プラハ城内の黄金小路。22番の青い壁の家がカフカが住んだ家。いまは書店。
●祇園祭後祭
2018年の夏、祇園祭後祭(あとのまつり)の京都を訪れた。今年の京都は、四捨五入すれば40℃の酷暑が連日続く。ために重要な神事である花笠巡行が今年は中止されてしまったほどだ。
後祭は1965(昭和40)年をもって途切れていたが、2014(平成26)年に復活した。私はこの年にも出かけているから、後祭に会うのはこのたびで二度目となる。
●祇園祭
祇園祭の行事は、(一)山鉾町が主催するものと、(二)八坂神社が主催するものとに大別される。
(一)のうち、「山鉾行事」だけが重要無形民俗文化財に指定されている。山鉾行事は、山鉾が設置される時期により前祭(さきのまつり)と後祭(あとのまつり)の二つに分けられる。山鉾行事のうち、「宵山」(よいやま=前夜祭)と「山鉾巡行」が名高い。
(二)八坂神社が主催する神事は、 「神輿渡御」(神幸:7月17日・還幸:7月24日)や「神輿洗」(7月10日・7月28日)などが名高く、「花傘連合会」が主催する花傘巡行(7月24日)も八坂神社の行事といえる。神輿渡御においては、八坂神社から中御座神輿(なかござみこし)・東御座神輿(ひがしござみこし)・西御座神輿(にしござみこし)の大神輿3基に召した神々が各氏子町を通って渡る。中御座神輿には、八坂神社の主祭神である素戔嗚尊(スサノオノミコト、古称「牛頭天王」)を、東御座神輿には素戔嗚尊の本妻である櫛稲田姫命(クシナダヒメ)を、西御座神輿には素戔嗚尊の8人の子どもを載せる。大神輿3基は、御旅所(平時は土産物を販売する「四条センター」)に7月24日まで滞在する。
●スサノオ神話
高天原を追放されて出雲に降り立ったスサノオは、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に毎年娘を食われているアシナヅチ・テナヅチの夫婦に出会った。聞けば、最後に残った末娘のクシナダヒメも、もうじき食われてしまう時期なのだという。哀れに思うと同時に美しいクシナダヒメが愛しくなったスサノオは、彼女との結婚を条件にヤマタノオロチ退治を申し出た。最初は訝しんだアシナヅチ・テナヅチ夫婦だが、彼が天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟と知ると喜んでこれを承諾した。
スサノオとの結婚が決まると、クシナダヒメはすぐにスサノオの神通力によって変身させられ、小さな櫛となった。その櫛をスサノオは髪に挿しこみ、ヤマタノオロチ退治に臨んだ。
スサノオは見事、十束剣によってヤマタノオロチを退治する。その後、スサノオはクシナダヒメと共に暮らす場所を探して、須賀の地に宮殿を建てた。二神は八島士奴美神(ヤシマジヌミノカミ)をもうけ、大国主命(オオクニヌシノミコト)はその子孫である。
というような神話が世に知られているのだが、出雲をめぐる神話には二つの流れがある。
①「記紀」(『古事記』と『日本書紀』)の出雲系神話
②『出雲国風土記』や「出雲国造神賀詞」の地元の出雲神話
両者には違いがあって、①ではスサノオはヤマタノオロチを退治するが、この話は②にはまったく登場しない。
他方、②には八束水臣津野命(ヤツカミズオミツノノミコト)による雄渾な出雲創成譚(国引き神話)が展開されるが、これは①には載っていない。
●スサノオとアマテラス
スサノオやその息子ないし子孫とされるオオクニヌシは、アマテラス信仰を信じる人々が日本列島に来る前に、人々が信じていた神々である。本来は戦争を行って、どちらの神々が強いかをはっきりさせないといけないところだが、スサノオ、オオクニヌシはアマテラスへ平和裏に権力を移譲してしまった(国譲り)。光の世界をアマテラスが支配し、闇の世界と死者の世界はスサノオ、オオクニヌシが支配しているということになった。
神道の考え方では、日本全土は一応、アマテラスの統治下にあるわけだが、一ヵ所だけ、アマテラスの統治が及ばないところがある。島根県だ。島根県には出雲大社があって、あそこはオオクニヌシを祀る。スサノオ・オオクニヌシ信仰の中心地である。東京であれば府中の大國魂(おおくにたま)神社だ。
埼玉県に境を接する東京都北部や、特に埼玉県を中心に、スサノオ・オオクニヌシ信仰の神社がたくさんある。例えば、武蔵国一宮の氷川(ひかわ)神社(さいたま市)は、スサノオ・オオクニヌシを祀る氷川(簸川)神社の総本社である。
明治天皇もすごく注意深く行幸している。これは、不思議なことだ。なぜなら、天皇の祖先に国譲りしたスサノオ系は、いわば負け組なのだから。その負け組のほうが、なぜ武蔵一宮なのか。なぜ伊勢信仰の神社ではないのか。
日本の国の謎を解いていくと、このスサノオ・オオクニヌシ信仰が出てくる。スサノオ・オオクニヌシ信仰を探っていくと、それはどこかで国家権力とぶつかる。伊勢のアマテラス信仰ではなく、出雲のスサノオ・オオクニヌシ信仰を採った大本教が、戦前、徹底的な大弾圧を受けたように。
●出雲の抵抗精神
平城京が政治の中枢だった時代、天子は南を向いて政治を執った。中国の思想、「天子南面」に基づく。平城京も平安京も南を向いている。日本の寺社も、ほとんどそれに準じて南を向いている。
出雲大社も南を向いているのだが、本殿に祀られているオオクニヌシは西を向いている。あまり知られていない事実だが、深い理由があるだろう。
□「みみより」(2018年9月号)
【参考】
「【出雲】神話と政治/出雲国造 ~八束水臣神津野命の正体(2)~」
「【出雲】国引きの神はなぜ隠れたか? ~八束水臣神津野命の正体(1)~」
「【出雲】日本的平和の原点 ~出雲大社と大山~」
「【読書余滴】「もののけ姫」再考 ~素戔嗚尊~」
2018年の夏、祇園祭後祭(あとのまつり)の京都を訪れた。今年の京都は、四捨五入すれば40℃の酷暑が連日続く。ために重要な神事である花笠巡行が今年は中止されてしまったほどだ。
後祭は1965(昭和40)年をもって途切れていたが、2014(平成26)年に復活した。私はこの年にも出かけているから、後祭に会うのはこのたびで二度目となる。
●祇園祭
祇園祭の行事は、(一)山鉾町が主催するものと、(二)八坂神社が主催するものとに大別される。
(一)のうち、「山鉾行事」だけが重要無形民俗文化財に指定されている。山鉾行事は、山鉾が設置される時期により前祭(さきのまつり)と後祭(あとのまつり)の二つに分けられる。山鉾行事のうち、「宵山」(よいやま=前夜祭)と「山鉾巡行」が名高い。
(二)八坂神社が主催する神事は、 「神輿渡御」(神幸:7月17日・還幸:7月24日)や「神輿洗」(7月10日・7月28日)などが名高く、「花傘連合会」が主催する花傘巡行(7月24日)も八坂神社の行事といえる。神輿渡御においては、八坂神社から中御座神輿(なかござみこし)・東御座神輿(ひがしござみこし)・西御座神輿(にしござみこし)の大神輿3基に召した神々が各氏子町を通って渡る。中御座神輿には、八坂神社の主祭神である素戔嗚尊(スサノオノミコト、古称「牛頭天王」)を、東御座神輿には素戔嗚尊の本妻である櫛稲田姫命(クシナダヒメ)を、西御座神輿には素戔嗚尊の8人の子どもを載せる。大神輿3基は、御旅所(平時は土産物を販売する「四条センター」)に7月24日まで滞在する。
●スサノオ神話
高天原を追放されて出雲に降り立ったスサノオは、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に毎年娘を食われているアシナヅチ・テナヅチの夫婦に出会った。聞けば、最後に残った末娘のクシナダヒメも、もうじき食われてしまう時期なのだという。哀れに思うと同時に美しいクシナダヒメが愛しくなったスサノオは、彼女との結婚を条件にヤマタノオロチ退治を申し出た。最初は訝しんだアシナヅチ・テナヅチ夫婦だが、彼が天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟と知ると喜んでこれを承諾した。
スサノオとの結婚が決まると、クシナダヒメはすぐにスサノオの神通力によって変身させられ、小さな櫛となった。その櫛をスサノオは髪に挿しこみ、ヤマタノオロチ退治に臨んだ。
スサノオは見事、十束剣によってヤマタノオロチを退治する。その後、スサノオはクシナダヒメと共に暮らす場所を探して、須賀の地に宮殿を建てた。二神は八島士奴美神(ヤシマジヌミノカミ)をもうけ、大国主命(オオクニヌシノミコト)はその子孫である。
というような神話が世に知られているのだが、出雲をめぐる神話には二つの流れがある。
①「記紀」(『古事記』と『日本書紀』)の出雲系神話
②『出雲国風土記』や「出雲国造神賀詞」の地元の出雲神話
両者には違いがあって、①ではスサノオはヤマタノオロチを退治するが、この話は②にはまったく登場しない。
他方、②には八束水臣津野命(ヤツカミズオミツノノミコト)による雄渾な出雲創成譚(国引き神話)が展開されるが、これは①には載っていない。
●スサノオとアマテラス
スサノオやその息子ないし子孫とされるオオクニヌシは、アマテラス信仰を信じる人々が日本列島に来る前に、人々が信じていた神々である。本来は戦争を行って、どちらの神々が強いかをはっきりさせないといけないところだが、スサノオ、オオクニヌシはアマテラスへ平和裏に権力を移譲してしまった(国譲り)。光の世界をアマテラスが支配し、闇の世界と死者の世界はスサノオ、オオクニヌシが支配しているということになった。
