どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

園井恵子生誕100年イベントにいって来たよ2

2013-08-27 01:59:14 | インポート
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まずは園井恵子生誕100年イベントにいって来たよ1で、タイトルの名前が間違っていた事をお詫びします。舞い上がっていました。ブログは一晩寝かせろとはいいますが、本当ですね。
コメントの JUNさん。こちらこそありがとうございました。何か解っていたような気になっていた宝塚の奥深さをお教えいただきました。重ね重ねありがとうございます。
しかしタイトル間違いからよく辿り着きましたね。


さて会場への道です。前にいるおじいさんは家に向かっています。手前のおばあさんは、どうも会場に向かっているようです。しかしこのゲートをくぐると更に辛い試練が待ち構えています。
坂がきつくなります。おじいさんもおばあさんも自転車を押してがんばります。しかし押して歩いているんだから、木陰のある右側を歩けば良いのですが、道路交通法には逆らえません。

なんて律儀な人たちでしょう。


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第二部の~ふるさとの丘に~なのですが、相当厳しい事が予想されていました。衣装の問題からいっぱい出まくっていたものです。この問題は誰かにいってしまったような気がしますが、気にしません。あなたが立っていれば、そんな事誰もが…。

そう言えば最近の貸衣装の女子の袴が凄く気になっていたのです。かなり腰高で、胸の上で止めるのですが、やっぱりアレは違いうなと。チマチョゴリかと思うものもありますね。着る人が良ければいいのでしょうが。

「清く 正しく 美しく」でその袴姿でのレビューがあるのですが、少し忘れていました。宝塚は、日舞のレビューがあると言う事です。でも卒業してから時間の経つOGで、これが出来るのかと言うのが驚きです。丹田中心に身体を使うのが基本なのですが、今話題のインナーマッスルを駆使する事になる動きです。発声法とも関係するので、何らかの関係があるのでしょう。



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この~ふるさとの丘に~ですが、超てんこもり。郷土芸能と言うかお祭りが全部もりもりで、岩手町のワンストップサービスになっていました。もうこれを見れば岩手町の2%は確実カバーです。
清流太鼓のレベルが高いのですが、強いていえばリフパターンがイマイチでした。多分時間的な問題があったのかと思います。演目を短縮した結果と、勝手に思っています。



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ムクゲの花が多い町なような気がします。

さて、~虹を追って~がはじまります。宝塚OGの舞台です。
実は最初のシンポジウム冒頭からなのですが、あの宝塚の礼といいますか、挨拶が入っています。来てくださってありがとうございます、のあれですが、このイベントで初めと最後は絶対入れています。定期的に入ります。この形式感を不自然なくする、この魔法感が凄いです。この~虹を追って~の頃にはこの感覚がマヒしてきます。

お辞儀一つで人が感動出来る。もうこの頃には、そんな事しなくていいよと応援モードに入ってしまいます。


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これがですな、すみれ売りの所に来るともう絶頂に達しているんですよ。
というか1000円のチケットって安いですよ。ほんと。町民挙げてに近いイベントで300人ボランティア。でも魔法は更に絶頂にきます。

たしか男役方が、私の後ろの列の真ん中の方、列の真ん中に近い人に、そのすみれを渡す時

「またせたな」

そう言ったのですよ。瞬間振り返ったら、男役方は苦笑いして照れくさそうな顔でした。でも真摯な柔らかい笑顔ですが、すみれを手渡す直前に彼の目からビームが飛び出すのを見てしまいました。
その時に発せられた熱量があんまりにも凄くて、もの凄く苦しかったです。


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もう苦しくて、走馬灯のように一瞬3つの事を考えました。
1)この台詞をはける男はいるだろうか。
 いるだろう。多分1000人に一人。だがここまではきれいではないし、いった所で下心にしか思われない。
2)これに返せる台詞は何か
 「だいじょうぶ」「今来た所だから」「まったたのよ~」、「許す」etc
  答え、ない。出来ない。ムリ。
3)自分の心はどこにあるのか、GPSとセシウム電波時計が破壊される。
 待っているつもりはなかったのに、ずっと待っていた気分になった。時間が止まったのではなくて、壊れてしまった。過去と未来が逆転した。多分ドラえもんが時空を歪めた結果だろう。

