語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【井伏鱒二】音響の伝播について ~荻窪風土記~

2018年08月25日 | エッセイ
 音響は、地形や天候により微妙に違って伝播するらしい。井伏鱒二は悠然たる筆致で、大正期の時代性も併せて伝える。音響の伝播にも時代という環境条件が伴うのである。

---(引用開始)---
 音響といふものは、どんな伝播の仕方をするか、容易に我々の推測を許さない。音は種類によつて、一つ一つ別途な伝播の仕方をするかもしれぬ。昔の人の書いた記録によると、山伏の法螺貝の音は岡を通り越して岡の向側まで聞え、尼さんの団扇太鼓の音は岡で行きどまりになるさうだ。また一説に、山寺の釣鐘の音は、谷間伝ひではなくて尾根から尾根に伝はつて、山越えで峠まで聞えて行くと言はれてゐる。すると、法螺貝の音と釣鐘の音を混ぜ合せたやうな汽笛の音は、森や林を越えて街の上空を流れて来るかもしれぬ。障害物となるものは何であるか。
 「しかし弥次郎さん、物理学的に言つて、曇つた日や灰色の湿つぽい日は、遠方からの物音が、却つてよく伝はるといふことだね。関東大震災後、汽笛の音の伝播を阻害したのは何だらう」
 この質問に、弥次郎さんは言つた。
 「いや、品川の汽笛の音は、大震災後、晴雨にかかはらず聞えなくなつた。たしかにさうだ。府中の大明神様の大太鼓の音も、もとは祭の日に荻窪まで聞えたもんだ。大震災後、やがてこれも聞えなくなつた。この辺の澄んでた空気が、急にさうでもなくなつたといふことぢやないのかね」
 何かプラス・マイナスの関係で、汽笛の音を消すやうになつたのだ。
 大正十二年が関東大震災で、弥次郎さんは大正十三年に徴兵検査を受けた。そのころはもう汽笛の音が聞えなくなつてゐたが、府中大明神の大太鼓の音はまだ微かに聞え、お祭の当日は六の宮の御輿が出て、一番から六番までの大太鼓の音が聞えたさうだ。
 「ところが大震災後も、品川の汽笛は、鳴子坂あたりでならまだ聞えてゐた」と弥次郎さんが言つた。
 荻窪から京橋のヤッチャ場へ車を曳いて行く途中、たまたま鳴子坂の上に出ると早朝の汽笛の音を聞くことが出来たといふ。その後、また暫くすると、鳴子坂の上からも汽笛は聞えなくなつたさうだ。
---(引用終了)---

□井伏鱒二(『井伏鱒二自選全集 第12巻』(新潮社、1986)の「荻窪風土記--豊多摩郡井荻村」の「荻窪八丁通り」から一部引用

 
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【本】映画で読む20世紀 ~この百年の話~

2016年08月16日 | エッセイ

 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 (1)『わが谷は緑なりき』から『ジャーニー・オブ・ホープ』まで13編の映画をとりあげ、あらすじ、監督や出演者といった基礎的な資料を紹介した上で、エコノミストと詩人が縦横に論じあう。

 (2)たとえば、『スミス都へ行く』(米、1939年)。
 田中は、映画制作当時、米国はニューディールの効果が少々出てきた頃だったと背景を解説し、まだ草の根民主主義を中心とする健全さが残っていたと付言する。これに対して長田は、スミスを動かしているのは女性である(端的には秘書サンダース)と指摘し、米国のフロンティアを代表する西部から自立する女性が登場してきたという歴史的事実と重ねあわせる(女性の参政権はワイオミング州を嚆矢とする)。
 『スミス都へ行く』は政治の教科書と呼んでもよい、社会教育の効果があると田中が評せば、米国人がもっとも好きな映画としてあげる作品だと長田は受け、この映画は政治のメルヘンだと規定する。
 ただし、『スミス都へ行く』は単純に見えて決して単純ではない。ニューディールからするとむしろ映画では悪玉テイラー(民主党)に理があって、彼は失業問題も視野に入れている。他方、善玉スミス(共和党)は調子のよいことばかり言い立てるけれども、支離滅裂、ヴィジョンがない。もっとも、スミスはテイラーを全否定しているわけではなくて、やり方を変えたいというだけにすぎない、と二人は結論を下す。

 (3)本書は、映画が描く時代、あるいは映画が製作された時代をしかと押さえた上で作品を論じている。だから、議論がわかりやすい。
 おそらく編集の工夫によって、対談にしては密度の高い文章となっている。反面、実際にはあったにちがいない軽いかけあいが省かれているらしく、全体としてやや堅苦しくなっているのが惜しい。

