どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

結構な雨でした

2017-09-13 01:01:42 | 日記

 

ついにミニヒマワリも終わりの時が来たようだ。昨日からの雨は14時まで続き、79.5ミリになった。おかげで今日は引きこもる口実ができた。

そう昨日のニューズウイークの記事、「憤るアメリカ白人とその政治化」はとてもおもしろい記事なのだが、さらに面白く書き換えてみよう。クレイマー氏の著作からの孫引きを少し日本向けに直した。

「大都市に所在する行政部門は肥大化し、公務員らは甘い汁を吸っていると信じている。しかも「大都市」の人たちが自分たちを「田舎者」であると見下している、政治家も結果的に大都市ばかりに目を向けて、自分らのことには見向きもしない、と憤る。彼らにとって、「大都市」とは、大学や地元メディアにより構成されるエリートとホワイトカラーの公務員を意味する。怒りの裏には、行政サービスの財源の分権化が国内の再配分機能を減少させ、世帯数の少ない農村地域では行政サービスの量と質の維持が難しくなっている中で、「大都市部」は良い思いをしている、という認識がある。」

日本は地方交付税があり、このような状況にはないはずなのだが、漠然とそう行った思いをする人は多いのではないのだろうか。東京はなんであんなに威張ってんだ、とか。教育とか細かく見れば東京は財源の大きさが実感できるはずだ。

ホックシールド氏の著作をまとめたところを、またちょっとだけ直してみよう。

「私らは、自分たちを大企業とそれに買収された政治家の犠牲者とは認識せず、自分たちは、真面目に「きちんと列に並んで自分の本分をわきまえ努力して来ているのに」のに、朝鮮人や中国人、そして不真面目な生活保護者が、不当に「列に割り込んでいる」と憤慨している。しかも、意識高い人たちによって、「列に割り込む」マイノリティーに同情するだけでなく、政府の規制を使って、特定のライフスタイルを押し付けてくる鼻持ちならない輩だと怒っている。健康的なものを食べよ、タバコを吸うな、電球はエコなLEDを使え、など全て大きなお世話だ、という怒りである。」

つまり、反政府というより、「自分のようではない人たち」への再配分が嫌なのである。怒りの対象になるのは「怠け者」の日本人の基準から外れた人や「ずる賢い」朝鮮人だ。」

まあこれ以上の書き換えはやめよう。

結論としては、クレイマーとホックシールドの著作を読むと、二〇一六年の大統領選挙は「脱産業化で行き場を失った可哀想な白人労働者らを見捨てた」民主党が負け、雇用を増やすと約束したトランプの経済的ポピュリズムが勝ったという理解ではあまりにも一面的すぎることがわかる。彼女らの描写する「憤怒」「深層の物語」を動員したティーパーティー運動が、従来の共和党を「ぶっ壊し」、その結果、トランプのような人物が共和党の大統領候補になり得る素地を作ったといえるのではないか。」

日本はまだ穏やかな社会でもある。だから顕在化していてもひどい問題にはなっていない。だがこの引用を読むと、小泉内閣のことがうっすらとでてくるのではないか。実は細川内閣の頃からこの忿怒が吹き荒れているのが、日本の状況なのではないのだろうか。

 

 

「なぜ祖国パキスタンがマララを憎むか」という記事もその文脈で見るとおもしろい。

「祖国パキスタンには彼女に批判的な声が少なからずある。ツイッターで彼女を「恥知らず」な「裏切り者」と非難する人もたくさんいた。

 なぜだろう? 彼らの主張を要約すればこうなる。マララは偉くない、パキスタンには彼女より苛酷な運命に耐えている子がたくさんいる、そもそもマララがパキスタンのために何をしてくれた? なぜあんなに外国人に愛される? 本当に祖国のことを憂えるなら、なぜさっさと帰国しないんだ!」
 
最貧層の子の60%弱は学校にいけない、農村部の貧困層の約70%は土地を持っていない、その最下層の40%は生涯その階級から抜け出せない、貧国パキスタンの現状がある。しかしマララは教師の娘から、苦痛は受けたがそれでもノーベル平和賞の栄誉を受け、オックスフォード大学に進学する。その流れを彼女が優秀だからと認めず、CIAやキリスト教との陰謀だと考えてしまう。新しい生き方も考え方も彼らに取っては、無意味なものになる。