神道の考え方では、日本全土は一応、アマテラスの統治下にあるわけだが、一ヵ所だけ、アマテラスの統治が及ばないところがある。島根県だ。島根県には出雲大社があって、あそこはオオクニヌシを祀る。スサノオ・オオクニヌシ信仰の中心地である。東京であれば府中の大國魂(おおくにたま)神社だ。
埼玉県に境を接する東京都北部や、特に埼玉県を中心に、スサノオ・オオクニヌシ信仰の神社がたくさんある。例えば、武蔵国一宮の氷川(ひかわ)神社(さいたま市)は、スサノオ・オオクニヌシを祀る氷川(簸川)神社の総本社である。
明治天皇もすごく注意深く行幸している。これは、不思議なことだ。なぜなら、天皇の祖先に国譲りしたスサノオ系は、いわば負け組なのだから。その負け組のほうが、なぜ武蔵一宮なのか。なぜ伊勢信仰の神社ではないのか。
日本の国の謎を解いていくと、このスサノオ・オオクニヌシ信仰が出てくる。スサノオ・オオクニヌシ信仰を探っていくと、それはどこかで国家権力とぶつかる。伊勢のアマテラス信仰ではなく、出雲のスサノオ・オオクニヌシ信仰を採った大本教が、戦前、徹底的な大弾圧を受けたように。
●出雲の抵抗精神
平城京が政治の中枢だった時代、天子は南を向いて政治を執った。中国の思想、「天子南面」に基づく。平城京も平安京も南を向いている。日本の寺社も、ほとんどそれに準じて南を向いている。
出雲大社も南を向いているのだが、本殿に祀られているオオクニヌシは西を向いている。あまり知られていない事実だが、深い理由があるだろう。
□「みみより」(2018年9月号)
【参考】
「【出雲】神話と政治/出雲国造 ~八束水臣神津野命の正体(2)~」
「【出雲】国引きの神はなぜ隠れたか? ~八束水臣神津野命の正体(1)~」
「【出雲】日本的平和の原点 ~出雲大社と大山~」
「【読書余滴】「もののけ姫」再考 ~素戔嗚尊~」
路上観察学を開拓した赤瀬川源平が、フェルメールの全作品36点の観察を集約したのが本書。たとえば、《牛乳を注ぐ女》についてこう書く。
ちなみに、この作品は2018年のフェルメール展(8作品)の一つ。
---(引用開始)---
壺から流れ出る牛乳は地球重力を適格にあらわしている。それは垂直に垂れる牛乳の描写だけで可能だったのではなく、その重さを支える腕の筋肉、腕を保持する人体の緻密なバランス、それらをコントロールしながら牛乳を見守る女の眼差し、そういうすべての微細な力の描写のネットワークがあってこそのものなのだ。
*
■流れ出る無限の時間
傾けた壺の口からは、時間が流れ出ている。白い絵の具で描かれているのは、流れ落ちる牛乳である。でもその牛乳にぴたりと時間が張りついて、いっしょに流れ出ている。
とろとろとろと、いつまでも時間は流れつづけ、牛乳も流れつづける。
壺の中には無限の時間が詰まっていて、無限の牛乳も詰まっているのか、この絵をじーっといつまでも見ていても、牛乳時間は流れつづける。
でもこれは絵である。キャンバスに油絵具で描かれている。流れ出る牛乳の白は、幅広の面積から一本の棒になり、白い垂直線として引かれている。つまり流体の牛乳は、そこで一本の棒として展示されて、牛乳に張りついた時間だけがそのままとろとろと流れつづけて、そうやって17世紀以降300数十年の歳月が流れた。
時間の枝分かれである。フェルメールのセットした時間と、それをセットした世の中の時間と。
フェルメールが塗った、単なるふつうの油絵具が、永遠の瞬間といわれる時間の枝分かれを現実の物にしてしまった。
それを可能にしたのは、フェルメールの奇跡的な描写力だと、いってしまえばそれだけのことになるが、描写力そのものの不思議さについて、これだけ考えさせられる画家は他にいないのである。
でもそういう考えを表に出さなくても、この絵はフェルメールの絵の中でも「デルフトの眺望」に次ぐ大勢の人気をかちえて居る。
*
牛乳という流体に張りついた時間をあらわすためには、固体に張りついた時間の包囲が必要である。パンも籠も壺も、重力的安定を得たところでじっとして、流れる時間に道を開けている。
*
陰の中で照り返る真鍮の輝きをあわらす絵筆もさることながら、壁に一端を留められた籠が、その編み目をやんわりと斜めにずらしながら下に傾く。そのわずかな重力を見つめるフェルメールの眼差しに、自分の心まで見透かされていくようだ。
*
流れ落ちる牛乳を見つめる女の眼差しには、牛乳を見守る暖かさがある。でもそんな微細な暖かさを適確にに描き出してしまうフェルメールの透明な力に、いわゆる人間をちょっと超えた、神の位置エネルギーのようなものを感じてしまうのである。
---(引用終了)---
【資料】
(1)フェルメール展・東京会場
期間:2018年10月5日(金)~2019年2月3日(日)
会場:上野の森美術館
(2)展示作品
1)牛乳を注ぐ女 1660年頃/アムステルダム国立美術館
2)マルタとマリアの家のキリスト 1654-1656年頃/スコットランド・ナショナル・ギャラリー
3)手紙を書く婦人と召使い 1670-1671年頃/アイルランド・ナショナル・ギャラリー
4)ワイングラス 1661-1662年頃/ベルリン国立美術館【日本初公開】
5)手紙を書く女 1665年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー
6)赤い帽子の娘 1665-1666年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー【日本初公開】※12/20まで
7)リュートを調弦する女 1662-1663年頃/メトロポリタン美術館
8)真珠の首飾りの女 1662-1665年頃/ベルリン国立美術館
□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「15 牛乳を注ぐ女」を引用
【参考】
「【フェルメール】赤い帽子の娘 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】の秘密情報 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~」
「【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~」
《牛乳を注ぐ女》(1657-1658年頃)/アムステルダム国立美術館
本書
ちなみに、この作品は2018年のフェルメール展(8作品)の一つ。
---(引用開始)---
壺から流れ出る牛乳は地球重力を適格にあらわしている。それは垂直に垂れる牛乳の描写だけで可能だったのではなく、その重さを支える腕の筋肉、腕を保持する人体の緻密なバランス、それらをコントロールしながら牛乳を見守る女の眼差し、そういうすべての微細な力の描写のネットワークがあってこそのものなのだ。
*
■流れ出る無限の時間
傾けた壺の口からは、時間が流れ出ている。白い絵の具で描かれているのは、流れ落ちる牛乳である。でもその牛乳にぴたりと時間が張りついて、いっしょに流れ出ている。
とろとろとろと、いつまでも時間は流れつづけ、牛乳も流れつづける。
壺の中には無限の時間が詰まっていて、無限の牛乳も詰まっているのか、この絵をじーっといつまでも見ていても、牛乳時間は流れつづける。
でもこれは絵である。キャンバスに油絵具で描かれている。流れ出る牛乳の白は、幅広の面積から一本の棒になり、白い垂直線として引かれている。つまり流体の牛乳は、そこで一本の棒として展示されて、牛乳に張りついた時間だけがそのままとろとろと流れつづけて、そうやって17世紀以降300数十年の歳月が流れた。
時間の枝分かれである。フェルメールのセットした時間と、それをセットした世の中の時間と。
フェルメールが塗った、単なるふつうの油絵具が、永遠の瞬間といわれる時間の枝分かれを現実の物にしてしまった。
それを可能にしたのは、フェルメールの奇跡的な描写力だと、いってしまえばそれだけのことになるが、描写力そのものの不思議さについて、これだけ考えさせられる画家は他にいないのである。
でもそういう考えを表に出さなくても、この絵はフェルメールの絵の中でも「デルフトの眺望」に次ぐ大勢の人気をかちえて居る。
*
牛乳という流体に張りついた時間をあらわすためには、固体に張りついた時間の包囲が必要である。パンも籠も壺も、重力的安定を得たところでじっとして、流れる時間に道を開けている。
*
陰の中で照り返る真鍮の輝きをあわらす絵筆もさることながら、壁に一端を留められた籠が、その編み目をやんわりと斜めにずらしながら下に傾く。そのわずかな重力を見つめるフェルメールの眼差しに、自分の心まで見透かされていくようだ。
*
流れ落ちる牛乳を見つめる女の眼差しには、牛乳を見守る暖かさがある。でもそんな微細な暖かさを適確にに描き出してしまうフェルメールの透明な力に、いわゆる人間をちょっと超えた、神の位置エネルギーのようなものを感じてしまうのである。
---(引用終了)---
【資料】
(1)フェルメール展・東京会場
期間:2018年10月5日(金)~2019年2月3日(日)
会場:上野の森美術館
(2)展示作品
1)牛乳を注ぐ女 1660年頃/アムステルダム国立美術館
2)マルタとマリアの家のキリスト 1654-1656年頃/スコットランド・ナショナル・ギャラリー
3)手紙を書く婦人と召使い 1670-1671年頃/アイルランド・ナショナル・ギャラリー