□中直毅、長田弘『映画で読む20世紀 -この百年の話-』(朝日文庫、2001)
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【司馬遼太郎】軍神・乃木希典の奇怪な行動 ~『殉死』~

2016年08月15日 | エッセイ
 
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 (1)本書をエッセイと呼ぶか評伝と呼ぶかは、さしあたり重要でない。わが国史上もっとも名高い人物の一人である乃木希典の奇怪な精神構造を、これまた異様な筆致でえぐりだしている、という点が重要である。

 (2)聞きしにまさる妙な人物である。軍人としては丸出駄目夫だった。西南の役では麾下の連隊が敗走し、軍旗を奪われ、自らも負傷した。ちっともいいところがない。なにしろ乃木連隊長自ら伝令となって一人後方へ走っているのである。前代未聞であった。
 きわめつけは旅順攻略戦である。敵の堅塁を侮って作戦の名に価しない作戦しかたてず、合理的でない強襲を繰り返し命じた。6万人の血が流れた。見かねた大本営の助言にも耳を貸さない。
 乃木に代わって指揮をとった児玉源太郎が203高地を落とし、そこを観測所として巨砲でもって旅順艦隊を壊滅させた。決着がついたところで児玉は本来の任地へ戻った。要塞はその目的を失ったから司令官ステッセルは降服し、ステッセルを武士的寛恕の精神で遇した乃木大将の名が世界を駆けめぐった。

 (3)乃木の特異な精神構造は、軍旗事件に顕著にあらわれる。新たな軍旗が小倉連隊に下賜されていちおう決着がついたのだが、乃木の「道徳的苦痛」はおさまらず、自殺を図った。
 ちなみに、旧日本軍における軍旗の神聖視は乃木にはじまる、と著者は考察する。旅順でも奉天でも、指揮下の将兵がみっともない闘いをするたびに自殺同然の行動をとった。司令官の戦死が大局に与える影響を配慮するよりも、死をもって償う個人的美学を優先したのである。
 38歳のとき、1年間ドイツに留学するが、学んだのは主として「服装と容儀」だったらしい。
 留学前の乃木は茶屋遊びに余念がなかったが、帰国した彼は別人だった。料亭の出入りは一切やめ、日常軍服を着用して寝るときも軍服のままだった。「形式美」がこの人の奉じるところで、公事のみならず私事にも及んだ。四国に単身赴任中に、雪中、しかも大晦日に息子の一大事のことで東京から訪れた妻を会わずに追い返している。「自分の同意を求めることなく突如きた」というのが、その理由であった。
 後年、明治天皇のひきで学習院の院長となるが、じつに陰気な教育者だったらしい。低年齢の児童の多くは恐怖をおぼえ、高年齢の児童の何割かは反抗心をおぼえた、と著者は記す。

 (4)乃木希典は、1849年に生まれ、1912年、明治天皇の大葬の日、自邸で自刃した。
 本書は二部構成で、第1部「要塞」ではもっぱら軍歴とそこに見られる乃木のふるまいの特徴を、第2部「腹を切ること」では妻静子との関わりに紙数を割きながら自裁にいたる過程を追う。
 著者は英雄を好み、英雄がひとり歴史を操作したかのような小説を量産しているが、本書は主要登場人物(つまり乃木)に対する共感はちっともない。逆に、突き放して見ているし、ところどころ揶揄さえ見られる。にもかかわらず、簡単に切り捨てるわけにはいかない、という思いがあるのか、歯切れがよくない。一刀両断できなかったのは、多分、戦前戦中に司馬遼太郎が否応なく、心ならずも受け入れざるをえなかった時代精神を乃木希典が代表しているからかもしれない。

□司馬遼太郎『殉死』(新潮文庫、1978/文春文庫、2009)
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 【参考】
書評:『言葉と人間』

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【池内紀】『ゲーテさんこんばんは』

2016年08月14日 | エッセイ
 
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 (1)18~19世紀の古典は、概して著者の生前には認められず、死後に評価されることが多かったらしい。ところが、『若きウェルテルの悩み』は、刊行直後からベストセラーとなった幸運な作品である。しかし、それでもゲーテは、生前は詩人・作家としてよりも行政マンとし知られた。小さな公国の行政機構の中とはいえ、枢密顧問官にのぼりつめたから、能吏には違いなかった。鉱山の再開発をはじめ、財政改善に東奔西走している。傍ら、あの膨大な詩、小説、劇を書いているから、そのエネルギーには感服するしかない。かてて加えて、文学とは関係のない鉱物学や植物学にも本職はだしの精力を割いているから、彼が生みだした戯曲の主人公ファウストを凌駕する怪物と呼んでもよい。

