水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「家族・19」

2008-12-21 18:24:41 | Weblog



子孫についての固定概念を外そう。
子供が出来ない、作らない場合がある。
乳幼児や児童の段階で亡くなる事もある。
社会的な結婚にこだわらなくてもいい。
だが様々な理由により「我が子」と縁が無い場合がある。

固定概念で血縁が途絶えた、と思ってしまう。
固定概念では、自分の血は自分の血だと思っているのだ。
ところが、自分の血なんて無い。
常に脈々と受け継いできた血だ。
全て、先祖の血の寄せ集めだ。

心は自分だ。
だが、身体は借り物だ。
肉体が止まるまで専用に使える借り物だ。
当然、血も借り物なのだ。


                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「家族・18」

2008-12-20 22:14:55 | Weblog



自分が先祖と子孫の中心にいる。
∞の要にいる。
自分から、どちらにも影響する。
今、生きている、というのは、そういう位置だ。

先祖供養、子孫繁栄祈願。
する、しない、は別問題。
その方法のヒントがここにある。
自分が双方に影響するのだ。

生きているのは、今の自分だけ。
実際に行動できるのは自分だけ。
先祖も子孫も行動できない。
先祖の力で自分が変わるのじゃない。
今の自分が、先祖と子孫を変えられる。

                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「家族・17」

2008-12-19 11:01:14 | Weblog



先祖から子孫。
長い長い繋がり。
今の自分を中心にする。
先祖も子孫も扇のように広がる。

この形。
そう∞。
家族を広げると無限大の形になる。
そして、自分は無限大の中心にいる。

大きく家族の形を観る。
この無限大と自分の位置。
家族は大きな意味を持っている。
そして、自分は特殊な位置にいる。
今、生きているというのは、特殊なのだ。

                                 
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「家族・16」

2008-12-18 23:33:35 | Weblog



十代後の子孫。
自分の血は1024分の1。
曾孫でも8分の1だ。
それでも一族。

重要なのは血の割合じゃない。
血の縁だ。
更にいうなら・・・
血は途絶えても縁は続く。

更に更にいうなら・・・
血が途絶えるなんてありえない。
限定した家系にこだわる必要はない。
血が途絶えた先祖や子孫はありえないのだ。
どこかで、必ず末広がりに続いている。
人類、あるいは、生物が途絶えるまでは・・・

                                 
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「家族・15」

2008-12-17 22:53:56 | Weblog



漠然と家族を考える。
今生きている身内に限定してしまう。
生きている者同士は、様々な感情が行きかう。
感情は冷静な観方を妨げる。
(感情の良否を問題にしているわけじゃないぜ)

先祖は(この世的・肉体的に)生きてない。
生きてない相手には感情が薄くなる。
その分、冷静な観方ができる。
家族を考えるには、先祖をモデルにするのがいいのだ。

先祖から見れば、我々は子孫。
つまり、子孫の観方も家族を示している。
子孫は血縁。
血縁だけど、他の血が混じって創られる。
常に半分づつ、他の血が混じって子孫となる。

                                 
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「家族・14」

2008-12-16 22:48:18 | Weblog



先祖への敬い。
これが「家族」の基本姿勢だと思う。
個人ではなく「仕組み」を対象とする。
家族という仕組み内の一員という自覚。

何らかの縁。
血縁だけじゃない。
元々家族は他人同士の繋がりが出発だ。
他人同士のオトコとオナコの繋がりだ。
そこから血縁が生まれる。
すごい仕組みだと思わないかぁ?

他と自の混然、同化。
他から自が生まれる仕組み。
家族は魂の進化の方向を示している。
まぁ、人間は、それほど、進化は、しないけど・・・

                                 
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「家族・13」

2008-12-15 22:50:25 | Weblog



先祖を敬う。
宗教者や精神界啓発者や占い師等。
特定の先祖のことしか言わない。
先祖を敬う意味を知らないからだ。
知っていれば、あんな事は言わない。

「アナタの御先祖は○○・・・」
先祖は等しく倍数で増えるのだ。
お墓に祭られているのは極一部なのだ。
アナタの先祖は等しく、大勢いるのだ。
極一部だけ敬うのはヘンだろ。

先祖の霊に○○家は付かない。
苗字(名前もだけど)は霊に関係無い。
先祖を狭く固定し、勝手に決めている。
そんな言葉に騙されるなよなぁ。
もっと大らかに先祖を敬おうぜ。

                                 
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「家族・12」

2008-12-14 21:39:23 | Weblog



通常、祖先を敬うのは特定している。
何らかの記録が残っている先祖だ。
記録はないが、言い伝えの場合もある。
とてもアイマイで頼りない特定だ。

だが、先祖は必ず二人づつ増えている。
記録にも記憶にも無い先祖もいる。
十代前なら1024人いるのだ。
どこかで不明のまま亡くなった先祖もいる。
記録と本当の先祖が違うなど、当たり前だ。
正式な夫婦からだけ子供が生まれるわけじゃない。

アナタの先祖は多種多様な生き方をしているのだ。
特定の記録に残った先祖だけ敬うのは間違いだろう。
全て、同じ割合の血が流れているのだ。
アナタの知らない、先祖まで敬うのが当然なのだ。
だから、特定じゃなく仕組みを敬う。

                                 
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「家族・11」

2008-12-13 22:54:11 | Weblog



誰が共鳴するのかは基本的に判らない。
何となく、なら判る。
だが、相手を探すのは間違いだ。
歩いて行くのは、自分の足だぜ。

そういう相手は時期が来れば現れる。
求める相手じゃない。
共鳴条件が揃えば、自然に現れる。
先祖も同じ仕組みだ。

もう一度繰り返す。
勝手に守護霊を求めるのは間違いだ。
祖先にお願いするのはいい。
だが、特定の祖先にお願いしてもなぁ・・・
祖先を敬うのは、利用する為じゃないだろ。

                                 
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「家族・10」

2008-12-12 22:55:05 | Weblog



全ての祖先からの影響がある。
そして、特定の祖先からの影響もある。
必ずしもじゃないが、ある。
そこに何らかの縁があるのだろう。
波長が共鳴する場合があるのだろう。

この世界に多くの人が暮らしている。
身内親戚友達知人未人。
多くの人の中で、特に関係の深い人が出る。
お互いに影響し合う人が現れる。
それと、同じ仕組みなのだ。

祖先だから特別に影響するわけじゃない。
家族だから全員が同じく影響し合うわけじゃない。
特定の場合は、特定の条件が付くのだ。
闇雲に特定の祖先に頼っても通じない。
共鳴しなければ、影響はほとんどないのだ。

                                 
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