4%、中国2.0%、韓国3.7%などに比べてかなり低い。世界的にみて低水準である。

(6)税制改革の方向づけ
 ここで示したことは、税制改革に対して重要な意味をもつ。
 「日本の法人所得に対する実質的な課税率は諸外国に比べて高いわけではないから、法人税率を引き下げるなら、その前提として特別措置を撤廃することが不可欠である。これを行わずに税率引き下げだけを行えば、現在特別措置の恩恵を受けている業界に過大な利益を与えることになる」
 特別措置は、資源配分を歪めて経済成長に対する阻害要因になる。課税上の公平を損なっている。
 「法人税率の引き下げを行うのであれば、最低限、特別措置撤廃で得られる税収を財源として税収中立的な改革とすべきだ」

【参考】野口悠紀雄「法人の実質税負担率は3割程度でしかない ~「超」整理日記No.530~」(「週刊ダイヤモンド」2010年10月2日号所収)
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書評:『ルネッサンスの女たち』 ~政治に翻弄される女、政治を翻弄する女~

2010年09月25日 | 小説・戯曲
 イタリア・ルネッサンスの主役は、男性だった。女性は脇役でしかなかった。
 いや、脇役ならば、まだ脇役としての光彩がある。
 ルネッサンス期のイタリアでは、貴族の女は政治の道具となった。政略結婚である。
 その典型は、ルクレツィア・ボルジアである。よくも悪しくも傑出した父と兄に、本人の意志は無視されて商品同様に取引された。父はすなわちアレッサンドロ6世、兄はすなわちチェーザレ・ボルジアである。強烈な野心とそれに見あう実力をもつ父兄だった。

 ところが、運命のいたずらで、政治的な才能を発揮した女傑がいた。イザベッラ・デステである。
 イザベッラは、大国に囲まれた中位の国、フェラーラ公国のエステ家の出自である。隣国パドヴァのマントヴァ侯爵に嫁いだ。
 夫よりも政治の才に恵まれた。夫がヴェネツィア共和国の捕虜となってもよく耐え、国民を統率した。法王を動かし、失地することなく、夫の釈放につなげた。
 「つねに冷静な現実への眼を忘れていなかった」と塩野は評する。
 透徹した合理的精神である。
 イザベッラの書斎の入口には、彼女のモットーが掲げられている。「夢もなく、怖れもなく」・・・・。
 イザベッラの関心はパドヴァの独立維持にあり、それのみにあり、関心はパドヴァの領外へ向かうことはなかった。
 この点にも「冷静な現実への眼」が見られる。

 カテリーナ・スフォルツァも、夫よりもやり手の女傑であった。男まさりの気丈さとともに、美貌に恵まれた。
 夫リアーリオ伯爵が暗殺された直後の逸話は、名高い。陰謀家たちがカテリーナがこもる城塞の前におし寄せ、彼女の子どもたちを並べて脅迫した。開城しないと殺す、と。城塞の上のカテリーナ、ちっとも騒がず、やおらスカートの裾をパアッとめくって、
 「何たる馬鹿者よ。私はこれであと何人だって子どもぐらいつくれるのを知らないのか!」
 一同、唖然とすることしばし、落下してきた砲弾にようやく我にかえった、という。
 感情の激しいカテリーナはしかし、愛人を殺した暗殺者の一族に残忍きわまる報復を行い、人心が離れた。
 チェーザレ・ボルジアの侵攻に当たって、市民はいま以上に悪くなることはあるまい、とチェーザレを迎え入れた。
 カテリーナは最後まで抵抗したが、機を見るに敏な傭兵たちの謀反にあって、居城はあっけなく落ちた。
 性格の強さだけでは統治できないのである。激動の時代を乗り切る視野も欠けていた。

 本書は塩野七生20代のころの初期作品だが、すでに現実政治重視の視点がはっきりとうち出されている。ただ、そつのない筆はこびには計算が目立ち、後年の遊刃余地ありの筆致にはまだ遠い。
 文壇に登場した時点ですでに完成した文体を有していたかのようなこの作家にも、青春時代があったのだ。

□塩野七生『ルネッサンスの女たち』(中公文庫、1973)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、1980年代の大政治家たち ~巧みな大衆操縦術~

2010年09月24日 | ●野口悠紀雄
 『経済危機のルーツ』は、日米の、経済危機に先立つ大繁栄の時代を振り返る。
 そして、この経済史に、その時代を生きた野口悠紀雄が個人的に見たもの、聞いたものを挿入している。一種の知的自伝である。
 ここでは、第2章「経済思想と経済体制が1980年代に大転換した」から、本筋とはやや逸れるが、英米ソの大政治家の話だけ抜きだしてみる。

 ケネディ暗殺後の大統領は、ぱっとしない人ばかりだった。政治リーダー欠如が嫌というほど続いた後、登場したのがレーガンだった。
 野口は、レーガンを「偉大なコミュニケーター」と評価する。
 レーガンが狙撃されて重症を負った事件のしばらく後、共和党政治集会の会場で風船が次々に炸裂した。「また狙撃犯?」と会場がざわめいたとき、レーガンいわく、「奴はまた失敗した」。
 会場は爆笑の渦に包まれた、という。
 「当意即妙のジョークでかわせる技術というのは、政治家にとって不可欠の能力だ。とくに、都合の悪い質問や意地悪質問を受けたときに、大変重要な能力だ。攻撃されたら、むきになって起こったりせず、ジョークでやり返すのが政治ゲームのルールだ。ニクソンが不人気だったのは、そうした能力に欠けていたからだろう。しかし、レーガンにはその才能があった(ありすぎるほどあったと言える)」