 (2)本書は、こうした巨人ゲーテの人と作品をやさしく解説する。くだけたタイトルに見られるように、若い層に受けそうな軽い筆致が特徴である。
 〈例〉『ウェルテル』。当時の通信事情、整備されつつあった郵便馬車網という新しいメディアを反映している点に着目し、手紙を今日のe-mail、書簡体小説をパソコン小説になぞらえる。この古典がぐんと身近に感じられるではないか。

 (3)池内紀はドイツ語圏の文学者だから、フランス語圏の文物にあまり同情的でない。
 〈例〉ゲーテの青年期にはやった「自然に帰れ」(ルソーに由来すると言われるが出典不明)について、池内は次のように書く。
 <ついでながらルソーの語ったような「善き田舎人」は、人生読本とかオペレッタには登場しても、現実には存在しないことを私たちは知っている。素朴で正直で陽気な人もたまにはいるかもしれないが、おおかたは頑固で、陰気で、欲ばりである。首にリボンを結び、頭に麦わら帽子をのせているかもしれないが、それは決して純朴さの保証ではない。いつも嫉妬深く隣近所に目をくばり、わが庭とわが家とわが収穫物を疑りの眼差しで、いわば爪と歯で見張っている>
 あるいは、レアリストの都会人が見る田舎人というところか。

□池内紀『ゲーテさんこんばんは』(綜合社、2001/後に集英社文庫、2005)
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【本】新聞やテレビが社会問題をつくる ~日記から~

2016年08月14日 | エッセイ
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 朝日新聞文化欄に連載されたコラムの1979年版。書き手は開高健から宮本憲一まで25人。一編600字、一人が9ないし12編を書いている。内容は、身辺の些事から世相診断、文明時評まで。
 学芸部によるあとがきによれば、短文ながら、いや逆に短文ゆえに読者は多かったらしい。開高健が檜山良昭『スターリン暗殺計画』を絶賛したところ、たちまち多数の書店で売り切れたという逸話がある。ちなみに、この本は後に推理作家協会賞を受賞した。
 コラムの一例を引く。
 1979年当時、子どもの自殺の増加がマスコミをにぎわした。なだ・いなだは、講演会で聴衆に質問した。
 「最近子どもの自殺は増えていると思うか?」
 挙手多数。
 「逆に減っていると思う人は?」
 一人もいない。
 そこで、なだ・いなだは三度目の質問をした。
 「では、自殺の統計を調べた人はいるか?」
 これまた一人もいない。
 じつは、厚生省(現在は厚生労働省)の統計によれば、昭和30年前後をピークに急減した。1979年当時、最大の時期に比べて3分の1になっている。
 新聞やテレビが子どもの自殺を大きくとりあげるから、読者、視聴者は増えたという印象をもつのだ、となだ・いなだは解説する。

□朝日新聞学芸部・編『日記から』(朝日新聞社、1980)
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【本】スペインの古城を泊まり歩く ~パラドールの旅~

2016年08月14日 | エッセイ

 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 スペインでは古城、宮殿、修道院が国営のホテルとなっている。パラドールがそれである。著者はそのほとんどを回りめぐった。そうした旅の視覚的かつ味覚的魅力を本書は語る。
 ちなみに、アルカサル(セゴビア城)は「白雪姫」の舞台となった。その事実は意外と知られていない。

□太田尚樹『アンダルシア パラドールの旅 カラー版 -スペインの古城に泊まる-』 (中公文庫、1997)
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【本】アミエルの日記 ~わが魂の遍歴~

2016年08月14日 | エッセイ
 (1)社会思想社は、現代教養文庫と題して、よいアンソロジーをたくさん出した。
 たとえば、『戦後の詩』。戦後という時代を色濃く反映した詩編を古風な定型詩から前衛詩まで網羅した。
 あるいは、『愛すること・生きること』。膨大なロマン・ロラン全集から名言を選びだし、さながらロラン自身によるロラン入門だった。
 2002(平成14)年、社会思想社が倒産し、終刊したのはまことに惜しまれる。既刊書、約1,800点。

 (2)アミエルの膨大な日記を1巻に抄訳した本書も、現代教養文庫の秀逸な1冊だ。古今東西を通じて代表的なこの日記文学に近づきやすくしてくれた本だ。
 日記にあらわれたアミエルは、自分の存在が他人に影響を与えるのを極度におそれた人である。怖れ、かつ、畏れた。ために、いろいろ思い惑いはしても、行動に移ることができなかった。
 人は、一定の状況の中に生きる。条件づけられた存在である。行動するには、選択しなくてはならない。あるものを選択するという行為は、同時に、別の、選択しなかったものを棄てる行為でもある。
 アミエルは可能性の一部を棄てることができなかった。だから、いつも決定を先延べし、時間の経過により、すべてを棄てる結果となった。

