◆続出している/パーセントが扱えない大学生
芳沢 ただ最近、経済産業省が「数学を何とかした方がいい」と数学人材の重要性を訴えたり、日本経済団体連合会の中西宏明会長が「文系の大学生も数学を学ぶべきだ。数学を全然やらないのはおかしい」と提言【注3】を出したりして、風向きが変わってきた。
しかしながら、私はそう簡単ではないと思う。例えば、論理に関して日本人が弱いのはallとsomeの使い方(「ゼロからじっくりと身に付けたい 論理的思考のエッセンス」参照)なんですね。あるいは「…ではないのですか」といった否定疑問文に弱い。この辺の英語に戸惑う人が多いのは、学ぶべき論理の基礎が身に付いていないからだと思う。
学ぶべきものを学んでいないというと、2000年代初頭のゆとり教育でどんと削減されたイメージかもしれない。だが、教科書の内容は1970年代の半ばくらいから、減り続けていたんです。
冒頭でお話があった『分数ができない大学生』は、私も分担著者だったんですが、1/2+1/3=2/5というのは、一つの警告だったんだと思う。それは、意味を理解していなくともやり方だけ覚えればいいという教育への警告です。
分数の足し算は分母同士を掛けて、後はたすき掛けにして分子を計算したものが答えだと、やり方を暗記しただけで、小学校での成績は何とかなった。そして意味を理解しないまま大学生になり、また社会人になっていった。私はそのあしき状態が最近、もっと進んでしまっていると思う。というのも、「パーセント」が分からない大学生が今、続出しているんです。
例えば、2億円は50億円の何パーセントか。比べられる量が2、もとになる量は50で、2÷50=0.04で答えは4%となる。これができない大学生が、日本には2割くらいいると私は思います。
佐藤 十分考えられますね。
高校生の勉強を見ていて非常に心配になるのは、「暗記数学」という言葉があるように、数学を一種の暗記科目としてパターン暗記だけでやっている生徒が多くなっていること。この弊害が結構、進学校で出ています。
芳沢 これは日本の数学教育が抱える大きな問題だと思っています。抜本的に変えなくてはいけない。
先のパーセントの続きですが、経済が今年から来年にかけて2割成長したとすると、1.2倍ですね。そして来年から再来年にかけて3割成長したとすると、1.3倍です。ということは、今年から再来年にかけては1.2×1.3=1.56で56%成長となる。しかし、50%という誤答が多い。
日本の大学生の半分はこの計算ができません。半分以上だと思います。できないのは、まさにやり方だけ暗記しているためです。
算数でやった「流水算」を覚えているでしょうか。流れる川を上ったり下ったりする船が、流れにどんな影響を受けるのかを考えるものです。
この流水算【注4】は昔、静水時の船の速さと川の流れの速さをxとyにおいて、方程式を立てて解いたと思う。これが今は違う。見掛け上の下る速さから、見掛け上の上る速さを引いて2で割ったものが「川の流れの速さ」などと暗記しちゃう。方程式を立てずに答えが出てしまう。
佐藤 統計の基礎をやらずに、表計算ソフトにデータをぶち込んでいくやり方も同じ発想ですね。自分でデータを読めない。
芳沢 そういうことです。一番びっくりしたのは「微分は習ったか」と学生に聞くと、「簡単だ」と言う。「微分するというのは、右上にある数字を下に持ってきて、右上は1マイナスすること」とね。
佐藤 公務員試験用の経済学問題集の最初にも、「微分法というのは肩の数字を前の数字に掛けて、肩から一つ引いてやればいい。微分の深い原理について知る必要はありません」なんて書いてある。
芳沢 全てが今そういうことになっている。
ご存じないかもしれませんが、小学校で習う「速さ」「時間」「距離」などの関係は、今は丸の中に「は・じ・き」「く・も・わ」【注5】と書いた図を使って覚えている。小学校で習ったときには分かるけれども、中学校に行くと、こんがらがってしまう。そして、その状態のまんま大学生になってしまう。
佐藤 これ本当に深刻な問題で、ちょっとズレますが、社会科でも同じ問題があるんですよ。私は大学で講義をする前に、山川の教科書の中から年号の問題を出してテストしているんですが、例えば、ロシア革命の勃発とソ連の崩壊の年号を間違えるのは、まあいい。時系列が逆転している人が中にはいるんです。ソ連崩壊の方が先でロシア革命が後とか、第1次世界大戦と第2次世界大戦の勃発年が逆転しているとか。1と2が分かっていないということですよね。