 1984年の大統領選で、民主党候補はモンデール副大統領だった。テレビ討論会でボルチモア・サン紙の記者から、高齢だと激務に耐えられないのではないか、と嫌な質問された。
 が、レーガン、ちっとも騒がず、「そんなことは決してありません。(ここで一息つき、相変わらず深刻な表情で)私は年齢の問題を政治的な争点にするつもりはありません。したがって、私は、対抗候補の若さと経験のなさを、政治的に利用しようとは考えていないのです」。
 会場は爆笑に包まれた。モンデールも思わずつられて笑ってしまった。
 「追い込もうとした記者は、レーガンに完敗しただけではなく、彼に政治的得点を与えてしまったのだ。この選挙でレーガンは、モンデールの地元であるミネソタ州を除く49州を獲得するという地滑り的・歴史的勝利を実現した」

 野口は、レーガンの巧みなやりとりを二つ紹介しているが、次はその一つ。
 <質問者>レーガンさん、どうして俳優が大統領になれるのでしょうか?
 <レーガン>「大統領が俳優にならない」なんてことができるでしょうか?

 意地の悪い質問や批判・追求に対して、それを逆手に取って返し、得点をあげてしまう、という技術に、サッチャーも長けていた。
 サッチャーの在任期間が10年を超えたとき、記者会見で、
 <記者>あまりに長期の政権は、民主主義の精神からして望ましくないのではないか?
 <サッチャー>あなたはミッテランのことを非難しているのか。
 会場は、爆笑の渦に包まれた。
 ちなみに、フランソワ・モリス・アドリヤン・ミッテランは、フランス第5共和制第4代共和国大統領を2期14年にわたって務めている。

 また、サッチャーは、議会で「動物擁護法案」が通過する際、野次をとばす反対派の野党に向かって一喝した。
 <サッチャー>お黙りなさい! この法律はあなた方をも保護することになるのです。

 ゴルバチョフには、面白いアネクドートがない。これがブレジネフとの違いだ。ブレジネフには沢山ある。
 例:ある男が赤の広場で「ブレジネフは馬鹿だ」と言った。彼は逮捕され、20年間の懲役刑を宣告された。10年は「国家元首侮辱罪」。あとの10年は「国家最高機密漏洩罪」。
 ・・・・ブレジネフは、「このアネクドートを作ったのは俺だ」と言っていたそうである。
 
【参考】野口悠紀雄『経済危機のルーツ ~モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか~』(東洋経済新聞社、2010)
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【読書余滴】玉村豊男の、赤ん坊はキャベツから生まれる

2010年09月23日 | ●玉村豊男
 『世界の野菜を旅する』は、食に話題をしぼった紀行文でもあるし、野菜のルーツ探究でもある。
 その第1章のタイトルが、「赤ん坊はキャベツから生まれる」。

 ポルトガルを旅していると、この国なら長いこと暮らしていけそうだ、と感じる瞬間があるらしい。
 人は優しいし、生活のリズムは穏やかだし・・・・そんな抽象的なことでピンとこなかったら、魚を塩焼きにして食べるし、コメのおじやがうまいし、それに何といっても味噌汁がある。
 網にかけた魚を直火で焼く日常食の料理法をもつ地域は、ヨーロッパではイベリア半島から地中海にかけての一帯に限られる。
 中国、インド、中東諸国をつうじて、魚は煮たり揚げたり鍋で焼くことはあっても、網にかけた魚を直火で炙る光景は、特別なレストランでもない限りめったに見られない。
 ポルトガルのレストランで、塩焼きの魚はコース料理のメインディッシュだ。
 その前に何を食べるか。ポルトガル人が勧めるのは、カルドヴェルデだ。「緑のスープ」という意味だが、ポルトガルの国民食で、見た目にはこれが青菜の味噌汁にそっくりなのだ。
 緑のスープの緑はキャベツである。味噌に似た粉末の正体はジャガイモである。

 ポルトガルのキャベツは、長い茎をもつ背の高い植物で、その茎から葉が互生している。タチアオイのように、左右交互に一枚ずつ、大きな緑色の葉が茎から出ている。
 収穫にあたっては、その葉を一枚一枚掻き取って束ねる。市場に出荷されるのは葉っぱだけで、茎もなければ丸い塊もない。
 キャベツは、もともと結球する植物ではなかった。
 アブラナ科のキャベツも、キク科のレタスも、菜の花や春菊のようにもともとは派がまっすぐに伸びていく青菜である。ところが、青菜を育てる過程で過剰な栄養を与えると、葉の数がどんどん増え、そのうちに増えた葉の行き場がなくなり、しかたなく内側に向かって巻きながら互いに重なりあうようになる。これが結球という現象である。
 過剰な栄養を与えても、全部が全部丸まるわけではなく、葉の形状や葉脈の反りかたなどから適性をもったものを選んでかけ合わせ、長い時間をかけて改良していったのだ。
 結球すると、中には太陽が当たらないから、葉がやわらかくなり、白くなる。これを「白軟化」という。結球の利点だ。土から顔を出さないように育てるホワイトアスパラや、暗いトンネルで栽培するウドやチコリも白軟化のケースだ。

 ポルトガルは、玉村の大好きな国のひとつで、ひと頃は毎年のように訪ねていた。その目的は野菜ではなく、ワインだった。この国は、どの地域でも昔から伝えられている在来のブドウ品種をいまでもつくり続けている。メルローとかシャルドネとか、国際的に評価の定まったフランス系のブドウ品種には目もくれず、何百年も前から各地域で栽培されてきた古い品種を、いまでも全国で100種類以上維持している。
 玉村が民家の庭先に「立ちキャベツ」を見つけたのも、そんなワイン探しの旅の途中だった。なるほど、ポルトガルなら、キャベツの古い品種をそのままのかたちで育てていても不思議はない。

