どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

いつもながらの

2014-11-26 01:36:38 | 日記

 

今日は午後に仕事があるので、お昼に泳ぎに行く。空いてはいるが、お年寄りしかいない。かなり浮きまくる。久しぶりに250メーター6本と100メーター4本、50メーター4本と距離を泳いでみた。結論、運動強度が低い割には、インターバルより時間効率がいい。

そうして午後に仕事をして、明日からの仕事の準備を始めたら、ドタキャンになった。よくある話だ。

明日はどうしようか。雨の予定だし。

 

 

ニュースで長崎県対馬で、仏像盗難の韓国人5人が逮捕されたと言う事件がでていた。以前も同様の事件があったので、長崎県が警察力を強化していたのだろう。また島と言う特殊条件だ。島民の協力もあっただろう。

で、韓国人に同情している点もある。彼らは朝鮮戦争でかなりの骨董品や古美術を無くしている。これは事実だ。同情出来ないのもある。70年代に彼らは残った物も売り払っていたと言う事だ。多分これは韓国人は知らないと思う。そして彼らが更に知らないのは、日本が朝鮮統治下に略奪した物があったとしても、それは日本にあれば東京にあるだろう。なぜあればと言うのかと言えば、これまたどこか別なコレクターに渡っている。多分アメリカだろう。

そして秀吉の略奪の物は、多分対馬には無い。特に最高の物はない。これまた理由は簡単だ対馬は中継地だったからだ。対馬にいっぱい挑戦由来の物があるのは中継地であったからに過ぎない。仏像は9世紀、大般若経は14世紀に招来された物だ。秀吉も統治も関係なく、古くからのものだ。

今回の話で、私がこれはダメだと思ったのは、大般若経300巻です。全600巻なので半分欠損している様です。でも写経すればいいでしょう?その手間を惜しんだ上に、骨董的な価値が欲しいんでしょう?そこが露骨に見える所です。

大般若経は仏典最大の教典です。はっきり言って全部読める物ではありません。ましてや暗記なんてどうすりゃいいのというもので、めくって終わりとか、大きなマニ車のような物に入れて信者がそれを一回転させると全部読んだ事になるとかそういったことになって、大般若経自体が信仰の対象です。

 

 

日本では大般若経の写経は、学識の深い僧侶が行う事になっています。ベルリンにある紺地金泥大般若経のように、コレ本当に坊主が書いたの?と言うくらいに精緻な物もありますが、解らない奴には見せない教典でもあります。この手間を惜しんでいるのが大体許せません。そして実は和訳本(昭和5年から11年の間に翻訳された。当時の仏教に対する世間の危機感を伺わせる。昭和44年に改訂版がでているようだ。ふざけて言うが、一切教印度撰述部だけだったらホンダの経より安い。大般若経だけだったら42120円です。さてここにトラップを仕掛けました。)もあります。日本語に堪能な韓国人僧侶だったら勉強して写本を許されるかもしれません。

この窃盗の疑いのあるグループには僧侶もいるようなのです。だからなおさら許せないのです。

韓国での仏教は、李朝の長い儒教国家間で相当痛めつけられて、更に軍事政権からも睨まれて来た歴史があると思います。そこで乾坤一擲の行為かもしれません。韓国での仏教再興には必要なのかもしれません。

だからこそ、なぜ自分で写経出来るように出来ないのか。写経したと言う事実を持って、なぜ自分を高めようと思わないのか。このダメさ加減がどうしようもありません。

日本の僧侶もかなりいい加減だし、それでいてどうしようかと迷走しているフシはある。不動産業か!という坊主もいる。でも彼らだって教典そのものには真面目だ。

彼らは、略奪した物を取り返した。これで古くからの信仰が回復される。そう考えているのでしょうか。それは仏教とは全く違うものでしょう。それは儒教の世界です。いにしえを尊ぶからです。いやそれは儒教に悪い。ここでは理が無いからです。

なんだろ。

私は無神論者だし、それでいて日本の神がなぜかいる事を信じている人間です。そういった曖昧な感覚的な信仰と言うのは誰からも理解されないと思うのですが、一神教のユダヤ・キリスト・イスラムにしても多神教のヒンデューにしても、真に信じている人には疎かにしたくないと思っています。そしてそれらは長い年月をかけて積み上げられた物であって、その中に様々な軋轢があったらりしながら成長し続けた物なのです。

だから略奪品をとりかえしたゼ!みたいな信仰回復は、全く嫌なのですよ。そして百年後には廃れるよ、そんな信仰。テーマパークじゃあるまいし。

 

とはいえ対馬は今、韓国からの観光客で賑わっているようだ。だからあまりこんな事件は起きて欲しくないと思っている、そう思う。でも発覚してしまった。ここは大きいと思う。

対馬の安寧を祈る。それしか出来ない。