どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

盛岡私的観光案内 安倍館前九年1

2011-10-08 14:15:41 | まち歩き
誰もが苦手な土地があると思う。私にとって安倍館がそうだ。
18歳で盛岡に来たのだが、半年間安倍館に住んだ。まあその時の下宿に迷惑をかけたと思っている。その事が苦手意識を起こさせている。それと、なんかとても湿度が高い感じがあった。わがままな18歳に取ってこのすべてが黴びてゆくような感じは耐えられなかった。
とはいっても二つの観光スポットと、盛岡の歴史を語る上でも欠かせない。


Dsc_6807


旧国道4号線館坂交差点(5叉路である)からはじめます。岩手大学生の間で有名な肉の小泉あつあつ弁当です。唐揚げ弁当が有名です。最近近くにラーメン屋が出来ました。


Dsc_6808


実はその向かいに、老舗のラーメン屋があります。実は店の名前はよく変わるのですが、看板のデザインからオーナーは同一と思われます。「宝介」「ちゃぐちゃぐ」「豪麺」と名前が変わってきました。最近館向に新しいラーメン屋が出来たので、このエリアには4軒ラーメン屋があります。


Dsc_6810


肉の小泉の近くにお菓子問屋があります。「おかしのイチロー君」が何ともいえません。


Dsc_6811


館坂といわれるだけあって坂が続きます。左の謎の旅館「左馬」ですが30年以上続いています。改装工事をしていました。


Dsc_6812


謎の雑居ビル。法律事務所があります。


Dsc_6813


ちょっと左脇に入ってみます。新築の家が多くなりました。ただ行き止まりの道が多くって、迷いやすい道です。


Tatemukaityou


ちょっとこの辺りから、館向町と西下台を見てみます。いい眺めです。


Photo


昭和23年の航空写真です。このあたりに整然と家が並んでいるのが解ります。


Dsc_6815


こんな家が並んでいたんですね。


Dsc_6814


さっきの雑居ビルの老舗。ワゴン車でラーメンの屋台もやっていた。一見閉めた店に見えるのだが、営業しています。


Dsc_6817


さて名所、一の蔵邸に向かいます。


Dsc_6818


明治40年に盛岡出身で貴族院議員・東京府知事を歴任した阿部浩が建てたもの。確か別邸です。盛岡に帰ってきたときに使った屋敷です。


Dsc_6827


玄関です。敷地面積2600坪、建物面積145坪の広大なお屋敷です。


Dsc_6819


すいません。いきなりトイレです。この辺りはさすがにかなり手を入れています。


Dsc_6820


いくつか天窓があります。ここも手が入っているように感じます。


Dsc_6822


客間は6つあります。これは東側の10畳間。ちょっと床の間の作りが不思議な事になっています。左は押し入れだったような?書院作りではないのが何ともいえません。


Dsc_6823


客間はぐるっと廊下が渡っています。これはそこにある流し。お茶会が開かれていたのでしょう。


Dsc_6825


これは西側の大広間。手前が10畳、奥が17畳半です。欄間がすごい。


Dsc_6826


こういった邸宅には必ず茶がつきものです。10畳の方に炉が切ってあります。


Dsc_6830


窓から庭を望みます。窓ガラスはいろいろあるようですが、明らかに明治時代のガラスが数多く残っています。建具が生き残っているのは実はすごい事です。


Dsc_6831


障子をあけた所の大広間。


Dsc_6833


小さな流しが多くあります。


Dsc_6834


実はこの邸宅ですが、生活していたスペースも公開しています。これはあまり無い事です。この建物は平成4年に盛岡市に譲渡されたのですが、その時点で人が住んでいなかった事。また生活スペースなので増改築が行われて、建築当時の面影が全く残っていなかったり、管理上大変なのと、歴史的に意味が無いと取り壊されたりします。その点、ほとんど建築当時に近い状態で残っているのはすごい事です。


Dsc_6837


風呂場やトイレもほとんど建築当時で残っています。これは洗面所。流しが銅で出来ています。


Dsc_6838


脱衣所。ゆとりがあります。


Dsc_6839


五右衛門風呂があります。小さいと思うでしょうが当時家付きの風呂は相当贅沢品。それにしても洗い場が広すぎる。洗濯もここでしたのでしょうか。木の風呂桶は、ガスに対応するため後代に使われたのでしょう。


Dsc_6840


全体数寄屋風に出来て、材料もすごいものばかり使っていますが、何か徹底していないところにこの建物の弱さがあります。これが建築史の上では軽く見られている原因です。正直な所別邸なのに実用バリバリといった所が、いかにも盛岡です。