 キャベツの原産地は、北欧から中欧にかけての、海岸沿いの土地らしい。それがケルト人によって地中海周辺まで伝えられて栽培が広がった、とされる。
 13世紀から14世紀にいたる頃には、ヨーロッパの主要な地域に結球性のキャベツが広まっていたらしい。
 ヨーロッパは、北海道とほぼ同じ緯度に位置する。海流のおかげで温暖だが、日本のように多様な植物が繁茂する気候ではない。ヨーロッパ旧大陸原産の野菜は数が少ない。その少数の野菜がキャベツであり、タマネギ、ニンニク、ソラマメなど何種類かの豆が、古代中世から近世にいたるヨーロッパの住民の日常生活をささえたのだ。
 ギリシャの哲学者ディオゲネスいわく、「キャベツを食べて生きていけば、権力者にへつらう必要はない」
 それを聞いた弟子いわく、「権力者にへつらえば、キャベツばかり食べなくても済む」
 ローマ皇帝ディオクレティアヌスは、老いて引退したが、支持者に復位を求められた。答えていわく、「私は菜園にキャベツを植えた。そのキャベツ畑を見れば、誰ももう一度権力者に戻れとは言わないはずだ」
 かくて、フランスでは、「キャベツを植えに行く」といえば、引退して自由になることを意味するようになった。

 ・・・・以上のように要約したところから察せられるように、本書は気ままな筆致で、時空を縦横に駆けめぐる。
 ストイックなまでも徹頭徹尾ふだんの暮らしの事物しか記さない、特異なパリ・ガイド『パリ 旅の雑学ノート』を処女作にもつ玉村豊男は、その後円熟の度を深め、自由闊達、融通無碍な文章をものするようになった。本書も、主題が野菜という自然の恵みであるせいもあって、読みやすい文章がはらむものは豊穣だ。
 ところで、赤ん坊はキャベツから生まれる、という伝説はどこから来たのか。
 第1章の最後にようやくタイトルを話題にするのだが、著者の想像は、いくぶんエロチックで、民俗学的には納得できそうな説だ。それがどういうものかは、本書42ページをご覧いただきたい。 

【参考】玉村豊男『世界の野菜を旅する』(講談社現代新書、2010)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、1970年代のアメリカ ~経済危機のルーツ~

2010年09月22日 | ●野口悠紀雄
 『経済危機のルーツ』は、日米の、経済危機に先立つ大繁栄の時代を振り返る。
 そして、この経済史に、その時代を生きた野口悠紀雄が個人的に見たもの、聞いたものを挿入している。
 ここでは、野口の自伝的要素を取り出してみたい。

 第1章で1970年代を回想するにあたって、まずスティーブン・キング『ランゴリアーズ』の「序にかえて」から引用している。
 1974年、大統領はフォード、イランではシャーがまだ権勢をふるい、ジョン・レノンは健在だった。エルヴィス・プレースリーもしかり。カセットレコーダー(ビデオのこと)は、ソニーのベータ方式がVHSを蹂躙するだろう、と予言されていた。レンタルビデオは普及していなかった。レギュラーガソリンは1ガロン48セント、無鉛ガソリンは55セントだった。
 ちなみに、レギュラーガソリンは、2008年夏には、1ガロン4ドルを超えた。

 キングにとって、この本を書いた1989年において、1974年は昨日のように思えるし、大昔のように思えたのだ。
 しかし、野口が思うに、1970年代の初めに世界経済の基本的な骨組みが大きく変動し、新しい仕組みが築かれた。この仕組みは、基本的には現在まで続いている(『経済危機のルーツ』を1970年代から始める理由)。

 1960年代までの戦後経済は、「ブレトンウッズ体制」の下で運営されていた。ドルと金と交換比率を固定する体制だ。
 1971年8月15日、ニクソンは金とドルとの交換停止の声明を出し、「ブレトンウッズ体制」の終焉を告げた。
 ニクソン声明の時、野口は米国で夏休みを過ごしていた。妻は出産のために帰国。学生のいなくなったコネチカット州ニューへブンで、秋にある試験(博士論文を書く資格を得るための試験)のため、ひたすら勉強していた。当時大蔵省の職員だったから、2年間で終える必要があり、普通の2倍のペースで試験を通過しなければならなかった。
 当時の通信状況では、日本の様子はほとんどわからない(国際通信は高価で、長女誕生の知らせもわずか2行の電報だった)。米国の新聞に突然登場した日本の証券取引所の写真、場立ちの全員が着ている白いシャツに奇妙な印象を受けた。誰も白いシャツなぞ着ていない米国社会に慣れてしまっていたからだ。

 2008年11月に来日したシンガーソングライター、キャロル・キングが、「私が若かったとき、水飲み場でさせ黒人と白人で別だった」とインタビューに答えている。
 映画『アメリカン・グラフィティ』にでてくる高校生は、すべて白人だ。黒人もアジア系住民も登場しない。これが1960年代前半までの米国だ。
 1960年代前半までの西部劇は、インディアンを未開で野蛮な民族、征服されるべき人々として描いてきた。
 それを大きく変えたのが、1970年の映画『リトルビッグマン(小さな巨人)』だった。カスター将軍全滅の戦闘をインディアンの側から描いた。米国社会が大きく変動してゆく象徴だった。
 人種差別が当然の基本原理は1970年代に大きく変化した。建前上の平等は、1970年代に確立し、現実を変えて今日に至る。