ということで大混乱を起こしてしまいました。JUNさんとお友達、あの際は本当にありがとうございます。鼓舞して頂いて仕事に復帰出来ました。

でも今これを書いている段階で、発作が起きました。



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さて運動公園でのイベントです。他の競技も行われています。少年サッカーの試合があるようです。


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前から解っていたのだが、宝塚の男には勝てない。それがよくわかりました。

で、ですな。チャライ男を見るとむしょうにハラが立つのですよ。
オマエら最高峰が解っているなら、止めろソレ、と説教したくなる47歳です。
最高峰を知りたければ、宝塚に行け。無知はよろしくない。

とはいえ、男に生まれて男に育った自分としては、そういった甘さやだらしなさがいとおしいのですよ。
でも他人には、時分の花とでもいいますか、そこに甘えた自分が嫌いとか、そこまで成長してもらいたいものです。


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こんなに楽しいく、しかも厳しい仕事はなかったです。

スターはスターですが、町民舞台をどうするのかです。撮影のポイントはそこにもあります。どうまんべんなく押さえるのかがあるのですが、どうあるべきかも考える必要があります。
スターは必要レベルが高い。スターをスターとして撮影すると言う難題もありました。

予想以上に難しかったです。


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純粋な男と言うのはなかなかいません。男と言う社会装置もあり、なかなかにそこから抜け出す男も少ないものだと思います。
ただ今の所私の感じる限り、純粋な女もそうそういません。
へたすりゃ出てるか引っ込んでいるかの、生物的差異を強調するのは、純粋でないからとかイロイロ考えています。

だからといって、純粋男の決勝みたいな所を、女がやってしまうと言う過去からの延々と続くこの、なんつうーかこの敗北宣言をどう引き延ばすかと言う作戦も、まあもうそろそろ認めてしまえ。

性差はない。


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とめんどくさい事が一瞬頭をよぎりつつ、もしも私の大学時代にこの僥倖にであっていたなら、まず間違いなくはまっています。間違いがありません。バイト代投入し学費まで手をつけただろう。幸せなのは私が47と言う事。多少の分別はあるはずです。

そして私には、いまよしこがいます。

浮気していいのか戸惑いがあります。でも今は、9月の北上公演はスルーして、よしこの再開公演まで待つべきだと、マジメに考えています。





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もうグダグダですが、今なんとか立ち直って来ています。それでも多分あと三日ぐらいは、どこかで「またせたな」としゃべる人がいれば反応すると思います。


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最後ですが、今回のイベントで生音担当のパーカッションの板垣アヤ子さんと柿崎幸史君を評価したいと思います。この困難なイベントの中で、照明のミスで切っ掛けを外すとかはありましたが、二人が出す音が、すべてを支えていました。一つ一つの音に意味を付けながら、それでいて軽やかに流れる通奏低音として、音を作ったと思います。


凄いイベントでした。


PS
実は、怖くてまだ時分が撮った写真を全部見ていません。プロとしてあるまじき行為なのですが、やっぱり怖いです。契約で一応その辺りは大丈夫にしていますが、明日見なければいけません。
怖いです。

8/29追記
ようやく全部見て整理しました。


園井恵子生誕100年イベントにいって来たよ1

2013-08-26 02:40:17 | インポート
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ということで今日もIGRに乗って出かけます。


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盛岡駅の操車場です。ここが前九年の役の激戦地だったとは…。


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渋民を超えて、そろそろ岩手町です。

友人が今回の企画に加わっているので、イロイロ考えます。正直な所、岩手町の人口1万4千に対して少なくとも見積もって300人はこのイベントに参加しています。2%の参加と言うのがどうゆう事なのか。イベントを見に来る方々も町民が大半とすれば、1割参加のイベントになります。


