どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

梅雨っぽい

2016-06-17 01:20:02 | 日記

 

今週に入って天気がぐずついている。今日も細かな雨が降り続いていた。気象台のレーダーでは映らない程度の細かい雨だ。傘をささずに済む程度の時もあれば、さしたほうがいいなという程度の降りかたもする。

中途半端な天気では、写真もさえない。

 

 

天気が悪いせいだとは思わないが、このところ仕事で少しすれ違いのような状況があってイライラしている。決してうまくいっていないというわけではないが、何かが違うのだ。

どうも先走っている感じはある。

 

 

申年は荒れるというが、今年は年頭から慌ただしい経済状況だった。だが23日に大物が来る。イギリスのEU離脱の国民投票だ。最悪の結果を経済界は全て織り込んでいるとはいえ、どう転ぶのかがわからない。よく分からないガソリンのダブつきと原油生産量増大も今後問題になるだろう。

先のサミットで「リーマンショック並みの景気変動が予測される」と安倍首相が言って、他の首脳から何言ってんだと思われて、アベノミクスの失敗を塗糊したと評論家や新聞から叩かれた。まあ消費税増税は国際公約の側面もある。それを国際会議で増税回避の言い訳をしたのだから、確かに批判されても仕方がない。

だがあまりいい予感がしないのだ。特にガソリンのダブつきは全くどう動くかがわからない。EUのダブつきをアメリカで最も消費の多い時期に輸出したが、アメリカはその時期に向けて増産していて、それでは他国に輸出したくともアジア、特に中国でダブつき始めて、中南米では資源価格低下で景気が確かに悪い。そしてアメリカで車のサブプライムローンの焦げ付きが増加しつつある。雇用統計は中期的に見れば改善しているのにもかかわらず、この増加は少しおかしい。これがアメリカのガソリン消費量が下がっている理由ともいう。

あまりにも巨大な資本が世界を流れている。それがこの前まで超強気で有ったが、ここに来て手仕舞いを始めたように感じる。

あまりにも小さな話なのだが、最近ホームセンター等で鶏糞堆肥の価格が暴落しているという。生産者も販売者も利益がないのではないのかという価格になっているようだ。この理由は農業の大型化が進んだ結果、鶏糞堆肥生産者への価格圧力が高くなったためではないのかという人がいた。結果それがホームセンターでの小売価格に反映しているのではないのかという。ホームセンターでも格安商品として目玉にしたいので、相場の落ち込みを狙っているのではないのかという。

あまりにも小さな話だろう。だがここには産業廃棄物の問題が絡んでいる。安くておいしい鶏肉の裏には、糞の処理の問題があり法規制が厳しい。そこに堆肥相場の低迷となれば、後は何が起きるだろうか。産廃処理偽装か不法投棄だろう。

どうも世の中がいい方向になっていないのは確かだと思う。


天信系の野良猫を久しぶりに

2016-06-15 22:51:32 | 日記

 

岩手大学近辺にいたあの野良猫たちもすっかり数を減らした。これも岩手大学の「いのちのサークル ねこの手」さんの活動の賜物だ。特に天信系の猫たちはかなり悲惨な状況にあった。それがここまでになったというのは素晴らしいことだ。

もう空から子猫が降ってくることもないし、ドブネズミ大の小動物の腸を引きずり出すカラスも見ることはない。

本当に本当に悲惨だったのだ。どんなに猫が可愛くても、あのスラムのような状況では健全に育つわけもない。そんな中で育った子たちが、里子に出されたり、管理されることで少しずつ数を減らしながら、残っている。

最近ブログで猫の写真がないのは、数が少なくなったというのが理由だ。だがあの頃は怒りに満ちていた。本当に悲惨だったからだ。

 

 