 アイビーリーグに女子学生が現れた。1960年代末までは、男女共学ではなかったのである。
 映画『ラブストーリー(ある愛の詩)』では、主人公はハーバード大学の学生で、恋人は同じ構内にあるが別の大学、ラドクリフの学生だ。野口のいたエール大学でも、状況は同じだった。女子用トイレはわずかしかなかったし、屋内プールは男子学生専用で、全裸で泳ぐのが普通だった。
 ヒラリー・クリントンはエール大学ロースクール出身だが、アンダーグラジュエイトは名門女子大のウェルズリーだ。
 「少数民族の中にも女性の中にも、優秀な人間は多数民族の男性と同じ比率でいるはずである。だから、彼らに対する社会的正客を取り払えば、社会はより多くの優秀な人材を活用できる。そして社会の生産性は高まるはずだ。このように純粋に功利的な観点からしても、差別の撤廃は社会にプラスの影響を与えるのだ。70年代以降のアメリカの経験は、まさにそのことの実証である」

 当時の大学キャンパスをベトナム戦争の暗い影が覆っていた。徴兵は大学院生にも及んできた。イラク戦争との大きな違いである。
 だから、大学生を中心とした反戦運動が大きな社会的潮流となった。ヒッピー文化が大学を覆い、ミュージカル『ヘア』が大ヒットした。ビートルズやビーチボーイズも、プレースリーさえも、こうした潮流のなかで大きく変貌していった。
 大学近くの書店にJ・R・R・トールキン『指環物語』がうず高く積まれていた。現実逃避願望の対象になった、としか考えようがない。ベトナム戦争から一方的撤退を主張したマクバガンさえ、学生の希望をつなぎとめることはできなかった。
 人種差別撤廃、ウーマンズリブ、アファーマティブ・アクションなどは、ベトナム反戦運動と密接に関係している。この時期、米国社会は根源的なレベルで価値観が転換しつつあった。

 他方、米国の世界戦略の基本は、変わらなかった。熱核戦争を現実の脅威として捉え、勝ち抜くつもりでいた。大学のどの建物の地下にも核シェルターが設置されていた。
 宇宙開発戦争では、アポロ計画を見事に成功させた。ソ連は明らかに敗北したのである。社会主義経済の機能不全の表れである。

 1970年代、コンピュータの技術が大きく変化し始めた。
 まず1970年代初めにプログラム電卓が登場した。
 そして、パ1970年代から1980年代にかけてパーソナルコンピュータ(PC)が発展した。1976年、車庫で作られたAppleが販売された。翌年発売されたAppleⅡは大成功をおさめ、PCの時代が到来した。1979年、日本電気(NEC)がPC-8000シリーズを発売した。
 こうしためざましい発展に、社会主義圏はまったく追随できなかった。むしろ、パーソナルなコンピュータは国家の安全を脅かす、と考え、その使用を妨げようとしていた。
 社会主義国家の崩壊は、情報技術の転換とほぼ同時期に起こっている。これは偶然ではなく、必然だった。
 「ソ連の崩壊は、情報技術がもたらした必然の結果だ(このように、分散的情報処理システムは、市場経済を前提としている。日本が90年代のIT技術に完全に対応できなかったのも、ここに基本的な理由がある)」

【参考】野口悠紀雄『経済危機のルーツ ~モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか~』(東洋経済新聞社、2010)
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【読書余滴】スウェーデンの社会保障の特徴

2010年09月21日 | □スウェーデン
(1)高福祉
 社会保障費の対GDP比は、29.4%(世界一)。日本(18.5%)の1.6倍。

(2)負担と給付の関係が明確
 ・行政の役割分担が明確・・・・国:年金、ランスティング:医療、コミューン:福祉・介護
 ・財源と給付の関係が明確
  ☆社会保険料(所得の31.4%)
    →(a)社会保険(労働できなくなったら給付)【社会保障給付のうち36%】
  ☆地方所得税(平均31%)
    →(b)社会サービスへの現物給付(保育・教育・医療など)【社会保障給付のうち55%】
    →(d)にも。
  ☆消費税(商品価格の25%、ただし食品12%、新聞6%)
    →(c)特定カテゴリー(子持ち世帯【注】、大学生)への定額給付【社会保障給付のうち4%】
  ☆国税所得税(国民の8割は0%、高所得者は20%と25%)
    →(d)低所得者への経済的支援(生活保護など)【社会保障給付のうち4%】
    →(c)にも。

  【注】出産・育児の制度と成果
    ☆出産休暇・・・・出産前後、最長7週間
    ☆妊婦手当・・・・出産直前2週間分
    ☆育児休暇・・・・480日(うち60日は父親に取得割り当て)
    ☆育児休業給付・・・・最大290日分(休業前賃金の8割)
    ☆児童手当・・・・16歳未満まで(多子加算あり、所得制限なし)
    ☆子どもの医療費無料・・・・18歳以下
    ★就学前保育所・・・・1~5歳児の8割
    ★高い育児休業取得率・・・・女性84.0%、男性79.4%

(3)社会保障は弱者保護ではない。
 。社会保障はリスクをシェアするもの、と認識されている。
 ・救貧的施策(生活保護など)の社会保障給付に占める比率:4%

(4)老齢世代および現役世代の生活保障システム
 ・高齢者向け支出割合は、日本より低い。
   ●社会保障給付に占める割合は、スウェーデン32%、日本47%。
 ・家族関係支出(妊婦手当、育児休業給付や子ども手当、保育・就業前教育など)割合は、日本の3倍。助成の子育て支援制度が充実している。
   ●社会保障給付に占める割合は、スウェーデン11%。日本4%。
 ・積極的労働市場政策(職業訓練など)への支出は、GDP比で1%。日本(0.26%)の4倍。

