今日も天気がいい。障子の張り替えをやろう。障子に霧を吹き、湿らせてからゆっくりと剥がしてゆく。そして桟を拭き、残ったノリや紙を剥がしてゆく。できるだけ綺麗に剥がした方が次の張り替えが楽になる。
障子を乾かしている間に買い物にゆく。
ロヒンギャ問題が拡大して、40万人の難民がバングラディッシュに押し寄せている。そもそもの始まりは、弾圧に対して武装勢力が現れ、1年間でネットワークを作り上げたこと。これによりさらに反乱の規模が拡大、多数の集落にまたがるようになった。ただそれでも村によっては穏健派だったり、長老や村長などの指導者は穏健派だったりする。そう言った人々は密告や通報したりしてきたのだが、武装勢力によって殺されているとミャンマー政府は考えている。まあ武装勢力はミャンマー政府がそう言った穏健な村を焼き払ったり一般人の殺害やレイプを行なっているという。どちらが正しいのかは、今のところわからない。
ただロヒンギャ問題が出たのは最初人身売買の問題だった。近隣の国に人身売買され、殺されていたのだ。性的奴隷だけではなく強制労働もあったようだが、誰が売ったのかもよくわからない。ミャンマー政府ではない感じもするが、買った国もイスラムだったりする。そしてミャンマー政府はロヒンギャを国民として認めていない。バングラディッシュも認めていない。ペルシャ系とも言われているがどこか遠くから流れ着いた人としか誰もが認識していない、不思議な民族なのだ。
以前からロヒンギャに関する情報で困惑するのはこの点なのだ。バングラディッシュもこのロヒンギャ問題に関しては当初とても冷たかった。そして今でも暖かいとは思えない。
ロヒンギャのバングラへの移動が始まってから、国境を地雷で封鎖しているという。ミャンマー政府はそれは以前から設置していたものだというが、明らかに新しいものもあるようで、これがまたミャンマーとバングラディッシュとの間に紛争があったかどうかわからないので、なんでこんなのがあるのかがわからない。
さすがに国連がミャンマーにイスラム系少数民族のロヒンギャ族に対する暴力を停止するよう求めた。だが今現在焼け石に水の状況だ。スーチー女児も国連会議から逃げたと言われているが、この問題は、真に根が深そうだ。
そこにアルカイダがミャンマーに聖戦を布告した。で、これはとても遅い。なんで彼らがここまで遅かったのかといえば、国際的に問題になるまで考えていなかったからではないのか。本来ならばバングラディッシュやインドネシアがもっと早くに避難するべきものだった。アルカイダは次のシンボルにウサマの息子ハムザ・ビン・ラディンを据えようとしているという噂がある。父に一番近くいたというのが理由のようだが、それ以上にアルカイダのビデオに一番多く出ているというのが大きいようだ。この後継者が前面に出る前に、国際的な事件に関与すべきという考えがあるのだろう。そしてISISの力が衰えている今だからこそ、新しい戦線と戦士を手に入れられる機会として、ロヒンギャに戦線するのだろう。
だが、仏教徒から嫌われ近隣のイスラムに嫌われ、人身売買の対象になるとすれば、それはシーアでありしかも極端な異端と考えられる。ニザリだとすればその輪廻転成説が結構仏教からすれば嫌なものになる。チベット仏教だって同じ家系から宗教指導者が出るとはしていない。もしもスンニの過激派のアルカイダがロヒンギャと出会ったら、逆に彼らを虐殺する可能性がある。
調査したのかなぁ。でもアルカイダがロヒンギャを助けられたとしたら、イスラムにとっては教義上の大革命になるだろう。実は期待したい。
ということで、ウサマ・ビン・ラディンのパキスタンの家を襲撃して殺害したアメリカ軍が、あの別荘から押収した物品の公開を近くに行うようだ。ただしポルノビデオは除いて。
「ビンラディンの隠れ家からポルノが見つかった、という話は、何も新しいニュースではない。第一報が出たのは、2011年5月2日にビンラディンが殺害された直後の5月13日。ロイター通信が匿名の米政府高官の話を元に、パキスタン北部アボタバードの隠れ家からポルノが発見され、これらは「現代的で電子的に録画されたビデオであり、かなり広範囲に及ぶ」とスクープした。」
それを今でも公開しないという。理由はそもそも公開されるものではないし、ウサマのものであるかどうかわからない。そう言った理由だ。どちらにしてもアルカイダはビデオを公開しても、これはフェイクだというだろう。ただ永遠の疑惑として残るだけで十分だろう。