4)ワイングラス 1661-1662年頃/ベルリン国立美術館【日本初公開】
5)手紙を書く女 1665年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー
6)赤い帽子の娘 1665-1666年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー【日本初公開】※12/20まで
7)リュートを調弦する女 1662-1663年頃/メトロポリタン美術館
8)真珠の首飾りの女 1662-1665年頃/ベルリン国立美術館
□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「15 牛乳を注ぐ女」を引用
【参考】
「【フェルメール】赤い帽子の娘 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】の秘密情報 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~」
「【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~」
《牛乳を注ぐ女》(1657-1658年頃)/アムステルダム国立美術館
本書
路上観察学を開拓した赤瀬川源平が、フェルメールの全作品36点の観察を集約したのが本書。たとえば、《赤い帽子の娘》についてこう書く。
ちなみに、この作品は2018年のフェルメール展(8作品)の一つ。日本初公開。
---(引用開始)---
何とも大胆な赤い横長の帽子。そして濡れた小さな赤い唇。その二つを結ぶ横長の逆三角形が、薄暗い画面の中でゆっくり右に傾いている。何ごともない穏やかな絵なのに、画家の描く冷徹な空気にひやりとする。
*
絵の全体を見ているときは、対象の描写があまりにも自然なのでわからない。でも近づいて見ると、すべてを細かく描き挙げているわけではなく、要点のハイライトだけを、じつに大胆な筆づかいで、あまりにあっさりと描いているのがわかる。フェルメールの透明感の秘密の第1点。
*
■どきりとする自然さ
自分にとって不可解であったフェルメールの絵の第一号。
この絵の自然さにどきりとして、この自然の感触は何かと考えてしまった。
どきりとするほどの自然さの、その原因の筆頭は光の状態である。頬から下に光が当たり、両眼と、それから顔面のほとんどの面積がうっすらとした陰の中にある。肖像ともなればもっと正面から光を当てるものだが、それをむしろ外している。そしてその人物が、いわゆる理想の美人ではないふつうの感じで、ふと口を半開きにしたままこちらを振り返っている。その唇や瞳が密かに光り、そんなさまざまな自然さが、狂いのない緻密さをもっって描かれている。
と思うのに、よく見ると衣服の白い襟元や皺のところなど、筆のタッチが大きくて粗い。とりわけそう見えるのは被っている赤い帽子。あまりにも大雑把に赤く塗られているようで、昔の絵葉書などの人工着色みたいな感触である。いったいこれは何だろう。
*
まるでUFOのような存在の赤い帽子。ふんわりとした羽毛なのだろうが、古典的な絵の中でこれほどあっさりと色を塗られていると、こちらも落ち着いていられない。この巨大な落差の中に、フェルメールの永遠の新鮮さがセットされている。
---(引用終了)---
【資料】
(1)フェルメール展・東京会場
期間:2018年10月5日(金)~2019年2月3日(日)
会場:上野の森美術館
(2)展示作品
1)牛乳を注ぐ女 1660年頃/アムステルダム国立美術館
2)マルタとマリアの家のキリスト 1654-1656年頃/スコットランド・ナショナル・ギャラリー
3)手紙を書く婦人と召使い 1670-1671年頃/アイルランド・ナショナル・ギャラリー
4)ワイングラス 1661-1662年頃/ベルリン国立美術館【日本初公開】
5)手紙を書く女 1665年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー
6)赤い帽子の娘 1665-1666年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー【日本初公開】※12/20まで
7)リュートを調弦する女 1662-1663年頃/メトロポリタン美術館
8)真珠の首飾りの女 1662-1665年頃/ベルリン国立美術館
□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「1 赤い帽子の娘」を引用
【参考】
「【フェルメール】の秘密情報 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~」
「【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~」
《赤い帽子の娘》(1665-1666年頃)/ワシントン・ナショナル・ギャラリー
ちなみに、この作品は2018年のフェルメール展(8作品)の一つ。日本初公開。
---(引用開始)---
何とも大胆な赤い横長の帽子。そして濡れた小さな赤い唇。その二つを結ぶ横長の逆三角形が、薄暗い画面の中でゆっくり右に傾いている。何ごともない穏やかな絵なのに、画家の描く冷徹な空気にひやりとする。
*
絵の全体を見ているときは、対象の描写があまりにも自然なのでわからない。でも近づいて見ると、すべてを細かく描き挙げているわけではなく、要点のハイライトだけを、じつに大胆な筆づかいで、あまりにあっさりと描いているのがわかる。フェルメールの透明感の秘密の第1点。
*
■どきりとする自然さ
自分にとって不可解であったフェルメールの絵の第一号。
この絵の自然さにどきりとして、この自然の感触は何かと考えてしまった。
どきりとするほどの自然さの、その原因の筆頭は光の状態である。頬から下に光が当たり、両眼と、それから顔面のほとんどの面積がうっすらとした陰の中にある。肖像ともなればもっと正面から光を当てるものだが、それをむしろ外している。そしてその人物が、いわゆる理想の美人ではないふつうの感じで、ふと口を半開きにしたままこちらを振り返っている。その唇や瞳が密かに光り、そんなさまざまな自然さが、狂いのない緻密さをもっって描かれている。
と思うのに、よく見ると衣服の白い襟元や皺のところなど、筆のタッチが大きくて粗い。とりわけそう見えるのは被っている赤い帽子。あまりにも大雑把に赤く塗られているようで、昔の絵葉書などの人工着色みたいな感触である。いったいこれは何だろう。
*
まるでUFOのような存在の赤い帽子。ふんわりとした羽毛なのだろうが、古典的な絵の中でこれほどあっさりと色を塗られていると、こちらも落ち着いていられない。この巨大な落差の中に、フェルメールの永遠の新鮮さがセットされている。
---(引用終了)---
【資料】
(1)フェルメール展・東京会場
期間:2018年10月5日(金)~2019年2月3日(日)
会場:上野の森美術館
(2)展示作品
1)牛乳を注ぐ女 1660年頃/アムステルダム国立美術館
2)マルタとマリアの家のキリスト 1654-1656年頃/スコットランド・ナショナル・ギャラリー
3)手紙を書く婦人と召使い 1670-1671年頃/アイルランド・ナショナル・ギャラリー
4)ワイングラス 1661-1662年頃/ベルリン国立美術館【日本初公開】
5)手紙を書く女 1665年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー
6)赤い帽子の娘 1665-1666年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー【日本初公開】※12/20まで
7)リュートを調弦する女 1662-1663年頃/メトロポリタン美術館
8)真珠の首飾りの女 1662-1665年頃/ベルリン国立美術館
□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「1 赤い帽子の娘」を引用
【参考】
「【フェルメール】の秘密情報 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~」
「【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~」
《赤い帽子の娘》(1665-1666年頃)/ワシントン・ナショナル・ギャラリー
路上観察学を開拓した赤瀬川源平が、フェルメールの全作品36点の観察を集約したのが本書。彼は「はじめに--フェルメールの秘密情報」でこう書く。
---(引用開始)---
フェルメールはカメラが出来る前の“写真家”である。
と考えたほうがいいのかもしれない。そう思うほど、フェルメールの絵は光学的で、神秘的である。
光学的、つまり科学的であることがどうして神秘的なのか。その辺りは、実際にフェルメールの絵を見ながらこのあと考えていこう。
でもぼくがフェルメールに引かれたのは、そういう妙な感触からである。二律背反というか、暖かいのに冷静、穏やかなのに研ぎすまされている、そういう感触が妙に目に引っ掛かって離れなかった。
はじめはとにかくその描写の技術に目を見張った。本物そっくり。
