どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

震災で頭が・私の場合

2011-10-25 02:22:27 | インポート
最近気がついた事なのだが、非常に疲れやすい。骨折で体力が弱っているからだとずっと思っていた。そして朝起きるのがしんどい。酒の呑み過ぎじゃないのかとも言われる。まあ震災から5月くらいまでは、余震で寝れなかったのは確かで、大きな余震のときには揺れる前に目が覚めていたものだ。そのうち福島県沖と宮城県沖と岩手県沖と青森県沖の震源まで解るようになってしまったほどだ。ただあの頃は起きるのがしんどいとは思わなかった。
それと記憶力が急に悪くなっている。もちろんこれは年齢もあるしもともと興味の無いものは覚えられないという所があった。これもまたアル中なんじゃないのと言われる。
それ以外では、年か鬱病なんじゃないのかと思われるだろうが、どうも違う。朝は寝ていたいのに起きなきゃ行けないからしんどいのであって、起きてしまえばしんどくない。外に出たりするのは苦ではない。食欲はある。とてもある。どうも太ったみたいだ。
先日仙台のカメラマンと話しをしていて、気がついた。彼も同じ症状で大変なようだが、彼曰く「集中出来ない」のだ。確かに言われてみると思い当たるフシがある。仕事をしなければ喰って行けないからがんばるが、集中出来ないので気が抜けなくなっているのだ。約束や段取りやなども瞬間に集中しているから覚えるのであって、集中出来ないとボサーと聞き流してしまう。だからがんばって集中するのだが、どうもその辺りに体力を大幅に使っているようだ。
しかも瞬間的に集中力を使う場合なら良い。なんとかなる。それを持続させるとなるとかなりしんどい。そのためテンションを無理矢理上げたりもするのだが、切れたときにギャップがひどい。瞬間的にボーッとしてミスを起こしてしまう怖れがある。なので冷静な状態で持続して、それなりの高い集中が必要になるのだが、やはりプチプチと途切れがちになる。なのであらゆる作業を作法に置き換えて粛々と仕事を進めるしか無い。判断を最小限にとどめなくてはならない。
今一番気をつけているのは、会話だ。もともと敬語は難しいものなのだが、ややもすれば使うべき場で、使わないで会話をしている時がある。また仕事ではこんな状態だから、危険を回避しようとして前提条件から話しをしてしまう。私にとっての確認作業が、必要になってしまう場合が多い。要はくどくなっているのだ。それとまったく逆に直接的な会話をしてしまいがちだ。直感で口走ってしまう。これは相当気をつけているのだが、どうもしてしまっているような気がする。多分している。
最近ディスコミュニケーションが増えているように思う。仕事の段取りでもなんでも、互いに省略しすぎた会話だったり、やたらくどく確認し合ったりとなったりしている。それでいながらまったく意思疎通がうまくいっていないのだ。最悪な場合相手が単純化したがっているのに、こちらがくどい場合だ。完璧に意思疎通が出来ない。
大体私は元々くどいのに、輪をかけてくどくなっている。
震災の影響はなにかを考えてきたつもりだ。予想していたのはポストモダン状況の、大きな物語が完全に喪失して個人がむき出しになることで、その現象はいろいろ見受けられるものだった。
だが今現在の自分は、確かに頭がおかしくなっている。むき出しにならないと自分が維持出来ないギリギリの所で動いている。とにかくすべてをシンプルに単純にしてゆかないと、集中出来ないのだ。そのため生活からすべてをシステマティックに捉え直して、シンプルにし直している。
震災もそうだが、骨折の影響は私にとっては大きい。一人暮らしの骨折生活は、システマティックでないと全然機能しないからだ。段取りすべてが生活でないと、ご飯も食べられなくなる。
しかし落ち着いてからそこまではしなくても良いのに、段取りを組み立てないと生活ができなくなっている。
くどいのですが、以前から段取りを組んで生活していたのには変わりがない。しかし今は意図的に段取りを組んで生活しないと、なにかが壊れてしまう。
とりあえず、とても疲れるのは確かだ。


