水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
あとがき
書いているうちに、何かが変わった。
幸の解説は本末転倒ではないか。
その前に、幸が何故存在するか?
ふっ、と思った。
幸は何の役目があるのだろう。
もちろん、考えても解らないモノはゴマンとある。
ワシだって、何の役目があるか解らない。
役目なんて、無いのかも・・・
でも、まぁ、この世に存在している限り、
何らかの役目があるだろう。
役目があるから、存在できる。
存在=役目、という大前提で話は進む。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
治療・若返り・悩み相談受付中)
あとがき
ワシは計画性がない。
文章はいつでも、何も考えてない。
その時、勝手に手が動いた文章だ。
手が動いて書いているから、後から読み返す。
ワシは最初の読者となる。
最初は「こう」という題だった。
そのうちに「迷説幸福論」と題名が変わった。
幸福論を書き出したわけではなかったからだ。
ただの言葉遊びだったのに・・・・
幸というのは解りにくい。
だから、同音の「こう」から解こうと思った。
その時は、固定概念の幸があった。
手もやる気が無かったのだと思う・・・。
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幸の項(こうのこう)
生命への感謝。
感謝は言葉の上皮ではない。
自分が変わってこそ、感謝になる。
生き方が変わってこそ、感謝となる。
表現は感謝。
実体は、生命への労わり。
生命への尊敬。
生命が全うする為の行い。
いつでも生命優先。
自他の生命優先。
それにより、幸は出現する。
幸は、この世の存続への道標でもある。
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幸の項(こうのこう)
幸の出現。
最適な方法は「感謝」だ。
生命への感謝だ。
神への感謝だ。
この世における自他の存在。
それは生命の存在でもある。
存在させてくれるモノ。
それを「神」とよぶ。
神は安っぽい宗教ではない。
宗教の道具ではない。
生命そのものだ。
生命賛歌は、生命への感謝。
神賛歌は、神への感謝。
幸出現は、難しくないのだ。
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幸の項(こうのこう)
生命への感謝。
神への感謝と同じ意味だ。
それは、生命への賛歌でもある。
神への賛歌と畏れ。
すると、幸は出現する。
生命の存続に感応するのだ。
感謝はそれなりの効力があるが、
生命(神)への感謝は特別なのだ。
感謝は「気持ち」ではない。
感謝は「心」でもない。
感謝は「行い」なのだ。
その後の「生き方」なのだ。
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幸の項(こうのこう)
自他の共通の生命。
あるいは、自他を超えての生命。
それは、神という概念と一致する。
生命即神。
感謝の対象は様々だ。
多くは特定の人だろう。
親、恩師、偉人、知人、友人、恋人。
自分にとって、何らかの影響ある特定の人。
人と人の繋がり。
縁。
それらは、大きな意味がある。
感謝すれば、意味は深まる。
だが、生命への感謝とはレベルが違う。
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幸の項(こうのこう)
何かしてもらっての感謝。
ありがとう、の言葉。
それは、それで何らかの変化がある。
どんな種類でも、感謝は効力がある。
ありがとう、の言葉は強い。
言霊として効力がある。
真言(マントラ)としても効力が強い。
意味も対象も関係なく強い。
ただ、言葉にすればいい。
だが、それで幸になるわけじゃない。
だが、それで幸になる。
幸は肉体(生命)への賛歌だ。
だから、生命(身体)への感謝なら幸が出現する。
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幸の項(こうのこう)
言葉での説明は段階により違う。
生命をどう理解しているか。
肉体をどう理解しているか。
精神をどう理解しているか。
感謝という言葉がある。
感謝をどう理解しているか。
それにより、幸への関わりがある。
感謝の持つ、深さへの理解。
感謝すれば、幸になれる。
ワシは、一応否定する。
だが、一定の深さを理解しているなら、
感謝は幸と同一でもあるのだ。
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幸の項(こうのこう)
幸は、当たり前。
幸があるのは、当たり前。
誰でも、何処でも、いつでも。
幸は、特別に求めるモノではないのだ。
幸の求め方を実践しても幸になれない。
当たり前なのだ。
一時的な似非幸福感はある。
ほとんどの幸福になる方法だ。
幸は、当たり前。
当たり前は、誰からも教わらない。
個々の内に最初からある。
特別な条件で幸福になるわけじゃないのだ。
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幸の項(こうのこう)
幸は生命が活かされる道標。
個の生命が活かされることを調和という。
個の生命は同時に、全ての生命に係わる。
調和とは、個と全ての調和だ。
幸は個の道標。
同時に、全ての道標。
幸の生き方は、重要な生き方。
そして、当たり前の生き方となる。
当たり前とは、心が関与しない。
生命が素直なままの状態と行い。
素直が最高最強最良の活かし方。
幸は当たり前になると、出現する。
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