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田んぼからカラスが飛び立ち、不吉な予感がします。

なお、こうして車窓から写真を撮りまくっていたので、かなり不審者に見られたようです。いや昨日も通ったから、この辺りが面白そうかと、捕っていただけなんですが。

ブログには役に立ちます。


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岩手町ナゾの風景。どこがどうかと言えば、白いのは牧草を押し固めたサイレージです。それが田んぼの中にあるというのが変わった光景です。

減反とかで使われなくなった田んぼで、牧草を作っているのです。こうした線路沿いの良い土地では、耕作放棄地はかなり少ないと思います。あと、小規模複合経営が目立ちます。先の岩手山の写真と手前の牛小屋ですが、あれも田んぼの中にあります。田んぼと数頭の牛の組み合わせのようです。


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さて岩手町です。ホッケーの街でもあります。ホッケーと言ってもアイスホッケーではなく、グランドホッケーと言われるものです。マイナースポーツですがグランドホッケーが先でアイスホッケーが後で出来たスポーツです。オリジナルがマイナーと言う例でもあります。

元々この街は、少し変わっています。例えば毎年数名の彫刻家、しかも海外から呼んで岩手町で制作させて展示すると言う試みを、昭和48年から平成15年まで続けてきました。おかげで、町内に現代彫刻がゴロゴロしています。
少し面白い所では、新幹線工事の時にトンネルからでる土砂を引き受けて、一気に地盤改良をして道の駅と、石上の丘美術館を作りました。
お金をかけずに欲しいものを最適な規模で作るという町です。あとその継続性が高く評価されています。


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さてこれから向かう、森のアリーナ方向です。何も無く見えますが、シッカリ施設はあります。何しろ運動公園ですから、はずれです。

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さて道ばたの花々を巡りながら、今回のイベントを紹介します。
なんで会場じゃないの?と思われると思いますが、オフィシャルの撮影なので逆に全くそれは出来ないのです。


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今回初めて、元タカラジェンヌを間近で見てしまったのですが、まず凄い。何が凄いのかと言えば、演劇での基本のキが完璧だと言う事。あと彼らが以外と天然であると言う事。ウソクセーと言う感じは以前にはあったのですが、今はないです。むしろ演劇でのホスピタリティに溢れていると思います。それに基本が凄まじすぎるくらいに完璧なので、虚構が反転してしまう。ウワーウワーとなってしまいました。


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園井恵子生誕100年祭記念ステージ「ふるさとの丘に虹を追って」の第一部はシンポジウムです。パネラーはぶっとばします。ここで、園井恵子の宝塚舞台映像が発表されました。実はこれが凄い。16ミリフィルムの16フレーム/秒の描写はともかくとして、すでにこの頃には立ち方や歩き方などの所作が、もの凄く良く出来ていると言う事です。もうこれが基本のキです。
この流れで、今の形になったのは間違いがないのですが、完成形であったと言う事です。

ちょっと考えてしまいました。

今の盛岡の演劇状況で、このキが出来る人が何人いるのか?


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第二部のステージですが、それこそ宝塚OG4名の出演です。当然ご贔屓がいるだろうと思っていたら、やっぱりいました。いろいろと教えを頂きました。
なかなかクールな方でしたが、内に秘める情熱を感じます。


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このステージですが、300人をどうするのかと言うのはもの凄い話しで、ゲネは基本的に不可能です。その上ではけを確保するスペースがありません。もうしっちゃかめっちゃかです。300人の内4名がプロ。もう彼らだけが頼りと言う所もあります。照明・音響もプロですが、ミスが起きない方がおかしい舞台です。

でも出来ちゃった。若干ありましたが、多分大半の観客の解らないレベルでした。



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新幹線が沼宮内駅に入ってゆきます。新幹線の駅の中で一番乗降者数の少ない駅だそうです。