Dsc_6841


台所前のいろり端。台所やお手伝いさんなどのスペースも残されています。そのあたりは公開されていないのですが、外観を見る限り改装はしていないようです。なお建物の割に台所が8畳程度しかありません。当時の習慣なのですが、お客を呼ぶ時は、仕出し屋や料理屋を呼んで客に振る舞います。なのでお客が多くても、暖め直し程度なので台所はそんなに広くないのが普通です。


Dsc_6842


生活スペースの8畳間です。ここの保存運動をしたのは確か市議会議員であった西郷さんなのですが、盛岡市はお金がないのでかなり渋ったようです。そこで奥さんがボランティアで管理人を請け負いました。ある意味第3セクター管理みたいなものです。なので管理人の趣味が強く出ています。様々な理由からこの建物は多元的な利用が求められて、公民館的な機能もつけられています。さっきからなんか飾り付けがすごい事になっていますが、丁度展示会があったようです。でもまあ一言、やり過ぎです。古い建築物好きには相当邪魔です。秋田・角館の青柳家にいった時のガッカリ感に通じます。


Dsc_6843


客間西側の廊下です。右上の10間通しの磨き杉や天井などにふんだんに秋田杉の良質なもののみが使われています。


Dsc_6844


外に出ます。物置も残っています。この点が貴重な所です。


タバコ税

2011-10-07 20:14:24 | インポート
タバコ税の増税が出ている。ただ、この議論タバコ嫌いとタバコ飲みの感情的な議論になりがちだ。私もタバコ飲みなのでこの辺はどうなっているのかがよくわかっている。その上で周りに遠慮せずにタバコをすっている野蛮人はともかく、ほとんどのタバコ飲みは相当遠慮してタバコをすっている。嫌煙家と話しになった時も、相当頭を低くしている。大体自虐で、ホントやめたいんですけどネ~とか禁煙失敗談で笑いをとってジブン弱いんですネ~とかいってなんとかしようとがんばっている。もちろんこの際タバコは吸わない。その上何のタバコをすっているのか解らなくなる喫煙室に追い込まれている。しかしだ健康増進法以降、喫煙室から空気清浄機が無くなっているのだ!タバコが切れてイライラしている時は喫煙室に入るとホントすった気になる。どちらにしてもこの日本では、大規模な人体実験が行われている。
しかし嫌煙家は、どちらかといえばファンダメンタリストで病気になって健康保険の破綻で、受動喫煙で火事によっての財産の損失がで、子供の教育と町の景観の問題で、その匂いの不快感と加齢臭と加齢についてで、放射性物質ポロニウムまで登場し、最後にはタバコのみは全員死ぬべきだとなって行く。
この状態で議論なんて出来ない。だからJTは税収は上がる事は無いと金額面で議論をかけて行っている。
その前にそもそもの話しをしたい。
タバコ税と酒税は、日露戦争の費用を捻出するために設立された税だ。目的税だったので、その支払いが終わった以降は廃案にするべきだ。実はこの費用だが、最近払い終わったものだ。大昔に払い終わって、それでも残したものではない。国費がないからズルズルと残したものだ。
それでは、自動車税が無くなった消費税のときにこの議論はあったのか。ほとんどなかった。2重課税にならないかが問題になった程度だ。確かに酒税はイギリスでのアル中が増えるのを予防するための税でもある。しかしタバコは奢侈品であるという名目だったはずだ。本来は自動車税と同じ扱いになるべきだった。
なぜそうならなかったといえば、タバコ税は国税と地方税の二つの顔を持つからだと思う。消費税より税率が高かったので、地方からも消費税に一元化する事を嫌われたのだろう。
私のように酒好きでタバコ飲みは、だからこそ言いたい。本来だったら酒とタバコはもはや税金をかける名目が無いものだ。これらは消費税に一元化するべきだ。誰もがこの議論をしない。品目による税の不平等は、消費税にはあってはいけないものだ。そこをタバコを止めさせるために税率を上げるとか、税を上げるとタバコの売り上げが下がって安定した財源にならないというトンチンカンな議論になるのだ。
まず、税はどうあるべきなのかを考えた上で酒税やタバコ税は考えられなければ行けない。その上で消費税の平等主義とどう整合つけれるのかを考えなければ行けない。そういった議論が無いのが腹ただしい。
所得税や消費税、地方税と同じ土俵で議論しなければ行けない議論だ。あるから使うのはとてもよくない議論だ。議会からマスコミまでそういった根幹を考えようとはしない。それがどうゆう事なのかも解っていない。
廃止を前提で議論して欲しい。
税とは憲法に関わる問題だ。浅く語っては行けない。
なので復興というお題目がついても、私はタバコ税増税には反対する。岩手に住む人間でも反対する。ついでに酒税にも反対する。人と言われても反対する。
どんなに税制の法理論が構築されていようが、消費税以降の矛盾を議論せずにごまかしている世の中に反対する。
ついでに消費税に反対する。しかし売上税に変更するのは賛成だ。インボイスによる控除があるからだ。
私も反対ばかりするほど馬鹿ではない。なので対案がある。
酒税とタバコ税は、目的税になるべきで一般財源にしてはいけない。もともとが目的税だったのだ。それを大戦中のドサクサで一般財源にしてしまったのが間違いだった。これを財源不足と、キリスト教的潔癖主義のアメリカ人が、タバコ税をなんとなくスルーしてしまった所もある。そのまんまズルズルきたのがタバコ税だ。
復興を目的にするなら10年後に元の税率にするべきだ。そういった議論も無い、税制の意味すら感じられない議論にはあきれている。復興以外の目的があるのだろうと疑う。
酒もタバコも健康に悪いもので、それが問題ならその税金を国民健康保険制度に使われるようにするべきだ。そのための目的税にするべきだ。それだったら、この課税者も納得する。スジがとおって入れば納得する。
タバコ嫌いだし~税制あるし~健康に悪いし~上げちゃえ!見たいな議論にはうんざりしている。
本質は税制の問題なのだ。上げる前にこの議論が無いのは全くよくない。
終わった事ではないはずだ。