芳沢 大学の入試がマークシート式になってしまっているが故に、プロセスが分からなくてもやり方、暗記だけで答えが出るから何とかなる。だから、流れというかプロセスを理解しようという気持ちに欠けているんだ、と私は思う。このままでは日本は取り残されちゃうんじゃないか。
佐藤 要するに、日本は発展途上国の教育システムなんですね。記憶力と情報処理能力が中心のキャッチアップ型の教育がそのまま続いてしまっている。
その結果、たぶん日本と韓国だけだと思うんですが、勉強が嫌いな大学生が異常に多い。一方で、目的合理的に受験テクニックを極める受験産業が異常に発達している。これはなかなか大変です。
芳沢 全体の流れをつかむこと、プロセスをきちんと理解することが大事なのは、さまざまな科目に共通しています。
先の『新体系・高校数学の教科書(上・下)』を書いたのも、数学の教科書が何のポリシーもなくてバラバラになってしまったからです。それはまずいと、一つの大きな流れを示したかった。
佐藤 あの本で素晴らしいのは「関数の極限」のところです。高校生にはまだ消化が難しい「イプシロン・デルタ論法」【注6】を用いずに、しかも直観に頼らず、とても工夫して書かれているのが、強く印象に残りました。
芳沢 イプシロン・デルタはみんな面食らっちゃう。一体これは何だと。私自身はこれまで文系、理系合わせて10の大学で、それこそ本当にパーセントが分からない大学生から数学専攻の大学院生まで、1万5,000人くらいの学生に教えてきました。得た結論として、高校と大学のギャップを埋めなくてはいけないっていうポリシーを持っています。そこをご指摘いただいて、感激しました。
佐藤 そこは本の序文でも少し触れておられて、僕も強い感銘を受けました。
(続く)
【注3】経団連の提言
経団連は大学の教育改革に関する提言をまとめ、「大学は、例えば、情報科学や数学、歴史、哲学などの基礎科目を全学生の必修科目とするなど、文系・理系の枠を超えて、全ての学生がこれらをリテラシーとして身に付けられる教育を行うべきである」としている。
【注4】流水算
例を用いて説明しよう。「船が川を9キロ上るのに45分かかり、同じ区間を下るのに36分かかるとき、静水での船の速さと川の流れの速さを求めよ」という流水算がある。この問題は、「船が川を9キロ上るのに4分の3時間かかり、同じ区間を下るのに5分の3時間かかるとき、静水での船の速さと川の流れの速さを求めよ」と書き換えられる。見掛け上の上りの速さは時速12キロであり、見掛け上の下りの速さは時速15キロになる。「やり方」暗記型の子どもたちは、静水での川の速さ=時速(15-12)÷2=時速1.5(km)、静水での船の速さ=時速(15+12)÷2=時速13.5(km)と、機械的に求める。
【注5】 「は・じ・き」と「く・も・わ」
それぞれ意味として、「速さ×時間=距離」「もとにする量×割合=比べられる量」を表す。「は」は速さ、「じ」は時間、「き」は距離、「く」は比べられる量、「も」はもとになる量、「わ」は割合のことである。子どもたちは、円の中にそれらの文字を機械的に書いて、意味を理解せずに式を暗記する。その悪影響が大いに懸念されている。
【注6】イプシロン・デルタ論法
この解説は難解だ。読み飛ばしてもらっても構わない。
xを限りなく2に近づけると、3xは6に限りなく近づく。これを「x→2のとき3x→6」と書く。これを一般化して高校数学では、「x→aのときf(x)→a」を「xを限りなくaに近づけると、f(x)はaに限りなく近づく」と説明する。これをイプシロン・デルタ論法では、「任意の正の数εに対して、ある正の数δがあり、 0<│x-a│<δ⇒│f(x)-a│<ε」 と書いて説明する。この両者の説明の違いに、理工系の学生でも参ってしまう者が続出するのである。
これを理解するには、「全て」と「ある」の言葉の使い方をよく理解する必要がある。
□佐藤優「特集:文系でも怖くないビジネス数学」(「週刊ダイヤモンド」2019年2月9日号)の「【Part 1】 数学はビジネスパーソンの必須教養である」の「【対談】芳沢光雄(桜美林大学教授)×佐藤優(作家・元外務省主任分析官)「生き残るビジネスパーソンの必須スキル 今こそ「数学」の学び直しをせよ 」を引用
【参考】
「【佐藤優】×芳沢光雄:数学、生き残るビジネスパーソンの必須スキル (1)」
