詩人論『宮沢賢治』で中村稔は言う。賢治に惹かれる理由は、彼が詩人であったからではなく、農業技師であったからでもなく、「詩人であると同時に農業技師であることがなんら矛盾していなかった、そういう人物の精神の奇怪な眺望がぼくを把えるのである」。
中村は、ここで詩人であると同時に法律家である自分自身をも語っているのだ。自分自身 中村は、ここで詩人であると同時に法律家である自分自身をも語っているのだ。自分の精神についても、「奇怪」と感じていたに違いない。賢治にしても稔にしても、いずれか一方が切り捨てられるべきものではなく、彼(ら)の精神の中で両方とも同じ重みをもって存在していた。そして、精神の奇怪さは、「日常」と「脱日常」との落差の激しさによって、際だつ。
例えば「凧」。この作品は1953年に書かれた。弁護士登録をして1年経るか経ないかの頃だ。神武景気(1956~57)はまだ先で、世相はまだ厳しい。世に出たばかりの中村は、その厳しい世相に立ち向かうだけの気負い、または倨傲とともに、幾分の怯えがあったはずだ。しかも、戦さはまだ遠い過去ではない。折ふし戦禍が記憶の底から甦る。
夜明けの空は風がふいて乾いていた
風がふきつけて凧がうごかなかった
うごかないのではなかった 空の高みに
たえず舞い颶(アガ)ろうとしているのだった
じじつたえず舞い颶っているのだった
ほそい紐で地上に繋がれていたから
風をこらえながら風にのって
こまかに平均をたもっているのだった
ああ記憶のそこに沈みゆく沼地があり
滅び去った都市があり 人々がうちひしがれていて
そして その上の空は乾いていた
風がふきつけて凧が動かなかった
うごかないのではなかった 空の高みに
鳴っている唸りは聞きとりにくかったが
言葉は4行あるいは3行で1連となり、4連が全体を構成している。14行詩、いわゆるソネット形式だ。この詩人が偏愛するもので、強烈なストイシズムが要求する形式である。堅固な外形のうちに、溶岩のように沸き立つ情念が閉じこめられている。形式で抑制されるがゆえに、かえって内圧が高まる。この危うい、微妙な均衡を端正な日本語がくるむ。からみつくような粘りがあり、のびやかで、しかも引き締まった言葉。そう、詩は言葉である。言葉の奥行きの深さと簡潔を知るには、詩にまさるものはない。
第1連。起承転結の「起」、導入部。夜明けの空、風、吹きつけられる凧、一見不動に見えながら舞いあがろうとしている。遠方から見た、映像的な、やや軽いスケッチだ。
第2連。「承」で、カメラ・アイが接近する。風に流されるならば何処へか飛び去ってしまうでだろうが、動かない。いや、動かないのではなくてこまかに平均を保っている。それは細い紐で地上につながれていたからだ、と情景の微細な面が明らかになってくる。
第3連。ああ、という絶句で「転」となり、隠され抑制されていたものがいっきょに噴き出す。足もとから沈みゆく沼地がある。滅び去った都市は、戦後まもなく発表された作品であることを念頭におくと、戦中の東京大空襲を踏まえたものかもしれない。あるいは、ローマ帝国に滅ぼされた古代ユダヤ民族の首都であるかもしれない。そのいずれでもあり得る。歴史の至るところにある滅び去った都市が重層的にイメージされる。うちひしがれた人々も空襲下の東京のそれだけではない。記憶のその空は乾いていて、現在の空と重なってくる。
第4連。瞬時、熱く噴き出た記憶は、現在の情景へ立ち戻ることによって、表面的にはぬぐい去られる。最初の二行は、第一連の二行が繰り返される。しかし、読者はひとたび「記憶」にふれたがゆえに、高みへ舞いあがろうとしてあがらず、細い紐でつながれて均衡をたもっていることの、背後に横たわる歴史を知っている。表層では無知なままで入りこんだ第一連と同じ情景だが、その深層がダブって見えてくる。最後の一行は、見事な「結」である。表層と深層を同時に見つめる詩人の、抑制された、乾いた空に応じた乾いた悲しみがかすかなため息のように漏れている。
いうまでもなく、凧は詩人その人だ。凧、すなわち詩人自身を語りながら、個を越えたものへのまなざしを複雑なレトリックで表現している。視点の二重性は、近代詩から脱却するもので、中村稔の詩業は近代詩と現代詩の架け橋となるものと評される所以だ。
□中村稔「凧」(『中村稔著作集 第1巻』、青土社、2004)
