休泊川、休泊中学校・・「休泊」と聞くたびに、なんとものどかな名称
だなと感じでいました。
これが偉人の名が由来とは、知りませんでした。
子供が小学3年4年時に使っていた副読本『のびゆく大泉』に
「大谷(おおや)休泊(きゅうはく)」(1521-1578、58才没)のことが
紹介されています。
室町時代、16世紀の人物。算術が得意で上杉憲政の平井城(今の藤岡市)
に土木職として仕えていた。城の落城で失業。太田金山城主、由良成繁の
元に身を寄せることに。水害、風害、水不足で疲弊しきっていたこの地域。
館林、小泉、金山の殿様たちからの願いにより渡良瀬川から大輪沼(明和町)
までの用水堀と、多々良沼から谷田川に流れ出す用水堀を作って人々の生活
を助けました。その間、苦節20年。農耕は改良され、山林を開墾し畑とする。
畑にならない所には太田の金山から松苗を数十万本と取り寄せて植林した。
その働きは、広く今なお、地域の人達に感謝されているのです。
東武線・成島駅の東に「大谷神社」があり大谷翁が合祀されている=写真。
(館林市成島町)
身近なことでも、知らないことがまだまだありますね
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だなと感じでいました。
これが偉人の名が由来とは、知りませんでした。
子供が小学3年4年時に使っていた副読本『のびゆく大泉』に
「大谷(おおや)休泊(きゅうはく)」(1521-1578、58才没)のことが
紹介されています。
室町時代、16世紀の人物。算術が得意で上杉憲政の平井城(今の藤岡市)
に土木職として仕えていた。城の落城で失業。太田金山城主、由良成繁の
元に身を寄せることに。水害、風害、水不足で疲弊しきっていたこの地域。
館林、小泉、金山の殿様たちからの願いにより渡良瀬川から大輪沼(明和町)
までの用水堀と、多々良沼から谷田川に流れ出す用水堀を作って人々の生活
を助けました。その間、苦節20年。農耕は改良され、山林を開墾し畑とする。
畑にならない所には太田の金山から松苗を数十万本と取り寄せて植林した。
その働きは、広く今なお、地域の人達に感謝されているのです。
東武線・成島駅の東に「大谷神社」があり大谷翁が合祀されている=写真。
(館林市成島町)
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