ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

降りかかる不条理に抗す(5)

2020年09月23日 | 研究・書籍
管理社会 vs 市民の自由

「100分de名著」では「デフォー ペストの記憶」3回は「管理社会vs市民の自由」でした。

1665年のロンドンでのペストによるパンデミックから今日の私たちに示唆されるメッセージは多い。

ロンドンの中心部のシティーの行政府は、条例を施行。芝居、見世物、剣術試合など大勢集まる催し、宴会、店での飲食一切禁止。罰則も課す。「禁止、罰則」ですからきびしいですね。もっとも当時のロンドンの人口46万中7万5千人が死亡していた状況ですから、今のコロナ禍とペストの単純比較はできませんが。

このきびしい条例の効果はあった。それは王族貴族、富裕層が早々に脱出した後だけに、いちいち最高上層部の決定を仰がなくても現場の市長の職責で事が成せ行政がスピード化し適切な施策を次々と打つことができたからだ。

効率的な行政のその反面、市民にとっては犠牲、苦しみもうまれた。感染者を出した家の監視人の仕事に貧しい人たちをあてがったのは良いとしても、監視下に置かれた家は完全に封鎖された状態になり、そのため患者以外の家族も全員ペストにかかってしまうことにもなった。

墓穴を掘る埋葬人についても同様。あまりにもぞんざいな死体の扱いに市民の尊厳が傷つけられた。また死体の記録にも正確さが欠けていた。監視員も埋葬人も新たな雇用の創出のメリットはあったにもかかわらず。

行政の効率化の名のもと結果的に市民が苦しめられることになる場面は今の社会でも見られる。コロナ禍で気が付けば保健所や感染症専用救急車の数が激減され防疫態勢がおろそかになっていた。さらに公立病院の再編統合などの動きによるマイナス面も行政と市民の溝となりえます。

権力による管理には2面性があります。市民はポポロは、時にそれに抗して行かなければならない。しかしパンデミックのような状態ではデフォーも『ペストの記憶』で答えまでは提示しない。不条理に対しての自覚は十分持ちながらも・・

(つづく)


 


枯葉 イブ・モンタン
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