ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

カメラか 兵器か 光学技術の歩み

2016年01月11日 | 研究・書籍

お正月はカメラの出番が一番多い月のように思います。

やや古典的な部類に入りそうな写真史の本、『カメラと戦争』を読んでみました。
著者、小倉磐夫氏は1930年生まれ。千葉大学工学部教授だった光学エンジニア。

ライカ、コンタックスは第一次大戦の敗戦国ドイツで誕生。戦時中に光学兵器を生産した企業が戦後、カメラに転換。中島飛行機から富士重工への歴史とも似ていますね。「光学会社がカメラを生産できるのは平和の象徴だ」と著者。

空母に取り付けられた40ミリ対空機銃はスウェーデンのポフォース社が開発したものですがオリジナルは、敗戦国で何かと生産規制されていたドイツ・クルップ社の資本がスウェーデンに“亡命”したもの。名機ハッセルブラッドでおなじみのハッセルブラッド社の社史にもそう書かれているという。40ミリ機銃が威力を発揮したのは米軍の対カミカゼ特攻機作戦でした。
爆撃照準器はまさにカメラのファインダー光像技術なのです。

戦艦大和、武蔵に搭載された15メートル測距儀(レンジファインダー)は日本光学(ニコン)での製造。当時、陸軍のニッコー(ニコン)、海軍のトッコー(トプコン)といわれました。ニコンは今も健在ですが、トプコン(東京光学)はカメラから撤退してしまった。ですが同社が開発したTTL測光は広く各社が採用し功績として残っています。

戦争はあらゆる技術を総動員します。
今はケータイやスマホで簡単に写真を撮る人が増えました。いずれにしても光学技術が平和な生活に使われている時代をいつまでも守りたいものです。

【写真】私の小6からの旧友、マミヤ35S。(右はぐんまちゃん)

 

カメラと戦争―光学技術者たちの挑戦 (朝日文庫)
小倉磐夫 (千葉大教授)著
朝日新聞社

 

TOPCON  東京光学 一眼レフカメラ

 

コメント
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