フェルメールに限らず昔の絵はみんなそうで、どの画家も本物そっくりのリアリズムを目指している。19世紀にカメラが世に出てくるまでは。
フェルメールは17世紀のオランダの画家である。世の中の絵のリアリズムは16世紀のルネッサンスで遠近法を手に入れて、一段と本物そっくりに近づいていた。だからフェルメールの絵も本物そっくりなのだけれど、ちょっと違う。よく見ると、ところどころ筆のタッチがずいぶん粗い。
人物の顔とか衣服とかの中心的な部分は筆のタッチをなくして滑らかに描かれているようだけど、でもところどころ粗い筆の跡がちゃんとわかる。
たとえば床が白と黒の市松模様の石張りになっている絵が多いが、その白い石のまだら模様など、ほとんど一筆描きで筆跡も生々しいのだ。
その大胆さに驚かされた。そのことに気がつくと、フェルメールの描写力の、他の画家とは違う透明感が、何か少しわかったような気になってくる。
筆づかいは要所要所かなり粗いのに、描かれた絵の本物そっくり感はぞくっとするほどだ。でも何にぞくっとするのだろうか。
一つは視覚のレンズ効果が描かれていることだと思う。レンズにはピント位置がある。ピントの合ったところはありありと見え、合ってないところはぼやけて、そのぼやけた中の尖った光の点は丸い粒状になる。そういう働きのレンズが人間の目にも、水晶体となってはめ込まれていて、それでぼくらは物を見ている。でも、自分の目は自分だけしか見ていないので、人間は自分の目のレンズ効果には気がつかない。目の構造を客体化したカメラが出来て、はじめてそのことに気がついた。でもカメラ以前に、フェルメールはその絵の中にレンズ効果を描き込んだのである。カメラと似た仕組みのレンズ付きのぞき装置(カメラオブスキュラ)の体験があるのだろうといわれている。
そういう目の物理効果ともう一つ、心理的な人間効果。
フェルメールの人物画は、ほとんどが生活の一場面を切り取ったものだが、その切り取り方が鮮明なのだ。
ふつうならもう少し、そのポーズなり表情なりを“絵らしく”安定して落ち着いたところを描くものである。でもフェルメールの絵は違う。人々の生活の生の瞬間をすぱっと正確に切っている。その時間の切り取り方のところでも非常に写真的で、大胆である。画面に描かれた人物の、とくに複数の場合のお互いの心理関係などが、それぞれの動作や表情の上で、見事にその瞬間に凍結されている。
物の描写の、レンズ的物理効果はカメラオブスキュラで獲得できたかもしれない。でもカメラそのものはまだ世の中にない。ましていまのようなハンディなカメラでの現実のスナップというのは、とても望めない時代である。でもそれをフェルメールは、自分の絵の描写力でおこなっている。その点を考えてもフェルメールは真からの、カメラ以前の写真家だったのだと思う。
---(引用終了)---
□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「はじめに--フェルメールの秘密情報」を引用
【参考】
「【フェルメール】《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~」
「【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~」
本書
---(引用開始)---
フェルメールはカメラが出来る前の“写真家”である。
と考えたほうがいいのかもしれない。そう思うほど、フェルメールの絵は光学的で、神秘的である。
光学的、つまり科学的であることがどうして神秘的なのか。その辺りは、実際にフェルメールの絵を見ながらこのあと考えていこう。
でもぼくがフェルメールに引かれたのは、そういう妙な感触からである。二律背反というか、暖かいのに冷静、穏やかなのに研ぎすまされている、そういう感触が妙に目に引っ掛かって離れなかった。
はじめはとにかくその描写の技術に目を見張った。本物そっくり。
フェルメールに限らず昔の絵はみんなそうで、どの画家も本物そっくりのリアリズムを目指している。19世紀にカメラが世に出てくるまでは。
フェルメールは17世紀のオランダの画家である。世の中の絵のリアリズムは16世紀のルネッサンスで遠近法を手に入れて、一段と本物そっくりに近づいていた。だからフェルメールの絵も本物そっくりなのだけれど、ちょっと違う。よく見ると、ところどころ筆のタッチがずいぶん粗い。
人物の顔とか衣服とかの中心的な部分は筆のタッチをなくして滑らかに描かれているようだけど、でもところどころ粗い筆の跡がちゃんとわかる。
たとえば床が白と黒の市松模様の石張りになっている絵が多いが、その白い石のまだら模様など、ほとんど一筆描きで筆跡も生々しいのだ。
その大胆さに驚かされた。そのことに気がつくと、フェルメールの描写力の、他の画家とは違う透明感が、何か少しわかったような気になってくる。
筆づかいは要所要所かなり粗いのに、描かれた絵の本物そっくり感はぞくっとするほどだ。でも何にぞくっとするのだろうか。
一つは視覚のレンズ効果が描かれていることだと思う。レンズにはピント位置がある。ピントの合ったところはありありと見え、合ってないところはぼやけて、そのぼやけた中の尖った光の点は丸い粒状になる。そういう働きのレンズが人間の目にも、水晶体となってはめ込まれていて、それでぼくらは物を見ている。でも、自分の目は自分だけしか見ていないので、人間は自分の目のレンズ効果には気がつかない。目の構造を客体化したカメラが出来て、はじめてそのことに気がついた。でもカメラ以前に、フェルメールはその絵の中にレンズ効果を描き込んだのである。カメラと似た仕組みのレンズ付きのぞき装置(カメラオブスキュラ)の体験があるのだろうといわれている。
そういう目の物理効果ともう一つ、心理的な人間効果。
フェルメールの人物画は、ほとんどが生活の一場面を切り取ったものだが、その切り取り方が鮮明なのだ。
ふつうならもう少し、そのポーズなり表情なりを“絵らしく”安定して落ち着いたところを描くものである。でもフェルメールの絵は違う。人々の生活の生の瞬間をすぱっと正確に切っている。その時間の切り取り方のところでも非常に写真的で、大胆である。画面に描かれた人物の、とくに複数の場合のお互いの心理関係などが、それぞれの動作や表情の上で、見事にその瞬間に凍結されている。
物の描写の、レンズ的物理効果はカメラオブスキュラで獲得できたかもしれない。でもカメラそのものはまだ世の中にない。ましていまのようなハンディなカメラでの現実のスナップというのは、とても望めない時代である。でもそれをフェルメールは、自分の絵の描写力でおこなっている。その点を考えてもフェルメールは真からの、カメラ以前の写真家だったのだと思う。
---(引用終了)---
□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「はじめに--フェルメールの秘密情報」を引用
【参考】
「【フェルメール】《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~」
「【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~」
本書
路上観察学を開拓した赤瀬川源平が、フェルメールの全作品36点の観察を集約したのが本書。たとえば、《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》についてこう書く。
ちなみに、この作品は2018年のフェルメール展(8作品)の一つ。日本初公開。
---(引用開始)---
男が女にワインを勧めている。他に誰もいない静かな室内で、ワインだけが精気をもつ小さな液体として際立っている。フェルメールの意図が伝わってくるし、絵の中の男の意図もよく伝わってくる。
*
上唇と鼻と目が、大きなワイングラスの中にすっぽりと収まっている。とくにその目が、ワイングラスの光った部分の向こう側に隠れてわからず、何かしら暗示的であり、こちらの目もモーローとしてくるみたいだ。
*
■視線から読める“文学”
この絵の場合、二つの視線が結ばれるのではなく、視線が折れ曲がって進む。
まず黒い帽子の男。陶製のワインの瓶に手をかけて、じっと女を見ている。見られている方の女は、勧められたワインを飲みながら、その自分の視線は横倒しにしたワイングラスの中で渦を巻いている。
そうやって画面から手の皮膚までぽっと赤くなってきている女をじっと見ている男。何だか九分通り手中にした獲物を見つめるような視線。そういう“文学”まで緻密に描いているフェルメールは、やはり物理的だけでなく人間的にも“写真画家”である。
---(引用終了)---
□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「5 ぶどう酒のグラス」を引用
【参考】
「【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~」
「【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~」
《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》(1658- 60年頃)/ベルリン国立博物館
本書
ちなみに、この作品は2018年のフェルメール展(8作品)の一つ。日本初公開。
---(引用開始)---