ということで、続く。

8/26
タイトルの名前が間違っていたのを訂正します。恥ずかしいです。


いわて銀河鉄道に乗って岩手町に行く

2013-08-25 01:56:16 | インポート
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さて岩手町沼宮内に仕事で行きます。ここは岩手銀河鉄道・IGRで行きます。
旧JR時代を知っているので、何か割高感があって乗った事がなかったのですが、今回新幹線もアホ臭いのでIGRです。


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なんて事のない列車です。最近首都圏で、押しボタン式の手動ドアが実験されていますが、東北では寒さ対策のためかなり前から実装しています。

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鉄道会社の事業と言えば、不動産。がんばっています。


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廃品回収の事業もやっています。大変ですね。


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好摩駅から岩手山です。
IGRになってから列車本数も増えているようですし、時間短縮にもなっているような気がします。


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沼宮内駅に、イベント広場がありました。これは面白い。


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北上川もここまで来れば小川です。源流域になっています。


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さてなんでここにいるのかと言えば、例の宝塚にいた、園田恵子さんの生誕100年イベントがあるからです。


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秋の気配が漂っています。


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さて宝塚OGが加わるステージイベントですが、かなり見れます。いい感じです。地元有志が加わっている所にイチマツの不安があったのですが、地方ものとしてはかなり良いです。特にダンスがいいです。思った以上にキチっとしています。
なんかスターが出て盛り上がった所を、地元民が出て盛り下がると言う事はないと思います。
とりあえず宝塚が好きな人はもちろんですが、NHKの歌謡ショーが好きな人にもオススメです。チケット1000円です。多分各安。

しかし宝塚って凄いわ。出身者のレベルが違う。妙齢な流さんですが、歌の声量とオーラが違いますね。


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この写真をのせて、宝塚の男役を語るのはなんですが、これを見たあとに男を見れば、まあこんな感じ。どの男を見てもこんな感じ。友人でもの凄いデブがいるのですが、彼を見てようやく現実に戻れました。ああ、男ってやっぱりこうだよね。だから男なんだよね、と納得しました。

あと宝塚マジックなのですが、あの私を見つめてくれた、伝説ですが本当にあります。私がカメラマンだからだけではないようです。そのマジックがどうなのかはいいませんが、本当にある。これはオドロキ。


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IGRにのって帰りました。明日も乗ります。


カジュアルと言うわからない言葉

2013-08-24 03:36:58 | インポート
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カジュアルと言う言葉がある。意味は形式張らない、と言う事だ。楽な・軽い?気楽なと言う意味合いもある。

しかしだ、カジュアル・ダイニングとかカジュアルなポップとかと言う言い回しになると、とたんに意味不明になる。頭痛が痛いみたいな事になる。そこでここではオサレという言い回しになるのだろう。
カジュアル・フラワーと言う花屋の業界用語もある。これは、普段使いの花と言う意味で、花の丈が短く、規格が少し低いという意味になる。スーパーの切り花がこれに当たる。冠婚葬祭の盛り花や、いけ花などでは60センチの丈が必要だが、フラワーアレンジメントではカジュアルフラワーで良い。ましてやご家庭の一輪挿しでは、カジュアルで良い。

思いつくカジュアルはこんな所だが、ファッションになると範囲が更に広がる。
シマムラがカジュアルファッションを標榜している。盛岡のミカワヤも店舗によってはカジュアルファッションといっている。多分岩手県藤沢町大籠の堂前商店もきっとカジュアルファッションなのだろう。
当然、ユニクロ・GAPもカジュアルファッションだ。DCブランドの多くは当然カジュアルだ。服ではないがフェラガモのあのお高いミュールは、カジュアルに分類されている。ニューヨーカーとかのビジネスブランドもジャケットなどは当然カジュアルだし、バーバリーのレーベルシリーズはカジュアルだろう。価格帯の差も大きいのがカジュアルだ。

