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『広辞苑はなぜ生まれたか/新村出の生きた軌跡』新村恭著 世界思想社 を読みました。著者は新村出(1876-1967)の末孫。
わが家には広辞苑は第二版があります=写真。昭和48年発行、定価3600円。常用のカシオ電子辞書の方には第六版が収められていることもあり、分厚い第二版は今では本棚の置物のような状態で眠っています。
年明け1月12日に広辞苑第七版が1万項目を加えて発売予定。発行は不定期だけに久々の新版です。定価は8500円。電子辞書の普及が進み、広辞苑の利用もその中でなされ、実際に紙の辞書を買う人は少ないのではと思われますが・・。
広辞苑の編者、新村出にはいろいろなエピソードがありました。。
新村出の義母、八重さんは栃木町(現栃木市)の出身で日本で登録女医1号の荻野吟子とは医師を目指した者同士で親友だったといいます。
新村出=写真は1908年ごろ文部省から万国エスペラント大会があるから日本代表として出席するよう命令を受け参加している。会場にはエスペラント語創始者のザメンホフの姿もあったという。本書では「エスペラントの可能性については懐疑的であったが(新村出は)見学、勉強のため参加する心持ちだった」と記述。どうして「懐疑的」だったのかの詳細な説明はなく後世の著者の主観のようにも受け取れます。いずれにしても“国家命令“でエスペラント大会に行ったということは確かなわけで、今ではとても考えられないことですね。当時の政府は、なかなか国際感覚が豊かだったということでしょうか。エスペラントの精神を理解する当広場としては、意外な“発見”であり嬉しいお話でした。
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広辞苑はなぜ生まれたか―新村出の生きた軌跡 |
新村恭(新村出の孫)著 | |
世界思想社 |
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