↓クリック、プリーズ。↓
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中村は、ここで詩人であると同時に法律家である自分自身をも語っているのだ。自分自身 中村は、ここで詩人であると同時に法律家である自分自身をも語っているのだ。自分の精神についても、「奇怪」と感じていたに違いない。賢治にしても稔にしても、いずれか一方が切り捨てられるべきものではなく、彼(ら)の精神の中で両方とも同じ重みをもって存在していた。そして、精神の奇怪さは、「日常」と「脱日常」との落差の激しさによって、際だつ。
例えば「凧」。この作品は1953年に書かれた。弁護士登録をして1年経るか経ないかの頃だ。神武景気(1956~57)はまだ先で、世相はまだ厳しい。世に出たばかりの中村は、その厳しい世相に立ち向かうだけの気負い、または倨傲とともに、幾分の怯えがあったはずだ。しかも、戦さはまだ遠い過去ではない。折ふし戦禍が記憶の底から甦る。
夜明けの空は風がふいて乾いていた
風がふきつけて凧がうごかなかった
うごかないのではなかった 空の高みに
たえず舞い颶(アガ)ろうとしているのだった
じじつたえず舞い颶っているのだった
ほそい紐で地上に繋がれていたから
風をこらえながら風にのって
こまかに平均をたもっているのだった
ああ記憶のそこに沈みゆく沼地があり
滅び去った都市があり 人々がうちひしがれていて
そして その上の空は乾いていた
風がふきつけて凧が動かなかった
うごかないのではなかった 空の高みに
鳴っている唸りは聞きとりにくかったが
言葉は4行あるいは3行で1連となり、4連が全体を構成している。14行詩、いわゆるソネット形式だ。この詩人が偏愛するもので、強烈なストイシズムが要求する形式である。堅固な外形のうちに、溶岩のように沸き立つ情念が閉じこめられている。形式で抑制されるがゆえに、かえって内圧が高まる。この危うい、微妙な均衡を端正な日本語がくるむ。からみつくような粘りがあり、のびやかで、しかも引き締まった言葉。そう、詩は言葉である。言葉の奥行きの深さと簡潔を知るには、詩にまさるものはない。
第1連。起承転結の「起」、導入部。夜明けの空、風、吹きつけられる凧、一見不動に見えながら舞いあがろうとしている。遠方から見た、映像的な、やや軽いスケッチだ。
第2連。「承」で、カメラ・アイが接近する。風に流されるならば何処へか飛び去ってしまうでだろうが、動かない。いや、動かないのではなくてこまかに平均を保っている。それは細い紐で地上につながれていたからだ、と情景の微細な面が明らかになってくる。
第3連。ああ、という絶句で「転」となり、隠され抑制されていたものがいっきょに噴き出す。足もとから沈みゆく沼地がある。滅び去った都市は、戦後まもなく発表された作品であることを念頭におくと、戦中の東京大空襲を踏まえたものかもしれない。あるいは、ローマ帝国に滅ぼされた古代ユダヤ民族の首都であるかもしれない。そのいずれでもあり得る。歴史の至るところにある滅び去った都市が重層的にイメージされる。うちひしがれた人々も空襲下の東京のそれだけではない。記憶のその空は乾いていて、現在の空と重なってくる。
第4連。瞬時、熱く噴き出た記憶は、現在の情景へ立ち戻ることによって、表面的にはぬぐい去られる。最初の二行は、第一連の二行が繰り返される。しかし、読者はひとたび「記憶」にふれたがゆえに、高みへ舞いあがろうとしてあがらず、細い紐でつながれて均衡をたもっていることの、背後に横たわる歴史を知っている。表層では無知なままで入りこんだ第一連と同じ情景だが、その深層がダブって見えてくる。最後の一行は、見事な「結」である。表層と深層を同時に見つめる詩人の、抑制された、乾いた空に応じた乾いた悲しみがかすかなため息のように漏れている。
いうまでもなく、凧は詩人その人だ。凧、すなわち詩人自身を語りながら、個を越えたものへのまなざしを複雑なレトリックで表現している。視点の二重性は、近代詩から脱却するもので、中村稔の詩業は近代詩と現代詩の架け橋となるものと評される所以だ。
□中村稔「凧」(『中村稔著作集 第1巻』、青土社、2004)
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