(5)スウェーデンの社会保障全体の特徴
 ・誰もが働くことを前提として組み立てられている。
 ・負担も給付も定率である。負担を国民全体で分かち合う。
 ・積極的に労働市場に参加しなければ、最低限の給付しか得られない。

【参考】特集/世界経済大図解の記事「先進国 スウェーデンの社会保障」(「週刊東洋経済」2010年9月25日号)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、就業構造変化での日米間の顕著な差 ~ニッポンの選択第31回~

2010年09月20日 | ●野口悠紀雄
(1)日本の雇用構造の変化
 全体の2割を超えていた製造業の雇用は、1990年代中頃から減少しはじめた。
 製造業に代わって雇用を吸収したのは、生産性の低いサービス産業だ。非正規労働者を中心に雇用を増やした。そして、日本経済の所得水準の低下をもたらした。
 「失われた20年」の本質は、こうした過程を通じて日本経済の生産性が低下する過程であった。
 今後も製造業の雇用は増えず、むしろ急速に雇用減が進む可能性がある。
 非製造業のうち、雇用が増えるのはサービス産業であることは間違いない。
 ここで、「低生産性サービス産業」と「高生産性サービス産業」とを区別する必要がある。今後の日本経済が所得水準低下を回避するためには、後者を増やしていく必要がある【注】。

 【注】非製造業の2大グループ
 (ア)飲食・宿泊、運輸、複合サービス、その他サービス
   賃金水準は、製造業より低い(平均より1割以上低い)。
   資本装備率が低く、単純なサービスが中心になるからだ。
   なお、卸売・小売りは全体とほぼ同じ水準であり、鉱業、建設業は製造業より低い。

 (イ)電機・ガス、情報通信、金融・保険、不動産、医療福祉、教育・学習支援
   賃金水準は、製造業より高い。

(2)就業構造の面からみた日本経済の問題点
 高生産性サービス業(金融業がその代表)で雇用創出できなかった。
 今後の成長戦略は、この分野で雇用を増やすことが重要だ。

(3)内需主導経済
 内需主導経済とは、GDPを構成する項目で、純輸出の比率が下がることだ(需要面の変化)。
 需要面の変化は、結果として生じる。この変化をもたらすのは、産業別付加価値構造の変化だ(供給面の変化)。
 供給面の変化によって、輸出産業以外の産業で就業機会が増加する。

(4)日米の雇用構造の変化
 日米を比較すると、製造業が雇用を減らして全体の中での比重を下げた点は同じだ。
 しかし、サービス産業において、大きな違いがある。日本で増えたのが生産性の低いサービス産業だったのに対して、米国で増えたのは生産性の高いサービス産業だった。
 2009年における全雇用者に対する金融業の比重は、米国では5.9%、日本では2.6%であり、大差がある。
 金融やビジネスサービスは、1980年代以降に登場した先端的金融・IT技術を応用するものだ。これらのサービスは輸出も可能なので、国際収支面での貢献も大きい。

(5)新しい雇用創出のメカニズム
 1980年代、米国における製造業からの転換は、簡単には実現しなかった。日本との貿易摩擦の中で、製造業が次々に撤退を余儀なくされたのだが、労働組合の強い抵抗があった。日本の輸出の自主規制を求めたり、国際協調介入でドル安を実現したりすることによって、製造業の衰退を食い止めようとする試みもあった。
 しかし、結局のところ、前述のような新しい雇用が創出された。しかも、生産性の高いサービス産業が成長したのだ。
 こうした雇用創出は、どのようにして実現したのだろうか。
 政府が援助を与えたわけではない。雇用創出政策で誘導したわけでもない。
 市場メカニズムを通じた自動的なメカニズムによって実現したのだ。
 雇用創出は、政府が行うことではなく、市場が行うことなのである。

【参考】野口悠紀雄「就業構造変化での日米間の顕著な差 ~ニッポンの選択第31回~」(「週刊東洋経済」2010年9月18日号所収)
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書評:『毒蛇』 ~沖縄県民のもうひとつの戦い~

2010年09月19日 | ノンフィクション
 今を遡ること約40年前、ある少年が一人の医師を知った。デパートで開かれた「蛇展」の案内パンフレットに、医師の名が記されていたのである。
 少年は長じて毒蛇に対する関心を再燃させ、明治薬科大学に入学する。
 だが、こと志と異なる教育環境に飽きたらず、群馬県にある日本蛇族学術研究所をたびたび訪れた。少年時代にその名を知った医師から、じかに教えを請うためである。

 少年は、すなわち小林照幸である。医師は、蛇毒研究の第一人者、沢井芳男である。
 小林は、私淑した沢井の業績を世に伝えようと、「ある咬症伝」と題するレポートをものする。レポートには第1回開高健賞奨励賞が授与された。
 爾来、小林は旺盛な執筆活動に入り、『朱鷺の遺言』で第30回大宅ノンフィクション賞を史上最年少で受賞した。
 「ある咬症伝」は、公刊にあたって『毒蛇』と改題された。『毒蛇』及びその後を描いた『続 毒蛇』を一本化したものが本書『完本 毒蛇』である。

 陽光あふれる南国、奄美大島の場面で幕はあがる。
 奄美は、漁猟資源にめぐまれた土地である。その奄美の発展を阻害してきた二大要因が、台風とハブであった。
 ハブは、山野はもとより、民家にも忍びこみ、人を咬む。主食のネズミを求めて侵入するのである。
 ハブに咬まれると、筋肉、血液、骨が壊死する。死にいたることもあり、死は大部分、咬まれてから24時間以内にやってくる。

