どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

盛岡私的観光案内 旧国道4号線1

2011-10-05 20:50:42 | まち歩き
盛岡市の中を走る国道4号線盛岡バイパス。バイパスが出来る前はどうだったんでしょうか。実はこれに関して確たる情報がありません。しかも昭和20年の国道4号線なんか一部憶測です。
大体言われている道をいってみましょう。オドロキが詰まっています。


Dsc_6748


上堂のバイパス分岐点です。左に向かう方が旧国道4号線。北から盛岡に来る時、市内に入るレーンに入るのはとても難しい、厄介な分岐です。これでもさんざん改良してきたのですが、決定打にはなっていません。


Dsc_6750


ちょっとアップめで。正面の道はみたけ・運動公園に向かう道です。BMWのウラのウラは小さなリンゴ畑。隣の駐車場はなにかの寮だったのが火事で焼けてしまったもの。ちょっときれいな庭があったのに残念。


Dsc_6751


道路拡張計画が四苦八苦している様子が分かります。広くなったり細くなったり。


Dsc_6752


また狭くなります。今度は二車線です。


Dsc_6754


道路脇には中世の城郭趾があります。地名は安倍館で、前九年の役で滅亡した安倍貞任の廚川の柵と間違われていた時の名残。でもこの城は栗谷川古城と呼ばれていたので、間違う訳だ。


Dsc_6755


国道46号線とぶつかりますが、左中央に青山町に向かう道があります。5叉路です。既に怪しい空気です。


Dsc_6756


北上川沿いに向かいます。山田線の鉄橋の近くです。車によってはこの下をくぐれないかも。
今年はアメリカシロヒトリが大量発生して木がボロボロです。どこいってもそうです。


Dsc_6757


夕顔瀬橋が見えてきました。


Dsc_6758


旭橋近辺です。駅裏開発でフツーの道の真ん中が陸橋になってたりします。ちなみにここに地下道がありますが自転車用に出来ていない所があって使いにくいです。


Dsc_6759


さて今まで来た道を振り返ります。十字路です。どう進みましょうか。


Dsc_6761


まっすぐ行くと駅裏から、雫石川を渡って本宮地区、西南開発区に向かいます。

Dsc_6762


右折すると盛岡駅です。


Dsc_6760


つまり左折して開運橋を渡るのが正解。しかし橋を渡るとまた5叉路が待ち構えています。


Dsc_6763


橋を渡って道なりに行きますと、正面に大通り商店街が見えます。この通りが旧国道4号線だったという話しもあります。昭和20年の話しでしょうか。この門を左折。


Dsc_6764


で、今度は中央通りを右折します。中央通は紹介済みなので一気に。


Dsc_6765


県庁を通り過ぎて、市役所前のT字路で右折。


Dsc_6767


ちょっとゆくとお城にぶつかって左折。


Dsc_6768


中の橋を渡ります。


Dsc_6770


中の橋を渡りきって、右折するという話しもあります。


Dsc_6771


すぐそばの肴町商店街。


Dsc_6772


そこを通り過ぎてすぐ、右折します。右側の建物は仙台資本のデパート・エンドーの名残。エンドー倒産後、パチンコ屋になったり服屋になったりいろいろありましたが、現在使われている気配はありません。


Dsc_6774


道なりに行きます。お寺があったりこのあたりは町歩きに最適です。


Dsc_6775


そのまま明治橋を渡ります。向こう側は仙北町。江戸時代に肴町とともに最も栄えた地域。都南・矢巾地域のコメの集積地でした。今でも農機具・肥料・種苗店が目立ちます。


Dsc_6776


それこそ道路拡張に苦しんでいます。広くなったり狭くなったりです。なお歩道なしの二車線が昔の姿です。


Dsc_6777


一番広い所。西南開発地区の道路と交わる交差点。なお自転車で地下道を使っている人をほとんど見かけません。
ここの地下道の場合、自転車のって走しれるように出来ているのに、走行禁止。歩道は車両通行禁止。一体何がしたいんでしょうか。


Dsc_6778


燃料屋さんです。薪も炭も扱っている今時珍しい。


Dsc_6779


道幅が安定してきました。右に多分北東北最大の中古業者・再販が。看板のバッタは、それこそバッタ屋だからという凄まじい理念が示されています。


Dsc_6781


南側のバイパス分岐点から。左が旧国道4号、右がバイパスです。


Dsc_6782


南に向かう国道4号線です。ちょっと狭いです。今でも国道4号線盛岡地区は走らないので有名です。しかしバイパスが出来る前ってどうだったんだろうと思えば、ゾッとします。一体何回左折右折を繰り返したんだか。
次に、昭和20年代の旧国道らしき所を通ります。


エクセル

2011-10-04 20:44:52 | インポート
表計算ソフト・エクセル。便利だけど苦労の絶えないソフトです。私は多機能が鼻について嫌です。そのエクセルが便利になりました。