カジュアルと言う言葉はどこからどこまでがカジュアルなのかよくわからない。ラグジュアリーと言う言葉は、形式張らないがゴージャスと言う意味ではじまったのだろう。


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日本の習慣で考えれば、カジュアルに相当する日本語はそうないのではないのだろうか。

江戸時代だと正装(ランクあり)、盛装(場所による)、略装(あったはずだ)、普段着、野良着のランクであったと思う。略装についてあったはずだと書いたのは、多分羽織袴が略装だったからだ。正装と言うのは、その地位に置ける服装で、儀式によって形式が変わったからだ。その中で正装の盛装とか、正装の略装とか、略装の盛装と言うものがあっただろう。
今私の念頭にあるのは、武士の服装なのだが、女性だったら今でも間違いなくこの分類は解るだろう。

問題は、江戸時代や明治期まで和服を来ていた人たちは、生地を使い回ししていたと言う事だ。どうゆう事かと言えば和服はそんなに洗濯出来ない。洗濯するときは縫い目をすべてほぐして生地を一枚一枚手洗いして、洗い張りしていた。竹ひごに生地を付けて張って乾かすのだ。だからしょっちゅう裁縫をしなければいけない。
縫い直して使い直すのが、極当たり前となっていた前提だった。

生地にもランクがあった。絹は普段着には使えない事になっていた。だが絹でも紬は良い生地ではないのでお目こぼしがあった。裏地に使う事も出来る。豪華な打ち掛けなどは、小物に変わってゆく。あとは棉・毛・麻・絽であろうか。当然織りでも生地のランクは違う。ちりめんのように縦糸と横糸の違いでシワが出来る生地もある。それぞれの生地を、使い回して普段着にしたり野良着にしたりと変化してゆくのが当然だった時代がある。

実はこれはそんなに古い話しではない。私の記憶にある限り70年代まではそうだった。もちろん和服は廃れているが、洋装でもそうだった。一家に一台ミシンがあった時代だ。お母さんのワンピは手直しして娘にとか、お父さんのスーツをほぐして、入学式のスーツに仕立て直すと言うのがあった。最近これが脚光を浴びているが、昔は当たり前だった。さすがにスーツし立て直しはプロに任せるしかなかった。女性でも、正装となるとそんなにものがなかった時代だ。生地をえらんで仕立てると言うのは割と良くあったと思う。
男も女もそうだったと思うが、正装が特に厄介だったと記憶している。スーツの正装の既製品がかなり少なくて、オーダーにならざるを得ない時代があった。特に女性が結婚式に呼ばれて着る服が、相当厄介だったと記憶している。同じ職場で寿退職する後輩がいっぱいいた、おばの場合が特にそうだ。正装の盛装、なので1年に一回オーダー、手直し、アクセサリーの変更、へたすりゃオーダーが二回三回となる。昔は安く作れたかもしれないが、それでも結構大変だった。型が合うどうしの貸し借りもあったと記憶している。
今でもかぶらないようにすると言うのがあるが、当時だとかなり厳しい。貸衣装も充実していなかったからだ。

なおバブル期の女性スーツの肩パッドの厚みだが、このオーダー時代の名残だと思っている。ガシッとした体型の人にはパッドが厚い方がゴージャスに見えるのは今も変わっていない。多分過渡期だから目立つのだろう。


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カジュアルと言う言葉を出さなくとも、カジュアルを目指したブランドがあった。VANだ。型をずらす方向でのカジュアルだ。その後のDCブランドもその方向にある。
ただその中で、ポパイだと思うがアメリカンファションを提案していたのだが、多分ここからよくわからない事になってる。カジュアルの範囲が広がったのだ。Tシャツ・ジーンズがファッションかどうかだ。このあたり喧々諤々だったと記憶している。