 ハブの血清製造に従事していた沢井芳男は、昭和32年7月、初めて奄美大島の土を踏んだ。東京大学付属伝染病研究所(後の医科学研究所)試験製造室主任として、沢井は、ハブ咬症による死を減少させた血清に自信をもっていた。
 しかし、名瀬市にある大島病院で、咬症患者の悲惨な実態を目にして、息を飲む。鼻をつく腐臭、糜爛した肌、むきだしになった骨、絶え間ない痛みに叫ぶ患者。当時の血清は、死を防ぐ効果はあっても、腫張や壊死を防ぐ効果は乏しかったのである。
 保存の問題もあった。冷蔵庫に保管しても、有効期間は1年しかなかった。しかも、離島には電気が通じていない。

 沢井は、1年間研究した結果、筋肉注射よりも静脈注射のほうが薬効大であることを発見する。
 また、群馬大学の友人の協力を得て壊死のメカニスムを解明し、世界にも前例のない乾燥血清を作りだした。
 ただ、ハブ咬症による壊死は減少したが、血清療法は万全ではない。
 沢井は、予防ワクチンの開発に取組み、昭和40年にハブトキソイドを完成させた。これまた世界で初めての、新しい治療対策であった。
 沢井が活躍する舞台は沖縄全域へ広がり、さらに台湾、東南アジアにも広がった。やがて、世界の毒蛇がターゲットとなった。

 かくて、ハブという自然界の「毒」に対しては、ヤマトンチュの知恵と努力が沖縄に福音をもたらした。
 しかし、米軍基地という社会の「毒」に対しては、今のところ、依然としてヤマトンチュは無為無策である。

 本書は著者の処女作であるだけに、若書きのアラが目につく。構成は単調、時系列に沿って記述するのみだ。また、生のデータがやや過剰なまで詰めこまれているから、文面が生硬になりがちだ。
 だが、こうした些細な瑕疵を補って余りあるのは、主人公、沢井芳男に対する著者の熱い思いいれである。この一途な傾倒は、さわやかだ。
 多数の資料を渉猟し、綿密な現地調査により裏づけているから、我田引水的な礼賛になっていない。
 世間的な華々しさとは無縁のところでハブ禍撲滅のため地道に尽力した学者の半生が、ずしりと重い読後感をのこす。

□小林照幸『完本 毒蛇』(文春文庫、2000)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、成長戦略のポイントは高度サービス産業 ~「超」整理日記No.529~

2010年09月18日 | ●野口悠紀雄
(1)低成長の原因
 経済成長こそ、今の日本にとっても最も求められるものだ。
 1990年代後半以降、日本経済の持続的成長能力が失われ、これが日本を覆う閉塞感をもたらした。雇用問題も財政赤字問題も、ここに発する。
 かかる停滞の原因を正しく把握しないで「成長が必要」と唱えても無意味である。
 日米では1990年代後半から、製造業の雇用が減少した。ただし、米国では新しいITを活用したビジネス支援産業が成長し、雇用を生んだ。この分野の所得は製造業のそれより高い。よって、米国経済全体の所得が高まった。
 翻って日本では、生産性の低いサービス産業が雇用を引き受けた(小売り、飲食、その他の対人サービス)。この分野の所得は製造業よりも低い。よって、経済全体の所得が低下した。1990年代以降、一人当たりGDPの順位が先進国の中で低下した所以だ。

(2)供給面の条件
 日本でビジネス支援産業の成長を阻害した要因は、次の3つだ。
 (ア)(特に通信分野での)規制。
 (イ)大企業がすべての業務を自社内で行い、外部のサービスを利用しない。
 (ウ)専門的人材の不足。
 他方、資本はさして重要ではない。だから、重点分野への金融などの措置を行っても、この分野の成長は促進されない。

(3)需要喚起経済政策の誤り
 日本で現実に行われている経済政策は、供給面の条件整備ではなく、需要を増やすことを目的とするものが多い。特に製造業の後退を食い止めるための需要喚起策が多い。なかでも重要なのは、金融緩和と為替介入によって円安を実現し、それによって製造業の輸出を支えたことだ。
 この政策は、2002年以降の外需依存経済成長をもたらした。2007年頃まではこの方向が成長するかに見えたが、経済危機によって頓挫した。持続可能なものではなかったのである。
 にもかかわらず、日本の経済政策は、製造業後退対策を目的としている。エコカー購入支援策しかり、家電のエコポイントしかり。さらに、雇用調整助成金によって過剰雇用を企業内にとどめた。
 これらは、長期的にみて、望ましい方向に日本経済を誘導するものではなかった。

(4)新興国へのシフトがもたらす弊害
 外需依存から抜け出せない製造業は、外需の先を先進国から新興国へ切り替えようとしている。
 しかし、新興国での需要は低価格商品が中心とならざるをえないので、日本国内の高賃金労働では対応できず、生産拠点を新興国に移さざるをえなくなる。
 この結果、日本国内における製造業の雇用はさらに縮小し、また、過剰設備も顕在化する。

(5)旧態依然の経済政策
 高生産性サービス業を発達させる必要性は焦眉のものとなっている。
 経済政策もそれと整合的なものい転換する必要がある。
 にもかかわらず、現在考えられている成長促進策とは、相も変わらぬ金融緩和と円安、そして法人税減税だ。
 これでは経済構造は変わらないし、政策が成功しても現存する供給能力が成長のリミットとなる。
 米国では、新しい供給能力をつくることによって潜在的需要を顕在化させた。この場合には、経済構造が変化し、成長のリミットはない。
 両者の違いは大きい。

