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ドキュメンタリー映画(2012年DVD作品)『熊谷陸軍飛行学校桶川分教場』を観ました。
昭和10年(1935年)に開校した熊谷陸軍飛行学校(現在の航空自衛隊熊谷基地)は有名ですが、その分校の桶川分教場(桶川飛行学校)存在はよく知りませんでした。昭和12年(1937年)6月埼玉県北足立郡川田谷村に学校開設。写真は訓練風景。現在も守衛所、車庫、営庭、本部兵舎、弾薬庫などが残されている。
戦時中、陸軍の飛行場、飛行学校は日本全国に、なんと100以上あったとも。昭和20年(1945年)2月の閉校までに卒業した飛行学生は約1,600名。昭和20年2月以降は特攻隊の訓練基地となり陸軍初の練習機による特攻、第79振武特別攻撃隊12名が鹿児島の知覧基地に向け出発した・・。
優秀な学徒から特攻に
DVDを見ながら昔、工場見学した後に懇談した来客の紳士の話を思い出しました・・。
「私は戦争中、学徒動員(早稲田大学)で御社(東京三洋電機)の前身、中島飛行機(小泉製作所)で勤労奉仕をしていました。私の本当の志望は、ここ(小泉)ではなく熊谷の飛行学校に入りたかったのです。同期生で熊谷飛行学校に入学したものがいて、とても羨ましかった。彼は私よりも成績は良く運動神経にも長けていた模範生だった。しかしその彼は特攻隊となり帰らぬ人となってしまった。彼よりもすべてに劣っていた私は小泉製作所に配属になったことで生き残ったのです・・」はるか遠くを見つめるようにして応接室の椅子に深くもたれ力なく語ってくださった。
さらに特攻隊要員の選抜は、命中率を考え操縦技術の優れているものから順に指名されたのだ、とも説明された。
もしかしたら知覧基地に向けて出発した振武特攻隊の一人がその方のご学友だったのかもしれません。古い記憶がなんとなく結びつきました・・。
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