Dsc_6645


とってもコンビニエンスです。弁当も調達出来ます。もしかすると進学塾がエクセルなのかもしれませんが。


Dsc_6926


こちらのエクセルは走行可能です。国土交通省がお墨付きを与えています。燃料はセルなのでしょうか。必要なくなった書類で走るのでしょうか。それとも打ち込みのスピードで決まるのでしょうか。いずれ多機能でしょう。通勤・通学・配達そして旅行と何でも使えるのでしょうか。
世の中、もっとエクセルがあるのかもしれないと思えば、ワクワクします。


盛岡・中津川の鮭

2011-10-04 20:36:07 | まち歩き
盛岡の中津川には鮭が遡上してきます。その鮭を見に行ってきました。
写真も撮ったのですが、偏光フィルターが無くてもいいかと思ったのですがまあ画像処理だけではかなり苦しい結果のなりました。ちょっと画像が汚いですが、すいません。


Dsc_6681_2


いました。けっこう群れています。ここは中津川でも川留稲荷近くです。


Dsc_6685_2


一匹だけなので巣作りでしょうか。小さいのが多いような気がします。


Dsc_6693_2


かなり鮮やかな婚姻色です。


Dsc_6699_2


中津川の鮭は、一時期北上川に流れ込む松尾鉱山からの鉱毒で、とても少なくなったようです。中津川はそれでも水質は簡単な処理で飲料可だったのですが、北上川がひどすぎました。鉱毒問題が治まり、北上川がきれいになり、鮭よ再びと放流事業がはじまり、今日に至っています。もしかすると鉱毒がひどかった頃にも細々と来ていたのではないのか、という声もありましてDNAの観点から正しかったのかとも言われています。
現実的に考えれば放流して正解なのですが、今では可能な限り遡上した鮭から卵をとり、人工飼育して放流しています。

06g1012162


交尾の写真が無かったので5年前の写真から。
今年は震災の影響も無く例年通りの数のようですが、北上川河口での鮭漁が盛んじゃない事から、やはり影響があるのではないのかと思います。


06g1012109


それでもよく来たなと思います。


Dsc_6706_2


小さな小魚がいます。ヤマメでしょうか。カジカもいます。


Dsc_6703_2


中津川には様々な野鳥がいます。まあこれはどこにでもいるカルガモですが。


Dsc_6710_2


この日は、ここに6匹いました。もう少し増えるでしょうか。


Dsc_6705_2


急に寒くなってきました。秋ですね。岩手山は例年より11日早く初冠雪となりました。


Dsc_6679_2


蛇足ですが、川留稲荷近くの犬。ガタイがよくって愛想のいい犬ですが、北海道犬だったんだ。眠っていると目が笑っているように見えます。


盛岡私的観光案内 上の橋加賀野神明町

2011-10-03 21:11:51 | まち歩き
Dsc_6613
名所、上の橋です。江戸時代の擬宝珠(ぎぼし)が乗っています。下は鉄筋コンクリートで欄干が木です。下流にある下の橋も同じ作りです。このため盛岡市は、この欄干一式を倉庫にしまっているそうです。事故が起きた場合すぐ修理出来るように、です。以外と大変な橋です。



