どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

ニューズウイークが重い

2017-09-11 22:59:47 | 日記

 

まだ咲き続ける我が家のミニヒマワリです。長続きするものだと感心していますが、最近水着が寿命を迎えているのに、さてどうしようという。

水着の寿命と言われてもなんのことかわからないと思うのですが、使っていると生地が伸びる。そして撥水性とかの機能を持っている表面処理がはがれ始める。その表面処理が部分的にボロボロと剥がれるのが見えてきたわけですね。まあその前に薄くなってきたようです。

対策としてローテーションで水着を変えていたのですが、一気にダメになった感じがします。2つね。予定していたのは別にあって、それはそれ。予想外が2つ一気にダメになったのは

なんでだろうという前に、実は水着としてはこれ以上使っても差し支えない。競技としても多分大丈夫だろう。だがな、男のあそこがな、クッキリするのはどうなのかと思う。寿命を超えた水着は情けないくらいに情けないのだ。

泳ぎに行って発見してしまったのだが、さてどうしようか。

 

 

これはショートボックスの何かを探さなければいけない。対塩素素材で今は適合できる。大通りの藤沢体育堂が閉店セールをしていたのでのぞいたが、程よいサイズでがなかった。残念だ。盛岡の大通りのスポーツ店の最後なので記念にと思ったのだが。

ただおかしなくらいに古いスポーツ店ほど生き残っている。藤沢体育堂も青山の県営陸上競技場近くに移転する。モリサワもその近くだし、量販店ができないことを彼らはやっていると思う。

で、スポーツって量販店でイントロ、通販でマニア、結局地元という流れになればいいなと思っている。実際そうなっているようだ

 

 

 

腕がグダグタなのだが、ニューズウイークにいい記事があった。腹がたつほどのいい記事だ。

まずは毛沢東の孫が失脚した。とは行っても殺されないだろう。ただ独裁者の子孫というのはどう行った生き方をしなければいけないかという見本かもしれない。でもいいやつすぎてどうしようもない。

実は母は私にアメリカ留学を進めていた。なぜならアメリカには非常に多くの毛沢東思想を研究する人がいて、アメリカで毛沢東はジョージ・ワシントンよりも地位が上だって聞いたんだけど、それって、ほんと?」

3500字の博士論文で博士号を取ったというのは、ほんと。

 

 

なんでこの時期にニューズウイークは素晴らしい記事を連発するのか。この記事は咀嚼しきれていない。

「憤るアメリカ白人と孫政治化」ここまで普遍的と言えるのはないだろう。

そして「なぜ祖国パキスタンがマララを憎むのか」を読めば普遍的という意味がわかってもらえるだろう。

 

 

明日は雨だろう


なにごともなく

2017-09-11 00:57:28 | 日記

 

もう終わりだと思っているのだが、ミニヒマワリがなかなか萎れない。超多施肥が効いたのだろうか。

 

 

今日の高松の池は人でいっぱいだった。どうも天気が良いだけではなさそう。来週は三連休なので、手近なところで遊んでお金は来週に回そうという感じだ。再来週も連休なので、特にそうだ。釣り堀が大賑わいだった。

 

 

不安というのはどこから来るのだろうか。日本史で見るならば日本は明らかに進歩し続けた。江戸時代位以降は平和ということもあって目立つ。そして明治維新以降は物質的には恵まれてきた。とは言え戦後のムチャクチャから立ち直って以降の日本は進歩以外はなかったのではないのだろうか。

それが失われた20年、正確に言えば1993年以降なので24年だと思うのだが、実はITが発達して実は進歩している。

デフレは結果的に収入が増えてゆく喜びを失い、荷重サービスへの方向に進んだため労働環境は悪化した。将来が見通せないから不安なのだろうか。

ものすごく進歩した結果不安が増えたということなのが、多分正しい。そこで昔に戻れるかと言えば、その近所付き合いやなんやら、貧しかった時代の互助精神は、実は脆いものだったということに気がつく。今や大昔の農民の互助生活は江戸時代の侍の互助精神に近いくらいめんどくさい。そのような状況では、仲間とか絆とかそういった言葉で叫ばなければ維持できない。いやもっとひどい。盧溝橋事件以降の日本人が正しいという人たちは、その後風紀が乱れていったのを軽く考えている。

本当の情報がないから、迷って不安になるというのはある。迷いというのは大きい。それは情報過多の時代だからこその現象だと言われているが、実際のところは違う。間違いなく個人の価値観を絶対視しなければいけない時代なのだ。社会は変わらないのに、個人を抑圧する制度の問題は大きすぎる。逆に抑圧と感じている人たちは攻撃的になりがちだ。ただそれが全く別な欲求から出ている場合もあるので、注意が必要だ。

不安を蔓延化させる制度としては、不安で商売している人がいるというのもある。健康食品とか保険とかだ。だがそれ以上に報道は、稀にしかない事象を拡大して取り上げることで、人を不安に落とす。

不安を作り上げることで国家統制を行おうとしている可能性すらある。北朝鮮問題では、間違いなく恐ろしい話なのだが、誰もが日本を信じていない。Jアラートを受けて数分後に完璧な逃げ場はない。家から出るな。それでしかない。マシと言えばマシなのだが、結果としてそれも天命だねと受け止めているのが大多数だろう。

そう諦めから不安がきているのだ。

そもそももう日本も成熟して50年だぜ。青年期は終わったと思うんだがね。

 

 

坂口安吾の「家康」を読んでいるのだが、あまりもくどい。その文体にしばらく付き合おうと思っているのだが、「狂人遺書」は諦めた。

絶望的なくどさというのはどこからきているのだろうか。安吾は戦後の社会に全く期待していなかったということなのだろうか。価値が転換した社会で、全てを失った状況での新たな表現なのだろうか。くどい。本当にくどい。延々と平易な言葉で語られる怨念のような言葉は、晦渋すぎて何いっているのかよくわからない蓮実氏の言葉のようだ。

ただ、あの時代の言葉は多分若い人たちにも何かリアリティを持てるかもしれない。

かなり前から社会制度は破綻していたのだよ。それを繕うしかない制度を、延々と批判していたということなのだろう。

今でもそれは通用する。だが民主主義が実現したと思われる時代では、このくどさはなんとも言えない。

本当に深くて暗い川があるのだよ。