(1)あらゆる表現や芸術には独自性がある。人々に新しい刺激を与えるものだけが支持される。
筒井康隆(81)は、「これまで誰も書いたことがないもの、さらに言えば自分も書いていない小説」を志向し続けてきた。SF、ブラックユーモア、メタフィクション、『時をかける少女』に代表されるジュブナイル小説・・・・多様な世界を小説で構築してきた。
(2)新作『モナドの領域』(新潮社、2015)は、筒井が「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長編」と銘打つ。これまでの昨夏経験をつぎ込み、アイデアを出し切った、と感じている。「最後と思うからこそ、いろんなことができた」
物語は、河川敷で女の右腕が見つかる場面から始まる。
近所のベーカリーにアルバイトに入った美大生が、この腕とそっくりのバゲットを焼き上げ、そのリアルさと美味しさが話題となる。
警察が注目するなか、店の常連の大学教授が奇妙な言動をとり始める。
教授に憑いた存在は「GOD」を自称。あらゆる知識や出来事に通暁し、宇宙や人類の成り立ちを語る。出来事のことごとくは、あらかじめ組み込まれた「モナド」によって定められているとし、いずれやってくる人類の滅亡すら「美しい」と言ってのける。
「GOD」は、人々を祝福せず、罰を与えることもしない。キリスト教など一神教より『バガヴァッド・ギーター』的汎神論に近い存在だ。
そこに反映されているのは、筒井の宗教観だ。カトリック系の幼稚園に通い、「悪いことをするたびに、どこかで神様が見ていたらどう思うかと考えるような子ども」だった。大学は、プロテスタント系の同志社。「いろんな宗教は、自分の納得のいく神様をつくり上げていく」と、世にある宗教に懐疑的になった。
(3)怖い。
大阪生まれの「いちびり」気質。文壇から宗教団体、戦争、高齢化社会、嫌煙権まで、あらゆる権威や世相を小説のなかで洒落のめしてきた。
「まず読者を笑わせ、ときには感動させたい。その根本には、びっくりさせたい、というのがある」
この一点に創作の動機がありそうだが、筒井自身もまだわからない。
彼が恐れるのは、読者から「これは前に書いている」と指摘されることだ。神よりも読者が怖い。
『現代語裏辞典』(文藝春秋社、2010)の「思いつき」の項目に、
「優れた着想に対する悪口」
と書いた。「批評家は『単なる思いつき』と言うが、思いつき以外に何があるというのか。何か自分の思想があって、そこから出たものでなければ着想ではないという考え方があるのでしょう。でも僕はそう思わない。だいたい思想がないからね」
(4)延命。
売れるかどうかで小説の価値を測る風潮が、「本屋大賞」で強まった、と筒井は感じる。
「昔に比べてデビューはしやすくなったが、本が売れない。若い作家は大変だと思う。僕は幸運だった」
作家は、人びとに読まれるものを書くべきなのか。
それとも、魅力あるものを書けばおのずと読まれるのか。
作中の「GOD」は、哲学者リオタールの思想を引き、
作家が思潮に迎合することによる「つかの間の虚しい延命」
について語る。
「リオタールを初めて読んだときは衝撃を受けたけれど、僕はむしろ嫌われる方向で書いてきたから、自分には当たらない」
□記事「誰も書いたことがない小説 宇宙や人類の成り立ち語る 筒井康隆 モナドの領域 ~ブレークスルー1~」(日本海新聞 2016年2月12日)
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