54歳でヒゲから髪まで白いウサマの姿は、自暴自棄になった人の後ろ姿にも見える。
北朝鮮問題では、ニューズウイークに「強気の北朝鮮 メディアが報じなかった金正恩の秘密演説」というのがある。16年の3月6日に演説したものとされているが、17年の4月10日に北朝鮮で公開されたものだ。
詳しくは記事で、なのだが骨子としては北朝鮮の彼らの歴史観が出ているもので、初代の建国と発展、2代目の工業国としての発展と苦難の日々、そして3代目の水爆とICBMをもつ軍事大国として世界に冠たる国家になったということでいいだろう。つまり正統な系譜にあるのだというものだ。
<首領さまが工場でできた初の機関銃で響かせた銃声は、今日の国と民族の自主権と尊厳を固く守る核爆弾、水素爆弾の巨大な爆音となってこだましています>
この引用は、あるあるだねということ。水爆の方がすごいよ。
「ある家を訪ねた将軍さまが釜のふたを開けようとすると、小さな手で釜の中の雑草がゆを覆い隠そうとした幼い子が居ました。たとえ凍え死ぬようなことがあったとしても、将軍さまの懐を離れて他人の家の軒下へは絶対に入るまい(中国などへ脱北しないとの意味)と固く誓い、将軍さまの懐にさらに深く抱かれた人々が居ました。そのような人たちがまさにわが人民でした」
北朝鮮ウオッチャーではない私にとっては、政府が直接こう言った発言をしているというのに驚いた。金正日時代の大飢饉の話だろう。だがあの時には対外的に強気だったという記憶しかない。この後は、そんな艱難辛苦を超えて私らは強くなったという。
さてその文脈で14日の朝鮮アジア太平洋平和委員会の北朝鮮の発言は、なかなかだ。
「日本列島を核兵器で「沈める」と警告するとともに、最近の核実験に対する追加制裁決議を行った国連を破壊して「廃墟と暗黒」にすると威嚇した。国営の朝鮮中央通信(KCNA)が報じた。」
国連から離脱してから言えよ。とは言っても国連から離脱したら交渉の手段がほとんどなくなる状況では、かなり難しい。
ただこう言った時に「4つの列島でできた国は、主体(チュチェ)思想の核爆弾で海に沈めるべきだ。日本はもはや、わが国の近くに存在する必要がない」とはいうが、チュチュ思想の核爆弾という言い方が、たぶん本当の意味なんだろうな。我々は強いから屈服せよと。現実の核ではなく思想が強いのだというのだろう。
強気すぎる北朝鮮がなぜここまでエスカレーションするのかといえば、ビック・ピクチャーの完成のためなのだろう。金正恩が生き残ればこの絵は完成するからだ。
その意味では主体思想の破壊こそが、最も重要なのだろう。だが今の所、韓国ドラマのUSBをばらまこうが何しようが成功していない。
障子は100均のもので揃えた。5%レーヨンを含んだ紙だ。それでも紙はいい。
だが問題は去年買った紙が結構折れていてどう皺を伸ばすのかということだ。パリッと張れないわけで。最近ではやってはいけないと言われている「貼ってから霧をふく」というのをやりましたが、夜になると湿度が上がったのか少し伸びてきました。
ガリっと乾かさないといけませんね。
障子を張り替えるたびに、徒然草の184段の話を思い出す。
「義景、「皆を張りかへ候はんは、はるかにたやすく候ふべし、まだらに候ふも見苦しくや」とかさねて申されければ、「尼も、後はさはさはと張りかへんと思へども、今日ばかりは、わざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理(して用ゐる事ぞと、若き人に見ならはせて、心づけんためなり」と申されける、いとありがたかりけり。」
武士としての倹約の心を伝える話でもある。障子は破れるたびに少しづつ貼って直したりするものでもあった。それは紙が高いものだったからだ。だが今や100均でさわさわと張り替えることができる。そこに驚きがあるのだがそれ以上に、尼になった身分で差配もできない。だが今あるのはところどころ破れた障子、人が来るのになんでこんなことまで気がつかないのかと、憤りがあった上でのこの発言だとすれば、もっと面白くなる。
破れた障子はダメだが、繕った障子は大丈夫なのだ。身内には倹約をいい、客には別なメッセージがある。ウチはきついからね。
ただね、障子を張り替えるたびに思うのだが、これは世間に対する意思表示なのだなと。オレは頑張っています。そう言った感じもある。
だから障子のある家が減るのだろう。