緑の羽根募金

2011-10-07 02:32:42 | インポート
Dsc_6805

町内会の回覧板で、緑の羽根募金のお願いが回ってきた。
こういったお金がまつわる町内会活動は重要だ。絶対顔を合わせて、回覧板をまわさなければ行けないからだ。そういった些細な積み重ねが大切だ。
驚いたのは、羽根からピンが無くなった事。これまでもこういった回覧板があったが、ピンが無いのに気がついたのは今回初めて。回覧板から落ちた羽根を拾ったら、シールで服に貼るようになっていた。これはいいかもしれない。
緑の羽根の緑化事業は、今回は全国区で動くと思う。ただ来年度には震災で荒れた山や沿岸の緑化にも役立てて欲しい。
森と海が関連しているのを証明したのは、三陸の海だった。山に樹があると海も豊穣になる。そこが震災と津波で壊れている。復興事業に欠かせない問題だ。
ただもうそろそろ赤も緑も、募金を街頭で、しかも中学生なんか使うのは止めて欲しい。寄附したサインとして羽根が必要だったのだが、シールだろうがピンであろうが毎日つけられない。それでいて町に行くと、子供たちの声が響く。
罪悪感を感じる。
雷が近づいている。それではおやすみなさい。


スティーブ・ジョブス死去

2011-10-06 13:55:02 | インポート
私の父は膵臓がんから肝臓がんになり、死んだ。
なので、ジョブスの病歴と重なって見える。
逆に膵臓がんだと解ってから、奇跡だなと感じていた。このがんは出来た場所によっても変わるみたいだが、手術後の5年生存率が極めて低いのだ。実は父の入院中に叔父の膵臓がんも見つかったのだが、老齢だった事と膵臓の端に出来ていたため簡単な手術で、3年は生きた。父の場合は膵臓の管近くにがんが出来ていたため、全摘で内蔵もかなり取り除いたものだった。その弱って回復していない二年後に肝臓がんが発見された。そこからはあっという間であった。
それに対してジョブスの回復ぶりは驚異的だった。この10年間の間に医療が進歩したのだ、と思いつつ医療費がどの程度だったのか。富豪だからで来た事なのだろうか?しかしそれは今時点での話しで、きっと10年後には膵臓がんでもジョブスのように活躍出来るようになってるのだろう。
その死に軽くショックはあるが、驚きは無かった。
スティーブ・ジョブスは天才だったのだろうか。これは常々考えてしまう。確かに天才だった。あのどうしようもないパソコンにデザインを導入した。グラフィック・ユーザー・インターフェースとマウスをゼロックスからパクって廉価なモデルに作り上げた。自身の作ったマッキントッシュをiMacに作り上げた。自身の作ったニュートンを、iPodとiPhonとiPadに作り上げた。そのの洗練させ方が独創的だったとも言える。
私はiPadが発表になった時、ニュートンが洗練されて帰ってきた!と本当に驚いたものだった。
実は最大の発明は、iTuneなのではないのかと思う。タダで配信するのではなく課金する事で業界への分配をし、ユーザーには廉価で配信し、海賊版の後ろめたさから解放する。インターフェースを徹底的に使いやすくして、ユーザーの囲い込みを計った。何が必要なのか、何が大切なのかを見極めていたと思う。
ジョブズの天才は、多分コンピューターを白物家電にした事だろう。その要素は創業時からあったが、追い出されてからその才能が花開いたのだろう。AppleⅡも直後に発売された表計算ソフトがあったからこそのヒットだし、マッキントッシュもアドビのプォトショップやイラストレーター、音楽ソフトがなければ出来の悪いコンピューターだった。
もしも長生き出来たらどうなるだろうか。高齢者福祉むけのイノベーションを起こしていたかもしれない。
なおアップルの最大の発明品は、ヴォズニアックのフロッピーディスク(今は関係ないとみんな考えているけど、セクターで分割するという所が重要で、ハードディスクにも応用されている)とデジタルカメラだと思う。特にデジタルカメラはコダックを追いつめるほどの発明品だ。