先の猫は去勢したという印が耳にある。この子にはない。ただこんな尻尾のねじくれた子は見たことがない。

去勢した子を追い回しているところを見れば、オスなのだろうか。確認しなかった。多少毛艶はいいが、野良猫であろう。

さっき言い忘れたが、ねこの手さんが管理しているからねこが減るわけではない。そもそも野良猫は3年程度しか生きられないのだ。そこまで厳しいのだ。野良猫として管理するというのは、ある意味矛盾している。だが、人に懐かない野良猫がいるわけで、それはどうしても里親にも出せない。管理しても懐かない子が残ってしまう。そういったねこと人間の間の問題は、絶対に解決できない。

 

 

自然というのは何か、それと人と自然、人が作った自然、人の考える自然というのがある。野良猫に関したは人の考える自然体と言うべきものだろう。それは人間に依存したものであって、人の文化の範囲だ。だが増えすぎて困るというのは、都市内の話だからだ。実はカラスもこのカテゴリーになる。

飛ぶ鳥はいいなとか、自由だとかいうのは、それこそ人の考える自然だ。原生林の写真は荒れた山だと思うのも、それが自然だとはわかっていないから起きる。

人は人が作った世界しか見ていない。だが変化を見落とす。

この花は多分和名でたかさごそうだと思うが、これがかなりの勢いで増えている。多分だというのは外来種だと思うからだ。そしてセイヨウタンポポが減っている。理由は何か。多分草刈りを定期的にするようになったからだ。この植物はタンポポににているが花茎が長い。で、一番の特徴は葉っぱが立たないことだ。葉っぱが立つセイヨウタンポポは草刈りのたびに弱るわけだが、地面近く葉っぱを広げるこいつは関係ないわけだ。ただもともと繁殖力は弱いのだろう。たまたま繁殖しているように見える。

人と自然ということでは、人がまだ弱いというのは間違いがない。だが随分と人の動きで植生は変わるものだというのは、考えておいたほうがいい。


昨日はブログ休みでした

2016-06-15 01:28:14 | 日記

 

昨日の0時から12時まで、OCNブログサービスのサーバーメンテナンスという、やんごとなき理由で当ブログはお休みしていました。すごいですね、閲覧数とPVの落ちっぷりは。PVに関しては検索サービスのボットが真夜中に走り回るせいです。PVの四分の三は、このボットなので落ち込みはすごいですね。閲覧数はそれに比べれば落ち込みは半分程度でしょうか。12時間止まっただけでこうなったとは。投稿が一切できないという説明だったのだが、閲覧も出来なかったのかな。

イマイチこのシステムがわかっていないところがあります。どうもクラウド型なんじゃないのかと思っているのですが、まあこちらのパソコンで作成しているのではなく、こちらが端末として動いているだけというものなのかなと思っています。で、写真投稿フォームのほうで、投稿しようとしたらいきなり文字化けしまして焦りました。もう何年見ていないんだろう、文字化け。多分「写真を投稿しますか?」という文章だと思うのだけど、そのダイヤログのみが文字化け。次のダイヤログも文字化け。まあいいやと思って投げてしまったのですが、無事写真は送られたようです。でもみなさんのところではぶっ壊れていたらどうしましょうね。

昨日の朝食の岩泉ヨーグルト。袋物が有名になりましたが、これは古くからある加糖のカップもの。これも結構美味しいですよ。なおこのパッケージデザインですがS山君のお父様のイラストです。手塚治虫と赤塚不二夫と少女漫画を足して3で割ったようなイラストです。最近のゆるキャラブームのおかげで、逆に新鮮に見えるのは気のせいでしょうか。

なお写真がブレているように見えますが、よくある印刷の壮大な版ズレです。水色と紺色の2版で印刷されていますが、それがずれているだけです。イラスト2色は必要ですが、文字版を直せば問題は消滅します。

 

 

紫陽花に色が付いてきました。

 

 

最近リーダーシップというのはどういった状況で起きるのかというのを考えています。しかもある意味ありえない状況でのリーダーシップです。リーダーシップというのは、上司が持たなければいけないものです。つまり上下関係があることが前提です。それがない状況、つまり理屈では対等な関係でのリーダーシップです。組織では一応採用年数の上下関係はありますが、時給や仕事内容は同一です。