 (3)要するに、優柔不断な意気地なしというのが通説なのだが、林達夫「アミエルと革命」「社会主義者アミエル」(いずれも『林達夫著作集4 批評の弁証法』、平凡社、1971)は、通説とは少しちがったアミエル像を提示している。
 抄訳の本書からも、通説とは違う、アミエルの多様な側面を読みとることは可能である。
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

□アンリ-フレデリック・アミエル(大塚幸男訳編)『アミエルの日記 ~わが魂の遍歴~』 (現代教養文庫、1968)
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【内田百閒】上質のユーモア ~阿房列車~

2016年08月13日 | エッセイ
  
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。
 百鬼園内田栄造は明治22年生、昭和46年没。百閒は、郷里岡山の百間川にちなむ俳号である。
 阿房はアホーではない。由緒正しい秦の始皇帝の阿房宮に典拠をもつ。しかし、なんにも用事がないのに汽車に乗り、揺られ揺られて列島をめぐり、宿に泊まってはしたたか飲んで飲みつぶれて、名所見物もしないで帰ってくる。そんな話ばかりが延々と続くから、やっぱりアホー列車か。
 要するに、本書は見事になかみがない。徹頭徹尾語り口で、というか百鬼園先生の畸人ぶりで読ませる。偏屈を故意に前面に押し出して笑いを誘う点で、百閒の師、漱石の『吾輩は猫である』のユーモア文学の系譜をひく。ただし、『猫』は明治の知識人(または高等遊民)のあり余る無用の知識の放電に面白みがあるが、『阿房列車』の場合、その面白みは知より情、百閒の偏屈ぶりによるところが大きい。漱石が知識人を実用の観点から相対化したのに対して、百閒は知識人を偏屈によって相対化した。
 偏屈な人は醒めた人である。

 <これから途中泊まりを重ねて鹿児島まで行き、八日か九日しなければ東京へ帰つて来ない。この景色とも一寸お別れだと考へて見ようとしたが、すぐに、さう云ふ感慨は成立しない事に気がついた。なぜと云ふに私は滅多にこんな所へ出て来た事がない。銀座のネオンサインを見るのは、一年に一二度あるかないかと云ふ始末である。暫しの別れも何もあつたものではないだろう>

 醒めた人は、酔えば酔いにまかせて酔狂に至る。

 <「そら、こんこん云つてゐる」
 酔つた機(はづ)みで口から出まかせを云つたら、途端にどこかで、こんこんと云つた。
 「おや、何の音だらう」
 「音ぢやありませんよ。狐が鳴いたのです」
 山系が意地の悪い、狐の様な顔をした>

 ヒマラヤ山系こと平山三郎は国鉄本社職員(当時)で、百鬼園先生の気まぐれに毎回辛抱強くつきあった有徳の士。寡黙で動かざること山の如く、百閒記す阿房列車の中ではちっとも活動しないのだが、ドン・キホーテにはサンチョ・パンサ、百鬼園先生には山系君という関係は衆目の見るところ、十手の指すところ。「山系は行きたいのか、いやなのか、例に依つてその意向はわからない」茫洋たる人物だが、彼が記録した『実録阿房列車先生』ほかが有能なサンチョ・パンサであったことを示している。

□内田百閒『阿房列車』(旺文社文庫、1979、重版1984)
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 【参考】
【言葉】いやだからいやだ

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書評:『娘の学校』

2016年04月27日 | エッセイ
 「娘の学校」は、校長はなだ いなだ、生徒は2歳から10歳までのかれの娘4人の小さな「学校」である。

 ところが、この校長、ときどき生徒のほうから学ぶのだ。げにも、ジャン・ピアジェがいったとおり、「子どもはおとなの先生である」

 一例をあげよう。
 長女が6歳のとき、いつものように「ありがとう」の言葉を報酬にするつもりで煙草を買いに行かせた。買物から帰ってきた娘はのたまうた。
 「パパ、ありがとうも、いい子だ、も言わなくてもいいよ。煙草買いごっこ、もう面白くないよ」

 なだ いなだは、一瞬当惑を感じた、と告白している。自分の下手な演技がいつから見破られていたのか気づかなかったこと、娘の演技に自分が騙されていたことに気づかなかったこと、その「二重の敗北感みたいな感情」におそわれた、と。
 なだ いなだは、その後は、煙草買いは二女、三女に委ねた。