芳沢 ただ最近、経済産業省が「数学を何とかした方がいい」と数学人材の重要性を訴えたり、日本経済団体連合会の中西宏明会長が「文系の大学生も数学を学ぶべきだ。数学を全然やらないのはおかしい」と提言【注3】を出したりして、風向きが変わってきた。
しかしながら、私はそう簡単ではないと思う。例えば、論理に関して日本人が弱いのはallとsomeの使い方(「ゼロからじっくりと身に付けたい 論理的思考のエッセンス」参照)なんですね。あるいは「…ではないのですか」といった否定疑問文に弱い。この辺の英語に戸惑う人が多いのは、学ぶべき論理の基礎が身に付いていないからだと思う。
学ぶべきものを学んでいないというと、2000年代初頭のゆとり教育でどんと削減されたイメージかもしれない。だが、教科書の内容は1970年代の半ばくらいから、減り続けていたんです。
冒頭でお話があった『分数ができない大学生』は、私も分担著者だったんですが、1/2+1/3=2/5というのは、一つの警告だったんだと思う。それは、意味を理解していなくともやり方だけ覚えればいいという教育への警告です。
分数の足し算は分母同士を掛けて、後はたすき掛けにして分子を計算したものが答えだと、やり方を暗記しただけで、小学校での成績は何とかなった。そして意味を理解しないまま大学生になり、また社会人になっていった。私はそのあしき状態が最近、もっと進んでしまっていると思う。というのも、「パーセント」が分からない大学生が今、続出しているんです。
例えば、2億円は50億円の何パーセントか。比べられる量が2、もとになる量は50で、2÷50=0.04で答えは4%となる。これができない大学生が、日本には2割くらいいると私は思います。
佐藤 十分考えられますね。
高校生の勉強を見ていて非常に心配になるのは、「暗記数学」という言葉があるように、数学を一種の暗記科目としてパターン暗記だけでやっている生徒が多くなっていること。この弊害が結構、進学校で出ています。
芳沢 これは日本の数学教育が抱える大きな問題だと思っています。抜本的に変えなくてはいけない。
先のパーセントの続きですが、経済が今年から来年にかけて2割成長したとすると、1.2倍ですね。そして来年から再来年にかけて3割成長したとすると、1.3倍です。ということは、今年から再来年にかけては1.2×1.3=1.56で56%成長となる。しかし、50%という誤答が多い。
日本の大学生の半分はこの計算ができません。半分以上だと思います。できないのは、まさにやり方だけ暗記しているためです。
算数でやった「流水算」を覚えているでしょうか。流れる川を上ったり下ったりする船が、流れにどんな影響を受けるのかを考えるものです。
この流水算【注4】は昔、静水時の船の速さと川の流れの速さをxとyにおいて、方程式を立てて解いたと思う。これが今は違う。見掛け上の下る速さから、見掛け上の上る速さを引いて2で割ったものが「川の流れの速さ」などと暗記しちゃう。方程式を立てずに答えが出てしまう。
佐藤 統計の基礎をやらずに、表計算ソフトにデータをぶち込んでいくやり方も同じ発想ですね。自分でデータを読めない。
芳沢 そういうことです。一番びっくりしたのは「微分は習ったか」と学生に聞くと、「簡単だ」と言う。「微分するというのは、右上にある数字を下に持ってきて、右上は1マイナスすること」とね。
佐藤 公務員試験用の経済学問題集の最初にも、「微分法というのは肩の数字を前の数字に掛けて、肩から一つ引いてやればいい。微分の深い原理について知る必要はありません」なんて書いてある。
芳沢 全てが今そういうことになっている。
ご存じないかもしれませんが、小学校で習う「速さ」「時間」「距離」などの関係は、今は丸の中に「は・じ・き」「く・も・わ」【注5】と書いた図を使って覚えている。小学校で習ったときには分かるけれども、中学校に行くと、こんがらがってしまう。そして、その状態のまんま大学生になってしまう。
佐藤 これ本当に深刻な問題で、ちょっとズレますが、社会科でも同じ問題があるんですよ。私は大学で講義をする前に、山川の教科書の中から年号の問題を出してテストしているんですが、例えば、ロシア革命の勃発とソ連の崩壊の年号を間違えるのは、まあいい。時系列が逆転している人が中にはいるんです。ソ連崩壊の方が先でロシア革命が後とか、第1次世界大戦と第2次世界大戦の勃発年が逆転しているとか。1と2が分かっていないということですよね。