(6)必要な経済政策
 今必要なのは、需要促進策ではなく、供給面のネックを取り払うことである。
 アメリカのビジネス支援産業は、政府の誘導策や援助によって発達したのではない。政府がはたした役割は、(ア)電話の独占的地位を守るため行われていた通信面での規制撤廃、(イ)1980年代には盛んに行われていた製造業への衰退阻止策からの撤退、(ウ)軍事産業の減少を無理矢理に引き留めない・・・・といった点だ。これによって、それまでは製造業に向かっていた有能な人材が新しい分野に参入したのだ。

(7)人材の確保
 ことに人材の重要性を強調しなければならない。高生産性サービス業は、高度の専門知識をもつ人材が最重要の生産要素だからだ。
 人材育成の機能を担うのは、基本的には教育だ。わけても、日本の場合には、これまで弱かった高度専門家教育を充実させることだ。それには時間がかかる。それを補うのは、海外からの人材である。
 米国のIT産業の成長において、海外からの人材が重要な役割をはたした。
 英国の高生産性サービス業である金融も、資本や人材の流入によって実現した。
 資本と人材の面で鎖国に近い状態の日本が、新しいサービス業で成長することは、きわめて難しい。21世紀の世界では当たり前となったこの事実をあらためて認識しなければ、成長戦略は宙に浮いたものとなる。

【参考】野口悠紀雄「成長戦略のポイントは高度サービス産業 ~「超」整理日記No.529~」(「週刊ダイヤモンド」2010年9月25日号所収)
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新刊書一読:野口悠紀雄『経済危機のルーツ』

2010年09月17日 | ●野口悠紀雄
 日本が舞台の『戦後日本経済史』(新潮選書、2008)に対して、本書は世界を舞台とする戦後経済史である。ただし、前者は戦後日本の経済全般に目配りしているが、本書はどういう経過をたどって経済危機が生じたか、という問題意識に貫かれている。そして、本書にとりあげられた論点は、その後の著述で理論的に展開される。
 その意味で、本書は雑誌に連載されている「「超」整理日記」ほかの論考、『日本を破滅から救うための経済学 再活性化に向けて、いまなすべきこと』(ダイヤモンド社、2010)や『世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか』(ダイヤモンド社、2010)の副読本だ。

 1990年代以降の世界経済の大変化をたどった後、「日本の失われた20年」の原因を整理して、著者は次のようにまとめる。

(1)冷戦終結と中国の工業化という大変化が生じた。これは、経済的な観点からすると、製造業の労働力急増と同じことであり、製造業を中心とする日本経済に本質的な影響を与えた。しかし、日本はこれに対応できなかった。

(2)金融とITの面で大変化が生じた。ITは新しい産業革命ともいえるほどの大変化を経済活動にもたらしたが、日本は対応できなかった。
 また、1980年代以降進展した新しい金融技術も、英米の経済活動を一変させた。しかし、これを受け入れることについても、日本は否定的態度をとり続けた。

(3)21世紀の世界においては、資本と人的資源に関して、新しいタイプのグローバリゼーションが進展している。しかし、日本はこれに対応できていない。これまで日本が行ってきたグローバリゼーションは、製造業の製品を輸出することだ。モノに限定したグローバリゼーションだ。

 この結果、「変革」に関する消極的な空気が一般化した。とりわけ深刻なのは、本来は未來を開く推進力となるべき企業が、変革の意欲を失ってしまったことだ。世界経済の大変化に目を閉ざし、従来のビジネスモデル継続に汲々とし、企業の存続だけを目的としている。
 なぜか。年功序列的な組織構造のため、過去に成功した人が決定権を握る場合が多いからだ。いったん組織のなかで実験を握ると、競争圧力から隔離されてしまうため、現状維持が最優先の目的になる。技術開発も、社会の要請に応えるというよりは、会社が従来のビジネスモデルを継続して生きのびるための手段としか見なされなくなるのだ。 
 金融・経済危機によって最大の打撃を受けたのは、製造業大国である日本なのであった・・・・。

 1970年代から今日まで過去を振り返るなかで、著者の青春がチラホラ姿をみせる。一種知的自伝の趣をみせる。この点が、他の著書にはない魅力である。
 たとえば、1970年代を語る第1章において、映画『2010年宇宙の旅』の巨大コンピュータHALにふれ、「当時は、未來のコンピュータは、このように巨大な機械になると考えられていたのだ(なんたる見当違い!)」と驚く。
 あるいは、1980年代を語る第2章において、東西ベルリンの境界の地雷原を撮影したフィルムをポケットに入れたまま検問所を通る際、震え上がった体験を綴る。
 いずれも、米国あるいはドイツの経済を語る際のエピソードにすぎないが、自分の体験に裏打ちされた経済史という読後感を残す。著者の文章が読みやすい理由のひとつだろう。

□野口悠紀雄『経済危機のルーツ ~モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか~』(東洋経済新聞社、2010)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、経済対策を検証・評価する

2010年09月16日 | ●野口悠紀雄
 2008年秋以来急激に落ちこんだ経済に対して取られた対策について、1年以上へた今、これらの効果を検証し、評価する。

(1)金融政策
 量的緩和政策が採られた。資金繰り倒産や取引生涯など、流動性不足からくる諸問題を回避する効果はあった。
 しかし、需要を増大したり、物価を押し上げる効果は、もともと金融政策にはなかった。なぜなら、日本経済は「流動性トラップ」(ケインズ)【注1】に落ちこんでいるからだ。
 金融政策の無効性は、特に物価について顕著である。