朝霞宿舎問題

2011-10-21 22:48:08 | インポート
実はこれは厄介な問題だ。
何かがあったときに中央に駆けつけれる公務員は多い方がいい。特に判断を求められる上級者ほど近い方がいい。出来れば部下も収納出来る宿舎があればいい。
実は危機管理上わりといい考えだ。それにそって、いまの国家公務員宿舎があるのだと思う。港区とか千代田区の宿舎は間違いない。これを限定的に残して朝霞に移す計画が、ゴージャスと批判されている。
ただこれは国防視点ではいい考えではない。緊急時に1時間電車で中央までかかることはとてもいい事ではない。電車さえ破壊出来れば、国家機能の低下は確実にある。
こういった視点もある。
確かにいい場所過ぎる所に宿舎がある。これは多分国防上の問題があって、そう設計されているのだろう。ただそれは過去の話しであって、今ではそこにある理由が無い。国家の財政を考えれば移転して差額を国庫に移すべきだ。
それもそうだ。
国家公務員は優先的に東京中央部を考えられないほど廉価で、借りている。これは異常だ。
これも正しい。とはえい古いのは間違いの無い物件だ。その意味でも安い。
ただなぜ朝霞に引っ越しするのかがよくわからない。
ます国防上良い事が無い。もちろん分散化もあるのだろうが、現在の霞ヶ関の働き方からすれば良い事ではない。
正直な所、国家公務員のこの上級者には同情する。
国会がある時は確実に24時間拘束。期間は国会が終わるまで。その際も通常業務が加わっている。緊急時のために国会に近い所に住んでいるが、実際は家に帰れない。
もちろんこれと同じ状況が民業にもあるのだが、ここで一つだけ違う点がある。
公務員には被害者意識がある。
友人は銀行員で1200万の年収で、公務員の自分は700万みたいな、民間羨望意識は無い訳ではない。その上10年前まで、役所での窓口業務は危険だという事で割り増し給付があった事もあった。
官僚は安い給料でコキ使われているのは、割と間違っていない。ただ同級生の成功者と比べれば、自分の人生に疑問も持つだろう。
おまけに今では官僚の風当たりは強い。これはどこが責任を本当に取るのかよくわからなくなった3権分立がありそうだが、この風当たりをかなり前から感じている彼らは、答えを出した。
自分たちの島を作るべきで、テロすらもおきかねない状況では朝霞に移転して、公務員だけの完璧なセキュリティーを建設するべきだ。
しかも東京電力寮へのデモなどの事件もあった。戦慄するべき事件だったのだろう。
台東区などの民間マンションで十分ではないのかという、マトモな意見もあるがそれらは彼らも検討下であろう。それを止めたのは、多分彼らの安全保障の問題だ。
民間マンションで分散した官僚は、テロにあいやすい。官僚であるからこそ、上下にもかかわらずありうる。これだろう。だから国防なりなんなりを無視しての朝霞移転計画で、安全を確保したいのだろう。
ここが怒りのポイントだったら報道もよくわかるのだが、豪華な宿舎というのをどうというのは何かがおかしい。
私の意見は、そもそも官僚がその土地に宿舎がある理由を見いだせなかった事だと思う。逆に傲慢だと言われている官僚が、世論にかなり妥協している姿がある。
この問題をいじめるのは簡単だ。本質はこの優遇を受ける公務員が、どんな仕事をしているのかだ。その上でいじめるべきであって、そのための情報公開が必要だ。
こんなにがんばっているのに、どうして理解してもらえないのか。朝霞問題はなにかそういった問題を感じている。
同時に



PS
官僚が市民になれないのは古今東西、原則のようです。逆に市民的であろうとすると分け解らない事になります。公務員の積極的なボランティア活動も期待出来ますが、自発的でなければうまく行かないようです。
官僚批判は確かに正しいのですが、法批判もあるべきだと思います。


九州電力での日経BP記事

2011-10-21 20:44:59 | インポート
逆ギレして居座る“オレ様”トップの罪と醜態~調査で判明した九州電力の“意外”な事実、という記事が出ていた。


http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111018/223300/?P=1


この記事も面白い。九州電力のやらせメール事件を受けて社内調査の結果を解説している。この調査結果だけでも面白いのだが、誰もが感じている経営と実業の分離を感じさせてくれる。
なお日経BPをクリックすると読みたければ契約しろと言われるのだが、いいサイトだと思うのでリンクしています。
問題はここ。コメント欄


http://business.nikkeibp.co.jp/fb/putfeedback.jsp?_PARTS_ID=FB01&VIEW=Y&REF=/article/manage/20111018/223300/



ここがとてもいい具合に大人の事情を書いています。これはいい感じです。さすが日経BPです。
いちいち引用する必要を感じないほど、いい具合です。
オススメ記事です。


オリンパスは!

2011-10-21 03:12:01 | インポート
実は長い事オリンパスのカメラを愛用していた。特に一眼レフは使い倒してきたが、使いやすいカメラであった。
これに関しては異論がいっぱいあると思うが、新品から中古市場まで使い倒すと相当安くていい仕事ができるカメラだった。
そしてこれこそ異論があるだろうがレンズに関して、解像度では間違いが無かった。繊細な描写が得意だった。ただ正直な所それを使いこなせれる人がいなかったように思う。またその小型にものを作る路線が旧来のカメラファンからイマイチに思われていた。極端な例だが、倒産前の北海道新聞のカメラマンがキャノンやニコンのレンズはいいが、他社のレンズはプラスチックだ、といわれた事がある。それはあり得ませんというと、手で割れるのがおかしいという。この人は自分で確認したんでしょうか、新聞カメラマンとしてもどうかと思うのですが。
まあ最低の事例ですね。でもそれに近い発言はいくらでも聞いてきた。有名なカメラマンが使っているといえば、ああ年取ったんだね軽い方がいいからね、なんて言われたものだ。
マックユーザーでオリンパスユーザーだった私が、いかにマイナーか解ると思います。ひどい過去です。
今回の事件は、その意味でも腹が立つ。というのはオリンパスの技術は相当なレベルのものだった。ただなぜかそれがコンシューマーレベルになかなか落ちてこない不思議な会社だった。
平面非球面レンズという、バケモノ特許もある。ただ実用化がやたら遅いのだ。他社がはじめて慌てて使い始めるニュアンズが多かった。オートフォーカスにまつわるハネウエル特許事件も、技術者たちの意地に対してあっさり和解して、一番最初に莫大な特許料を払った。なんかフニャフニャしていた。
さて事件は大体次の記事。これは間違いなく不正経理だと思う。その上ブラックである。