芳沢 大学の入試がマークシート式になってしまっているが故に、プロセスが分からなくてもやり方、暗記だけで答えが出るから何とかなる。だから、流れというかプロセスを理解しようという気持ちに欠けているんだ、と私は思う。このままでは日本は取り残されちゃうんじゃないか。
佐藤 要するに、日本は発展途上国の教育システムなんですね。記憶力と情報処理能力が中心のキャッチアップ型の教育がそのまま続いてしまっている。
その結果、たぶん日本と韓国だけだと思うんですが、勉強が嫌いな大学生が異常に多い。一方で、目的合理的に受験テクニックを極める受験産業が異常に発達している。これはなかなか大変です。
芳沢 全体の流れをつかむこと、プロセスをきちんと理解することが大事なのは、さまざまな科目に共通しています。
先の『新体系・高校数学の教科書(上・下)』を書いたのも、数学の教科書が何のポリシーもなくてバラバラになってしまったからです。それはまずいと、一つの大きな流れを示したかった。
佐藤 あの本で素晴らしいのは「関数の極限」のところです。高校生にはまだ消化が難しい「イプシロン・デルタ論法」【注6】を用いずに、しかも直観に頼らず、とても工夫して書かれているのが、強く印象に残りました。
芳沢 イプシロン・デルタはみんな面食らっちゃう。一体これは何だと。私自身はこれまで文系、理系合わせて10の大学で、それこそ本当にパーセントが分からない大学生から数学専攻の大学院生まで、1万5,000人くらいの学生に教えてきました。得た結論として、高校と大学のギャップを埋めなくてはいけないっていうポリシーを持っています。そこをご指摘いただいて、感激しました。
佐藤 そこは本の序文でも少し触れておられて、僕も強い感銘を受けました。
(続く)
【注3】経団連の提言
経団連は大学の教育改革に関する提言をまとめ、「大学は、例えば、情報科学や数学、歴史、哲学などの基礎科目を全学生の必修科目とするなど、文系・理系の枠を超えて、全ての学生がこれらをリテラシーとして身に付けられる教育を行うべきである」としている。
【注4】流水算
例を用いて説明しよう。「船が川を9キロ上るのに45分かかり、同じ区間を下るのに36分かかるとき、静水での船の速さと川の流れの速さを求めよ」という流水算がある。この問題は、「船が川を9キロ上るのに4分の3時間かかり、同じ区間を下るのに5分の3時間かかるとき、静水での船の速さと川の流れの速さを求めよ」と書き換えられる。見掛け上の上りの速さは時速12キロであり、見掛け上の下りの速さは時速15キロになる。「やり方」暗記型の子どもたちは、静水での川の速さ=時速(15-12)÷2=時速1.5(km)、静水での船の速さ=時速(15+12)÷2=時速13.5(km)と、機械的に求める。
【注5】 「は・じ・き」と「く・も・わ」
それぞれ意味として、「速さ×時間=距離」「もとにする量×割合=比べられる量」を表す。「は」は速さ、「じ」は時間、「き」は距離、「く」は比べられる量、「も」はもとになる量、「わ」は割合のことである。子どもたちは、円の中にそれらの文字を機械的に書いて、意味を理解せずに式を暗記する。その悪影響が大いに懸念されている。
【注6】イプシロン・デルタ論法
この解説は難解だ。読み飛ばしてもらっても構わない。
xを限りなく2に近づけると、3xは6に限りなく近づく。これを「x→2のとき3x→6」と書く。これを一般化して高校数学では、「x→aのときf(x)→a」を「xを限りなくaに近づけると、f(x)はaに限りなく近づく」と説明する。これをイプシロン・デルタ論法では、「任意の正の数εに対して、ある正の数δがあり、 0<│x-a│<δ⇒│f(x)-a│<ε」 と書いて説明する。この両者の説明の違いに、理工系の学生でも参ってしまう者が続出するのである。
これを理解するには、「全て」と「ある」の言葉の使い方をよく理解する必要がある。
□佐藤優「特集:文系でも怖くないビジネス数学」(「週刊ダイヤモンド」2019年2月9日号)の「【Part 1】 数学はビジネスパーソンの必須教養である」の「【対談】芳沢光雄(桜美林大学教授)×佐藤優(作家・元外務省主任分析官)「生き残るビジネスパーソンの必須スキル 今こそ「数学」の学び直しをせよ 」を引用
【参考】
「【佐藤優】×芳沢光雄:数学、生き残るビジネスパーソンの必須スキル (1)」