 【注1】貨幣に対する需要が無限大になると、流動性の増加が経済活動を刺激する効果をもたない。

(2)改正産業活力特別措置法
 公的資金による企業救済が行われることになったが、問題が多い。
 1990年代の銀行に対する公的資金注入は、信用危機回避のためやむをえない面があった。
 しかし、無原則に公的資金をつぎ込むのは、いかなる理由によっても正当化できない。際限のないモラルハザードをもたらす。

(3)麻生太郎内閣の景気刺激対策
 2008年度補正予算と2009年度予算において、マクロ経済学上景気刺激対策とみなせるのは定額給付金の2兆円と自動車従量税・自動車取得税の減税でしかない。
 2009年度補正予算では、雇用調整助成金拡充の6,012億円、一般会計における「雇用対策」として1兆2,698億円が予算措置された。雇用調整助成金は、失業率上昇を抑えたという点でマクロ経済的な効果があった。しかし、公共事業であれば手当を給付して事業を行わせるが、雇用調整助成金は後になにも残らないという意味で浪費的な政策だ。
 また、同補正予算で特定産業(自動車産業と電機産業)を対象とする支援策が行われたが、雇用調整助成金と同じ問題点がある。一時しのぎにはなっても、日本の産業が抱えている基本問題を解決しない。さらに、特定産業に偏った、企業救済措置である点も問題だ。資源配分を攪乱する危険が大きいからだ。
 また、高速道路の料金引き下げも行われたが、そもそもこの措置が何を目的なのかが明らかでない。その後民主党は、高速道路料金政策を変更したが、何を目的とするのか不明なままで、いたずらに事態を混乱させるだけのものだ。

(4)必要な財政政策
 現在の日本では「クラウディングアウト」【注2】が発生していない。他方では「流動性トラップ」に落ちこんでいる。したがって、短期的需要喚起策は、金融政策ではなく、財政政策である。
 ただし、財政政策のうち、移転支出はただちには有効需要を拡大しない。実際、定額給付金は消費支出を増大させる効果を上げなかった。消費にまわらず、貯蓄されたと推定される。
 現在の日本経済の経済的条件からすると、本来行われるべき財政政策は公共事業の増加である。しかるに、GDP統計をみると、実質公的資本形成は、2009年4~6月期は大きく増加したものの、7~9月期にはマイナス1.6%になってしまった。

 【注2】財政支出や財政赤字の拡大が金利を押し上げるという現象。

(5)一時しのぎ緊急避難策を継続した民主党政権
 自民党政権が行った追加経済対策は、一時しのぎの緊急避難でしかなかった。これは、「一時をしのげば復活する」という見方が前提となっている。
 しかし、国内と先進国の需要は復活しない。ここ数年の売上げ増加はバブルに支えられたものでしかなかったからだ。
 民主党は、何の見直しを行うもことなく、自民党の政策を継続した。

 経済政策を議論する場合、短期的課題と長期的課題を区別することが必要だ。
 雇用調整助成金を継続すれば、失業率の急増を抑えることはできる。しかし、給付期間には限度がある。単に現行制度を維持するだけでは不十分だ。拡充が必要であるが、それには膨大な予算措置が必要になる。仮に財源手当を行っても、雇用調整助成金によって本格的な解決を図ることはできない。他方で、雇用を積極的に拡大する方策が考えられなければならない。
 民主党は、労働者派遣法を改正したが、これが雇用をさらに減少させることは、ほぼ確実である。民主党は、一刻も早く雇用に関する経済メカニズムを理解してほしい。

 現在の日本で、労働力が数百万人単位で不足しているのは、介護部門である。ここで雇用増加を図ることが当然考えられるが、大きな問題は雇用条件の改善だ。賃金水準が低い。
 むろん、雇用創出可能な分野は介護に限らない。そうした分野をふくめて、本格的な雇用創出には、さまざまな制度改正と予算措置が必要だ。しかも、急ぐ。

(6)際限なく悪化する財政
 2008年度当初予算では、一般会計税収を53.6兆円と見積もっていた(うち法人税は16.7兆円)。しかし、二次補正予算では、法人税収は、10兆円のレベルまで落ちこんだ。
 2009年度当初予算では46兆円の税収を見こんでいたが、税収は激減した。2009年度補正予算は、国債発行額は50兆円を超し、国債発行が税収を上まわる異常事態に陥った。
 2010年度予算は、歳出が92兆3千万円に膨れあがった。他方、税収はわずか37兆円にすぎない。国債発行額は44兆3千億円だが、「その他収入」(その大半は埋蔵金などの臨時収入)が10兆6千億円もあり、実質的な国債発行額は55兆円を超える。
 埋蔵金は、数年しか続かない財源だ。
 税収が歳出の4割しかないとは、普通の国ではおよそあり得ない予算の姿だ。日本の「死相」が明瞭に表れている。
 今後、財政状況の悪化は確実に予測できる。すでに法人税が激減しており、企業利益の動向を思えば、今後もこのレベルから大きく回復することはない。他方で、雇用情勢や企業収益が好転しないから、財政に対する支援要求はますます増大する。財政赤字は、破滅的レベルまで拡大する危険がある。さらに長期的にみれば、年金財政が破綻する可能性が予想される。
 財政状況の悪化を阻止する方策は、残念ながら見あたらない。

   *

 以上、『世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか 』第7章に拠る。

【参考】野口悠紀雄『世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか 』(ダイヤモンド社、2010.5)
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