しかし苦労して貧困からはい上がり、ようやく中産階級にたどり着いた人たちはどうか。彼らがさらに飛躍して裕福になり、あるいは有名になるチャンスはほとんどない。だからマララが名声を得るようになったことを腹立たしく思う感情が、より強く芽生えるのだろう。」

こう行った感情は、世界共通なものなのかもしれない。日本でもリクルートの江副氏やライブドアの堀江氏が法で裁かれたのは、事後法的な処置で、法の精神から逸脱していると言われているが、報道ですら法なんて知っちゃいないので、未だ嘗て彼らは悪人になっている。
 
 
ああ、昨日書き損ねたが「コンゴ・カビラ大統領とルワンダの利権ーコンゴ中央部、国連とムクウェゲ医師の「忘れられた危機」は読み応えがあるよ。アフリカは遅れた社会だからそう行ったことが起きるんだよという人もいるだろうが、この構造を使って安く資源を購入して来た先進国の罪も大きい。日本も免れない。
 
 
 
 
 
こうしたドゥテルテファミリーが完全に市政を掌握しているダバオでは、麻薬関連犯罪そのものは封じ込められている一方で、有力者が完全にコントロールして「安定供給が確保されている」との情報も根強く、今回のパオロ、カルピオ両氏に対する疑惑もこうした情報を裏付ける形となっている。」

さてこんなことを色々書いて来たら、いいニュースが出た。BBCだ。「サルの自撮り写真の著作権を巡る訴訟、写真家が勝訴」
 
この訴訟はPETAが起こしたというのが特徴だ。環境過激派であった過去があり、未だ嘗てテロリストの印象は拭えない。その前に野生動物に人と同等な著作能力があるのかという問題があって、正確に言えばそう行った認識があるのかという大問題がある。だが法は人にしか適用しないという当たり前の結果になった。撮影を企画したスレーター氏は、動物写真家で動物保護も理解していたから、PETAと共同で記者会見をしている。
 
PETAとスレーター氏は共同発表文で、訴訟が「法的権利を人間以外の動物へ拡大することについて、重要かつ先進的な議論を巻き起こした」と述べた。」

少し馴れ合い感があるが、マカクザルの状況について改善があったといういのが和解の理由だろう。彼らは食用で捕獲されて来たからだ。結果オーライの訴訟だったが、法を拡大解釈しようとした問題は、後々の頃だろう。
 
世界はそこまで制度が動いていないからだ。
 
少なくとも、野生動物の生存圏を巡って生息域の保護は可能だが、人ができるのはそこまでだ。当たり前の結論だが、彼らが野生動物の代理者として訴訟を起こして来た歴史を考えると、話題つくりであった可能性は拭えない。つまり本気じゃなかったのだ。
 
 
 
 
秋ということで栗と枝豆のご飯にした。栗というのはめんどくさい。うまいのは渋皮に近い実だ。だがそれを一個一個剥いたら、つまり爪楊枝で渋皮をほじったりすればいいのだが、その忍耐力はない。とは言え栗むきのハサミで大雑把に向いてしまうとなんか勿体無い。なので鬼皮をむいて渋皮を包丁で始末するのだが、気がつくと夢中になっているのがおかしい。
そうそう北朝鮮が核爆発を使った電磁パルス攻撃を示唆している。水爆なら可能だろう。だが本当にできるかどうかを現代ビジネスで記事にしている。
 
かつての実験と違って、今では微細加工されたCPUなりのコンピューターのシステムで出来上がっている。そこでその微細加工された配線が焼き切れて機能を果たさなくなるというのが今の議論だ。
だがほとんどのコンピューターが電磁波を出さないようにシールドされている。で、ネットワークシステムも配慮されている。そして身近な雷に対する防御もある。日本のデーターセンターはその点恐ろしいほどの鉄壁の防御をしている。特に銀行システムを扱っているところはそうだ。
 
単純な話なのだが、J-アラートが出たら、その微細加工された端末の電源を切ることをオススメする。
 
電気の入っていないCPUを壊すほどの電磁波は、結構きついのだ。
 
ということで、シールドの甘いところで不具合は起きると思うが、実はスマホの不具合がえらいことになると予想している。そちらの社会混乱が大きいのではないのか。もしも北朝鮮がやってくださったなら、アップルやソニーのスマホはいい、となってくるんじゃないんですかね。