男が女にワインを勧めている。他に誰もいない静かな室内で、ワインだけが精気をもつ小さな液体として際立っている。フェルメールの意図が伝わってくるし、絵の中の男の意図もよく伝わってくる。
*
上唇と鼻と目が、大きなワイングラスの中にすっぽりと収まっている。とくにその目が、ワイングラスの光った部分の向こう側に隠れてわからず、何かしら暗示的であり、こちらの目もモーローとしてくるみたいだ。
*
■視線から読める“文学”
この絵の場合、二つの視線が結ばれるのではなく、視線が折れ曲がって進む。
まず黒い帽子の男。陶製のワインの瓶に手をかけて、じっと女を見ている。見られている方の女は、勧められたワインを飲みながら、その自分の視線は横倒しにしたワイングラスの中で渦を巻いている。
そうやって画面から手の皮膚までぽっと赤くなってきている女をじっと見ている男。何だか九分通り手中にした獲物を見つめるような視線。そういう“文学”まで緻密に描いているフェルメールは、やはり物理的だけでなく人間的にも“写真画家”である。
---(引用終了)---
□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「5 ぶどう酒のグラス」を引用
【参考】
「【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~」
「【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~」
「【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~」
《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》(1658- 60年頃)/ベルリン国立博物館
本書
路上観察学を開拓した赤瀬川源平が、フェルメールの全作品36点の観察を集約したのが本書。たとえば、《兵士と笑う娘》についてこう書く。
---(引用開始)---
フェルメールの室内画は、左に窓、正面に壁掛け地図、そして人物、という構図が定番である。その中でもこの絵はいちばん明るく、地図がはっきり見える。女性の顔もいちばん明るい。
*
男の目はここからは見えないが、これも互いに見つめ合う一対の視線である。画面中央横位置に、そういうぴんと張り詰めた直線がある。直接に絵具で線としては描かれてはいないのに、でも絵を見ているとそういう見えない線が、何だかハレーションのような力で強く浮かび上がるのを感じる。
*
■歯まで見える笑顔
綺麗な笑顔だ。唇の両端がふわりと上がり、白い歯まで見えて、明らかに笑顔である。
じつは絵の中に笑顔が描かれること自体が珍しいのだ。それも現代ならともなく、19世紀以前の古典的な絵の風習の中で、人物が笑って歯まで見えているというのは、ありそうでほとんどない。絵は厳粛なもの、という習慣が根強くあったのだろう。フランス・ハルスの肖像画で、はじめて白い歯の笑顔を見たのが私としては最初だ。
同時代に活躍したハルスはひらすら庶民生活をスピード感のあるタッチで描いた画家なので、笑顔が登場したのは自然の成り行きでもある。でもフェルメールの落ち着いた地味な絵に、よく見ると笑顔が多いというのは意外な気がする。
フェルメールの残した作品はいまのところ(1998年)36点だといわれており、その中に登場する人物は55人(2点の風景画の点景人物は除く)、そのうちわずかながらでも歯の見える人物は11人(他に歯は見えるけど笑顔でないのが1人)というのはかなりな数字だと思う。
フランス・ハルスもフェルメールもオランダの画家。無関係ではないだろう。
---(引用終了)---
□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「3 兵士と笑う娘」を引用
【参考】
「【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~」
「【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~」
《兵士と笑う娘》(1658~1659年頃)/フリック・コレクション(ニューヨーク)
本書
---(引用開始)---
フェルメールの室内画は、左に窓、正面に壁掛け地図、そして人物、という構図が定番である。その中でもこの絵はいちばん明るく、地図がはっきり見える。女性の顔もいちばん明るい。
*
男の目はここからは見えないが、これも互いに見つめ合う一対の視線である。画面中央横位置に、そういうぴんと張り詰めた直線がある。直接に絵具で線としては描かれてはいないのに、でも絵を見ているとそういう見えない線が、何だかハレーションのような力で強く浮かび上がるのを感じる。
*
■歯まで見える笑顔
綺麗な笑顔だ。唇の両端がふわりと上がり、白い歯まで見えて、明らかに笑顔である。
じつは絵の中に笑顔が描かれること自体が珍しいのだ。それも現代ならともなく、19世紀以前の古典的な絵の風習の中で、人物が笑って歯まで見えているというのは、ありそうでほとんどない。絵は厳粛なもの、という習慣が根強くあったのだろう。フランス・ハルスの肖像画で、はじめて白い歯の笑顔を見たのが私としては最初だ。
同時代に活躍したハルスはひらすら庶民生活をスピード感のあるタッチで描いた画家なので、笑顔が登場したのは自然の成り行きでもある。でもフェルメールの落ち着いた地味な絵に、よく見ると笑顔が多いというのは意外な気がする。
フェルメールの残した作品はいまのところ(1998年)36点だといわれており、その中に登場する人物は55人(2点の風景画の点景人物は除く)、そのうちわずかながらでも歯の見える人物は11人(他に歯は見えるけど笑顔でないのが1人)というのはかなりな数字だと思う。
フランス・ハルスもフェルメールもオランダの画家。無関係ではないだろう。
---(引用終了)---
□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「3 兵士と笑う娘」を引用
【参考】
「【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~」
「【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~」
《兵士と笑う娘》(1658~1659年頃)/フリック・コレクション(ニューヨーク)
本書
「美術史上最も有名な贋作者」とされるハン・ファン・メーヘレンが、その師となるバルトゥス・コルテリングに出会ったのは公立高校に入学した日。コルテリングは絵の具についていろいろと語る。
---(引用開始)---
「《牛乳を注ぐ女》はオランダが誇る最も偉大な画家の、おそらく最高傑作だ。にもかかわらず、使われた色は10色、多くても1ダースくらいのものだ。フェルメールのすごいところは、数少ない色彩を組み合わせ、ほとんど混色をせず、レーキ顔料とニス層を用いて現実を髣髴とさせるところにある」。
コルテリングは指でベンチをなぞり、さまざまな鉱石の塊を手に取り、粘土を指に絡ませた。
「鉛と錫からなる一酸化鉛をベースにして、フェルメールは、この鮮やかな黄色を生み出した。彼の描く影の部分が温もりを帯びるのは、未精製あるいは焼成済みの茶や赤のオーカー系顔料の賜物だ」。
さらに彼は動物のかけらを手にした。
「ボーン・ブラックは、象牙の削りくずを焦がしたもの。緑土色はセラドナイトから。そしてこれは・・・・」。
コルテリングは金の線模様の走る荒削りの青い石を取り上げた。
「これが、顔料のなかでも最も効果なウルトラマリンの原料となる石だ。ラピス・ラズリと呼ばれている。古代エジプト人が崇拝の対象としていた石で、東洋のごく数少ない鉱山でしか採れない。値が張るので、画家たちはこの色をめったに使わなかったが、フェルメールはアズライトよりも好んで用いた。宝石を描くときだけではなく、貧しい下層の人々の普段着を描くときにも使った。まさに彼の天才の証となる色だ」。
---(引用終了)---
□フランク・ウィン(小林頼子、池田みゆき・訳)『フェルメールになれなかった男 --20世紀最大の贋作事件』(『私はフェルメール--20世紀最大の贋作事件』として、ランダムハウス講談社、2007/後に『フェルメールになれなかった男--20世紀最大の贋作事件』として、武田ランダムハウスジャパン、2012/後にちくま文庫、2014)の「2 絵画の錬金術」から一部引用
【参考】
「【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~」
《牛乳を注ぐ女》(1657-1658年頃)
---(引用開始)---
「《牛乳を注ぐ女》はオランダが誇る最も偉大な画家の、おそらく最高傑作だ。にもかかわらず、使われた色は10色、多くても1ダースくらいのものだ。フェルメールのすごいところは、数少ない色彩を組み合わせ、ほとんど混色をせず、レーキ顔料とニス層を用いて現実を髣髴とさせるところにある」。
コルテリングは指でベンチをなぞり、さまざまな鉱石の塊を手に取り、粘土を指に絡ませた。
「鉛と錫からなる一酸化鉛をベースにして、フェルメールは、この鮮やかな黄色を生み出した。彼の描く影の部分が温もりを帯びるのは、未精製あるいは焼成済みの茶や赤のオーカー系顔料の賜物だ」。
さらに彼は動物のかけらを手にした。