 なだ いなだ自らいうように、いい子とは親にとっていい子なのだ。
 親よりも同年齢の友だち同士で遊びたい時期に達した子どもにとっては、煙草買いはいい子ではない。
 ましてや、禁煙キャンペーンをはる保健所にとっては、いい子ではない。
 いい子は相対的なものにすぎない。
 一般的にいって、ある価値判断は一定の条件付きでしか通用しない。

 こうした相対主義は、市民社会全般に適用される(校長の得意とするところである)。
 たとえば、フランスの5月革命におけるドゴールである。
 かつてドゴールは、前大戦中亡命先のロンドンから本国のペタン元帥に向けて言った。「あなたは老いすぎている。国民を指導するためには、頭が固くなりすぎている」と。
 そのドゴールは、自分が当時のペタン元帥と同じ年齢になったとき、なおも国民を指導していることを忘れた、となだ いなだは指摘する。
 人は知らず知らず年をとるものだ、その新しい年齢は自分にとって未知のものだから自分が若い時に老人と目した年齢に達していることに気づかないのだ、云々。
 ドゴールを歴史の人と呼ぶならば、21世紀の日本に探してもよい。全共闘世代なら、すぐさま実例をあげることができるかもしれない。

 一般的にいって、AがBに対していったことは、当のAに対しても適用される。
 AがBに対していったことが、当のAに対して適用されないならば、Aの言葉になんら信頼をおくことはできない。
 相対主義は、市民社会の原理である。

 親子関係に話をもどすと、親子のなかの相対主義に不都合があるだろうか。
 あるだろう、いつまでも「いい子」であってほしい親にとっては。
 いつまでも親のスネをかじっていたい子どもにとっては。
 しかし、人も社会も変化する。
 相対主義は、変化を前提としている。

□なだ いなだ『娘の学校』(中公文庫、1973)

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【本】日本文学史上最高の巨漢による文学の食べ方 ~『世界文学「食」紀行』~

2016年01月02日 | エッセイ
 篠田一士は大食漢(グルマン)にして美食家(グルメ)、体重は100kgを超し、解説の丸谷才一によれば「日本文学史上最高の巨漢」である。
 その篠田が、和書、洋書を濫読、多読するうちに見つけた「食」に関する記述をめぐって、食卓の談話のように気軽なエッセイを書いた。『世界文学「食」紀行』がそれで、1編見開き2ページにおさまる短文ばかりだから、一巻を一気に通読するより、感興にまかせて任意のページをひらくほうが気楽だし、消化によい。じじつ、こうした気まぐれな読み方にたえるほど、どのページをめくっても美味な読書ができる。

 たとえば、「北米料理批判」。
 オクタビオ・パス『食卓と寝台』によれば、アメリカ大陸といってもアングロ・サクソン系の北米とラテン系の中南米では分明のありようがまったく違う。その相違は食生活にみることができる。北米合衆国の食生活は貧しい。合衆国の伝統的な食べ物はなんでも栄養本位で、体力保持のため滋養さえとれれば、手間をかけた料理なぞする必要がない、というのが基本である。ひるがえって、パスの国では食事は食卓をともにする人との和合であり、料理の材料の和合である。それに対して、ヤンキーの食生活にはピューリタニズムが滲みこみ、排除を事とし、香辛料を避けてクリームとバターの「泥沼料理」に満足し、砂糖をむやみに使う。こうしたヤンキーの悪癖は、彼らが好むアイスクリームとミルクセーキをみれば一目瞭然だ。飲み物だって、ヤンキーが常用するウィスキーとジンは孤独な人、内向心の強い人間のためのものだ。・・・・ここでパスの言葉を孫引きすると、「葡萄酒やリキュールは食事の楽しみを補うもので、その役目は、食卓のまわりにくりひろげられる、さまざまな関わり合い、結びつきを、より一層、親密、かつ緊密たらしめるよう刺激することである」
 バスの指摘は、「本質的には正しく、同時に、正確な文明批評にもなっている」と、篠田は結んでいる。
 
 あるいは、「名探偵の手料理」。
 フランス料理は本格小説、イギリス料理は民話、という評言があるが、民話には民話の味わいがある。手のこんだ客料理はフランス料理の独擅場であるとしても、ごく手近な御惣菜のイギリス料理も捨てがたい。
 というような意味の導入部があって、話はコナン・ドイル『四人の署名』にうつる。ホームズは、謎解きを開陳するまえに、ワトソン博士とジョーンズ刑事をホームズ自らによる手づくりの料理に招待した。ただ、どんな料理だったか、あまり詳しく書かれていない。
 そこで、「こういう素っ気ない書き方では、どんなご馳走かよくわからないが、あるホームズ研究家の解読法に従うと、このときのメニューはこうなるそうである。すなわち、前菜がかきのカクテル、主菜が、犢(こうし)、豚などのロースト・ミートを付け合わせにした、やはりローストにしたらいちょうの冷肉、それに、新鮮な葡萄と冷たくした西洋わさびのソースを用意し、これらをバターたっぷり塗ったトーストにのせて食べる。デザートもちゃんと書いてあって、ポート・ワイン、これに合うのはイギリス特産のスティルトン・チーズであることはいうまでもない」