いろいろ考えているのですが、どうも人間関係だけではなさそうです。もうなんて言おうか、気合みたいなものでしょうか。言葉ではなく、どうもこういったある意味極限では、そういったものが最も重要なようです。黙っていても気合、そんなもののようです。

空気を作るとしか言いようがありません。

 

 

阪神大震災の時にイスラムのコミュニティに触れて、少し信仰というのはどうなのかと考えた時期があります。正確にはまだ考えています。イスラムも勉強しました。キリスト教も聖書を読み直したりしましたが、わかったのは宗教とはコミュニティでありコミュニティの問題は宗教の問題であるということでした。

私が生きる限り、コミュニティに所属することが必要で、コミュニティには宗教がある。そういう必然性があるという結論に達したわけです。で、イスラムですが、酒とタバコが禁止なので除外です。とてもいいとは思うのですが。キリスト教もいいんですがここに大問題があったわけです。創造者が創造物を勝手に扱う権利があったとしても、それではなぜ神はLGBTも生み出してしまったのかということです。そしてそれを否定しているということです。愛をもって救済したはずなのに、信仰していても救済されないという矛盾は如何ともし難く。様々な問題はある。神は試練を人に与えるが、なぜ解決できないほどの試練を与えるのか。

ただ一神教の合理性とコミュニティーには未だかつて未練がある。だがどうもこの項を書いている時点で資格がないと思っている。

とはいえゆるい日本の仏教と神道が混在した世界は、合理性をもたらす基盤がない。相対的すぎる。でもその中に信仰の苛烈さを求めてゆく人たちもいっぱい居る。

 

 

リーダーシップというものが対等の条件であり得るのかという問いも、ここにある。曖昧な人間関係で形成されるアジア型のリーダーシップと、一神教的なリーダーシップも、最終的には解決法のない個に帰ってしまう。

いきなり壮大な結論になってしまったが、書けないことが多いのでそういわざるを得ないのだが、徳?というものだろうか。気合といった方が早いような気もする。

だがそういった人はなかなかいない。そして私はその器ではない。

 

 

白花のアカツメクサがあった。

花の世界では、滅多にいないものは常に弱いものだ。


今日は休みでワイセンベルク様を楽しんだ

2016-06-12 22:06:35 | 日記

 

今日の予想最高気温を上回る、29.8度の気温になりました。

今日はどう考えても全部休みです。多少データー整理があるのですがその時間は十分にあります。プールに泳ぎに行きます。総合プールはなんかの大会で一般開放していません。なのでゆぴあすに行きますが当然この気温と総合プールの状況から、混雑しているのは間違いありません。でも泳ぎに行きます。

もう一ヶ月半は泳いでいません。

 

 

久しぶりなのでマトもに泳がないことにしていました。混雑しているときはそれに限ります。久しぶりに50メートル1分20秒を目指すとか、腕だけ平泳ぎで足はドルフィンキックのドル平高速版とか、低速版とか。犬かきまで楽しみました。バタ足の超低速版とかは有意義でした

犬かきみたいなものになると、キャッチが大切だよなとか色々気がつかされるものがあります。まあ凝り固まってしまうと気がつかないことが多いわけです。

もうそろそろ小学校の水泳授業が始まります。そういったせいか子供を指導する母親がいますな。

40年前の教則本はどうかと思うぞ。その程度の知識なら、教えないほうがいいと思う。その上タイムを計測するのは全くどうかと思うぞ。キミのお子様の平泳ぎはリズムが狂いまくって最悪なのに、なんでそれがわからないのかな。

あなたの期待に添いたくて、必死に泳げば泳ぐほど、手は楽な方向に向かい、足は水面を出て、手の漕いだ水の流れは足でせき止められ、呼吸するためだけに足が使われているのだぞ。見た目は見事でも最悪だぞ。

なぜ一緒に泳がないのか。後ろをついて泳がないのか。それだけで安心して子供は泳げる。それだけでもかなりの変化はある。

 

 

 

 