「ボーン・ブラックは、象牙の削りくずを焦がしたもの。緑土色はセラドナイトから。そしてこれは・・・・」。
コルテリングは金の線模様の走る荒削りの青い石を取り上げた。
「これが、顔料のなかでも最も効果なウルトラマリンの原料となる石だ。ラピス・ラズリと呼ばれている。古代エジプト人が崇拝の対象としていた石で、東洋のごく数少ない鉱山でしか採れない。値が張るので、画家たちはこの色をめったに使わなかったが、フェルメールはアズライトよりも好んで用いた。宝石を描くときだけではなく、貧しい下層の人々の普段着を描くときにも使った。まさに彼の天才の証となる色だ」。
---(引用終了)---
□フランク・ウィン(小林頼子、池田みゆき・訳)『フェルメールになれなかった男 --20世紀最大の贋作事件』(『私はフェルメール--20世紀最大の贋作事件』として、ランダムハウス講談社、2007/後に『フェルメールになれなかった男--20世紀最大の贋作事件』として、武田ランダムハウスジャパン、2012/後にちくま文庫、2014)の「2 絵画の錬金術」から一部引用
【参考】
「【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~」
《牛乳を注ぐ女》(1657-1658年頃)
『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞および中央公論新書大賞を受賞した福岡伸一が、フェルメールの稀少な作品をもとめて各国をわたり歩く。その紀行と思索の結果が『フェルメール 光の王国』。本書のうち、フェルメールの「青」の謎に迫る箇所がこちら。
---(引用開始)---
さて、『真珠の耳飾りの少女』を際立たせているもう一つの要素は、当時から見ても古代衣装にあたるターバンの鮮やかな青である。現に、この作品のタイトルは、『青いターバンの少女』と呼ばれることもある。深い青のつややかさと鮮やかさは、フェルメールがこの絵を描いたときから350年を経た現在も、ほとんど劣化していない。なぜか。この青は、細かく砕いた宝石で描かれているからである。
ラピスラズリ。アフガニスタン奥地の山峡に産出されるこの青い宝石は、ツタンカーメンのマスクにはめ込まれるなど、紀元前3000年の昔から高貴で稀少なものとして、地中海世界で、そしてヨーロッパ各地で珍重されてきた。旧約聖書の記述にも、その価値は金と並び称され、時には純金よりも高価であった。
中世の化学者たちが、蝋と薄めた洗剤液を使って不純物をラピスラズリから除去する方法を発見し、透き通るように澄んだ、それでいて限りなく深い青、地中海を越えてもたらされた青、すなわちウルトラマリンブルーが完成した。
貴重で高価なこの青は、たとえば、宗教絵画における聖母像など特別な限られた対象にのみ用いられるのが常だった。
しかしフェルメールは、このウルトラマリンを惜しげもなく、少女のターバンに使ったのである。
むろん当時、画家はすべて自分自身で絵の具を調合した。アトリエから細い階段を使って上がる屋根裏部屋に置いた石のテーブルで、今やフェルメールの助手となった少女は、一心に顔料と亜麻仁油を混ぜる。すると限りなく鮮やかな色がそこから立ち上がり始める。
---(引用終了)---
□福岡伸一【注】・著、小林廉宜・写真『フェルメール 光の王国』(木楽舍、2011)の「第1章 オランダの光を紡ぐ旅」から一部引用
【注】生物学者。『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、2007)でサントリー学芸賞および中央公論新書大賞を受賞。
フェルメール《真珠の耳飾りの少女》(1665-1666年頃)
映画「真珠の耳飾りの少女」(英・ルクセンブルク、2004)
---(引用開始)---
さて、『真珠の耳飾りの少女』を際立たせているもう一つの要素は、当時から見ても古代衣装にあたるターバンの鮮やかな青である。現に、この作品のタイトルは、『青いターバンの少女』と呼ばれることもある。深い青のつややかさと鮮やかさは、フェルメールがこの絵を描いたときから350年を経た現在も、ほとんど劣化していない。なぜか。この青は、細かく砕いた宝石で描かれているからである。
ラピスラズリ。アフガニスタン奥地の山峡に産出されるこの青い宝石は、ツタンカーメンのマスクにはめ込まれるなど、紀元前3000年の昔から高貴で稀少なものとして、地中海世界で、そしてヨーロッパ各地で珍重されてきた。旧約聖書の記述にも、その価値は金と並び称され、時には純金よりも高価であった。
中世の化学者たちが、蝋と薄めた洗剤液を使って不純物をラピスラズリから除去する方法を発見し、透き通るように澄んだ、それでいて限りなく深い青、地中海を越えてもたらされた青、すなわちウルトラマリンブルーが完成した。
貴重で高価なこの青は、たとえば、宗教絵画における聖母像など特別な限られた対象にのみ用いられるのが常だった。
しかしフェルメールは、このウルトラマリンを惜しげもなく、少女のターバンに使ったのである。
むろん当時、画家はすべて自分自身で絵の具を調合した。アトリエから細い階段を使って上がる屋根裏部屋に置いた石のテーブルで、今やフェルメールの助手となった少女は、一心に顔料と亜麻仁油を混ぜる。すると限りなく鮮やかな色がそこから立ち上がり始める。
---(引用終了)---
□福岡伸一【注】・著、小林廉宜・写真『フェルメール 光の王国』(木楽舍、2011)の「第1章 オランダの光を紡ぐ旅」から一部引用
【注】生物学者。『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、2007)でサントリー学芸賞および中央公論新書大賞を受賞。
フェルメール《真珠の耳飾りの少女》(1665-1666年頃)
映画「真珠の耳飾りの少女」(英・ルクセンブルク、2004)
<日本の皆様には、特に自然を表現することや身近な風景を味わうことに対して繊細な感覚があります。日本の絵画や版画の伝統のなかでは風景画もまた、人と自然とのあいだの内面的な調和のありようを示し、沈思と省察の境地をもたらすものとして重視されています。日本の文学や芸術では、冬の初雪、春に咲く桜、秋の満月と紅葉といったように四季折々の風物を称えます。繰り返す自然の永続性と、それが地球と人間の生活の律動へとつながっていることが独特の感性で強調されているのです。当館の絵画コレクションは、必ずやご来場いただいた皆様の心に響くことでしょう。>
□マリーナ・ロシャク(プーシキン美術館館長)ほか(福間加容・訳)『プーシキン美術館展--旅するフランス風景画』(朝日新聞社、2018))のマリーナ・ロシャク「メッセージ」
★「プーシキン美術館展--旅するフランス風景画」展
Masterpieces of French Landscape Paintings from The Pushkin State Museum of Fine Arts, Moscow
都立美術館
2018年4月14日(土)~7月8日(日)
□マリーナ・ロシャク(プーシキン美術館館長)ほか(福間加容・訳)『プーシキン美術館展--旅するフランス風景画』(朝日新聞社、2018))のマリーナ・ロシャク「メッセージ」
★「プーシキン美術館展--旅するフランス風景画」展
Masterpieces of French Landscape Paintings from The Pushkin State Museum of Fine Arts, Moscow
都立美術館
2018年4月14日(土)~7月8日(日)
<森鴎外が自らのドイツ留学時の経験を重ねたとされる小説「舞姫」を発表したのはベルリンの壁崩壊から約100年前の1890年のことである。「欧羅巴(ヨーロッパ)の新大都の中央に立てり」
小説にも出てくるブランデンブルク門のそばにある信号機(アンペル)には「アンペルマン」と呼ばれる愛らしいキャラクターが使われている。帽子をかぶったやや太めの男性が今にも歩き出しそうにつま先をあげる緑の「進め」。思い切り両手を広げた赤の「止まれ」。壁のできた1961年、旧東独の交通局に勤めていた交通心理学者カール・ペグラウさんがデザインした。当時、帽子姿が金持ちや資本主義のイメージで受け止められないか心配したという。
*
工業デザイナー、マルコス・ヘックハウゼンさん(56)は学生時代、東ベルリンで見たアンペルマンをよく覚えている。冷戦の末期、西ベルリンから1日ビザで訪れた東側は薄暗く、すべてが灰色に見えた。その街で見たひときわ目立つ緑と赤の信号機はユーモアにあふれ、がんじがらめの東の体制とは異質な印象を受けたという。
その後、イタリアで経験を積み、95年にベルリンに戻った彼は、粗大ゴミとして放置されたアンペルマンを見て衝撃を受ける。90年のドイツ統一後、西側の信号機に置き換えられていたのだ。「魅力的なデザインで、太めのキャラクターは西側の信号機より識別しやすいのに」
初めは統一を喜んだ旧東独の人々は、2級市民の扱いを受けて、その後、後悔の念を抱く人もいたという。処分されるアンペルマン信号機を無料で譲ってもらい、星形の壁掛けランプを製作した。96年に売り出すと3カ月で約300個売れた。緑色のランプの周りには、東側にいた人へのエールを込めて英語でこう書いた。キープ・オン・ウォーキング(歩き続けよう)。
*