 本書を読んでも、文学的感受性は磨かれないと思う。
 しかし、食卓の話題にすれば、話がはずみ、一同の食欲が増進するにちがいない。心理学にペッキング効果というものがあって、満腹のニワトリの傍らに飢えたニワトリをほおりこみ、飢えたニワトリがせっせと餌をつつくと、満腹したニワトリもまた餌をつつきはじめるのだ。食欲を増進する話題もペッキング効果をひきだす。
 ただし、その結果、誰かが「何々史上最高の巨漢」になっても評者の関知するところではない。

□篠田一士『世界文学「食」紀行』(講談社学芸文庫、2009)
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 【参考】
【食】スペインのご馳走 ~ドン・キホーテ~

 

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【本】哲学的人生論、余白を読者が埋める断章 ~『人生論ノート』~

2016年01月02日 | エッセイ
 本書は、人が直面する23の主題・・・・死、幸福、懐疑、習慣、虚栄、名誉心、怒、人間の条件、孤独、嫉妬、成功、瞑想、噂、利己主義、健康、秩序、感傷、仮説、偽善、娯楽、希望、旅、個性をめぐるエッセイである。

 たとえば「孤独について」はいう。孤独が恐ろしいのは孤独そのもののためではなくて、むしろ孤独の条件によってである。あたかも死が恐ろしいのは死そのもののためではなくて、むしろ死の条件によってであると同じように、うんぬん。
 そういわれると、受験勉強の孤独は、山の中の孤独とは違う、と思う。また、癌が恐ろしいのは死が必至だからではなくて、長期にわたる苦痛を防ぐすべがないからだ、とも思う。
 あるいは、「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の『間』にあるのである」という断章がある。
 逆説めいているが、要はディスコミュニケーションが孤独を生むということだ。
 精神科医の荻野恒一の調査によれば、能登半島から東京へ流れ出た人の統合失調症発生率は、能登で暮らしつづける人のそれよりもはるかに高いそうだ。人間関係は、人口が過疎の田舎において濃密で、人口が過密の都会において希薄である。統合失調症は対人関係の障害とも呼ばれる。濃密な人間関係にとっぷり浸かっていた田舎の人が、都会の希薄な人間関係のなかで発病しやすいらしい。・・・・そんな話まで思いが及ぶ。

 感情は主観的で知性は客観的、という社会通念に挑戦するような考察もあって、考えこまされる。
 つまり、感情は客観的、社会化されたものであり、むしろ知性こそ主観的、人格的なものだ、と三木清はいうのである。感情こそ多数が共有するということだ。この先に社会心理学の仕事が展開するはずだ。

 薄い文庫本だが、なかみはとても濃い。
 思索のエッセンスだけを述べ、『パンセ』のような短い断章を連ねる体裁だから、余白を読者が埋めなくてはならない。前述の「孤独について」で示したように、余白を埋める作業は難しくない。
 1947年という昔に刊行されたとは、ちょっと信じられないくらい新鮮な人生論で、広く読みつがれてきただけの理由はある。

 三木清は、哲学者。治安維持法違反で捕まり、獄死した。時流に敏感な人で、実存主義、現象学、マルクス主義といった当時最新の思潮に取り組み、わが国に紹介した。『パスカルに於ける人間の研究』、『構想力の論理』などは、時代を切り開く思想だった。レトリックの価値を論じた『解釈学と修辞学』のように、今日でも一読の価値がある仕事もある。

□三木清『人生論ノート』(新潮文庫、1954、1985改版)
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【本】美術品見て歩き ~『美しきものを見し人は』~

2015年12月27日 | エッセイ
 ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」は、絵画を好む人はもとより、さほど好まない人にも比較的よく知られている。
 初めて見た人は、何か妙だなと感じるだろう。そして、これが例の謎の微笑の効果というものか、と独り納得するかもしれない。「モナ・リザ」のモデルはフランカヴィラ公爵夫人コンスタンス・ダヴァロスらしい、といった雑学を得て、それでわかった気になったりする。