基本的に、オサレに着こなせればOKだったのだが、まあそうはいかない。だれだってモデルになれる訳ではない。

既製服が充実して来た時代でもある。着こなしがどう出来るのかが手探りの状態だった。失敗しない方法はあった。全部一つのブランドで統一すると言うやり方だ。当然Tシャツ・ジーンズ派からは批判を受ける。そう言った感じで、カジュアルは進んでいったと思う。

品が悪くなければいいよ、そういった具合になっていると思う。


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今のカジュアルと言う言葉には、安いという意味もある。格安感と言い換えた方が良いかもしれない。
だがファッションに関しては、少し違う感じがしている。

天然素材が遠くなって来たと言う事だ。確かにオーガニック・コットン(最高級の海島棉ではない。これには注意が必要だ。)の使用とかカシミアの使用とかはある。素材にこだわる方向はあるが、天然素材比率は下がっているように感じる。DCブランド等ではやはりこだわっているが、どうなのだろうか。

実は客がこだわらなくなったのが大きいと考えている。いや今でもいる事はいる。しかし和服時代の羽二重と平織りと、紬の種類にこだわる客がいなくなったのは間違いがない。もちろん和服の世界は今でもそうだ。だがこのニュアンスを手で解っているひとは少なくなっている。絽と紗とかになると相当難しいのではないのか。
平織りと綾織りの本質的な違いとかになると、単純な着心地だけになっているような気がする。


化繊の発展が更に押し上げている。高機能化繊もそうだが発色の良い化繊とかそちらの発展が大きい。次に大きいのは、天然素材はどうしても生産にむらがあると言う事だ。化繊はむらを押さえる事が出来る。しかもむかしのポリエステルのようなペラペラ感もない素材が出来ている。
むらと言ったが、縫製ではとんでもなく大きな話しだ。大量生産ではむらがないのが好ましい。だが意図的にむらを作っても寸法精度は確実な素材が出来たら?

技能がない工場に発注するためには?

カジュアルと言う言葉が、言い訳に使われていた時代は終り、更に進んだ製品に変わっている。だが各企業は最高の素材を使いたがっているが、大量生産を前提にすれば困難しかない。高級素材は生産が不安定だからこその高級であって、安定性に欠ける所がある。品質もバラツキがある。選別を厳密にすれば、やはり高価格になる。
そうなると寸法安定性の高い、化繊か化繊混紡となる。この流れは、大量生産がすすめば進むほど変わらなくなるだろう。

もうあるかもしれないが、次に来るのは安いラグジュアリーだ。だがかつてのような素材は使えるのだろうか。

パンツだけはなぜか高級素材が使われていたりする。見えないから発展性があるのかもしれない。

型があるからフォーマルであって、型を外したからカジュアルであって、普段着には型が無くてもおかしくなくて、だから和服に戻ると以外と見えてきそうな気がします。

とはいえ、遠くに来てしまったものです。


追記
午前7時修正しました。

カジュアルと名乗れる快適さには、実は統計もあったかもしれない。戦前から軍服のために身長や胸囲の統計を取っており、それにあわせて量産していたのだが、戦後ベビーブーマーが中学校以上に上がるに従って制服の需要と、そのデーターが積み上がって来たと思う。それが量産される服では大きな意味があったと思う。スーツも量産出来るようになり、更にイージーオーダーのシステム等でデーターが更に積み上がって来ている。
おおざっぱなで修正可能なパターンから、量産ながらオーダーに近いようなパターンが作れるようになって来ているのが今日なのではないのだろうか。



藤圭子が消えた

2013-08-22 19:48:09 | インポート
嘘だろ。藤圭子がベランダから落ちて、消えただと?今ようやく夜だぞ。夜は夢だったのか?

引退してから幾久しく、最近娘の宇多田ヒカルと組んでいたから、元気なんだろうと思っていたのだが。

あっ!言葉が出ない。歌の通りに消えてゆくのか?

浅川マキも消えてしまった。どうすんのよオレ。さよならには早すぎるよ。

泣こう。