久しぶりに木村真三さんのお姿をを拝見しました=写真。
「患者解剖録分析へ ハンセン病検証 草津で記者会見」の新聞見出し。(毎日新聞7月26日群馬面)
現在、独協医科大学の准教授木村真三さんは、ハンセン病療養所に強制隔離された患者の解剖録を戦前、戦中、戦後と分けて詳細に調べ差別の歴史を知り多くの人に考えてもらいたい、と話す。そのために医学的なアプローチで明らかにしたい、と。
木村さんの真理を追究する姿勢、いまなお変わらず健在です(拍手)
当ポポロ通信舎は、2011年の原発震災の時に木村真三さんのお名前を知りました。
かつてない震災直後、正確な情報が伝わらない福島の現地に直接木村さんは、おもむき地元の農家の人たち、途方に暮れていた住民の皆さんに、急を要する厳しい放射線量の測定結果を直接知らせ回ってくださった。当時所属していた安全衛生研究所からは調査行動を慎むようにいわれたが、あえて退職して福島の被災地現場を訪れた。
当過去ブログご参照ください(クリック要👇)
「患者解剖録分析へ ハンセン病検証 草津で記者会見」の新聞見出し。(毎日新聞7月26日群馬面)
現在、独協医科大学の准教授木村真三さんは、ハンセン病療養所に強制隔離された患者の解剖録を戦前、戦中、戦後と分けて詳細に調べ差別の歴史を知り多くの人に考えてもらいたい、と話す。そのために医学的なアプローチで明らかにしたい、と。
木村さんの真理を追究する姿勢、いまなお変わらず健在です(拍手)
当ポポロ通信舎は、2011年の原発震災の時に木村真三さんのお名前を知りました。
かつてない震災直後、正確な情報が伝わらない福島の現地に直接木村さんは、おもむき地元の農家の人たち、途方に暮れていた住民の皆さんに、急を要する厳しい放射線量の測定結果を直接知らせ回ってくださった。当時所属していた安全衛生研究所からは調査行動を慎むようにいわれたが、あえて退職して福島の被災地現場を訪れた。
当過去ブログご参照ください(クリック要👇)
→2011年11月2日 なぜSPEEDIが公表されなかったか
→2022年9月16日 困った原発脳の人たち
あの原発事故でお示しになった行動力、調査力が、今度はハンセン病研究に活かされている。木村さんの祖父の兄さんはハンセン病で施設に収容され55歳で死亡。それまでの解剖録やカルテがあることを知ったのもきっかけのよう。誤解され隔離され苦しまれた患者の方々のご無念が、追跡調査によってさらに真実が解明されることを願います。木村准教授の健闘を祈ります。
→2022年9月16日 困った原発脳の人たち
あの原発事故でお示しになった行動力、調査力が、今度はハンセン病研究に活かされている。木村さんの祖父の兄さんはハンセン病で施設に収容され55歳で死亡。それまでの解剖録やカルテがあることを知ったのもきっかけのよう。誤解され隔離され苦しまれた患者の方々のご無念が、追跡調査によってさらに真実が解明されることを願います。木村准教授の健闘を祈ります。
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