http://news.goo.ne.jp/article/ft/business/ft-20111020-01.html



トップが腐っていたんですね。カメラでは米谷さん、レンズでは中川さんのような天才を抱えておきながら、米谷さんは取締役で止まり、中川さんは1974年に40台半ばで退社。もうこのころから腐っていたのかもしれない。
それでも一つだけ言っておきたい。トップは腐っていてもいい製品は作っていた。そして誰もが信じていないと思うが、製造・検査レベルが凄まじく厳しい製品ばかりだった。疑問があるなら、オリンパスのカメラレンズのMTFデータの検査線数を見てもらいたい。ニコンが10本/㎜のところ、オリンパスは20本/㎜を出していた。
オリンパスの今回の事件はなんなのか。一つだけはっきりしている事がある。
創業者が弁護士だという事だ。
そこから歴代の社長がどこかでこの会社を狂わせてきたのだろう。だがはじまりを考えると、あまりもの事件だ。


復興大臣・発言

2011-10-19 03:17:57 | インポート
なにか怨霊でもついているのだろうか。平野復興大臣の発言が、時事に出ていた。


http://www.jiji.co.jp/jc/eqa?g=eqa&k=2011101800749


東日本大震災で多くの犠牲者を出した津波被害に関し、「私の高校の同級生みたいに、逃げなかったばかなやつがいる」と述べた。津波の犠牲になった近しい人物を念頭に置いた発言とみられるが、犠牲者やその遺族への配慮を欠いた表現として批判を受ける可能性もある。



この時点で批判しているのだが、今後どうマスコミは盛り上がるのだろうか。
ただね。悲しみの表現っていろいろある。この文脈では「同級生で逃げなかった」という所に大きな意味があると思う。悲しくてしょうがないのだ。それがこの表現になっていると思う。
早速民主党本部から叱られているようだが、それはそれでもっともだ。個人の哀悼の念と大臣の立場は違うからだ。でも話しているうちに、ポロっと出てしまったのだろう。その悲しみが。
これが許されないようだったら、政治家は何を話せばいいのだろうか。フツーの人が、民主党の枝野さんもそうだが、自民党の石破さんのような人たちを好きになれるだろうか。(私は好きだ。)
この件で資質が問題として取り上げられる事を怖れている。この結果復興大臣がまた変わるのはもう嫌だからだ。病気になったから松本さんは問題が大きかったが、それはそれで本人の実績はマトモだった。鉢路元経済産業大臣も復興に関しては真摯な人だった。
そして平野復興大臣は岩手県だ。正直な所「ばかなやつ」は実感として解る。どうにかして生きていて欲しかった、これは当たり前の事ではないのか。やりきれなくてやりきれなくて、思い出したときに出てしまったのではないのか。
こんな言葉ばかりの揚げ足取りで、何かが変わっても現場は何も変わらない。
鉢路さんの件に関しても、マスコミが「死の街」と同じニュアンスの言葉を使っていなかったかどうか。かなり使っているんじゃないんですか。
正直な所、正しいというのがよくわからなくなっている。その中で正しいというのはどうゆうことなのか、どう客観視出来るのか、どう歴史的に位置づけられるのか、そして今正しいこととはなにか、それすらもよくわからなくなっている。
こういった状況のときに意見を集約して判断するために政治家がいる訳だが、ここしばらく機能不全になっている。
ほとんどが、言葉が原因だ。そしてその政治家の資質の問題も大きかった。だが今回に関して言えば、それでいいのかと思う。政策関与や実行進捗状況への批判であるべきだ。
この後に起きる事が予想出来る事が更に嫌だ。こうなると個人の資質の問題ではない。
私は震災以降頭がおかしくなっているので、横河選手の言葉が身にしみている。正しい言葉すら攻撃されているのだ。
だから逆に、今本当に考えなければいけないのは今間違っているかどうかだ。正しさの追求ではない。正しく間違う事もある。間違いが正しくなる事もある。正しさは今や相対的になっている。だから逆に間違いを考えるべきだ。
横河武蔵と新川選手の早期復活を望むのだが、これが本当に間違った例だと思う。
正しさや正義は魅力だ。だがこれだけでは辿り着きたい未来にならないだろう。