ランプ製作をきっかけにアンペルマンの生みの親であるペグラウさんとも知り合い、信号機以外の商標権を取得した。芸術家や行政を巻き込んでアンペルマン信号機の復活運動にも乗り出した。ベルリン市は05年、アンペルマンを公式に採用。いまでは市内の信号機の9割を占める。優れた西側の製品が統一後の街を席巻するなか、東側の製品のなかで過去の遺物にならずに使われ続け、統一ベルリンのシンボルへと生まれ変わった。
数奇な運命をたどったアンペルマンの信号機は今月中旬、鴎外の縁で日本にやってくる。アンペルマン発祥の地で鴎外が住んでいたベルリン・ミッテ区の交流使節団が鴎外記念館のある東京都文京区に「平和の使者」として贈ることになったのだ。
*
ベルリンの壁崩壊から28年たった今年2月、壁が存在した期間より崩壊後の方が長くなった。東西の格差はなお残り、不安と不満につけ込んだポピュリズムがはびこる。心の壁が築かれつつあるのではないか。分断と統一を見つめてきたアンペルマン。岐路に立つドイツの行く末に、何色の信号をともすのだろうか。
□石合力(ヨーロッパ総局長)「(風 ベルリンから)アンペルマンが見る未来は 石合力」(朝日新聞デジタル 2018年4月2日)を引用
「(風 ベルリンから)アンペルマンが見る未来は」
①ベルリンのアンペルマン(1)
出典:https://bonzoblog.exblog.jp/16981330/
②ベルリンのアンペルマン(2)
出典:https://prostfamil.exblog.jp/8122479/
③アンペルマンを男女同数に - 歩行者信号の形いろいろ
出典:http://comej.blog76.fc2.com/blog-entry-122.html
小説にも出てくるブランデンブルク門のそばにある信号機(アンペル)には「アンペルマン」と呼ばれる愛らしいキャラクターが使われている。帽子をかぶったやや太めの男性が今にも歩き出しそうにつま先をあげる緑の「進め」。思い切り両手を広げた赤の「止まれ」。壁のできた1961年、旧東独の交通局に勤めていた交通心理学者カール・ペグラウさんがデザインした。当時、帽子姿が金持ちや資本主義のイメージで受け止められないか心配したという。
*
工業デザイナー、マルコス・ヘックハウゼンさん(56)は学生時代、東ベルリンで見たアンペルマンをよく覚えている。冷戦の末期、西ベルリンから1日ビザで訪れた東側は薄暗く、すべてが灰色に見えた。その街で見たひときわ目立つ緑と赤の信号機はユーモアにあふれ、がんじがらめの東の体制とは異質な印象を受けたという。
その後、イタリアで経験を積み、95年にベルリンに戻った彼は、粗大ゴミとして放置されたアンペルマンを見て衝撃を受ける。90年のドイツ統一後、西側の信号機に置き換えられていたのだ。「魅力的なデザインで、太めのキャラクターは西側の信号機より識別しやすいのに」
初めは統一を喜んだ旧東独の人々は、2級市民の扱いを受けて、その後、後悔の念を抱く人もいたという。処分されるアンペルマン信号機を無料で譲ってもらい、星形の壁掛けランプを製作した。96年に売り出すと3カ月で約300個売れた。緑色のランプの周りには、東側にいた人へのエールを込めて英語でこう書いた。キープ・オン・ウォーキング(歩き続けよう)。
*
ランプ製作をきっかけにアンペルマンの生みの親であるペグラウさんとも知り合い、信号機以外の商標権を取得した。芸術家や行政を巻き込んでアンペルマン信号機の復活運動にも乗り出した。ベルリン市は05年、アンペルマンを公式に採用。いまでは市内の信号機の9割を占める。優れた西側の製品が統一後の街を席巻するなか、東側の製品のなかで過去の遺物にならずに使われ続け、統一ベルリンのシンボルへと生まれ変わった。
数奇な運命をたどったアンペルマンの信号機は今月中旬、鴎外の縁で日本にやってくる。アンペルマン発祥の地で鴎外が住んでいたベルリン・ミッテ区の交流使節団が鴎外記念館のある東京都文京区に「平和の使者」として贈ることになったのだ。
*
ベルリンの壁崩壊から28年たった今年2月、壁が存在した期間より崩壊後の方が長くなった。東西の格差はなお残り、不安と不満につけ込んだポピュリズムがはびこる。心の壁が築かれつつあるのではないか。分断と統一を見つめてきたアンペルマン。岐路に立つドイツの行く末に、何色の信号をともすのだろうか。
□石合力(ヨーロッパ総局長)「(風 ベルリンから)アンペルマンが見る未来は 石合力」(朝日新聞デジタル 2018年4月2日)を引用
「(風 ベルリンから)アンペルマンが見る未来は」
①ベルリンのアンペルマン(1)
出典:https://bonzoblog.exblog.jp/16981330/
②ベルリンのアンペルマン(2)
出典:https://prostfamil.exblog.jp/8122479/
③アンペルマンを男女同数に - 歩行者信号の形いろいろ
出典:http://comej.blog76.fc2.com/blog-entry-122.html
【高橋克彦】の立石寺 ~広重殺人事件~
12月24日。クリスマス・イブの日。
仙台から山形に繋がる仙山線。県境にゆったりとした稜線を見せる面白山(おもしろやま)の麓近くにある山寺駅。その駅のホームに、冷たい風を庇(かば)い合い寄り添った二人の男女が下り立った。想像していたよりも雪は少ない。今年は記録的な暖冬だ。二人の暮らしている盛岡にも、まだ雪らしい雪は一度も降っていない。それでも、やはり寒さは相当なものだった。真正面に巨大な烏帽子の形をして聳えている宝珠山(ほうじゅさん)から、夕日を受けて砕けたガラスのように輝いた霙(みぞれ)が二人に襲いかかってきた。山が黒いせいで、そこにだけ霙がはっきりと見えるのだ。二人の吐く息も白く流れる。
津田良平と冴子はしばらく山を眺めた。
「まるでブラック・ホールだな」
実際は霙が山に吸い込まれて行くのではなく、その反対なのだが・・・・
「ここに芭蕉が来たのね」
威圧された顔で冴子は山を見上げた。この宝珠山は全山が一つの寺の境内となっている。正式名は立石寺(りっしゃくじ)。一般には山寺の名で親しまれている、東北きっての名刹だ。およそ三百年前に松尾芭蕉がこの山寺を訪れ--閑(しず)かさや岩にしみ入る蝉の声--の句を詠んだことで記憶している人間も多いだろう。山そのものが修行の場であるとは耳にしていた冴子だったが、そのあまりにも険(けわ)しい山容にたじろぎを覚えた。太い蝋燭(ろうそく)が地上に突き立てられているという形容が当たっている。霙と夕陽が加わって、まるで山水画の世界だと冴子は感じた。
□高橋克彦『広重殺人事件』(講談社、1989/後に講談社文庫、1992)最初の章「赤い糸」から引用
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12月24日。クリスマス・イブの日。
仙台から山形に繋がる仙山線。県境にゆったりとした稜線を見せる面白山(おもしろやま)の麓近くにある山寺駅。その駅のホームに、冷たい風を庇(かば)い合い寄り添った二人の男女が下り立った。想像していたよりも雪は少ない。今年は記録的な暖冬だ。二人の暮らしている盛岡にも、まだ雪らしい雪は一度も降っていない。それでも、やはり寒さは相当なものだった。真正面に巨大な烏帽子の形をして聳えている宝珠山(ほうじゅさん)から、夕日を受けて砕けたガラスのように輝いた霙(みぞれ)が二人に襲いかかってきた。山が黒いせいで、そこにだけ霙がはっきりと見えるのだ。二人の吐く息も白く流れる。
津田良平と冴子はしばらく山を眺めた。
「まるでブラック・ホールだな」
実際は霙が山に吸い込まれて行くのではなく、その反対なのだが・・・・
「ここに芭蕉が来たのね」
威圧された顔で冴子は山を見上げた。この宝珠山は全山が一つの寺の境内となっている。正式名は立石寺(りっしゃくじ)。一般には山寺の名で親しまれている、東北きっての名刹だ。およそ三百年前に松尾芭蕉がこの山寺を訪れ--閑(しず)かさや岩にしみ入る蝉の声--の句を詠んだことで記憶している人間も多いだろう。山そのものが修行の場であるとは耳にしていた冴子だったが、そのあまりにも険(けわ)しい山容にたじろぎを覚えた。太い蝋燭(ろうそく)が地上に突き立てられているという形容が当たっている。霙と夕陽が加わって、まるで山水画の世界だと冴子は感じた。
□高橋克彦『広重殺人事件』(講談社、1989/後に講談社文庫、1992)最初の章「赤い糸」から引用
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【注】「【旅】ツェルマット、マッターホルン」から続く。写真は親族が撮影。
6月22日(木)
同宿のK氏の案内で、三番目の展望台(“ブラウベルト”)へ。2,601m。その上にロートホルンがあるが、今の時期、まだ開いていない。
K氏の案内で、エーデルワイスの自生地(今ではなかなかお目にかかれない)へ。時期的に少し早いのか、数は多くはない。
K氏と別れ、「花の道(Blumen Weg)」を下る。
「花の道」で見かける花の一つ。路傍の看板によれば、「Schnee-Enzian」。「雪竜胆」というほどの意味。
「花の道」は標高2,800mから2,300m弱まで、徒歩2時間半。道中、常にマッターホルンが見え、壮大な眺望。
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【参考】
「【旅】ツェルマット、マッターホルン」
6月22日(木)