 とある夏、ルーブル美術館を訪れた。
 絵画部のほぼ中央にその絵がかかっている。
 いつでも人だかりがしているらしいが、この時にも見物客が群がっていた。そのなかに青い目のきれいなお嬢さんがいた。こちらの立ち位置からすると、「モナ・リザ」から左に30度視線を動かせば、そのお嬢さんの貌が目に入る。わざと見比べたわけではないが、結果として見比べて・・・・愕然とした。「モナ・リザ」には眉毛がないのだ。

 堀田善衞も10回ほどルーブル美術館に通ったうちの3回目か4回目にようやく気づいたとか。
 なぜ眉毛がないのか不明だが、ダ・ヴィンチの描くマリアや天使はいずれも眉毛がうすい。人間につきものの眉毛が定かならぬとは、実に妙な話だが、試しに写真の「モナ・リザ」に眉毛を書きこんでみると、印象がガラリと変わってくる。

 ところで、堀田善衞は奇妙な試みをおこなっている。
 横山隆一は「モナ・リザ」モンタージュ説をとなえているが、これを実験したのかどうか、ともかく絵を3分割して、紙きれで上部3分の1、顔と背後の風景を覆い隠す。次いで、下部3分の1、腕と手、指の部分を覆い隠す。残りのトルソ、豊かな胸と青黒い着衣に隠された部分だけをつくづく眺めて見ると、母親とはかかるものかと、真に豊かにやすらいだ心持ちになるとか。

 本書は、こうした美術漫談が満載されている。堀田善衞独特の、明晰で、しかも悠然たる語り口がじつに楽しい。

□堀田善衞『美しきものを見し人は』(新潮社、1969/のちに新潮文庫、1983/のちに朝日選書、1995)
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【本】酒席の話題にもってこいの小咄が満載 ~『魔女の1ダース』~

2015年12月27日 | エッセイ
 本書には、「正義と常識に冷や水を浴びせる13章」という副題がつく。
 プロローグによれば、旧ソ連にも『悪魔の辞典』があって、『悪魔と魔女の辞典』がそれ。たとえば、

   希望-絶望を味わうための必需品

   思いやり-弱者に対しては示さず、強者に対して示す恭順の印

のごとく、「まっとうな」世界におけるプラス・イメージの言葉がマイナス・イメージに、マイナス・イメージの言葉がプラス・イメージに逆転する定義が列挙されている。
 本書は、米原万里版『悪魔と魔女の辞典』である。辞典ほど簡潔でないが、その分実例が豊富で詳しい。酒席の話題にもってこいである。
 実例の多くは、ロシア語通訳者としての豊富な体験から拾いだされる。その体験を抽象化すると、相対主義に行きつく。相対主義を徹底すると、一方では辛辣な毒舌に至り、他方ではからりと乾いた笑い、しばしば哄笑に至る。
 ここでは、哄笑までいたらない、どちらかというとしのび笑いの例を紹介をしておく。

 ベトナム民族歌舞団が来日したときのこと。招聘元の興行会社から派遣された20代のS君、妙齢にしてとびきりの美女30人に毎日随行してウキウキ。そのうち身ぶり手ぶりに飽きたらなくなって、同行の通訳氏からベトナム語をおそわり、片言の会話をかわすようになった。
 ベトナム語には類冠詞というものがあって、たとえば樹木をあらわす名詞にはその手前に必ず樹木をあらわす冠詞「カイ」をつける。柳リュウには「カイ・リュウ」のように。
 ところで、雀はセエ、鶯はワイン、鳩はポコ、鳥類の冠詞は「チム」である。
 ふむふむ、とうなずきながらS君は健気にメモをとった。
 京都を訪れた歌舞団一行は、休演日に市内観光をした。季節は光ざわめき緑ささやく麗しき5月。ちょうど平安神宮の広場に到着したアオザイの色も華やかな集団をめがけて鳩が舞い降りてきた。S君、ここぞとばかり走り寄って叫んだ。「チム・ポコ、チム・ポコ」
 美女たち、嬉しそうに応じて歓声をあげ、唱和するのであった。「チム・ポコ、チム・ポコ、チム・ポコ・・・・」

 シモネタはいかなる言語においても豊富で、しかも短い(音節数が少ない)。よって、異なる言語間において音韻的一致や類似がたまたま生じる確率が高い、うんぬんと著者はマジメに考察するのである。
 単行本は1996年読売新聞社刊。講談社エッセイ賞受賞作品。

□米原万里『魔女の1ダース -正義と常識に冷や水を浴びせる13章-』(新潮文庫、2000)
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【本】ゲーテさん こんばんは