盛岡私的観光案内 旧国道4号線2

2011-10-06 02:31:03 | まち歩き
さて、今度は旧旧国道4号線を探りましょう。ついでに仙北町の通りを少し。


Dsc_6783


まずはマツダのなんかの施設。倉庫として使っている模様。日産も古くからのディーラーがあったりして、この界隈が豊かだった事を伺わせます。


Dsc_6784


看板がなんか写真を撮らせてしまいます。ロードサイドだと仏具屋も変わります。


Dsc_6785


昆布の専門店です。北海道の釧路・昆布森の昆布を扱っています。料理屋に卸していたようです。久しぶりにちょっと買って行きましたが、品揃えが悪くなっていました。こういった店が町の歴史なのですが、どうなるのでしょうか。おばちゃんは相変わらず元気でしたが、足が悪くなっていました。


Dsc_6786


さて明治橋を渡って、旧国道が昭和20年頃にどうなっていたのか悩みます。一番考えられるのは下の橋通りに入って、中の橋に近い通りに入る道です。旧名で言えば呉服町に向かう通りなのです。ただ今でも二車線ギリギリな部分があるので、どうなのかと思いました。そこで一本上の清水町の通りかな?と思い進みます。木津屋と言う古い店が角に来るので、ここかなと。この写真を左折します。


Dsc_6787


清水町の通りはには昔すごいパン屋があった。ただその超本格的なパンは盛岡ではイマイチだった。カルトなファンが私も含めていたが、東京から来て10年営業して東京に帰ってしまった。やっぱり仏具屋の通りでは無理だったのかもしれない。下町の風情はいいのだが。


Dsc_6788


清水町の通りから右折する。よくわからないのだが、ここから左側は道路が妙に細くなる。なので清水町の通りが4号かとも思うのだが、もう一本上にある通りも同じ幅なのでどちらが4号とは分からない。こうして通ると、やっぱり一番最初の予想だったのかもしれないと思う。この写真に十一屋という酒屋があるのだが、東京都青ケ島村で同じ屋号の十一屋(といちや)があったので何かつながりがあるのかとおもったりしたりして。



Dsc_6789


この辺りから古い重厚な建物が目立つ。


Dsc_6792_2


ここも道路拡張の計画があるのでしょうか。中途半端な建物の壊し方。


Dsc_6793_2


通りが中の橋に近づくと、銀行が増える。左側の建物は元銀行。少し先に中央郵便局があった。奥にはチラっと盛岡信用金庫本店の建物がある。みずほ銀行も見える。



Dsc_6801_2


中の橋たもとの旧岩手銀行本店。つまりこの辺りは旧盛岡のウォール街の様だったらしい。中津川から北は政治や学校、南は経済街だった、その名残のようです。



Dsc_6800


中津川と中の橋、テレビ岩手本社ビル。テレビ岩手本社の地所には、風情のいい料亭があったそうです。


Dsc_6802_2


城跡を左手に桜山の通りです。夕方の風情もいいものです。



Dsc_6803_2


大通りは昔二車線の道路でした。なので旧4号といわれてもそうかもしれないと思えるのですが、今では考えられません。商店街再開発計画でパーキングがついたり、アーケードの天井が高くなったりしました。でも昔は一方通行の二車線が、再開発で1車線になり、チョイ止めても金を取るのかよ!といった具合で何か地盤沈下を自ら招いているような気がします。
左側が盛岡の野村証券のビル。映画館通りとの交差点で、人通りの多い所です。


Dsc_6804_2


さて旧旧国道から、旧国道にぶつかります。おもえば昔この写真を撮っている位置の左側に、第一証券があったと思います。銀行が河南で、証券会社が大通りという構図もあるようです。
改めて旧国道4号線を歩いてみましたが、まあ恐ろしい道路です。ペーパードライバーの私にはムリ!な道です。とはいっても今のバイパス&南側の4号線もギリギリの輸送量なのではないのでしょうか。