同宿のK氏の案内で、三番目の展望台(“ブラウベルト”)へ。2,601m。その上にロートホルンがあるが、今の時期、まだ開いていない。
K氏の案内で、エーデルワイスの自生地(今ではなかなかお目にかかれない)へ。時期的に少し早いのか、数は多くはない。
K氏と別れ、「花の道(Blumen Weg)」を下る。
「花の道」で見かける花の一つ。路傍の看板によれば、「Schnee-Enzian」。「雪竜胆」というほどの意味。
「花の道」は標高2,800mから2,300m弱まで、徒歩2時間半。道中、常にマッターホルンが見え、壮大な眺望。
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【参考】
「【旅】ツェルマット、マッターホルン」
ツェルマットは、スイス国ヴァレー州の基礎自治体。スイス最高峰のマッターホルン(標高4,478m)の麓に広がるマッタータル溪谷の最上流部(標高1,620m)に位置する。イタリアとの国境テオドール峠(3,292m)まで約10kmの距離である。以下、写真は親族が撮影。
2017年6月20日(火)
午前中、ベルンからツェルマットへ移動。投宿してすぐ、ゴルナーグラート登山鉄道を使って、“ゴルナーグラート”(Gornergrat)へ。マッターホルンを望む展望台としては最も名高い。最高点の標高は3,130m。
リスカム(Lyskamm)。スイスとイタリア国境のペンニネアルプス山脈(ワリス・アルプス)にある山。5kmにも及ぶ屋根から成り、目立つ頂上は二つ。写真で最も高いところが西リスカム、その奧のもう一つの峰が東リスカム。
モンテ・ローザ(Monte Rosa)。写真右手が最高点のデュフール峰(イタリア側、4,634m)。
6月21日(水)
午前中、前日の展望台(ゴルナー・グラート)とは反対側の展望台からマッターホルンを望む。“グレッシャー・パラダイス”(Matterhorn “Glacier Paradise”)。がそれで、標高3,883m、欧州一高い展望台。3つのロープウェイを繋いで到達。気温5度。寒い。万年雪と氷河の世界。眼下のテオドール氷河では365日スキーができる。
同日、ツェルマットの街に下りて昼食。
食事をした店にエーデルワイスが飾られていた。自生のエーデルワイスはなかなか目にできないらしい。
6月22日(木)
払暁のマッターホルン。この日の日の出は5時39分。日が昇るにつれ、山は次第に赤みを帯びてくる。
「【旅】ツェルマット、マッターホルン(2) ~花の道~」へ続く。
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2017年6月20日(火)
午前中、ベルンからツェルマットへ移動。投宿してすぐ、ゴルナーグラート登山鉄道を使って、“ゴルナーグラート”(Gornergrat)へ。マッターホルンを望む展望台としては最も名高い。最高点の標高は3,130m。
リスカム(Lyskamm)。スイスとイタリア国境のペンニネアルプス山脈(ワリス・アルプス)にある山。5kmにも及ぶ屋根から成り、目立つ頂上は二つ。写真で最も高いところが西リスカム、その奧のもう一つの峰が東リスカム。
モンテ・ローザ(Monte Rosa)。写真右手が最高点のデュフール峰(イタリア側、4,634m)。
6月21日(水)
午前中、前日の展望台(ゴルナー・グラート)とは反対側の展望台からマッターホルンを望む。“グレッシャー・パラダイス”(Matterhorn “Glacier Paradise”)。がそれで、標高3,883m、欧州一高い展望台。3つのロープウェイを繋いで到達。気温5度。寒い。万年雪と氷河の世界。眼下のテオドール氷河では365日スキーができる。
同日、ツェルマットの街に下りて昼食。
食事をした店にエーデルワイスが飾られていた。自生のエーデルワイスはなかなか目にできないらしい。
6月22日(木)
払暁のマッターホルン。この日の日の出は5時39分。日が昇るにつれ、山は次第に赤みを帯びてくる。
「【旅】ツェルマット、マッターホルン(2) ~花の道~」へ続く。
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(1)華やかに見えるキャビンアテンダント(CA)だが、深夜勤務や海外との時差などが日常的で、実はハードな職業だ。そんなハードワークをCAはどうやって乗り切っているのか。
フライトによって異なるが、長時間飛行の場合、CAも休みをとって機内で仮眠をとる。
〈例〉成田~ニューヨーク便の勤務スケジュール。
■出発前日
21:00 早めに就寝
■出発当日
16:20 搭乗開始
16:50 成田空港出発
お客さまサービス開始(約3時間)
19:50 機内販売、化粧室清掃など(約1時間)
20:50 交代で食事(約1時間)
21:50 2班に分かれて交代で休憩(各人約2時間)
お客さまへの軽食サービス
02:50 到着前の最後のお客さまサービス(約2.5時間)
05:35(米国東部時間16:35) 到着
■到着後
23:00 夜になってから就寝
■到着翌日
08:00 起床&朝日を浴びる
終日 街歩き&CA仲間と食事
(2)離陸後の約4時間は、乗客への食事サービスや機内販売、化粧室の清掃などを行う。次の約6時間は、乗客が眠る時間帯に入るので、CAも交代で食事や休憩をとる。最後の約2.5時間は、再び乗客にサービスを提供する。
休憩は2交代制で約2時間。実は、機内にはクルーレストと呼ばれる秘密の部屋がある(保安上の理由で非公開)。一人ずつのスペースに区切られ、フルフラットの状態で仮眠をとることができる。
ぐっすり眠れるが、すぐに寝付けないこともある。そんなときも「眠れないことを気にしないことが大事」だ。
ただ、限られた時間でぐっすり眠るための工夫は欠かさない。機内は冷えるので、海外で購入したベビー用の湯たんぽをおなかに乗せ、体を温めるとよく眠れる。ほかにも、好きなアロマをかけたマスクを着けたり、カフェインレスの温かい飲み物を飲んだりしてリラックスする。仕事と休憩のメリハリをつけることで、長時間勤務でも集中力を維持するのだ。
現地時間の夕方に到着後は、疲れていても夜まで眠らないよう気を付ける。現地では、向こうの時間に合わせて生活し、街に出たり、同僚と食事したり、アクティブに活動してメリハリをつけるのが時差ボケ解消の秘訣だ。
(3)CAが見る「できるビジネスパーソン」の時差ボケ解消法は、
「慣れたお客さまは、乗った瞬間から到着地の時間で動き、そのときに現地が夜なら、耳栓とアイマスクを着けてすぐ眠っていますね」
□コラム「世界を飛び回るCAが伝授 長時間フライトでの快眠法」(「週刊ダイヤモンド」2017年7月1日号)
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★ファシーというブランドの湯たんぽはベビー用品なので機内に持ち込むにもサイズがちょうどよい。
フライトによって異なるが、長時間飛行の場合、CAも休みをとって機内で仮眠をとる。
〈例〉成田~ニューヨーク便の勤務スケジュール。
■出発前日
21:00 早めに就寝
■出発当日
16:20 搭乗開始
16:50 成田空港出発
お客さまサービス開始(約3時間)
19:50 機内販売、化粧室清掃など(約1時間)
20:50 交代で食事(約1時間)
21:50 2班に分かれて交代で休憩(各人約2時間)
お客さまへの軽食サービス
02:50 到着前の最後のお客さまサービス(約2.5時間)
05:35(米国東部時間16:35) 到着
■到着後
23:00 夜になってから就寝
■到着翌日
08:00 起床&朝日を浴びる
終日 街歩き&CA仲間と食事
(2)離陸後の約4時間は、乗客への食事サービスや機内販売、化粧室の清掃などを行う。次の約6時間は、乗客が眠る時間帯に入るので、CAも交代で食事や休憩をとる。最後の約2.5時間は、再び乗客にサービスを提供する。
休憩は2交代制で約2時間。実は、機内にはクルーレストと呼ばれる秘密の部屋がある(保安上の理由で非公開)。一人ずつのスペースに区切られ、フルフラットの状態で仮眠をとることができる。
ぐっすり眠れるが、すぐに寝付けないこともある。そんなときも「眠れないことを気にしないことが大事」だ。
ただ、限られた時間でぐっすり眠るための工夫は欠かさない。機内は冷えるので、海外で購入したベビー用の湯たんぽをおなかに乗せ、体を温めるとよく眠れる。ほかにも、好きなアロマをかけたマスクを着けたり、カフェインレスの温かい飲み物を飲んだりしてリラックスする。仕事と休憩のメリハリをつけることで、長時間勤務でも集中力を維持するのだ。
現地時間の夕方に到着後は、疲れていても夜まで眠らないよう気を付ける。現地では、向こうの時間に合わせて生活し、街に出たり、同僚と食事したり、アクティブに活動してメリハリをつけるのが時差ボケ解消の秘訣だ。
(3)CAが見る「できるビジネスパーソン」の時差ボケ解消法は、
「慣れたお客さまは、乗った瞬間から到着地の時間で動き、そのときに現地が夜なら、耳栓とアイマスクを着けてすぐ眠っていますね」
□コラム「世界を飛び回るCAが伝授 長時間フライトでの快眠法」(「週刊ダイヤモンド」2017年7月1日号)
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★ファシーというブランドの湯たんぽはベビー用品なので機内に持ち込むにもサイズがちょうどよい。