そうなのだろうか?
何も知らない19才。
未だ歩く道も決ってない。
その頃にすでに示唆する出来事があったのか?
その頃に少しづつ準備はあったのか?
歩く道を見つけたのは40歳過ぎだ。
そして「生命」がライフワークになる。
「生命」に惹かれる。
やっと、それまでの出来事が繋がる。
ワシは・・・鈍かったのかぁ・・・。
19才の「観る」。
「観る」だけで精一杯だった。
それだけで感激していた。
見えない世界の扉へたどり着いたと思った。
もっと先まで用意されていたと気づかなかった。
その時に「生命を観る」まで用意されていた。
だがアホでドジでマヌケなカメは回り道に進んだ。
回り道と本道の区別なんか付くはずが無い。
今でも・・・区別は判らないかもしれない。
ワシは今でもアホでマヌケなカメだ。
これには自信があるぜ。
病の回復への方法はいろいろある。
医学(病気)に基づいた方法。
健康に基づいた方法。
自然(体)に基づいた方法。
ワシにはワシの基準がある。
「生命」が輝く(喜ぶ)かどうか?
主とした手段として「氣」を扱う。
意識変化の手段として「言葉」を扱う。
いずれにしても「生命の活性」だ。
ルノアールの絵。
そこには「生命の輝き」が描かれていた。
「生命の輝き」を観た。
ワシが魅かれるのも当たり前だ。
輝き(喜び)は温かい波動となっている。
ルノアールの絵に初めて出会った時、流れてきたモノ。
それは「温かい氣」だった。
それを感じる事が出来た。
感じる事が「観る」事だった。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
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