Dsc_6612


ここの角には、丸竹という料亭がありました。今盛岡市の駐車場になっています。灯籠とかはその名残。


Dsc_6614


橋の向こうに見えるモダンな建物は千代紙屋さん。実はこの建物、元美容院だそうで建物が大正ロマンっぽいのはそのため。


Dsc_6615


今年も中津川には、鮭が遡上しています。川面を眺めている人がいるのはそのため。


Dsc_6616


橋を渡ると餅屋さんがあります。中で食べる事も出来ます。


Dsc_6617


この界隈の地主さんの蔵。今は盛岡正食普及会という、自然食品の店が入っています。ただこの会は、かなり古い会です。他の自然食品の店と一線を画しています。


Dsc_6618


さて加賀野に向かいます。空き地が増えました。


Dsc_6619


立派な蔵が残ってますが、周りは駐車場。


Dsc_6620


そばには、なぜか灯籠や庭石が転がっています。昔お屋敷だったのでしょうか。


Dsc_6621


表札はあるけど駐車場。栗の門柱が立派です。


Dsc_6622


呉服屋さん。急に道が狭くなります。


Dsc_6623


さてこの辺り、武家屋敷が並んでいたようです。古いお屋敷が目立ちます。
盛岡の武家屋敷や寺なのですが、何か分散しているような気がします。


Dsc_6624


くるたびに広がって行く駐車場。昔は奥に並ぶような家が、続いていたと思います。


Dsc_6625


民間の案内板。解りやすい解説です。


Dsc_6626


それでもこの辺りにはよさげな家が多いです。角の黒松です。


Dsc_6628


この家の松の木(左の丸く刈っている木)がチョウセンゴヨウマツ。ちょっと異色です。この実が中華料理の松の実。


Dsc_6629


お屋敷ですねー。でもなんか写真だと長屋っぽく見えるのはなぜ?古い家を探していたら神明町に来てました。


Dsc_6630


加賀野には田んぼがあります。


Dsc_6631


神明町のエンゼルクリニック。建物がなんとも映画に出てきそうです。なお小児科ではありません。


Dsc_6632


謎の神社。左の建物が茶室に見えるんですが、どうも物置のようです。


Dsc_6633


加賀野は、実は盛岡随一の高級住宅街です。知事公館もあります。昔は地価公示で盛岡市の最高価格を出していました。


Dsc_6634


ハス畑と農家ですね。実は武家屋敷以外は、昔ここは田んぼだったようです。


Dsc_6635


さてバイパスを渡って加賀野の奥に向かいます。すると謎の公園。久慈次郎記念緑地だったと思ったが、何も無い。むしろバイパス沿いで防音フェンスのある、利用者が想定出来ない公園。


Dsc_6636


これが久慈次郎記念緑地。澤村投手のキャッチャーだった、有名人。今でいえば盛岡一高出身。緑地は思いっきり小さい。


Dsc_6637


唐突に料亭の看板の建物。営業しているのだろうか。


Dsc_6638


やはり古い建物に目が行く。


Dsc_6639


突然鳥居が。しかも大日如来。どうやって明治維新の廃仏毀釈をクリアーしたのだろうか。


Dsc_6640


建物の作りも神社。なんでしょうかこの大日如来様は。後ろに妙泉寺という寺があるのでその関係か。昔よくこの辺りで子連れの狐を見たものだった。盛岡駅まで3.5キロです。


Dsc_6641


高級住宅街なので公民館等充実しています。


Dsc_6642


体育館も立派です。


Dsc_6643


日本に自生していないポポーの木が。右側の木です。岩手大学の中にあるので、鳥が種を運んだのでしょうか。


Dsc_6644


岩手大学付属中学校です。木に囲まれて写真がとりにくいのでメインの建物が写っていません。運動会の準備のようです。


Dsc_6646


小さなクリーニング屋さん。周りの建物は取り壊されています。


Dsc_6647


向かいに付属小学校。市内でも随一の教育環境です。付属幼稚園もすぐそばにあります。


Dsc_6648


本当にお屋敷が多いです。


Dsc_6650


またミニ公園です。この場合舞子の藤という盛岡市指定の保存樹木があって、そこに小さな家があったのですがそれが取り壊されて公園になってます。意味のあるミニ公園。でもそこまでするべき木なのかどうかは?将来の管理が大変そうです。


Dsc_6651


古い離れを残しています。もしかすると茶室だったのを、子供の勉強部屋に改造したものなのかもしれません。


Dsc_6652


実はここに典型的な三田商店の貸家があったのですが、高齢者施設になっていました。


Dsc_6653


さてメインイベント、川留稲荷です。治水なのに稲荷さんです。古くて小さいですが敷地も広く、さっぱりした空間です。


Dsc_6654


さてお参りして見ると、鳥居の裏に銅板が張っています。


Dsc_6657


狛犬の下には、厚岸・三田の名が。三田農林はこの辺りに牧場を持っています。その関係でしょう。おいしいアイスクリームを作っています。


1


鳥居の銅板を並べてみます。右側筆頭が南部家。大通り商店街関係者の名前が多く見られます。この神社の氏子が三田商店です。大通りの開発者でもあった関係で、こうなったようです。
なおその三田商店は、この稲荷様の向かいにあったそうです。



Dsc_6658


多分例の貸家。


Dsc_6660


酒屋さんで犬がお出迎えしてくれました。


Dsc_6661


震災のあとは、町中にある、こんなちょっとした店が流行りました。ここは流行っていたのですが、今はどうなのでしょうか。


Dsc_6662


いつも思うのですが、立派な小屋です。ただどうしてここにあるのかは不明です。


Dsc_6663


この辺りはちょっと変わった家が多かったのですが、少なくなりました。とはいえちょっと不思議な作りです。3階建ての小料理屋みたいです。


Dsc_6665


川留稲荷の裏です。気分のいい道です。ガードレールがありません。夜は気をつけましょう。


Dsc_6666


昔から盛岡で川といえば、中津川の事でした。河北といえば中津川より北となります。その昔はその河南地区のほうが栄えていたので、河北はどちらかといえば田舎でした。大通り商店街も初期はそれで集客に苦労したようです。
今でも河南地区の人は、そこだけで済むので橋を渡って河北に来るのは用事のある時だけという人も珍しくないようです。


Dsc_6667


流れの静かな所で、鮭が産卵します。ここにも4匹はいました。
加賀野は、お屋敷が多く、閑静でとてもいい所です。付属幼稚園から小学校・中学校とありますし公共施設も充実です。しかしバスセンターが近いといえば近いという微妙な場所で、スーパーがありません。大きめの個人商店もあるのですがまとまっていないので、不便です。でも高級住宅街です。


Dsc_6668


さて上の橋に戻ってきました。アパートの手すりの花がすてきです。


Dsc_6676


上の橋の上からのぞくと、鮭がいました。


Dsc_6677


秋ですね。