帰りに響きによる。ワーナーパイオニアが出している、アレクシス・ワイセンベルグのボックスセットCDのをかけてもらうためだ。とはいえ10枚目のアンコール曲集をかけてもらった。多分これが限界。

ワイセンベルクは70年代から80年代にいっぱいレコードを出していた。売れっ子だったのは間違いなく、しかも恐ろしいまでのテクニック。間違いなくという言葉を2度使ってはいけないという語学神学論法を無視しても、間違いなくライバルさえいなければトップだった。間違いなくポリーニが最高だった時代の、アンドレ・ワッツも消し飛ぶほどの最高のピアニストだった。

だが日本での評価は芳しくなかった。無機質だという言われ方がした。確かにこのテクニックはすごすぎる。だがそれだけではないようだ。

 

 

なぜ嫌われたのか、そこは権威主義とか色々あると思う。ただワイセンベルクをまとめて聞いたことがなかったので、わからなかった。ドイツグラモフォンの録音はいい演奏しかない。だがワーナーパイオニアでは、かなり違う。ものすごく個性的な演奏、いや19世紀の演奏を20世紀のテクニックで再現したようなありえない演奏なのだ。

楽譜に手を入れている。そうとしか思えない。ガーシュインのラプソディ・イン・ブルーとかは顕著だ。まあジャズだからしょうがないが、ムソルグスキーの「展覧会の絵」では多分これは、ホロビッツの影響がある。

 

 

ワイセンベルクはピアノのペダルを最小限しか踏まなかったと言われている。確かにそうだがそれは当たり前だ。可能な限りペダルは踏まないほうがいい。ペダルを踏まないのではグレン・グールドが有名だ。ペダル操作で音が濁るのを嫌ったと思われる。

 

 

 

超絶技巧で有名だが、驚くほどクセの強いピアニストだった。逆にドイツグラモフォンでの録音はなんだったのだろうか。

 


30.5度

2016-06-12 01:00:08 | 日記

 

今年に入って2度目の30度超えだ。いったいいつから30度超えが当たり前になったのだろうか。今までは6月下旬にあるかないかだったが、5月下旬にも現れるようになった。とはいえ最近これに慣れつつある。そこがなんとも恐ろしい。

エルニーニョは4月から5月で収束したようだ。そしてラニャーニャが発生している。秋まで続くようで猛暑の恐れが出てきている。一応3ヶ月予報から8月は平年より高い確率が40%と決定的ではないが、覚悟はしておいたほうがよさそうだ。

屋外プールも、近くにはないし。

 

 

ガソリン価格が経由より安くなるかもと書いたら、アメリカでそうなってしまった。

そういえばベネゼエラの原油だが、重質油でもかなりヘビーなもので、ガソリンを混ぜないとタンカーに乗せられないほどねっとりしたものだという。なので産油国なのにガソリン輸入国だという。プラントを通すにも、ガソリンが必要。ガソリン価格が低迷するのはベネゼエラに取っていいことになる。だがそうはならない。そればベネゼエラが社会主義国だからではない。破綻寸前で、輸出できないからだ。

 

 

今日は仕事がさらさらと終わったので、よ市に行く。先週の喫茶渡辺は、店員2名の身長合計が2間、体重合計が59貫という壮大なものだった。で、今日はノーマルモードのご夫婦でした。でも先週がアレだったので、少し物足りないですね。

とはいえデカさゆえに慇懃な接客を心掛けていたのにかかわらす、怖いと言われた彼の心情を察するとあまりある…私に取ってもあるあるなので。

山田の赤皿というホタテのちっちゃいような赤いような、磯臭い貝を3キロ買って、アオゲラ農園の京菜を買って、家に帰ってから全て始末するのに1時間かかった。

 

 

赤皿の焚き物を今作っている。貝なので、火の通し方が難しい。保存食だから煮含めなければいけないわけで、火をかけては冷まし、調味料を加えつつ、火をかけては冷まし、それをノロノロと続けている。

味がとにかく強くて磯くさいので出来る芸当なのかと思う。山椒がとても合う貝なので、この時期に作っている。