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原発事故に立ち向かった『吉田昌郎と福島フィフティ』(門田隆将著 PHP研究所)を読みました。小中学生向けで文字も大きくわかりやすかった。
福島フィフティとは、2011.3.11原発震災発生時に放射性物質が大飛散している状況下、原発現場に残り事故収拾に取り組んだ約50人(実際は69人)勇者に対して海外メディアが名づけたもの。
福島第一原発所長、吉田昌郎氏の豪快かつ明晰なリーダーシップは、これからも指導者の心得テキストになって語られつづけられそうな悠然とした判断力と行動力でした。
上からの誤った命令に
3月12日事故2日目、「海水を中止しろ」と東京の首相官邸に居た東京電力の武黒一郎フェロー(副社長待遇職)から指示連絡が入る。吉田所長はこのトンチンカンな命令には反発、しばらく激しいやりとりがありましたが面従腹背。現場指揮官としてすべてを知る吉田所長は海水注入をそのまま続行した。もし指示を丸呑みし注入を止めていたらどうなっていたことでしょう。考えるのも恐ろしいほど被害は拡大したのでは。。
官邸からの指示を武黒氏が受け、そのまま現場の吉田所長へ伝えたと読めますが、実際は官邸からの指示はありませんでした。そもそも「官邸」という言葉が抽象的です。官邸=当時の民主党政府として、それに責任を押し付けては気の毒です。原子力についてはもちろん、海水の注入についても詳しいことを知る政治家は首相を始め誰一人その場にはいませんでした。武黒氏こそ東大工学部から東電に入社した原子力畑一筋の専門家。もし仮に官邸(政府)がそのような誤った命令を発したとしたなら、そこで体を張ってでも食い止めなければならない立場ではなかったのではないでしょうか。。
イラカン(菅首相)が東電の敵前逃亡を防ぐ
当時、菅直人首相へ東電は原発事故直後から、現場からの撤退を申し入れてきた。それに対して菅首相は「(東電が)撤退したらどうなるのか分かっているのか!東日本全体がやられるぞ」と“イラカン”ぶりを発揮して怒った。叱られて東電は撤退を断念し守備位置に戻った。
原発震災が政権交代後の民主党政権であったことは、同党には悲運だった。しかし今、事故の対応・収拾過程を検証してみると国民にとっては民主党政権であったことは不幸中の幸いだったと言えます。事故現場から逃走しようとしていた東電を一喝したのはイラカン(菅首相)だったのだ。(『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』菅直人著 幻冬舎新書)もし今の自公政権だったら・・
福1の志士69人に敬意
話がそれましたが、吉田昌郎氏と決死の作業に携わった人たちには敬意を表します。全電源喪失の闇の中、手探りでベント作業、そして次々に汚染現場に突入した免震棟の同志達69人。まるで忠臣蔵の47士をも連想します。それにしても誤った命令に対して、自身の覚悟と判断力で危機を打開した吉田昌郎。6千人のユダヤ人を救った外交官、杉原千畝にも似た精神だなと感じました。
私の好きなバンド、Taking Back Sundayから『Liar(うそつき)』 原発分野も常習的なウソが多い・・
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吉田昌郎と福島フィフティ (心のノンフィクション) |
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Taking Back Sunday - Liar [It Takes One To Know One] (Video)
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