2015年11月25日 | エッセイ
 (1)18~19世紀の、今では古典となった作品は、著者の生前には概して認められず、死後に評価されることが多かったらしい。ところが、『若きウェルテルの悩み』は、刊行直後からベストセラーとなった幸運な作品である。
 それでも、ゲーテは生前は詩人・作家としてよりも行政マンとし知られた。詩人・作家よりも行政マンのほうが、当時は社会的評価が高かったのだ。
 小さな公国の行政機構の中とはいえ、枢密顧問官にのぼりつめたから、能吏には違いなかった。鉱山の再開発をはじめ、財政改革に東奔西走している。傍ら、あの膨大な詩、小説、劇を書いているのだから、そのエネルギーには恐れ入るするしかない。かてて加えて、文学とは関係のない鉱物学や植物学に関する知識も本職はだしの域に達しているから、彼が生みだした戯曲の主人公ファウストに比肩する怪物だ。

 (2)本書は、こうした巨人ゲーテの人と作品をやさしく解説する。くだけたタイトルに見られるように、若者に受けそうな軽い筆致が特徴だ。
 たとえば『ウェルテル』。当時の通信事情、整備されつつあった郵便馬車網という新しいメディアを反映している点に着目し、書簡を今日のe-maiにl、書簡体小説をパソコン小説になぞらえる。この古典ががぐんと身近に感じられるではないか。

 (3)池内紀はしかし、単なる解説者で終わっていない。人間性の探究者でもある。
 たとえば、ゲーテの青年期にはやった「自然に帰れ」(ルソーに由来すると言われるが出典不明)について、池内は次のように書く。
 <ついでながらルソーの語ったような「善き田舎人」は、人生読本とかオペレッタには登場しても、現実には存在しないことを私たちは知っている。素朴で正直で陽気な人もたまにはいるかもしれないが、おおかたは頑固で、陰気で、欲ばりである。首にリボンを結び、頭に麦わら帽子をのせているかもしれないが、それは決して純朴さの保証ではない。いつも嫉妬深く隣近所に目をくばり、 わが庭とわが家とわが収穫物を疑りの眼差しで、いわば爪と歯で見張っている>

 (4)「善き田舎人」にはあまり愉快ではない記述で、皮肉すら感じられるのだが、幸い、これはゲーテの時代の「善き田舎人」だ。人間性も時代と国是が反映されるのだ。

□池内紀『ゲーテさん こんばんは』(綜合社、2001/のちに集英社文庫、2005)
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書評:『後方見聞録』

2014年11月02日 | エッセイ
 交遊した詩人、画家等の芸術家や出版人をしのぶ回想録である。
 第1部には稲垣足穂から吉田一穂まで15人をとりあげる。これが旧版の本体である。
 文庫化にあたり、新たに、20数年間のうちに鬼籍に入った10人を追憶して補足した。これが第2部の点鬼簿追懐である。
 さらに第3部として、現役の飯島耕一と、刊行当時は存命の矢川澄子が加えられた。

 錚々たる列伝である。あくまで加藤郁乎との関わりにおいて語られるが、加藤郁乎自身個性的な俳人にして詩人だから、個性と個性のぶつかり合うところに火花が散る。大詩人を相手にしても、対等にわたりあって昂然たるものだ。

 「何にでも、オの字をつけると一応の諧謔が成り立つ、と見極めて来者を恐れようともしない西脇順三郎翁から、そろそろ、呼び出しの電話がかかってきそうな気がする、『オカトウさん、お遊びにいらっしゃい』」(第Ⅰ部「西脇順三郎の巻」)。
 西脇順三郎のもち味、諧謔味を巧みに点描する。
 と同時に、夫子自身の全身に満ちる風狂と諧謔の精神を活写して余すところがない。本書の題名「後方見聞録」からして、俳味にみちている。『東方見聞録』のもじり、回想の意の造語だ。

   昼顔の見えるひるすぎぽるとがる

 初期句集『球体感覚』の代表作だ。一読、茫洋、第四次鎖国令前後の長崎をしのぶ思いが湧いてこないか。
 名高い「とりめのぶうめらんこりい子供屋のコリドン」をふくむ句集『形而情學』の室生犀星賞受賞が決まった日、著者は飲み歩き、知人宅に泊まった。連絡がとれないままやきもきし、一夜を出版社ですごした森谷均は、痛風が発症したという。
 かくのごとく、加藤郁乎にとっては、酒と交遊とは切り離せない関係なのだ。
 ただし、すべての飲兵衛が加藤郁乎になれるわけではない、当然。
 豪快で切れ味がよく、しかも飄逸な文章。決して薄くはない本書を、一気に通読させるだけの力が全編にみなぎる。

□加藤郁乎『後方見聞録』(学研M文庫、2001)
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