清く正しく美しく。
心を的にした言葉だ。
心を清正美に出来るとしている。
固定概念にとらわれているからだ。
だから、人類史上清く正しく美しい心の人間はいない。
(ここも異論があるだろうなぁ・・・)
清く正しく美しくはないが、心が極微になった達人はいる。
心は混沌の幻の塊だから、極微になると綺麗になる。
それは心が綺麗になったのではない。
心が小さくなったから、綺麗になったのだ。
つまり、心はゴミのようなものだ。
ゴミが少ない分、綺麗に見える。
心を覗く方法に冥想がある。
(冥想と瞑想は区別すること)
本来は心を覗く方法ではないが、覗けてしまうのだ。
すると、心は混合融合混交乱交雑交ハチャメチャだと気づく。
矛盾するモノ同士が同居同棲同衾しているのだ。
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